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不調和


苛行は早速、依頼主の元へ向かうことにした。善は急げだ。この近隣のホテルの一室で待っているとのことだった。

準備は特に必要なかった。どんな依頼でも、愛用する刀型魂器と煙草さえあれば困ることはなかった。

「それにしても…」

依頼人の顔写真の画像を見ながら苛行は紫煙を吐き出す。

「まさか選神者サマがこんなガキとはね…」

そう、その画像に写っているのは年端もいかぬ十四歳ほどの少女だったのだ。整った目鼻立ちで、長髪はポニーテイルにしてまとめられていた。だが、何よりも目を引くのは―その銀色の双眸だった。

 人神に選ばれた者たち…すなわち寵愛者や選神者は、特別な色の瞳を持つことで有名だった。たとえば器の神に選ばれた者は黄金の瞳を、時の神に選ばれた者は黒色の瞳を持っていた。しかし、魂の人神だけはここ百年の間不在だった。故に銀色の瞳を持つ者を見るのは初めてだったのだ。

 つまりこの銀色の瞳を持っている以上、この少女が選神者を騙る偽者ということはありえない。

(ただ無感情に任務を遂行するべし、だ)

苛行の目的はあくまで『螺黒剣』およびその所持者との接触および自分の死である。故にこの少女が最後まで勝ち残れるかどうかは苛行にはどうでもいいことなのだ。

 そうこう考えている間に部屋の前にたどり着いた。試しにノックをしてみる。だが誰も応対する者はいない。部屋を間違えたか、ともう一度端末を確認しようとする苛行だったが、


そくり


「―!」

唐突に感じた気配に、体はほぼ反射的に戦闘態勢をとる。得物である魂器の刀を抜き、ドアを見据える。

この空気は苛行がこれまでの『仕事』で幾度も経験してきたものだった。

もはや慣れ親しんでしまった感覚。

すなわち、殺気。

殺気がこちらに向けられている以上、見過ごすことは出来ない。

自分に敵意を向ける者は、迅速に処分すべし―。

これは苛行の師の受け売りだったが。

苛行はドアを躊躇なく斬りつける。ドアの弁償代など、歴戦の請負人にとっては大した出費ではない。

部屋に入りながら、敵を視認する。

―いた。

男だ。窓際に立ち、銃をこちらに向けている。どう見ても依頼主の『お嬢様』ではない。だが、こいつも誰かに依頼されて苛行を始末しに来ているかもしれないのだ。

『不死人』を殺せるなどと考えている奴がいると笑えてしまう。

実際に殺してくれるのなら文句はないが―

「な―」

苛行の全身から発せられる桁違いの魂炎と殺気に、男が慄く。

その隙に苛行は、部屋に入ってすぐのところにある懐中電灯を手に取り、魂炎で強化された筋力を以て投擲した。

「がっ!?」

恐るべき速度で投擲された懐中電灯は、男の右膝の骨を粉々に打ち砕いた。

痛みに倒れ悶絶する男に苛行は近づき、喉元に刃を押し付けながら訊いた。

「誰の差金だ?」

だが、男は答えない。こちらを睨みつけながら、震える手で拳銃をこちらに向けようとする。

「…」

もう始末してしまおうか、と苛行が思い始めたその時。

ぱちぱちぱち、と入り口の方から拍手の音が聞こえた。振り返ると、二人の人物が部屋に入ってきていた。

一人は杖をついた男性だった。明らかに高価とわかるスーツを着ている。拍手をしているのはこの男だった。顔色が悪く、年老いて見えたが、こちらを見つめるぎらついた瞳に苛行は何か肌寒いものを感じた。

そしてもう一人は、知っている人物―というか依頼主の少女だった。つまらなそうな表情で、目を伏せている。

「…説明していただけますか」

少女を睨みつけ、説明を要求する。

何のつもりだ、と威嚇の意味をこめて苛行は軽く炎をぶつけてみる。

だが、老人も少女も表情一つ変えなかった。

老人の方は苦笑めいた笑みさえ浮かべている。

「くっく…怖い怖い…。昔のわたしならば相手をしてやれたのだがな」

杖の男は部屋に備え付けてあったソファに腰を沈めると、この状況について語り始めた。

「まずは自己紹介からさせてもらおう…わたしは九曜黛。そこにいるのが私の娘のポラリス。スーツの男は執事の北村だ」

杖で各々を指し示しながら、九曜は紹介を終えた。

「今、君を襲った男は―わたしが雇った別の請負人だ。君が本物の『不死人』であるかどうかを確かめるためのね」

今も膝の痛みにうめき声をあげる男を顎で指し示し、九曜はくっくと笑う。

「…俺の真似事をできる奴なんて、そうたくさんは居やしませんよ」

嫌味を言いながら、苛行はほぼ確信した。

(本当の依頼主はこの男だ)

この土気色の顔をした老人こそが、自分に依頼を頼んだ張本人なのだと。

そして苛行は一番気になっていることを尋ねた。

「『螺黒剣』の目撃情報―あれは嘘ですか」

当の本人である苛行は気づいていなかったが、苛行から溢れ出す殺気と炎はどんどん濃く―大きくなっていた。

実際、あの情報が嘘だった場合、苛行は腹いせに二人を始末して帰るつもりでさえいた。

だが、老人は首を横に振った。

「いいや…あれは本物…私の古い友人が仕入れた情報だ。君のところの支部長から君があれを追い求めていると聞いてね」

(相変わらず口が軽い)

あの支部長はいつも自室で娯楽に耽っているだけのくせに、顔だけは妙に広いのだ。そして口がやたらと軽く、弟子である苛行のことを至る所で話していると松前から聞いている。

今の言葉が本当かどうかはさておき、苛行は殺気を緩めた。ポラリスと北村がほっと息をついていた。

「もう一つ訊きたいことがあります」

「なにかね」

「あなたはなぜ…あなたの娘から他の者へと選神者の力を移譲させないのですか。ただ戦闘をするだけならもっと適した人物がいるはずだ」

そう言ってポラリスの反応を窺ったが、彼女は依然として無表情で壁に寄りかかっているだけだった。

「…」

選神者の力は他者に移譲することができる―つまり、より戦いに慣れた者に任せた方がいいのは当然の事なのだ。

ましてやポラリスは女性―体力においては男に劣るのは言うまでもないことだった。

だが、その指摘にも九曜は笑みを崩さない。

「君の言うことも一理ある。しかしこう見えても私の娘はそこらの有象無象よりはよっぽど戦える。―それに、君が守ってくれるだろう?」

こちらが依頼を受けるものと決めつけている態度に少し苛ついた苛行は、少しばかり牽制することにした。

「それはどうですかね―ただ『螺黒剣』を追うだけなら、別にあなたの依頼を受ける必要はない」

「そんなことはない―わたしの依頼を受けることは、君の目的の成就にもつながる」

「…何故?」


「君とわたしは、おなじ目的のもとに動いているからだ」


そう言うと九曜は、ネクタイを緩め、シャツのボタンをいくつか外した。

わずかに覗く胸元から見えたのは―禍々しい瘢痕だった。極端に悪い顔色、杖をつかねばならない程に衰えた筋肉―この男の体は病魔に侵されていたのだ。

「わたしはこのままだと―あと十年も保たない」

「…」

「だから健康な肉体が欲しい」

苛行はこの男の言わんとすることがわかった。それでも黙っていた。

「君だって同じだろう?病に体を侵されているわたしからすれば理解しかねることだが―『死ねる肉体が欲しい』それが君の望みだろう。器の人神が作ったまっさらな肉体へと魂の人神の能力を以て我々の魂を移植する―それでわたしたちの望みは叶う」

たしかにその通りだ。たとえ『螺黒剣』を発見できなかったとしてもそれならば苛行の目的は達成される。だが―

「その理屈なら、もっと勝ち進む確率の高い選神者につく。あなたの娘さんのチームが他のチームを出し抜けるとは思えない」

「くく…君の言うことも最もだがね―ポラリス」

父に呼びかけられると、ポラリスは両手を広げ宙へと視線を向けた。何も見ていない、からっぽの瞳。その両の目がすっと銀色に染まった。


次の瞬間、信じられない量の炎が少女の体から溢れた。


「な―」

なんだこれは。

こんな奴―今まで見たことがない。

まるで底が見えない。

個人が発することのできる魂炎の量は魂魄の大きさに依存する。

つまり―この少女はこの莫大な炎の量に見合うだけの大きさの魂を持っているということだ。

「解ってもらえたかね?」

九曜は鷹揚に笑った。苛行にもこの老人の言わんとすることが理解できた。

この世界での戦いで最も重要とされるのは『魂炎』―魂魄から放出されるエネルギーであり、その用途は身体機能の強化や魂器の媒介など多岐に渡る。

そして個人が発生させることのできる魂炎量は―魂魄のサイズと強大さに比例する。魂魄の強大さは個々人の精神状態により変化するが、サイズは生まれついた時からほとんど変化することはない。つまり、この自分と何歳も変わらない少女は最初からとてつもない規模の魂をその器に宿しているということなのだ。

「―だが九曜さん、ただ炎がでかいだけでは戦いには勝てない」

苦し紛れの反論も、即座に否定された。

「その点でも問題はない。我が娘にはこのわたしが直々に戦闘の如何を叩きこんである…。」

「…ッ」

依頼を拒否する理由がなくなってしまった苛行だったが、予想外の人物から助け舟が出された。

「別にそんな人、いなくても構わないわ」

大きくはないが、よく通る声―今まで沈黙を守っていたポラリスのものだった。

「ポラリス…何度も言うが、この戦争は一人では勝てないのだ」

「いいえ―こんな戦い、わたし一人いれば十分だわ。この戦いに足手まといはいらないの」

父の忠言を、一言で切って捨てる。どうやらこのお嬢様はかなりの我が儘のようだった。

「それにわたしの近くに臆病者はいらないの。死ぬ手段を見つけるために生きてるなんて馬鹿みたいだわ」

いまだ銀色のままのその目には、はっきりと侮蔑の感情があった。

その目はまっすぐに苛行へと向けられている。

元来苛行はそれほど我慢強い性質ではない。

請負人として働き始めるまでは気に食わない人間を片っ端から打ちのめしていた程なのだ。その性格を請負人としては問題があると考え、矯正させたのが彼の師である禅寺だった。

その矯正の成果もあり、今では気に入らぬ依頼主がいても軽く受け流す事ができるようになっていた。

しかし『これ』は別だ。

羨ましがられるのはまだいい。

他人事だからそんなふうに考えられるのだと呆れもするが、実際この業界にあっては何度もこの体質に助けられてきた。

恐れられるのはまだいい。

不死の肉体―こんな身体を気味悪がるのは十分に理解できる。

でも、『これ』だけは別だ。

自分の苦悩を理解したうえで嘲笑うもの―軽蔑するものは許せなかった。

(殺す)

もはや苛行はこのふたりの話を聞く気はなかった。

哀れな老人は即死させてやり―この憎たらしい少女は苦しめて殺すつもりだった。

(殺す)

あまりにも尖った殺意が空間を埋め尽くしていく。

それを向けられた少女の身体がびくりと震える。

その時彼女は理解したのだ。

さっき自分たちに向けられた殺意はただの威嚇であり―これが目の前の青年の本気の殺意だということを。

(勝てない)

もはやそれは本能的な直感だった。

強大な魂魄とそれに頼らぬ研鑽を積み重ねてきた自分でも、眼前の悪鬼のごとき男には勝てないと―解ってしまったのだ。


その隙を苛行は見逃さなかった。

強化した筋力を以てふたりの標的の間へと滑り込む。

あまりの疾さにどちらも反応できていなかった。

そのまま苛行は手中の刃を振る―縦に。

そう、苛行が斬ったのは九曜でもポラリスでもなかった。

背後からふたりに忍び寄る闖入者だったのだ。

拙い幻術で姿を隠していたようだが―ふたりを欺くことはできても、苛行には通用しなかった。



「ぬっ、ぬあああああああああ!?」

胴体から血を溢れさせながら、闖入者は倒れ伏す。

「え?」

突然現れた男に、ポラリスはやっと硬直を解いた。

そしてそのまま、自身の『能力』を発動させる。

またしてもその瞳が銀色に輝く。

そして世界を、『探る』。

選神者としてポラリスに与えられたのは魂魄を『探る』力だった。

その力を使い、ポラリスは今自分たちがいるホテル一帯をスキャンする。

「なに…これ…」

ポラリスが驚愕に目を見張る。

「どうしたのだ」

娘の様子に気づいた九曜が訊いた。

「この部屋に…たくさんの魂魄が向かってきてる。ホテルの中からも―外からも」

九曜は舌打ちした。これは間違いなく他の参加者もしくは神の力を狙う者による事態だ。

「日辻くん」

「…何ですか」

苛行は九曜に冷ややかな目を向ける。

「私の娘がしたことについては謝る。だからどうかここはわたしたちを守って戦ってくれんか」

「何言ってるの、父さん!こんなの私一人で十分だわ!」

ポラリスが講義の声をあげる。

「たしかにお前は強い。だが実戦はこれが初めてだろう…わたしに従いなさい」

「…っ」

ギッ、と苛行を睨みつけてくる。

どうやら渋々ながら了承したようだった。

「俺はやるとは言ってませんよ」

苛行はまだ怒りが収まっていなかった。

さっきは咄嗟に闖入者を斬ってしまったが、あれは半ば反射的なものだった。断じてこのふたりを守ろうという意思などなかった。

聞く耳を持たない苛行に、九曜は懐からあるものを取り出してみせた。

「…!」

それは、ただの黒い塊に見える。

だが苛行にはそれが何かわかった。

夢の中とはいえど、幾度もそれを見てきたのだ。

「『螺黒剣』…?」

「そうだ」

老人の掌に収まるほどの大きさのその塊は、苛行がずっと追い求めてきたものの欠片だったのだ。

次の瞬間、九曜はその欠片を飲み込んだ。

「な…」

絶句する苛行に、九曜は笑ってみせた。

「安心したまえ、これは胃液程度では溶けたりはせんよ。だが『万が一』わたしが殺されるようなことがあれば、壊れてしまうかもなぁ?」

「…わかったよ」

そう言うと苛行は窓ガラスを炎圧だけで叩き割った。

次に九曜とポラリスを山賊のごとく抱え、窓枠から地面へと向かって跳躍した。

「ちょっと!?」

ポラリスが抗議の声を上げるが、時既に遅し。

十三階分の高さを一気に墜落し―着地寸前で炎を地面へと放出し落下の勢いを殺した。

当然、無傷のままだ。

落ちた先はホテルの駐車場だったが、やはり明らかに一般人ではない―苛行からすれば『同業者』の者たちが集まってきていた。

数は二十ほど。

苛行の力量ならばこの程度の数は何でもなかったが、選神者サマの力を見せてもらうのも悪くない。そう考えた苛行は、

「手伝え、『お嬢様』」

くい、と襲撃者たちを顎で示す。

「…こんなの、私一人で十分だって言ってるじゃない」

初めての実戦に不安があるのか、声はわずかに震えている。

それでもポラリスは懐から鞭を取り出し、床を打った。

「先に訊いておくが、こいつらの中にあんたの『同族』はいるか?」

ポラリスは瞳を銀色に光らせ、周囲を探る。

「…いないわね」

「ならこいつらは雇われの有象無象ってことだな―なら」

ごがん、と背後からポラリスの首に手をかけようとした男の顔面に裏拳を叩き込む。


「腕試しには丁度いい」


「…そうね」

ポラリスも鞭で襲撃者たちを撃退していく。

飛び交う魂弾を撃ち落とし、彼らの腕や足の骨を砕いていく。

苛行は自分の敵を処理しながらポラリスの戦闘を観察していた。

(…おかしい)

先ほどの自信たっぷりの発言に違わず、ポラリスの戦いは見事なものだった。多少のぎこちなさはあるが、初の実戦にしては中々のものだ。

だが、苛行は何かの違和感を感じていた。

(何がおかしい…?)

思考に集中していたために、苛行の意識は一瞬だけ戦場から外れていた。相手もまた請負人―その隙を見逃さなかった。

「死ね!」

苛行の胸に刃物が突き立てられそうになる。

我に返った苛行はそれに気付いたが、避けようともしなかった。

今から避けるのは不可能だったし、どうせこの程度の攻撃じゃ致命傷にはなりはしない。

これから来る痛みに構える苛行だったが、その必要はなかった。

ポラリスにより放たれた鞭の一撃が、男の肘から先を文字通りふっ飛ばしたからだ。

「え―」

何だ今のは。

不死である自分を守ったことも解せなかったが、それ以上に気にかかることがあった。吹き飛んだ肘先だ。

今のサポートなら、男の武器を叩き落とすだけでよかった。

人間の肉体を欠損させるほどの一撃ということは―その分の炎を魂器に注ぎ込んでいるということなのだ。

(まさか…)

こちらを見てドヤ顔をしているポラリスだったが、苛行はそれには目も向けていなかった。苛行の推測が正しいならば、彼女は―

「炎を止めろ、馬鹿―」

「えっ―?」

その警告は遅かった。

ポラリスの手中の鞭が砕け散ったのだ。

魂器を使用するには、魂炎を注入する必要がある。

注入する炎の量に比例して、魂器は出力を上げていくのだ。

常人の十倍の魂炎量を誇る苛行でさえ、魂器がオーバーヒートを起こして壊れるのを見るのは初めてだった。

要するに、ポラリスは魂器に内蔵された魂が耐え切れなくなるほどの炎を注いだということなのだ。

あまりにも無秩序な炎。

これは本人の才能云々ではない、明らかに他の原因があると苛行は踏んだ。

(…まずいな)

苛行がこれまで遂行してきた依頼はどれも単独での暗殺任務だった。それ故に苛行は他人を守りながら戦うことには不慣れだった。この襲撃者全員を皆殺しにするのは造作も無いことだが、後ろの二人を守りながら、という条件が追加されるとなると、話は違ってくる。

九曜が死んでしまっては、彼の胃の中にある螺黒剣の欠片も失いかねない。

(退く)

「ポラリス!敵の薄い方向はどっちだ!」

ポラリスも苛行の意図を理解したようで、すぐに探知に入った。

「…3時の方向!」

「逃げるぞ!」

「…ええ」

だが、襲撃者たちも安々と帰らせる気は無いようだった。三人が逃げられないよう退路を塞ぎにかかっている。

「どけ―!」

苛行は苛立ち紛れに、次々と襲撃者たちの首を斬り飛ばしていった。

だが、そのうちの一人が苛行の攻撃を防いだのだ。

「な、に!?」

目の前の男は生半な肉体強化では防げない苛行の攻撃を、素手で防ぎきったのだ。明らかに只者ではない。

苛行は男の顔を見る―浅黒い肌に、白いコートを羽織った男。

「…君のような面倒な男が参加しているとはね、『不死人』」

滑らかに、歌うように男は言った。

「何だ、おまえは」

ぎりぎりと刃物と素手での鍔迫り合いを続行しながら、苛行は問う。

「何だとはご挨拶だな。僕は、そこのお嬢さんの『同類』さ」

「同類―選神者―お前が?」

「そうさ、ここにいる請負人はみんな僕が雇ったものだ。手始めにお嬢さんの『探知』の力をもらうためにね」

それを聞いて苛行は意地悪く笑ってみせる。

「ハッ、こんな雑魚どもを大量に雇うなんて金の無駄だぜ、お坊ちゃん。こいつら全員を雇う金でもっと上等なボディガードを雇えるってのに」

「わかってないなぁ、『不死人』。こいつらなんて戦力になるわけないだろう?こいつらは―こうやって使うのさ!」

そう言って男は、瞳を銀色に輝かせる。

何が来る―?苛行は目の前の男の動作に全神経を集中させた。だが、この時ばかりはこれが仇となった。攻撃が来たのは、背後からだったのだ。

あまりに強い一撃に、苛行は思わず振り返る。苛行の再生能力を持ってしても数秒痛みが残るほどの攻撃だった。

雑魚ばかりだと思っていたが、二人も強者がいることに驚いていた。自分に不意打ちを食らわせられるほどの者が。だが振り返った先にいた男は、

「やあ、また会ったね、『不死人』」

銀色の瞳でこちらを見据えながら―愉快そうに笑っていたのだ。

「な―」

相手には二人も選神者がいるのか、と戦慄している苛行を、見透かしたかのように男は笑った。

「違う違う、そういうことじゃないよ。僕はさっき君の攻撃を防いだ『僕』さ」

「…!まさか」

苛行は銀目の男の言っている意味がわかった。

「そう、そうだよ『不死人』。僕の選神者としての能力は『転移』―他の肉体に自分の魂を移し替える能力さ。請負人をこんなにたくさん雇ったのは、単に僕の器のスペアとしてだよ。―こんなふうにね」

そう言うと男はおもむろに銃を懐から取り出し―自分の頭をふっ飛ばした。

男の躯は当然地面に倒れるが、また違う方向から声が聞こえた。さっきまでとは違う声だが、同じイントネーションと発音だった。

「解ってもらえたかい、お嬢さん。僕が最初に君を潰しにきたわけが」

「…あなたの能力と私の能力は相性が悪いから、でしょ?」

「ご名答。僕が『転移』した肉体を君の『探知』ならすぐに見つけてしまうからね。他の厄介な選神者に獲られる前に僕が取りに来たのさ」

ポラリスの目に敵対心が宿る。舐められている、と感じたのだ。

「私は厄介じゃない、とでも言いたげね」

「そうだよ?君の『探知』は戦闘向けじゃないし、君自身の実力も僕には遠く及ばない。それに、君の魂は―」

苛行とポラリスはその先を聞くことが出来なかった。男の頭が、文字通り爆発したからだった。脳漿を撒き散らして。

やったのは九曜だった。

その目には怒りと―焦りのようなものが滲んでいた。

「それ以上喋るな、小僧」

だが男は何事も無かったかのように他の請負人の体に『転移』した。

「うふ。怒らせちゃったみたいだね…そうか、知らないんだ、君。自分のことなのにね、可哀想に」

面白がるような男の口調に、怒りで九曜の顔が歪む。

「貴様…!」

「怖いなあ、そんなに怒っちゃって。わかったよ、言わないよ。…どうせすぐにわかることだしね」

困惑しているポラリスと九曜を交互に眺めながら、男は笑った。

「…今日はもう帰ろうかな。本当は今日『探知』を持って帰るつもりだったけど、『不死人』がいたんじゃあね。僕のスペアも補充し直さないといけないし。次は3日後、場所はここ中央都市の空中庭園でどうだい?」

男はまるで、遊びの約束を取り付ける友人のような気軽な口ぶりで言う。

ポラリスが逃げられないと知っているからだ。

「ああそうそう、自己紹介を忘れていたよ。僕はアダム…アダム・ダンテス。この選神戦で神になる男だよ」

そう言って男はまた銀色に目を光らせ―立ち去った。

その後、苛行たちは襲撃者たちの追跡を振りきり、どうにか安全地帯まで逃げ切った。

ポラリスは初戦にしてはうまく戦った。

敵を何人も撃退したし、味方のサポートまで出来た。

だが、この選神者の少女にとって、この初陣は―紛うことなき敗走だった。



どうにか追手を振り切った苛行たちは、第四支部で休息を取っていた。

ここを選んだのは苛行の判断だった。ここは空間の神の寵愛者の制作した異次元空間―知らぬものにはどうやっても侵入することができないからだ。

応接室で苛行と九曜は向い合って座っていた。ポラリスは初陣で疲れてしまったのか、仮眠室で仮眠をとっていた。

苛行も精神的には多少の疲労を感じていたが、身体的な疲労は全く感じていなかった。肉体がダメージと認識したものは何であれ除去する―それがこの体の特質だった。

「…あれは何だったんですか?」

苛行は単刀直入に今一番気になっていることを訊くことにした。

もちろん、ポラリスの炎の扱いについてだ。

「どういう意味かね…」

九曜はそのことについては話したくないようだった。九曜が纏う空気が明らかに変わったのだ。苛行は感じ取り訊くべきではなかったか、とも思ったが、それでも追及することにした。

互いに隠し事をしていてはこの仕事は務まらないのだ。

「隠さずに答えてください。あなたの娘を守る上でどうしても知っておかなければならないことなんです」

それを聞いて九曜は少し驚いたような顔をする。

「…まだ、娘を守ってくれるのかね?君はさっきの一時的な依頼を無事達成してくれた。あとはわたしの胃の中の『これ』を吐き出して君に渡せばこの件はおしまいなはずだが」

しまった、と苛行はうろたえる。

自分でも気づかないうちに当初の『選神戦終了までの護衛』を受けると決めた上で話を進めていたのだ。

「ち、違います!ただ中途半端にしておくのは気持ちが悪いというか…」

ふっと九曜が笑う。

「君の師から聞いていたとおりだな…。義理堅い男だよ、君は。君に依頼してよかった」

「師匠がそんなことを…?」

禅寺は苛行を貶すことはあっても褒めたことなど一度もなかったので、苛行は少し驚いた。

「そうとも。禅寺はちゃんと君のことを評価している。元々この依頼は彼に頼むつもりだったのだが、彼は今『自分にしか出来ない依頼』を抱えているようでね、受理してくれなかった。だが自分の代理として彼が推したのが君だ。君ならきっとうまくやるだろうと彼は言っていた。実際、これまでちゃんと私と娘を守ってくれている」

「…」

これまでその仕事ぶりを褒められたことなどなかった苛行は、赤面してしまう。

「…君になら、話してもいいかもしれんな。私の娘の『秘密』を」

「ポラリスに了解をとらなくてもいいんですか?」

「必要ない。…というより、あの娘自身も知らんのだ。自分の『秘密』を」

「本人も、知らない…?」

「…君は、魂と器には段階があるのを知っているかね?」

「いえ、初耳です」

「まあ、これも一部の人間しか知らないことだがな…。簡単に分けるならば、動物に与えられる魂と肉体が第一階梯、われわれ人間に与えられるのが第二階梯といったところだ」

「階梯…」

「通常、第一階梯の肉体には第一階梯の魂があてがわれる。第二も然りだ。魂と肉体の位がちぐはぐになることなどなかった…『あれ』ができるまでは」

そういって九曜は宙を見上げた。『あれ』と呼ばれる機械がある月を内包する、宇宙を。

「『救世主の機械』…」

「そう、それだ。公には知られていないあの装置の数少ない欠点…それはごく稀に魂と肉体の噛み合わない存在を作ってしまうことだった。そうして生み出された彼等は、通常は拒絶反応で死んでしまう…。だが、ごくごく少数の存在が生き残る…」

「それが、ポラリスのこと…?では彼女には動物の魂が入っているということなのですか?」

苛行の問いに、老人は悲しそうに笑った。

「もしそうだったら、どんなによかったか」

「どういうことですか」

「…これも一部の人間しか知らんことだが、先に話した魂と器の階梯には、まだ先があるのだ」

「先…?」

「わたしたちとは異なる次元に存在する…見ることも触ることもできない、はじまりの神がつくった者たち、『天使』だ」

「まさか…」

「そう、『救世主の機械』は次元など関係なしに肉体を失った魂を回収する。そこには当然天使の魂も含まれる」

「じゃあ、ポラリスの魂は天使の…第三の階梯のものだってことですか」

「そうだ。日辻くん、君はさっき、ダンテスの肉体…スペアの肉体が崩壊するのを見たかね?」

「ええ、まあ」

たしかに苛行に攻撃を仕掛けた後のダンテスの肉体はこちらが何もしていないのにずたずたになっていた。

「おそらく奴の魂も天使のものだ。ヒトの肉体に天使の魂は強大にすぎる…あの崩壊は奴がスペアの肉体を省みずに膨大な炎を注ぎ込んだ結果だ。そして炎を使う使わないにかかわらず…大きすぎる魂はどんどん分不相応な肉体を蝕み…ゆるやかに崩壊させていくだろう」

老人の声は怒りに震えている。

「それだけならまだ良かった…!何も知らず今の生をまっとうすることは出来ただろう。だが不幸にもあの子は選神者に選ばれた。今のあの子の肉体はひび割れ崩壊寸前なのだ…。選神者としての力の移譲などすれば…その時生じる些細な魂への衝撃ですらあの子を脅かしかねない」

「だからあいつは、戦うしかない、ってこと…」

「…そうだ」

「じゃあ、あなたが病気に侵されたその体を捨てるためにポラリスを人神にしたいってのは…嘘なんですか?」

老人は力なく頷いた。

「わたしの肉体が限界を迎えているのは本当だ。だがあの子を人神にしようというのは―それ以外に方法がないからだ。あの子がこれから先生き残るには…自分以外の選神者を一人残らず葬って人神になる他ないのだ」

苛行は何も言えなかった。

あの少女は自分とはまるで対極にある存在だったからだ。

何をしても永久に死ねない日辻苛行。

何か手を打たねば近々死ぬ九曜ポラリス。

自分が喉から手が出るほど欲しい「死」を、持っている少女。

だが羨ましさなど感じなかった。

いやむしろ、この死から最も遠いところにあるこの少年は―この少女に哀れみすら感じていた。

「………」

「日辻くん?」

苛行があまりにも長いこと黙っていたので、九曜が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「…あと何年ですか」

「何?」

「あなたとポラリスの寿命です。あと何年生きられますか」

「わたしは3年、ポラリスは5年といったところか…」

「3年です」

九曜は驚いたようにこちらを見ている。


「あと3年のうちにこの俺があの子を人神にしてみせる」


「…何故だ、日辻くん。どうして君は―」

「…これはただの同情ですよ、九曜さん。本当にそれだけだ」

気味の悪い肉体をもって生まれたせいで親に捨てられ天涯孤独で、

気味の悪い肉体をもって生まれたせいで友人の一人もできず、

気味の悪い肉体をもって生まれたせいで死ぬために生きるような惨めな毎日を送ってきた。

だから日辻苛行は、自分こそが最も不幸な人間だと思っていた。

そんな男がはじめて他人の境遇に共感し―同情したのだ。

あんな得体の知れない機械のせいでちぐはぐな存在で生まれ、不幸にも逃げることの出来ない戦いを強制された少女。その上身体には時限爆弾つきときてる。

「でも、一つだけ条件がある」

「条件、かね?」

苛行はおもむろに立ち上がり、応接室のたった一つのドアを開けた。

「あ…」

「ポラリス…!」

九曜が目を剥く。

そう、この哀れな少女は自分の『秘密』を全て聞いてしまっていたのだった。

少女は目を真っ赤にしていた。

「…気付いていたのか、君は」

九曜が苛行を怒りに満ちた瞳で睨みつける。

だが苛行は目を逸らさなかった。

「はい。これは俺がこれから提示する条件に必要なことだからです」

「なんなのだ、その条件とは!」

「それは」

苛行はポラリスを見る。

己の運命にただ苦悩しかない少女を。

「ポラリス、君が…君自身の意志で俺に依頼することだ」

「私自身の、意思、で…?」

「そうだ。君が心の底から病気の父親を救いたいと…君自身の魂に殺されず生きていたいと思うなら、俺に依頼しろ」

最初の依頼は、九曜からのものだった。ポラリスも渋々だったはずだ。

だからこそ今からの依頼は、ポラリス自身の決断によるものである必要があった。

ポラリスが父を見る―あと3年で朽ち果てる身体を。

九曜は何も言わなかった。ただ娘の決断を見届けようとしている。

苛行も黙って見ていた。

長い沈黙の後、少女は口を開いた。


「日辻さん、私を神様になるお手伝いをしてください」


生きるために戦うことを決めた少女の姿は―苛行の目には眩しく映った。


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