第31話 1周目 【一度目の死】
ある一定を越えて美しいものは、半ば強制的に目を奪う。
こちらの思考や意志によらず、反射的に吸い寄せるように視線を集める。
向こうの世界じゃ、TVくらいでしかそういうレベルにお目にかかったことは無かったが、こっちの世界に来てからは、身を持ってそれを体験している。
サラが微笑むと、視界の端であってもそれを追ってしまう。
セシルさんが、元傷があったところに触れて、ふと浮かべる安心したような表情に視線が止まる。
銀が微笑みながらお茶を入れてくれれば、ぼーっと眺めてしまう。
表情のくるくる変わるセトが傍にいたら、ずっとその変化を追ってしまうしな。
だがそういうレベルを超越したものを目の当たりにしたらどうなるか。
奪われるのは視線だけではない。
思考も、本能的な警戒も、一切合切を奪われてしまう。
心を、奪われる。
――見蕩れる。
その言葉の意味を、本当の意味で思い知る。
癖一つ無いまっすぐな金髪は、自身が発光しているかのような艶を持っている。
処女雪の肌などという表現を、自分の脳が思い浮かべることがあるとは夢にも思わなかった。
ぞっとするくらいのきめ細かさと、その白さゆえに強調される体温によって朱に染まる部分が、生唾を飲み込むくらい艶かしい。
その肌の上を水滴が転がるように、重力にしたがって泉へ帰って行く。
大きすぎず小さすぎない双丘は釣鐘型で、その先端は肌の朱とは違い、口唇と同じ艶めいた淡い桜色だ。
そして何よりも心を奪うのは、何の感情も浮かんでいないにも関わらず、いや浮かんでいないからこそなのか――恐ろしいくらいに整った顔と、その瞳だ。
金の瞳。
もしその無表情な瞳が俺にだけ笑いかけてくれるのであれば、できることは何でもしてしまうと確信できる。
今それが俺を認識し、見つめているというだけで動悸が激しくなる。
「……誰、ですか?」
同じ質問を全く変わらぬ口調で、全く無表情なままに繰り返されて、俺は停止していた思考が一気に流れ出す経験をした。
それまでは本当に「空白」だったのだ。
さすがにこんな経験は初めてだ。
美人って怖い、ただ立っているだけで心を奪える、見蕩れさせる存在というのは脅威だ。
一糸纏わぬ姿というのも大きいのは認める。
というか恥じらいも何も無いのが違和感全開だ。
一糸纏わぬ姿で全てを晒しているのに、隠そうという素振りが無いどころか、その表情にも声にも一切の動揺が感じられない。
我に返ると、正直ちょっと怖い。
勝手に転移で目の前に現れて、無言でガン見している男がいう事じゃないけれど。
あ、これお約束イベントのフラグじゃないか? と馬鹿なことが頭に浮かぶ。
王女の着替えを覗いた、裸体をみてしまった為に決闘を申し込まれ、それを返り討ちにすることで惚れられるというテンプレ中のテンプレ。
女性の裸をみておきながら、我ながらふざけた想像だ。
まずは謝るべきだろう、いろんな意味で。
それにセトが言っていたじゃないか。
現状の俺の最強魔法すら凌ぎうるのが「聖女」――今目の前で神々しい裸体を晒している「姫巫女」、クリスティナ・アーヴ・ヴェインであると。
鼻の下伸ばしてる場合じゃない。
「ごめ……」
「勇者様ではありませんね。――にも関わらず「姫巫女」である私の裸体を見ましたね」
俺が謝ろうとする言葉に、興味が無いとばかりに無表情、無感動な声で被せられる。
そうか、「聖女」――「姫巫女」は世俗、特に男性からは完全に隔離されている。
神に操を立て、その例外は「勇者」のみ。
ただ王族の女性の裸をみた、という事とはまた違った「禁忌」を侵しているのだ俺は。
いや王族の裸をみるだけでも相当な禁忌だとは思うけど。
呑気な事を考えていた俺の思考は、次の一言で一気に混乱に叩き込まれる。
「死になさい」
ぞっとするほど冷たい声。
本気であることが、本能的に理解できる。
死ねって、そんな。
確かにツンデレ系お姫様が口にする定番ではあるけれど――
自分が目の前の超絶美人に殺されるという想像が出来ない。
だが。
能力管制担当と「義眼」が一瞬で最大警戒態勢に入り、俺の全魔力を解放する。
今までに無い規模で吹き上がる、左手と左目の魔力エフェクト。
俺の思考速度では追い切れないくらいの数、赤い警告窓が視界に展開され、俺の判断を待たずに能力管制担当が承認、起動、展開してゆく。
一気に消費される「魔力」で、頭が少しくらくらする。
能力管制担当が本気だ、いつもの茶目っ気のあるメッセージを出している余裕も無い。
「Maximum vigilance」
と赤字で表示され、俺は「姫巫女」――クリスティナ王女殿下を攻撃する意思など無いのに、全ての攻撃魔法を即時起動可能な状態で待機させている。
漆黒の外套を始めとした身につけている神器級のアイテムの能力も全て解放し、今の俺は全方位を積層魔法陣で囲まれた、魔法陣の塊のようだ。
渦巻く魔力が空気を震わせているのがわかる。
いやこれちょっとやりすぎなんじゃないのか。
それこそボスクラスの魔物を相手にする時でもここまで必要ないだろ?
「雷龍」ですら、同属性の初級魔法一発で仕留められるのに、何を素っ裸で何も装備して無い美人相手にここまで警戒してるんだ。
いや。
いや違う。
セトは「聖女」が俺に匹敵する、もしかしたら凌駕するだけの力を持っているかも、と言っていた。
自分の実力では、俺も聖女も測りきれないから、「自分よりすごく強い」程度しかわからないけれど、と。
そのセトも初めて俺と対峙した際、発動されようとしている俺の「獅子吼」をみて、瞬間で対抗する事を諦めていた。
逃げの一手だと。
今俺が展開している魔力は、そのときの比では無い。
セトの言うように、「聖女」――「姫巫女」が魔法のエキスパートであるなら、警戒して然るべき状況なのだ。
しかも俺は正体不明の男なのだからなおさらだ。
だが目の前の美女――「姫巫女」こと、クリスティナ王女殿下はまるでそんな様子を見せていない。
その理由は目の前で展開されていることを正しく理解できていないか、あるいは――
――今の俺の全力による魔力展開を、歯牙にもかける必要が無いか、だ。
俺がジアス教会の司教兼魔法遣いと対峙した時と、同じ状況。
拙い……気がする。
かといってどうする。
「桜花懐剣、顕現」
こんな状況でさえ頭を痺れさせるような美声が、桜色の唇からこぼれる。
変わらず一糸纏わぬままの裸体の胸の辺りに、短刀――護り刀とも呼ばれる「懐剣」が舞い散る桜の花弁とともに現出する。
黒漆塗りの柄に金泥で小鳥、鞘に同じく金泥で桜の花弁が描かれている、持ち主に相応しい美しい短刀だ。
「宵待ちの天に白月。空の春雷。桜花散り落ちて砕け」
現れた短剣の柄を左手で持ち、鞘に入ったまま刃を足元に向けて「姫巫女」がおそらくは何らかの起動文言を口にする。
柄が無数の桜の花弁と変わり、懐剣の刃がさらされる。
その瞬間、舞い散る桜の花弁が視界いっぱいに広がったと思うと同時、数え切れないほどに展開されていた俺の多重積層防御魔法陣は全て砕かれた。
音も無く。
余韻も無く。
全くの無防備な状態に強制的に引き摺り下ろされた。
え?
俺の理解が追いつかないまま、能力管制担当が全力で再展開をかけようとする。
転移を使おうとしないのは、確実に妨害されるとわかっているからか?
つまりそれだけ、「姫巫女」と今の俺の魔力差は大きいのか?
常に表示され続けている、
「Maximum vigilance」
の赤字が妙に生々しく見える。
「五弁の桜首落とせ、春の小鳥」
その言葉とともに、鞘から解き放たれて、確かに見えていた刃が消える。
そのままゆっくりと、下に構えていた、刃の消えた懐剣を左へゆっくりと振り抜いた。
ちりっ、と首に痛みが走る。
あれ、この世界に来てから、痛みを感じるのって初めてじゃないか?
それが俺の最後の思考だった。
ぼとん、と言う鈍い音は、自分の頭が首を断たれて床に落ちる音を、自分の耳が拾ったのだ。
多分。
幸いな事に、頭を床に打ち付ける傷みはもう、感じなかった。
次話 1周目【side クリスティナ―世界の終わり】
11/5 23:00頃投稿予定です。
次話で一周目が終了です。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n4448cy/
同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n7110ck/




