余話 NEVER END 【sideクリスティナ―いつも隣に】
王城の地下にある姫巫女の神域。
その最奥にある泉の間。
そこで一糸纏わぬ姿で禊を続ける己の状況がおかしくて、クリスティナ・アーヴ・ヴェインはふと笑みをこぼす。
それは『姫巫女』としてのクリスティナを知るものが見れば、驚きを隠せないほど柔らかで幸せそうな笑顔だ。
そもそも姫巫女クリスティナが笑顔どころか表情を変えることなど、ここ数年なかった事なのだ。
だがクリスティナは想う。
今の自分は『姫巫女』ではなく、ちゃんとクリスティナだ、と。
いや違う。
世界でただ一人だけ、愛しいあの人がそう呼ぶから自分は『クリスティーナ』だ。
愛しいあの人――ヤガミ・ツカサ様。
もはや伝説の彼方に消えてしまったはずの『古の魔法遣い』と同等、いやそれ以上の力を持った不思議な人。
自分なんかに関わらなければ、その力をもってこの世界で好きなように暮らすことができる人。
なのにその全ての力を、自分を『姫巫女』から解放するために惜しみなく使ってくれる人。
世界のみんなを護る自分にとって、今はもうみんなよりも大切になってしまった人。
今周のクリスティナがまだ出逢ってさえいない司をそう思ってしまうのは、夢を見たからだ。
圧倒的な力を持ちながら、クリスティナに関わったために、『姫巫女』の力で命を奪わる間抜け者。
『姫巫女』を避けて通ることなど簡単にできる癖に、何度も繰り返し解放しようとする変わり者。
この世界において絶対のルールである、聖女――姫巫女には絶対に敵わないことから、如何に『古の魔法遣い』の力を持つ司であっても、何度もクリスティナに敗れ、殺されている。
何度も殺される。
その矛盾を成立させ得る力こそが、司の最大の力だ。
司がクリスティナに殺されるたびに、世界は光に還る。
そして創りなおされた世界でもう一度、二人は出逢いなおす。
厭くことなく、何度も、何度も。
二人の願いが叶う――誰に気兼ねすることなく、二人がいつも隣にいれるようになるまで。
その際に司の忠実なる下僕(自称)である魔獣タマの手により、クリスティナは夢を見せられる。
いや見せてくれる。
無表情に禁忌を犯した男を殺す姫巫女。
そのせいで光に還る世界に怯える姫巫女。
まだ夢を見ず、繰り返すたびにその記憶を忘れているはずなのに、いつしかその男に怯えるようになってしまう姫巫女。
その怯える姫巫女の表情を見て、男が浮かべた表情で一気にクリスティナという、一人の女の子に戻ってしまう自分。
ここから先は、タマが夢を見せてくれるようになる自分だ。
そしてタマが見せる夢を見るようになってからは、あろうことかその男に惚れてしまうという、自分でも信じられないような自分になる。
それは『次の周』であるクリスティナもそうなっているので信じるしかない。
自己欺瞞にも限界はあるし、何のためにそれをするのだという話でもある。
まあしかし何度くりかえしてもこの『泉の間』で、全裸での禊をしながら想い人を待つ自分というのも大概だとクリスティナは自覚している。
だから思わず笑ってしまったのだ。
――私って露出狂だったのかしら……いいえ、今周の私を少しでも覚えていてもらいたくて、こんな馬鹿なことをしているのね。
当の司は時間をずらして現れたりしてくれているというのに、自分はどんな周でもかならずこうして禊をしながら想い人を待つのが、それこそもう儀式みたいになってしまっている。
――ハシタナイ女の子だと思われていないといいのですけれど……
いや大丈夫だと、クリスティナは思い直す。
初めて夢を見て、長い時間を禊しながら待っていたとき。
時間をずらして現れてくれた司は「なんだってまだ素っ裸なんだよ!」と叫んではいたけれど、その後の周でも改めないクリスティナに強くいってきたことはない。
いつぞやの周などでは、「……見たくないのですか?」と聞いたら「……え?」といったまま答えをくれなかった司を覚えてもいる。その表情が答えのようなものだと思ってはいるが。
「とにかく今回は事故だ」などといいつつ、なぜあの周に司が全裸で現れたのかは未だにわかっていない。
夢で見たあれこれは鮮明に覚えているが、タマはなぜあの場面を編集しないのだろう? クリスティナが「自分も見たい」というようなハシタナイことを言ってしまったせいかもしれない。
――割と大丈夫じゃないですね。
こらえきれなくなってくすくすと笑い声を零してしまうクリスティナ。
神聖なる禊の儀式の最中に、殿方を思い出して笑うなど言語道断である。
絵的にも結構問題がある気がする。
それでもこうやって司を待っている時間は、クリスティナにとって幸いな時間なのだ。
それに数周前から『神前裁判』を行うことになったので、司が来てくれさえすれば、今夜一晩はクリスティナの私室で共に過ごせるのである。
これを幸いと呼ばずして何を幸いというのだろう。
どの周のクリスティナも勇気を出してアプローチしているが、司は今のところ耐え切って見せている。
肝心の翌朝の『神前裁判』で眠そうな様子の司にいつも笑ってしまうクリスティナである。
――お互いを信じることに決めたとはいえ、今回こそは来てくれないかも知れないという不安を完全に払拭することは出来ない。
永遠の繰り返しであっても、自分は耐える覚悟はある。
覚悟だの耐えるだのどころか、愉しんでいける自信さえあるのだ。
でもいつか、ここでいつまで待っても司が来てくれなくなっても一晩泣いて、それまでの思い出を胸に『姫巫女』として生きていく覚悟だってちゃんとある。
それだって、司と出会う前に比べれば万倍も楽しい人生だといえる。
でもそんな日が来なければいいな、こうやってずっとくりかえしていくだけの日々でも続けばいいな、と思っていることも本当だ。
――だからはやく来てツカサ様。待ってますから。ずっと待ってますから。
楽しくて嬉しくて、少しだけ不安で。
こうやって待っていると笑顔なのにうっかりすると泣いてしまいそうになりながら。
――はやく、はやくきてください。
そこで視界が光いっぱいに覆われて――クリスティナ・ヤガミは目を覚ました。
ここは二人の浮島、通称『愛の巣』にある新居のベッドである。
当然目の前には愛する司が間抜け面で寝こけている。今朝はポーズも若干変なようだ。
雲より上に位置するため、いついかなる日であろうとも晴天な二人の新居においてでも、司がこんな時間に起きることなどはありえない。
クリスティナが朝の入浴から朝食の準備まで一連をこなし、飽きもせず続けている『朝の儀式』を行うまではまずおきることはない。
――ゆめ?
まだ寝ぼけた頭で、司の寝癖のついた黒髪にやさしく触れる。
手に伝わる確かな感覚と、それによってもらされる間抜けな「ふが」といった声が、今目が覚めているこちらこそが現実であり、夢ではないことをクリスティナに伝えてくれる。
――よかった……
クリスティナは司と共に朝を迎えるようになってから、何度もこの感覚を得ている。
何度も何度もくりかえした記憶があるから、見ていた夢とどっちが夢か一瞬わからなくなる。
そしてそれでも幸せだと思っていた繰り返しが奇跡のように結実し、あの頃夢見ていた暮らしのすべてを実現されている今の暮らしを思い出すと、現実こそが夢かと思ってしまうのだ。
そうするとクリスティナはいつも泣いてしまう。
司がねぼすけさんでよかったとクリスティナはそのたびに思う。
理由がどうあれ、自分が涙を流しているところを見れば司は取り乱すし、平気だといってもどうしたって心配をかけてしまうだろうから。
嘘偽りなく「幸せだ」と思っていた頃のことが「夢でよかった」と泣けてしまうくらい、今の自分は幸せなのだと実感する。
そしてその手に持つものが多いほど、人はそれを失うことを恐れるようにもなる。
それはクリスティナも同じだった。
直近では『大いなる災厄』の方も一応ついた形になっている。
各国の動きはこの半年で掌握、調整できたし、世界がおかしなほうへ向いていくことはないだろう。
司だけでは手が廻らない部分は、『勇者と三聖女』でもあるクリスティナ、ジャン、ネイ、アリアが動けるところは動いて出来る限りのことをしている。
ヴェイン王国についてはアルトリウス三世とサラ、セシルに任せておけば良いし、ジアス教は今更『ツカサ一味』に異を唱える勢力などいない。
司が立ち上げた異能者集団はセトとティスがよく統括している。
順風満帆といっていいのがここしばらくの暮らしだ。
だが『大いなる災厄』にともなって、『ツカサ一味』にはリリン+旧神八柱という割ととんでもない新顔も参加している。
世界中の国家や大きな組織から代表が送り込まれる『外交浮遊島』も稼動を開始する。
好事魔多し。
月に叢雲、花に風。
――いつも隣にいるために。
油断などする気はクリスティナにも仲間たちにも、もちろん司本人にもあるまい。
でもだけど。
クリスティナは自分のできることに手を抜くつもりなどもとより毛先ほどもない。
それが司のための朝食であっても、二人の家の掃除であっても、一緒に眠ることであっても、聖女としての公務でも――人知れず邪魔なものを排除することであっても。
ポンコツなところもある割りに、割と万能な未だ初々しい新妻は、今日も司と、何よりも自分のために全力を持って何事にも当たる。
そのためのエネルギー補給を、眠っている司から分けてもらうくらいは妻の権利だろう。
寝ぼけている司の頭を己の胸に抱き寄せて、そのおでこに接吻をしてから開放する。
その間目覚めもせず、「やめろお……」などといっている頭ぼさぼさの司を可愛いと思ってしまうのだから自分はもうどうしようもないのだろう。
「では今日も一日、よろしくお願いします旦那様」
答礼があるはずもないのに、だらしなくベッドに横たわる司にふざけて敬礼し、朝の光に浮かび上がらされた自分が全裸であることに赤面していそいそと朝風呂までの薄絹をまきつけるクリスティナ。
「さてさてまずは朝ごはんの下拵え」などといいながら厨房へ移動する敬愛する主人の伴侶を、同じ金の瞳で見つめながらタマが誰にも聞こえない声で呟く。
「――同じことをくりかえさないための鍵は、やはり貴女だ」
一瞬無数に別れた尻尾を、再び九尾に纏めなおす。
「そのときは、本当に頼りにしているよ……」
そういうと踵を返し、この家で共に住むことを赦されている証ともいえる『タマ小屋』へもどりつつ、欠伸をひとつする。
ここから今しばらくはクリスティナの鼻歌と、司の寝言ともいえぬ目覚め前の声が聞こえる、平和な朝の時間だ。
司もシャンと目を覚まし、浮遊島『後宮』からみんながやってくる頃にはいま少し騒がしくなる。
タマのいうそのときはいずれ必ず来る。
だがそれはいま少し先であることも確かで、今はこの世界を謳歌する時間なのだ。
次話 非日常の日常編 プロローグ 「雲上の一日」
10/9投稿予定です。




