第02話 神託の巫女サラの憂鬱
今や自他ともに認める世界一の大国であるヴェイン王国、その天空にある王宮。
その贅を尽くされた自室で一人、今のところはまだ『ヴェイン王国第二王女殿下』が正式な身分であるサラはため息をついている。
ものごころついたころからサラに付きまとっていたあらゆる『問題』は、もはや一欠けらも存在しない。
この数ヶ月で跡形もなくなった。
だが自分の思い描いたとおり、いやそれ以上に世界がいい方向に変わったにもかかわらず、サラには新たな『大問題』が大絶賛発生中なのである。
『大国ヴェインの第二王女』としてよりも、もはや『絶対不敗のお身内』としてのほうがずっと有名になってしまっているサラ・アーヴ・ヴェインはここのところずっと憂鬱である。
――『神託の巫女』などという通名も、もはや過去の遺物ですね。
とはいえサラ自身が侮られるようになったのかといえば、そんなことはまったくない。
むしろ真逆、現時点においてツカサ一党以外のあらゆる『力を持つ者』たちから一目置かれるどころか、もっとも機嫌を損ねてはいけない相手だと見做されてさえいる。
いまだ王族が結婚を認められる十歳に満たぬ少女であるのにもかかわらずである。
まずなによりも今や世界を喩ではなく左右する『絶対不敗』は、公的にはサラ王女殿下にのみ傅く『魔法遣い』だと見做されていること。
カザン大司教との一幕はあらゆるルートを通じて世界中に広まっており、その際『絶対不敗』がなにに怒り、その怒りを『言葉だけで』納めたサラ王女の存在は、今や世界中の重要人物とみなされる者たちの中で知らぬ者はいない。
その上『ツカサ一党』が公的に動く場合、その代表者の立ち位置には常にサラが置かれることがあげられる。
世界中をひっくり返したような騒ぎに叩き込んだツカサとクリスティナの『結婚式』は例外だが、その直後に世界中の国家に「ヴェインと敵対するのは利がないだけではなく自殺行為」と確信させた、ジアス教皇庁への『天空都市』寄進から、ツカサによる『異能者集団』の設立に至るまで、その公的な長は常にサラであったのだ。
犠牲らしい犠牲も出なかったゆえに、市井ではもはやはやくも忘れ去られつつある、おそらくは『大いなる災厄』においても、サラの下命によりツカサ一党が動いたというのが公的な記録だ。
矛先を変えればそのまま世界を滅ぼせたであろうあの一連の攻撃力は、サラの振るう指揮棒によって行われたのだという事実は、主として軍事力を司る者たちの心胆を根底から寒からしめることに成功している。
市井の者たちは自分たちを守ってくれたあの攻撃に喝采を上げていればよいが、軍を任されたものは想像せずにはいられないし、想像もできないような者は軍を任されてもいないだろう。
――あの攻撃が、自国に向く可能性はまだまだ十分にあるのだという絶望的な事実を。
ツカサは世界がこうなった今でも、サラの直属の部下であることを変えようとしない。
その妻となったクリスティナは夫が望んだ『聖女』としての立場以外のあらゆる公的な立ち位置を放棄し、常に夫の傍に付き従ってはいるものの政治的、経済的な口出しは一切行わない。
宗教的な部分においては『聖女』としての立場で夫を助けられることはすべてやっているが、どちらかといえばジアス教会よりなその仕事が巨大国家に関わることはほとんどない。
そうなれば勢い、サラが各国にとって最重要人物となるのは自明の理だ。
そもそも未だ『正体不明』といっていいツカサと直接交渉するなど各国も腰が引けるし、戦力としては敵対するなど想像もしたくない勇者と三聖女、八大竜王、セトとネイを筆頭とした『十三使徒』率いる魔法遣い集団が付き従っているのだ。
本人の戦闘能力もさることながら、ツカサを侮ったとみるとただではすましてくれない『勇者』が常にそばに控えてもいるのだ。
その馬鹿にした通名を勇者本人が聞いた時、怒るどころか嬉しそうに笑ったというのだから恐ろしい。妻であり『魔の聖女』であるネイも、ため息ひとつと苦笑いでそれを認めているという。
『絶対不敗』を戦闘力だけの素人として『御し易し』などとはとても思えない。
海千山千の国際商人たちであっても、冒険者ギルドが生み出す膨大な利益と、最近知られはじめている錬金術師たちの成果物のすべてが結局は『ツカサ一党』につながっているとなれば、貢物こそすれ敵対するなど論外となる。
結果として、公的な交渉役として齢九歳の少女に各国の大使や大商人たちが傅くという、まさに御伽噺のような場面が展開されることになるのだ。
サラがツカサをして『ハラグロ疑惑』を持たれるほどに聡い少女であったことが、世界にとっては幸いだったといえるだろう。
『神託の巫女』として、公的な国際政治の場に若くして関わっていたことも功を奏した。
為人が見えているサラ王女との交渉は各国にとってツカサとの直接交渉よりもマシであったし(それが実現可能かどうかはまた別の話だが)、大国の王としては以前から「甘い」と見做されていたアルトリウス三世陛下が後ろ盾であることも安心感につながった。
ツカサが軸である以上、おまけと見做されるのは仕方がないアルトリウス三世である。
が、実現可能な力を手にした『甘い理想家』というものが、己の利益を優先させようとする者たちにとっていかに厄介で苛烈かを思い知るのはもう少し先の話になる。
聡く美しく、世界を繁栄させるも衰退させるも思惑ひとつである『超越者』を完全に御する『聖少女』。
これがいま世界で独り歩きしているサラのイメージである。
迷惑極まりない話だが、サラを『憂鬱』にさせているのはその件ではない。
本来であればそんな立ち位置であるサラには各国各勢力からひっきりなしに『縁談』が持ち込まれてしかるべきだが、それは今のところ一切来てはいない。
それはそうだろう、とサラ自身も思う。
現在そういう立場の者たちの間では『常識』とまでされているように、サラは『絶対不敗』の第二夫人候補と見做されているからだ。
今のところ力があろうがなかろうが、政治家であろうが商人であろうが冒険者であろうが、世界の状況を知る者にとってサラはそういう存在である。
ツカサは国を持つ者ではないが、市井では『正妃クリスティナ』は揺ぎ無い立場として共通認識となっている。夫婦仲の良さとそれぞれが持つ力を好意的に揶揄した流行り歌が生まれるくらいに。
そして王族が正式に結婚を許される歳である十歳になれば、クリスティナの妹姫であるサラが第二夫人となり、それを待ってジアス教の『聖女』であるアリア・アリスマリアが第三夫人になるであろうというのが世間の見方である。
この世界においても姉妹共に嫁にするというのは本来眉を顰められる行為ではあるし、従来のジアス教であれば「い・た・ん!」「い・た・ん!」と熱狂的にコールしたことであろう。
『絶対不敗』にそれをするものはもはやどこにも存在しないのだが。
サラの筆頭侍女であるセシル・ナージュは事実はどうあれ『絶対不敗』のお手付きと見做されており、権力者たちにとってはある意味クリスティナやサラよりも取扱いに困られている存在だ。
セシル自身はそういう自分に阿った態度をとる者たちをまったく相手にしていないのではあるが。
一方で市井の年若い女性たちには、セシルの存在が『夢を見る』ことを許す原因となっているようだ。
各国の大使付き女官が毎月入れ替わるのも、冒険者ギルドのクロエが夢を見るのも、セシルという存在がツカサの傍にいれるからであろう。
つまりサラの『憂鬱』とはその立ち位置のことである。
クソ忙しかろうが、一方的に『聖少女』などと神格視されようが、己の望んだ世界になっていくために必要とあれば骨惜しみなどする気もなければ愚痴るつもりもない。
今は毎日逢って話もできる実の姉であるクリスティナは、ものごころついたころからつい最近まで、その細い肩に『世界』を乗せて生きてきたのだ。ツカサという存在が現れ、その荷を代わりに持ってくれるまで、泣き言ひとつ言わずに黙々とだ。
――こんなことくらいで文句を言っていては神罰が下ります。
サラは本気でそう思っている。
ツカサがいつでも会えるようにしてくれたクリスティナという姉姫は、美しいといわれなれているサラであっても見惚れるほどに美しく、聡明で強い女性であった。
勝手に神格視し、崇めていた想像を超える女性。
それでありながらツカサ絡みのこととなると意外とポンコツで、年下なのに『可愛い』と思わされるほどに魅力的な女性であったのだ。
サラはその姉姫に心酔しているといってもよい。
同じ王族に生まれ、世界を支え続けた生き方と力に一人の女として憧れるのだ。
――その、クリスティナ姉さまの、恋敵に、わたくしがなる。
サラの『憂鬱』はそれである。
一方でサラはツカサにはきっちりホレている。
十歳に満たない己の子供じみた憧れもあることをある程度自覚していても、それは揺ぎ無い。
『神託夢』で出逢い、サラの望みに従ってツカサがしてくれたことを思えば、惚れるなという方が無理な話である。
ツカサの本当の力を知った今となってはより強く思う。
王女とはいえ偶然出会っただけの小娘との、あんな他愛無い約束を守る必要などどこにもないのだ。
『それに『神託夢』では見なかっただろうけど、俺は約束したんだよ、サラの味方になるってね』
『俺はその約束を違えるつもりはないんだ。だからサラは無力じゃないよ。サラの『神託夢』をひっくり返せる『魔法遣い』が、サラの『力』だ』
二周目、己の力の無さに泣き言を言ったサラに、ツカサがかけてくれた言葉である。
思い出すといつもサラは、自室の豪奢な天蓋付きベッドの上を転げまわらざるを得ない。
王族の子女としてハシタナイ行為だという自覚はあるが、そうでもしないと身の火照りを鎮めることなどできないのだ。
知識でだけは知っている、自分の体が自分の気持ちに反応してそうなってしまうことが恥ずかしくもあり嬉しくもある。
――無理です。お姉さまに遠慮して好きになるのを止めるなんて絶対に絶対に無理。
それに自分の心の奥に、
「出逢ったのは私の方が先ですのに……お姉さまはズルい」
という、誰にも言えないほの暗い想いがあるのも事実である。
まだツカサが幾度もやり直しをしていることを知らなかったころ、クリスティナに惚れたと告げられたサラは目を丸くしてびっくりしたし、その想いを応援もした。
だけどほんの少し、心が軋んだもの事実なのだ。
すべての『周回』の記憶がつながった今となってはなおのことである。
もしも出逢ったときに私がクリスティナお姉さまの歳で、クリスティナお姉さまが『姫巫女』の義務に囚われたわたくしの妹姫であったのなら……
そんなことも幾度も想像した。
だからこそ、誰よりもツカサを愛し、あれだけの『やり直し』を経て結ばれたクリスティナは、サラやアリア、セシルのことを何も言わないのかもしれない。
クリスティナがツカサの妻に、クリスティーナになれたのはそのみんなのおかげがあるからだと理解しているから。
サラはもちろん、クリスティナも、王族としての、『聖女』としての淑女教育を受けている。
力持つ殿方が、妻を複数持つのことなど、今更疑問を差し挟むまでもない常識だ。
それが『絶対不敗』とまで呼ばれ、嘘偽りなく世界をどうにでもできる力を持った殿方であれば何の問題もない。
クリスティナはもともと『聖女』として他の二人の『聖女』とともに『勇者』に仕えることを当然としていた。
まあ今の『勇者』はなんというかその、ツカサの忠実なる友人というか弟子というか犬というか……そういう人なので今更そういう想像も難しいのだが。
サラにしてみたところで、ツカサと出逢わずに大国ヴェインの王族として誰に嫁いだとしても、その旦那様が妻をサラ一人とすることなどなかったであろう。
そもそもサラとクリスティナの父親であるアルトリウス三世からして、今は亡きサラとクリスティナの母親以外に幾人も妻を持っている。
腹違いのサラとクリスティナの兄弟たちは、今自分の立ち位置の複雑さに苦難しているだろうけれど。
でもそういうことでもないのだ。
本当に好きになる、ということを知ってしまった今では、クリスティナがツカサを本当は独り占めしたいということもわかるし、自分もそうであることを自覚している。
そして一番大事なツカサが、本当の意味ではクリスティナ以外見えていないだろうということもわかってしまうのだ。
義務や同情で、仕方がないから妻の一人にしてもらう。
サラにだって矜持はある、想像するだけで血の気が引く屈辱である。
では己の矜持に従い、敬愛する姉の心情を慮って身を引くのか。
――無理! 無理です! 絶対に嫌。
ツカサの妻となれる立場にいて、それを放り出すことなど考えたくもない。
――相手にどうしてほしいかではなく、自分がどうしたいかが一番大事では?
ツカサに本当に心酔していながら、サラの筆頭侍女であるという立場がこゆるぎもしなセシルに勇気を出して尋ねてみたらそういわれた。
押しつけは論外ですけれど、とも。
そんなことはよくわかっている。
でもどうしても自分の中で折り合いがつかないのだ、まだ。
――私には、サラ様の答えはもう出ていると思いますけどねぇ
ねぇ語尾やめて、というツカサの気持ちがちょっとだけわかったサラである。
あるいはセシルはねぇ語尾を使いたくなる気持ちを理解できたのかもしれないが。
まだ九歳という幼さゆえに、いかに聡明でも己の心の中に吹き荒れる颶風をどう御していいかすらわからないサラは、今日も憂鬱なのである。
天蓋付きベッドの上を転げまわりながらというのは、『憂鬱』とは少し違うという気もするが。
世間様のいう『聖少女』とは、なかなかに乖離の激しいサラである。
だけど時は止まらない。ツカサにはそれすら可能だが、サラには無理だ。
そんなサラの十歳の誕生日は日一日と、確実に近づいてきている。
次話 ギルド受付嬢クロエの野望
10/30投稿予定です。