最終話 記憶
『記憶』とはなにか。
そんなことを深くまじめに考えることはあまりない。
普通は当たり前のように連続していて、遠くのものほどおぼろげにはなるけれど、『自分』という存在と不可分なものが『記憶』だと漠然と認識している程度だ。
自分が自分であることを自覚するための証明みたいなものか。
今の俺にとって自分とは『八神 司』だ。
改めて考えると、口に出して言ったら「大丈夫か?」と心配されること間違いなしの文言だな、これは。
普通は当たり前すぎて言うまでもないことだもんな。
当然幼少時のことはほとんど覚えてはいないし、小学生時代のことなども特徴的な出来事以外は忘れている。日常レベルで言うのなら、高校生になってからのことでも忘れていることのほうが多いくらいだろう。
会話や写真、日記などをトリガーにして鮮明に思い出すことはあるとしても、日頃は完全に忘れているものがほとんどだ。
「一昨日の昼ごはんは?」と尋ねられても、それがクリスティーナの手作り以外のものであれば割と思い出せない。
それでも俺はちゃんと『八神 司』だ。
自分を自分として形作るのは、あるいは記憶そのものではなくその時々にどう判断し、どう行動したかの積み重ねによるものなのかもしれないな。
他人とは少々違った経験をここのところ積み重ねてきた俺だが、『八神 司』については責任を持てる。
少々忘れたい黒歴史が記憶野に浮上してきたとしても、それだって俺なのだと虚勢を張ることくらいはできると言い切れる。
オープンフィンガーグローブを嵌めて街に出たことがあろうが、間違った英単語を自信満々で使っていようが……なんでそれをきっちり拾うかな、タマとツクヨミ……
それにこっちへ来てからのクリスティーナとこうなるまでの過程で晒したみっともないことや思い込み、はっきりとした失敗も全部ひっくるめて俺――『八神 司』だ。
――だが……
「師匠らしいといえばらしいけどなー」
豪華なソファーにだらしなく寝そべったセトが笑い含みで感想を述べる。
異体同心であるティスはセトの頭側にきちんと座って、その言葉に微笑んで頷いている。
――いやセト、そうは言うけどな。その「俺らしい」が揺らぐのが怖いと言おうか……
最近俺にもセトとティスはお互いの情報を他に類を見ないレベルで共有しているだけの別人に見える。
奥さんにいわせればそれが正解だそうだけど、セトもティスも聞いてもはぐらかすばかりで口を割らないのでよくわからない。
セトと一緒に風呂に入った後、ティスが不機嫌そうな顔をしていたりするのもよくわからないが、二人がきちんとセトとティスになっていっているということなのだろうか。
まあそれは悪いことではないだろう。
ここはセトやティスだけではなく、俺の身内と見做されているメンバーが暮らす浮遊島、通称『後宮』だ。
……王都の連中のネーミングセンスは何とかならんかな。
王宮の記録官や紋章官もどうも面白がって市井での通称をそのまま正式名称とする傾向が強い。
まあ面白がられているほうが健全だとは思うが、金竜だけは「そこらへんは厳しくしたほうが良い」といまだに力説している。
『商売の竜王』まではまだ許せても、『招き金龍』はどうにも許しがたいらしい。
下手人が誰かバレたら齧られるかな……
とにかく今現在、浮遊島『後宮』の屋敷には俺が身内と認識するメンバー全員が集まっている。
昼間仕事をしているときは大げさではなく『世界中』に散らばっているみんなだが、『転移』の使用が常態化している俺たちにとって「夜は自分の家に帰る」ことはもう当たり前になっているのだ。
みんなが住むこの屋敷は結構広大で、20体前後の銀たちがメイドさんとして各種業務を執り行ってくれているので快適空間であることは間違いない。
身内が二桁で増えても何の問題もない許容量を誇っている。
いまみんなが集まっている中央の応接広間も少々広すぎるくらいで、豪華な家具やなんやで埋め尽くされている。
『愛の巣』がクリスティーナの意向で比較的質素になった分、そのしわ寄せが『後宮』に集中したといっていいだろう。
各国からの贈り物だけでもこの屋敷には収まりきらないので、これでも王宮の役人さんたちが厳選してくれた結果なのだ。何人かはちゃっかり自分のお気に入りを選んでいたそうだが。
ここに住む連中は割とそういうのにも慣れていて、なんとなく落ち着かないのは俺とジャンとネイの根は庶民トリオくらいだ。
ジャンとネイが休みの日も『依頼』をこなすのに飛び回っているのはここでゆっくりするのが落ち着かないからかもしれない。
そのくせ別の島を用意しようか? と言えば断るのが面白い。
仲間はずれ……というより特別扱いを極端に嫌うからな、あの二人は。
力においても遠慮する必要があまりない今の身内を、あるいは誰よりも大切にしたい二人なのかもしれないな。
「前世……というものがあるとしてですけれど、それにまで責任を持てといわれるのは確かに大変ですわね」
――そうなんですよ。
一人掛けのシンプルな椅子に腰かけて優雅に紅茶を飲みながらアリアさんが言う。
この人はいろいろこの身内に慣れてきているとはいえ、こういう居住まいはまったく崩れない。
本人曰くそれでももうかなり何でもありになってしまっているらしいが、『聖女』として崩してはならない部分は自然に堅守できていると思う。
その辺は奥さんも同じで、『聖女』に伴う責任と、それを立派にこなしてきた年月の重みを感じさせてくれる。
だからこそ、俺や仲間の為に『聖女』としてではなく、クリスティナ、アリアさんとしての判断をしてくれるのがうれしいんだけどな。
今日帰ってきたときのアリアさんは何やら複雑そうな表情だった。
ジアス教皇庁へ出向いて教皇猊下と話をしてきたらしいが、いつも通り「俺との仲」の進展を確認され、その進捗の無さにため息をつかれたそうだ。
それどころか教皇猊下をはじめ枢機卿たちが『対策会議』を開き、どうやったら俺がアリアさんに手を出すかを男視点で意見を出し合い、それを拝聴させられるという拷問を受けてきたからだそうだ。
……ご愁傷さまです。
だからと言って帰ってくるなり「強気な私を踏んでみたいですか?」とか聞くのは止めてください。
踏みたくも踏まれたくもありません。本当です。
変わらず見惚れるくらいに綺麗なのに、こういう時の笑顔は何で怖いんだろうな、うちの奥さん。
とはいえアリアさんは以前酔っぱらったときに言っていた。
『聖女』として崇め奉られていた時よりも、今こうして教皇庁のみんなにダメ出しされているときのほうがずっと楽しいのだと。
ちゃんとこの世界の一員として認められている気がして嬉しいのだと。
アリアさんは忘れるタイプのようなのでその時のことは記憶にないのだろうが、結構露骨に迫られて困った記憶はまだ新しい。
みんなに言わせれば俺も喜んでいたそうだが、遺憾の意を表明させてもらう所存だ。
しかしまあ、わからなくもないけどマゾ気質なのかなアリアさん。
「前世の恋人とか……いるのでしょうしね」
「……そうですね」
サラとセシルさん、ぼそっと怖いこと言うのやめてください。
いやもしもいたとしてもわたくし、八神司としては無実を主張したいところなんですがいかがなものでしょうか。
それもわたくしが悪いのでしょうか。
「前世どころか、ツカサ様がこちらに来る前に救った女性もおられるそうなのよ、サラ」
「初耳です、クリスティナお姉さま」
輝くような笑顔でクリスティーナがタマから聞いた情報を開示する。
忘れてなかったのね、あの話。
――タマてめえ後で覚えてろ。
「理不尽な!」
だから思考を読むな。
ツクヨミ、『思考追跡』のブロックどうなってるんだ。
@(;・ェ・)@/please accept my apologies
なんかタマはタマで底が知れない。
本気出したら能力制御担当をも出し抜けるというのであれば手に負えない。
ただ単に俺の表情が読みやすいというだけなんだろうけど。
「「「「へー」」」」
美人姉妹二人の会話に、アリアさん、セト、ティス、ネイが半目で口を横に開いた状態で同じ言葉を発する。
ジャンと机で何か食べていたネイまで反応している。
一応一緒にいるリリンさんは何の事だかわからないようで首をかしげている。
いやあのな……
「へえ……」
ジャン、お前もか。
お前も裏切るか。
いやこいつは俺を茶化して遊ぶようなことはしない。
今もその端正な顔には純粋にな興味、「意外だな」という表情が浮かんでいる。
「いや、うまく言えないんスけど、『以前のツカサさん』もこっちへ来てからと変わんないんだなってのには違和感ないスけど、そのことを言われて慌てるというのがなんか意外です」
なるほど。
……火に油を注ぐんじゃねえ。
「疚しいことがなければ慌てる必要なんかないですもんねぇ」
タマ、お前……
「いや、冗談抜きでそのお相手とは何もありません。友人として救おうとしていただけなのは保証します。……繰り返しのうちに相手が主をどう思ったかまでは補償いたしませんが」
俺の表情を見て慌ててタマがフォローを入れる。
余計なこともいっていたような気もするが、俺の「やり直し」に付き合ってくれたみんなには「そうなる」ことやむなしと思ってくれたようだ。
みなため息をつき、クリスティーナの笑顔の圧力も薄くなる。
「それに以前の主にそういう関係はありませんでしたよ、私の知る限りではありますがね」
そういう関係の定義が曖昧なところではあるが、タマはこの手の嘘は言わないだろう。
遊ぶのはいいが、さだかならぬ嫌疑でややこしくなるのを嫌うのは一応使徒としての自覚が残っているのかな。
主としての自覚がないのが申し訳ないが。
どうしても今は頼りになる相棒としか思えない。
「私や能力制御担当のことはお気になさらずに。楽しそうにしている主とともにいられるのであれば、過去の記憶だのなんだのは割とどうでもいいのは以前に申し上げた通りです」
それは確かに以前からそう言ってくれている。
そしてそれを疑っているわけでもない。
それに記憶は記憶だと俺は思っている。
あくまでも主体は今の俺だし、記憶が戻ったからといって『八神 司』がまるで別人のようになってしまうとは思っていない。
『創造主』としての記憶や膨大な知識は確かに俺を変化させるだろうけれど、俺じゃなくなってしまうわけではないと漠然と思う。
何の根拠があるわけではないけれど、『今の自分』が主体だと思うのだ。
記憶が戻ったからといって、入れ替わってしまうようなことにはならないという自信がある。
セトとティスの時とはまた違うと思うのだ。
その上クリスティーナたちに言い訳をしなくて済む状況だったというのであれば、そう怖がることもないとは思っている。
思っているのだが……
「記憶を封じた理由が、やはり気になりますよね」
思わずジャンの方を見ていた俺に、タマが反応した。
そうだ、俺はそれが怖い。
理由がなければ記憶を封印し、『八神 司』として生きようなどとは思わないだろう。
『創造主』としての力を持ちながらそうまでする理由というのは、正直ちょっと怖い。
他人事であれば記憶とは向き合うべきだとかっこいいこともいえるのだろうけれど、自分のこととなるとそうもいえないあたりが情けなくもあるが正直なところだ。
地球でのオタク人生が祟って、要らん知識があるのも影響しているのだろう。
紫○さんや秋○棠さんの記憶を持った、小林○くんや笠間○彦くんのような思いはしたくないと思ってしまう。
あれはキツいと思うのだ、前世の罪で今生の自分が苦しむというのは。
そしてすべてがハッピーエンドに落ち着くとは限らない。
そして身近に、それに近い立場になりうる存在もいる。
「……ツカサさんにルザフ村への峠で逢わなかった俺……ですよね」
ジャンとネイは前の周の記憶を持っていない。
そんなものは要らないと俺が判断したからだ。
だがジャンもネイも一緒にいるうちに疑問を持つ。
なぜ俺があの時ジャンの前に現れたのか。
なぜ最初はジャン曰く、めちゃくちゃ怖かったのか。
仲良くなるにつれ、断片的に集まる情報から、ジャンはどうやら自分が前の周でとんでもないことをやらかしていることを察してはいる。
そしてそれは無かったことになったわけではない。
それを踏まえて世界を再構築し、そうならないようなルートをたどっただけなのだ。
時間を戻そうが、アカシック・レコードにホワイトをかけようが、一度在ったことは決してなくならない。
記憶が戻ってしまえば、それを認識してしまう。
それも今のジャンが抱えるべきなのか。
幸せそうに笑っているネイも、思い出さなければいけないことなのか。
わからない。
今の俺には不要だとしか思えない。
「……ツカサさんが記憶を戻すときは、俺たちも付き合います。キツいだろうなっていうのはなんとなく想像ついてますけど、それのおかげで今の俺とネイがいるんだからきっと平気です。今の自分たちを信じようと思います」
いやありがたいけどな。
本当にどっちが正しいかなんて俺にはわからないんだ。
楽しいほう、楽な方で行ったらダメなものかな。
「それでいいと思いますよ」
タマではなく、クリスティーナがちょっと困ったような笑顔で答えてくれる。
クリスティーナ、お前も思考追跡ができるのか。
それほど俺の考えは読みやすいのか。
「ツカサ様。私は今のジャンが大事。好き。失いたくない。だからもしも以前のジャンが私にひどいことをしていたとしても、それが今のジャンになるために必要だったんだから受け入れられるよ。もしジャンが私以外の他の人に悪いことしてたんだったら私も一緒にごめんなさいをしに行く。……だから平気だと思う」
ネイがまじめな表情で言ってくれる。
大事なのは今だっていうのには心の底から同感だ。
今まさにジャンとネイは世界にそれをして回っている感じだけどな。
それでいいのかな。
もし俺にもそういう過去があったとしても、そうすることで赦されるのだろうか。
「赦すも赦さないも、そうなのだからできることをするしかないですね。まあ私が知る限りそんなトラウマになるようなことを主がやっていた記憶はないですが」
気休めでも助かるよ、タマ。
「まあ必要になったらってことでいいんじゃないですか? 今のところそんなことをする必要に迫られてはいないのですから。最悪とりかえしがつかないものでも何とかしてしまえる、というのが主の力の神髄です。私が言うのだから間違いありません。その時になったらまた考えましょう。それよりも今は……」
下手な考え休むに似たりとか言ってくれてたな、そういえば。
まあそれはまさにそうなのだろう。
『八神司』としての生涯をまっとうしたときに考えればいいのかもしれない。
今は『八神司』として楽しく生きることに全力をかたむければいいか。
そうしよう。
「で、リリンさんは記憶を取り戻したい?」
そうだ、最初はこれが主題だったのだ。
間違いなく『創造主一派』の仲間であるリリンさんは、今すべての記憶を失って俺たちの仲間の一人として暮らしている。
このまま楽しく暮らすのか、『大いなる災厄』を仕込んだ張本人としての記憶を取り戻した方がいいのか、本人に聞くしかない。
記憶を失った本人に聞くのはフェアじゃない気もするが、どうしようもないしな。
「はい」
にこにこと微笑んであっさりと首肯したリリンさんに俺の顔が引きつる。
え? そんな簡単に判断していいの?
記憶が戻ったら『大いなる災厄』は再開されるんだろうか。
その辺はよくわからない。
いや聞いておいて、それはだめですというわけにもいかないから記憶は戻すべきだろう。
タマがため息ついている気がするがそれはしょうがない。
念のため準備万端整えたうえで、リリンさんの記憶を戻すことを決定した。
その結果、これからも続く『この世界での日々』に、頭痛の種が一つ増えることになるのだが。
結論から言えば『大いなる災厄』は再開されなかった。
その代わりに俺は、『創造主』としての記憶はないにもかかわらず、この世界を放置してから今日にいたるまでの愚痴を、延々とリリンさん――第四の聖女であり、魔王であり、この世界の管理者でもある、タマの同僚――に聞かされることに相成った。
勘弁してくれ。
この世界に来るときに候補に挙がった世界の数だけ、今後俺はこの手の愚痴を聞かねばならんのか。自業自得といわれてもどうも納得がいかない。
まあいい。
この世界での楽しい日々が続くというのであれば文句はない。
有り余る時間で、リリンさんのような存在へはフォローを入れて回るしかない。
当面はこの世界でやってみたいと思っていたことを、一通りやるくらいは許されるだろう。
まずは冒険者として暮らしてみようか。
「もうすぐ私の誕生日ですしね」
……そうでしたね。
『大いなる災厄編』 Fin
To be continued in next episode 『非日常の日常編』
次話 閑話 NEVER END【sideクリスティナ――いつも隣に】
10/2(日)投稿予定です。
クリスティナの惚気噺です。
このあとも閑話というかこぼれ話をいくつか挟んで、
間章 非日常の日常編
に入る予定です。
ラ・ヴァルカナンでの日々をいろんな視点から書けたらなと思っています。
冒険者ギルド、錬金術師、各国の思惑、竜王たちと旧神あたりはプロットかたまっております。
ツカサハーレム問題にも結論出したいですしね。
一通り書き終えたら、最終章へ入る予定です。まだ結構先になると思いますが。
現在「いずれ不敗の魔法遣い」一巻が発売中です。
二巻で「姫巫女編」完結まで行けると思いますので、この物語の最初の結末までは行けそうです。
一巻ではほとんど手を加えられなかったのですが、二巻ではいろいろ仕掛けられたらなあと思っています。
発売時期等ももう少しすればお知らせできるかと思います。
娼館の方も進んでいるのですが、情報公開許可はいつ下りるのだろうw
この章は最終章へつながるパーツ提示で中途半端に閉じましたが、最終章で綺麗につながる予定です。
それまではラ・ヴァルカナンで楽しく過ごすツカサと仲間たちの物語を楽しんでいただけたらと思います。
更新頑張りますので、よろしくお願いします。




