第03話 ギルド受付嬢クロエの野望
獣人、女性、クロエ・シトロン十九歳は最近野望に燃えている。
いまや大げさではなく世界の中心となったヴェイン王国、その王都ファランダイン。
そこにある『冒険者ギルド』がクロエの働く場所である。
つい数ヶ月前までは三大支部のひとつとはいえ、あくまでも『ヴェイン支部』であったクロエの職場は王都ファランダインがそうなったのと同じく、いまや事実上の『冒険者ギルド本部』となりおおせている。
組織改変が世界の変化に追いついておらず、あくまでも本部はいままでどおり存在するが、もはやヴェイン支部の中心人物たちの発言が本部のそれを大きく上回る影響力を持つに至っている。
それはそうだ。
すでに世界のあらゆる『力』はここ『天空都市ファランダイン』に集中しており、それを公的に統べているのはヴェイン王家となるのは当然の成り行きだ。
古くからヴェイン王家と誼を通じ、友好な関係を築いているヴェイン支部の中心人物たちのほうが、世界がこうなるまで本部でふんぞり返っていた幹部連中よりも冒険者ギルド全体への発言力が高くなるのは当然の流れなのだ。
それは何も『冒険者ギルド』に限ったことではない。
世界中を相手にする大商人たちはいうまでもないが、それに留まらずあらゆる商いをする者たちは皆、ファランダインを世界の中心とみなしている。
組織はその中枢を移し、個人で成り立っている者たちはファランダインに集まってくる。
歌や芸をその生業にする者たちも例外ではない。
その中には色艶を売るお姉さんたちも含まれ、今やファランダインはそういう方面でも世界で一番華やかな都となっているのだ。
ツカサ一党は犯罪としてのその方面は苛烈ともいえるほどの対処を明確に打ち出したが、商売としてのその方面は規律こそ厳しくはしたものの禁じることはなかった。
女性が多く、『絶対不敗』本人も年若く見えるツカサ一党の中で、そういう現実的な舵取りをしたのが誰なのかは後の歴史家たちの意見も大きく分かれるところである。
ともあれ今のところはまだ、名目としてはヴェイン支部のギルド長とそれを支える運営議会のメンバーたち。
その連中よりも『冒険者ギルド』全体から重要視されている人物がいる。
その中の一人が、公的な立場としてはあくまでも『ギルドの受付嬢』であるクロエなのだ。
――はあ……。ここのところツカサ君は『冒険者』として動く余裕がないのね。
王都ファランダインが天空都市となる際に、事の発端からツカサと深く関わった『冒険者ギルド』はわかりやすい優遇をされている。
それまでは決して一等地とはいえぬ場にあったにも関わらず、今は天空都市ファランダインの中でも一等地中の一等地といっていい場所にギルドを構えている。
まあそれは冒険者ギルドだけではなく、もともと隣接していた『夜街』も共にそうなったので、場所は良くなってもご近所様にそう変化があったわけではない。
天空から地上、地平線、天空を見渡せる縁部分が一等地となるのは、天空都市ゆえの特長であろう。
なおツカサが提供する無限の魔力によって保護されており、安全面の心配はない。
その現冒険者ギルドの窓から見える、他所ではいくらお金を出しても見ることが叶わない絶景――雲海と煌きわたる青空を見ながら、クロエは溜息をひとつついた。
とある事情から特別扱いをされるようになってからも、クロエは『ギルドの受付嬢』としての自分を崩してはいない。
間違っても『冒険者ギルド』の運営に口を差し挟むこともしないし、特別扱いに胡坐をかいて好き勝手に休んだり担当する冒険者の選り好みをしたりは絶対にしない。
それが赦される立場であるにも関わらずだ。
出逢う前と変わらぬ自分を、クロエは細心の注意を払って維持している。
「おっと憂いの溜息だな、クロエちゃん。想い人が長のご無沙汰なんで、切なくなっちまったか?」
今やヴェイン支部におけるトップ冒険者に躍り出たシィロが、相棒のミケと共にクロエの受付窓口にやってくる。
クロエ以外に、『冒険者ギルド』全体から特別視されているのは、このシィロとミケである。
この二人は出逢いによる恩恵を遠慮することなく享受し、結果として現役の『冒険者』のなかでもトップクラスに躍り出ている。
今この世界の冒険者たちの間では、この二人のように『錬金術師』たちが生み出す『魔法道具』の試験使用者に選ばれることがひとつ夢となりつつある。
そうなることはすなわち、いくらでも需要のある魔物の狩りにおいて、より安全により高位の魔物を狩ることが可能になるからに他ならないからだ。
この二人のように。
「やめなよ、シィロ。そういうのは茶化すもんじゃないよ。それにそういうこと言ってて、この前みたいに背後に気配なくクリスティナ様立ってたらどうするのさ」
セクハラ紛いの挨拶をする相棒を嗜めながら、本当におっかなそうな様子で背後を確認するミケ。
ついこの間……といっても一月ほど前にはなるのだが、やっと慣れてきた『ツカサ一党』の冒険者パーティーの前で余計なことを言ったばかりに、冷や汗をかく経験をしたばかりなのだ。
「おっと違げえねえ。お綺麗だけど怖いもんな、クリスティナ様」
多分本気で怒ったら、『絶対不敗』でもどうにもならない。
それが前回の顛末でよく理解できたシィロはらしくもない冷や汗をかく。
クリスティナが『怒っているかも?』と思えただけで、あのツカサが挙動不審に陥ったのだ。
冒険者らしからぬ思考であるかもしれないが、シィロもミケもそれを見て『力』の本質は暴力や経済力という、カタチに現れたものではないということを深く静かに理解した。
『絶対不敗』にとっては海嘯の如く押し寄せる無数の魔物などより、クリスティナに拗ねられるほうがよっぽど恐ろしい事態なのだろう。
流行り歌の、『夫婦喧嘩で世界が滅ぶ♪』とはよく言ったものである。
それを本人たちの目の前で歌うという愚行をやらかした者がいうことではないのではあろうが。
「ほんとですよ、シィロさん。今や我がヴェイン支部のトップ冒険者がクリスティナ様の不興をかうなんて勘弁してくださいね。ツカサ様とのご縁に胡坐をかいていると思われるような言動は控えないと」
溜息を見られてバツの悪い思いをしながら、クロエがシィロを嗜める。
クロエはシィロとミケがそんなことをしないのはよく理解している。
だがこの際重要なのは本人たちの心構えでも、それをツカサ一党がきちんと理解してくれていることでもなく、当たり前のように嫉視を含んだ周りの目にどう映るかなのだ。
ツカサとの出逢いを経て今や『ツカサ一党』と浅からぬかかわりを持つクロエ、シィロ、ミケの三人が、現状の『冒険者ギルド』において誰よりも重要視されるのはむしろ当然であるといえる。
表だってツカサに縁のある人間に敵対するものなど今はいない。
だからこそそういう『負の感情』は深く根付くこともあるので、冒険者ギルドが好きで、その健全な発展を望むクロエ、シィロ、ミケは細心の注意を払うのだ。
運よく縁を結べた利益を享受することを放棄しようとはまったく思わないのだが。
「すまねえな、クロエちゃん。余計なこと言う癖はなおさにゃならんとは思うんだが、これがなかなかなあ……」
『絶対不敗』に絡んだという一幕からしてシィロとミケはそういうところがある。
それが善意からだとしても、結果がおかしな着地点になることが結構あるのだ。
だがツカサとの初遭遇時における一件はみるみるうちに尾ひれが付き、今やシィロとミケは『命知らずの胆力者』とみなされ、それに感心したツカサに気に入られているとみなされている。
面白がったツカサが否定しないどころか、公的な場でそれっぽいことをほのめかしたりしたものだから、シィロとミケは誤解ではありながらも『絶対不敗』を向こうに回してでもギルドの受付嬢を守ろうとしたという、ちょっとした『英雄』視されている。
その件についてシィロとミケは本気で辟易しており、だからこそツカサは面白がっているとも言える。
なんだかんだ言いながら、『ウマの合う悪友』めいた関係になりつつあるツカサと二人である。
――それに比べて私は、変化ないなあ……
今日も高難易度かつ高報酬、その上単純な上位魔物狩りをこなすつもりであるシィロとミケの二人の依頼手続きをこなしながら、今度は内心で溜息をつくクロエ。
クロエの立ち位置で変化があるということはすなわち、ツカサとの関係に何らかの変化があるということなのでそうそう変化がないのが当然とも言えるが、あっさり仲良くなっていく男同士の関係を目の前で見せられると溜息のひとつもつきたくなるのである。
――『万国天』には世界中から美女……どころか最近は美少年まで集められているって聞くし……
そういう美男美女が競うようにして歓心を得ようとしているツカサ相手に、一冒険者ギルドの受付嬢が何とかなるとはちょっと思えない。
それは初めて出逢ったときよりも強く感じている。
――そもそもクリスティナ様、サラ様、セシル様、セト様、ティス様、アリア様、アルジェ様に囲まれていたら他に目を向ける余地なんてないわよねえ。
あの絢爛豪華な美男美女たちと自分が競うなんて笑ってしまう。
会えているときはもうちょっと前向きなクロエだが、一月あまり会えていないと『現実的』という言い訳の力を借りて、後ろ向きな考えになってしまうクロエである。
そのクロエを見て、シィロはある意味感心している。
――女ってのはすげえもんだなあ。もともと可愛い娘だったけど、たった数ヶ月でここまで変わるもんかね。
シィロの思考どおり、もともとクロエはヴェイン支部においてもっとも人気の受付嬢であった。
肩よりも少し長めだった綺麗な赤髪は、この数ヶ月で伸ばされていま少し長くなっている。
綺麗で大きく、愛嬌のあった瞳は時折憂いを含むようになって女としての色香を無自覚に発散するようになっている。
ツカサを取り巻くとびっきりの美男美女の存在に近く触れることによって、自分がどう見えるか、どう見せるかを無意識に意識し始めたクロエは確実に女っぽく――色っぽくなっている。
それは服を変えた、化粧を変えた、髪型を変えたということではない。
心に誰かを住まわせた女性というものが、どう美しく変わって行くのか。
それをシィロとミケは現在進行形で見ている過程といえるのだ。
――ツカサの大将の側にいる一人として、贔屓目なしで有りだと思うんだがなあ。
などと思う親心にも似たシィロの感想はわりと冷静ではあるのだが、当のクロエにとっては言葉にされてしまえば慰めに聞こえてしまうのだろう。
だからクロエは自分を誤魔化している。
自分の野望は、ツカサの隣に『女として』立つことではないと思っている。
自分はふってわいた様な『絶対不敗』との縁を利用して、冒険者ギルドをもっと発展させて見せる。
極力安全に、極力『冒険者』として生活する人たちが楽しく生きられるように、自分が幸運で得た関係を利用してみせる。
その手段の一つとして『女としての自分』が必要であればためらいなく使うし、もしそういう求められ方をされなくても、自分の野望が達成できればそれでいい。
あのツカサから貰った金貨で大騒ぎしたような夜が、ずっと続く冒険者ギルドになっていってくれれば自分は本望なのだ。
そのために必要であれば、少々悪女にだってなってみせる。
そう思って、意識して少し悪い笑顔を浮かべてみせる。
――色恋じゃないの。私はツカサ君を利用してでも……
「という理論武装をしないと、クリスティナ様やサラ様、他のツカサの旦那を取り巻く女性陣と争う気力が保てないんだな、クロエちゃん」
少々呆れ顔でミケが溜息をつく。
「いい線行ってると思うんだがなあ、俺ぁ。ツカサの旦那はああ見えて『女性』には一線引いてる。それがクロエちゃんにゃあねえ。だからこそクリスティナ様が『ふぅん?』っておっしゃるんだしなあ……」
シィロもミケと似たり寄ったりの呆れ顔で、似合わない『悪い笑い』を浮かべるクロエを見ている。
「こ こ ろ を よ ま な い で !!!」
ついさっきまでの作られた『悪女顔』があっさりと崩れ、顔を真っ赤にしているクロエである。
これだけ可愛いんだから、『ツカサ一党』の一人になってもおかしくないよなあ、とシィロとミケのみならず、冒険者ギルドヴェイン支部に属する仲間たちはみんな思っている。
「というか本当に怖いのよ? クリスティナ様の笑顔での『ふぅん?』」
だがツカサ絡みのクリスティナが怖いというのもよくわかるとシィロとミケも思う。
『ふぅん?』と共にとびっきり美しい笑顔を向けられたあの『絶対不敗』が挙動不審に陥っていたほどなのだ。そりゃあ直接向けられればさぞおっかなかろう、と二人共に思う。
だがそのきっかけを作ったのは思わせぶりに『ツカサ様から金貨いただいたことがあるんですよ、私?』といったクロエ本人なのだから女は恐ろしいとも思う。
あれだけ美しく、ツカサの心に寄り添っていることもわかる存在を目の前にしても『折れない』というのはいっそ恐ろしくさえある。
まあそのための理論武装は色々と必要なようだが。
クロエの野望がツカサの力を利用して冒険者ギルドをより発展させることなのか、それともその皮を被った女の子としてありふれた望みなのか、あるいはその両方なのか。
そんなことはシィロにもミケにもわからない。
わかっているのは自分たちが、今目の前で盛大に赤面している『我等が自慢の受付嬢』の絶対的な味方であることだけだ。
この可愛らしい同属の娘さんが、幸せになって欲しいと素直に思う。
相手は普通じゃちょっと太刀打ちできないようなイイオンナばかり(というかイイオトコまでそろっているときている)だが、すべてを決め得る存在であるツカサは持っている『力』に似つかわしくないほどどこかトボケたところもある人物だ。
おまけになぜかシィロとミケには脇が甘いというか、あけすけに付き合ってくれる。
やりすぎは逆効果だろうが、できる援護射撃はしようと思う二人である。
一応何年も冒険者家業をやっていて、結構酸いも甘いも知っている自分たちにあんな自己欺瞞が通じると思っているあたり可愛くて仕方がない。
あるいはシィロもミケも、クロエを娘のように思っているのかもしれない。
そして何よりも。
初めてツカサと遭遇したあのとき、己の自業自得で死すら覚悟したとき、わが身を呈して庇ってくれた恩をシィロとミケは決して忘れない。
親しくなった今となっては、ツカサがあんなこと程度で自分たちを消し炭にすることなどなかったとわかってはいるが、それとこれとは話は別なのだ。
――命の恩ってなあ、同等以上のモンでかえさねえとなあ?
――そうだね、シィロ。
「ああ、そうだ。明日からはツカサの旦那、冒険者活動再開できるみてえだぜ?」
だからできることは全部する。
こんな他愛無い情報でも、こまめにきっちりクロエには伝える。
そのための人脈作りも、努力も厭わない。
「ほんとですか!?」
野望だの目的だのいいながら、こんな程度の情報で花が咲くような笑顔になるクロエに少々呆れるが、それ以上に我がことのように嬉しいのだから世話はない。
「気合入れな!」
「がんばりなよ、クロエちゃん」
「はい!」
思わず本音で元気よく返事をして、そのままみるみるうちにごにょごにょいいながら真っ赤に、小さくなっていくクロエを見てシィロとミケは大笑いする。
ギルド受付嬢クロエの野望をサポートするのはちょっと曲者の冒険者二人。
ツカサとの男同士の付き合いと、事と次第によっては同属範疇の『聖獣タマ』の助けを得てでもできることはなんでもする二人である。
結構その野望は叶うのかもしれない。
だが今はまだ、どういう結果になるのかはだれにもわからない。
己の望みに従って自分にできることをできるだけする日々こそを、幸せと呼ぶのかもしれない。
少なくとも夢見る少女、もとい野望を持つ受付嬢の、少々しまらないが一応騎士のつもりである二人にとってはそのようである。
次話 銀の日常
11/6投稿予定です。