第17話 1周目 【side 冒険者ギルド―望むかたち】
クロエは想像してみる。
ヴェイン王国に留まらず、この世界全てに大きな変革をもたらす「古の魔法遣い」の、担当ギルド職員兼、恋人。
昨日までなら夢にも思わないような立ち位置になれる可能性が、零ではないことに今更ながら体が熱くなる。
自分が何処の誰であれ、司が気に入ればそれだけで今までの人生はひっくり返るのだ。
ふと自分が考えに耽るあまり、黙り込んでいたことに気付く。
再び暴走をし始めそうになる思考を、頭を振って追い出し、急に黙り込んだ自分を不思議そうに見つめる、同属二人の謝罪に返事を返す。
「いえ、そもそも私が大騒ぎしちゃったのが原因ですし。それにわかんないですよ、あんなパッと見普通の人が、古の伝説に謳われているそのままの魔法遣い様だなんて。――彼が最後に渡してくれた紹介状、見ます?」
司が冒険者ギルドに登録するために必要な書類の不備を、一発で吹き飛ばした上等な封筒を二人に見せる。
なぜクロエが自慢げにするのかは少々謎だが、そんなものなのかもしれない。
「ザック・ダリアムって……あのダリアム家の跡取り息子じゃねえか!」
「今は王直属の近衛だっけか?」
白毛と三毛の獣人が驚きの声を上げる。
自分が見た時と同じ驚きを見せてくれる二人に、満足するクロエ。
御領主さまとしてや、お客様として「貴族の家」と関わることが多い一般民とは違い、冒険者は王宮や貴族に基本興味がない。
関わることがほとんどないからだ。
一般人であれば冒険者ギルドに依頼を出す案件であっても、正規軍や私兵を使って解決するのが王族や貴族であり、もめることはあっても依頼主になることはめったにない。
そんな中級冒険者である二人でも知っているくらいに、司が渡した紹介状を書いたザック・ダリアムは有名な大貴族の跡継ぎなのである。
――たぶんツカサ君はわかってないよね、なんか友達みたいな言い方だったし。
書類を揃えられないことに困っていた司が、
「あ、そうだった。ザックに紹介状書いてもらってたんだった」
と言って紹介状を取り出した事を、クロエは思い出す。
忘れるようなものじゃないでしょう、ツカサ君。
思わず苦笑いするクロエ。
それは司がザック・ダリアム直筆の招待状を、忘れる程度のものとしか認識していないという事だ。
少しでも腕に覚えのある者であれば冒険者ギルドなどではなく、鼻高々で正規軍の門を叩くはずだ。
いやそういう人間であれば、最初からダリアム家に仕官することを望むか。
普通であれば、冒険者として獣や魔物を狩るリスクある暮らしなど、正規軍に属するか、大貴族に仕官して安定した生活を送る事を捨ててまで選ぶものではない。
そしてそういう人間が、自分が仕える家の次期当主様、もしくは軍における上位者を呼びすてることなどあり得ない。
そんなことをすれば、その一言でせっかく得た立場はあっさり水泡に帰すという事をいやというほど理解している。
そればかりか不敬を働いたとして全てを失いかねない。
少なくともダリアム家とはそれだけの家格を持っている。
司にしてみれば、サラ王女やカイン近衛騎士団長に頼むのはさすがに拙いと思ってザックに頼んだわけだが、クロエや二人にとってはさして変わらぬ結果になった訳だ。
司が助けた中では近衛騎士の一人に過ぎず、サラ王女と共に「癒し」で救った一人目という切っ掛けが無ければ、気安く話す仲になっていたかどうかすらわからない。
実際に司は、オルミーヌ砦での夜にされた自己紹介された全員の名を覚えているかどうか、甚だ疑わしい。
必要となれば能力管制担当が仕事をするので、恥をかくこともかかせることもないだろうが。
「正直最初からこれを出してくれていたら、と思っちゃいますよね。とにかく彼は「本物」ですよ。王国有数の貴族、その跡取り息子であり、エリート中のエリート、王直属の近衛騎士でもあるザック様が、直筆の紹介状を書くくらいですから」
最初からこの紹介状が出されていれば、対応も展開もまるで違ったはずだ。
冒険者ギルドは基本独立独歩、宮廷や貴族の影響を強く受けることはない。
だからと言って、実際に強大な力を持った存在を無視して存続できるほど、他を圧倒する組織でもない。
王族や大貴族とのつながりを持った人間を、特別扱いするのは当然なのである。
実際司のギルド登録に必要な書類などは、ザックの紹介状一枚ですべて事足りたのだ。
直筆の紹介状というものはそれほどに価値がある。
その人間を受け入れたことによる不利益が万一発生した場合、その責任をすべてその紹介者が負うという証明書みたいなものだからだ。
つまり司は本物――少なくとも大貴族があっさり身元引受人を買って出るくらい、貴族たちにとっても重要人物だという事だ。
「本物ってのはもう思い知ってらあ。大将がその気だったら俺あ今、消し炭だわ」
白毛の方が先の大火球を思い出したのか、身震いしながらつぶやく。
「くれぐれも失礼の無いようにって……これ少なくともザック氏本人は相当遜ってるよね」
見る機会などそうそうない大貴族による直筆の紹介状を、常には見せない真剣な表情で読んでいた三毛の方が、その司に対して気遣われた、というより遜ったような文章に驚きを深くする。
だよねえ。
クロエもその言葉に同意する。
クロエの感覚では大貴族がこのような態度を取るのは、主君である王族に対してくらいしか想像がつかない。
魔法遣いとしては破格の力を持っているのだろうが、それだけで門閥貴族のご子息、しかも次期当主がここまでの態度を取るとはちょっと考えにくい。
彼らは力を持っている分、矜持もそれに応じて高い。
馬鹿な貴族も居るには居るが、この世界における貴族は、能力に見合った義務を果たすが故にその高い地位を得ているものが大部分である。
長く続いた平和な時代には通用するかもしれないが、平時と戦時が交互に訪れるような時代、世襲しただけで貴族でございますというのは通らない。
無能が偉そうにしていると言えば、全大陸全国家で共通して信じられている教会の連中がそれに当てはまる。
こちらも極少数、立派でまじめな者もいるのだが。
他にも何かあるのかしら? ツカサ君。
実はザック様の命の恩人とか、もうすでに王族のどなたかの良人となるのが決まっているとか。
実はその想像が、両方ともあたっていることを知るはずもないクロエは思わずため息をつく。
貴族の御令嬢や、ことによったら王女様ですら望める立ち位置の人が、ギルドの受付嬢に恋をする。
――ないわぁ。
妄想を逞しくしてみたところで、冷静になればなるほど、自分などを「女」として相手にするとは全く思えない。
別に一目惚れをした訳でも、本気で玉の輿を狙っている訳でもない。
そもそも会ったばかりの年下の男の子でもあるのだ。
地位と経済力を皮算用して、自分の恋人候補としてシミュレーションする事自体がずいぶんと浅ましい。
とはいえ女としての自分が全く通用しないであろうという、他でもない自分自身による分析結果には思わずため息の一つも出ようというものだ。
それでも司が、自分の所属する冒険者ギルドで活躍してくれればいいなあ、とクロエは思った。
「というかあの大将、冒険者なんかやんなくても、王宮に召し抱えられて左団扇じゃねえの?」
それにもクロエも同意せざるをえない。
ただ地位やお金を求めるのであれば、冒険者になる必要は全くない。
だがそうではなく、冒険者としての名声を求めている言うのであれば納得できるところもある。
あれだけの力を持ち、それを目の前で実証して見せた「魔法遣い」様であると同時に、そういう名声に憧れる、子供みたいなところもあったようにクロエは感じている。
だからこそ自分がその恋人になるというような、馬鹿げた妄想もできるのかもしれない。
そうだったらいいな、とクロエは思った。
恋人なんて高望みはしないから、冒険者ギルドの担当窓口として司の冒険譚を一緒に見てみたい。
基本ドライな自分が、あの圧倒的な力を持った相手の無事を、そんな立場じゃないのにもかかわらず心配したり、祈ったりなるようになるのは、我ながら見てみたいと思う。
恋人とか愛人になって、お金がたくさんあるとか女友達に羨ましがられるとかより、なんとなくそっちの方がずっと楽しい毎日な気がした。