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起動

日辻苛行は、いつも通りの夢を見て目を覚ました。

この夢を見るのはこれで何度目だっただろうか。どこかの建物の屋上で、倒れ伏す少女。それに手を伸ばす自分。そしてそんな自分の胸を背後から刺し貫く、ねじれた黒色の大剣。大量のチを垂れ流しながら地面に斃れる自分。そこでいつも夢から醒める。

 普通なら嫌な気分で一日をスタートさせる類の夢ではあったが、苛行はそうではなかった。この夢は彼にとっては生きる希望そのものだったからだ。

 『前記憶』。

魂の人神を模して作られた機械は、完全ではなかった。いくつかの隠し切れない欠点を抱えていたのだ。『前記憶』はその一つだった。魂の人神は、死した後に自身の元に集められた魂魄に対して『浄化』、『分配』という2つの工程を施す。『前記憶』は、この『浄化』の過程が不十分であることから発する問題だった。

 『前記憶』―――一言で言うならば、「消え残り」である。

『浄化』とは、一生を終えて摩耗した魂を癒やし、次の生を送るためにまっさらな状態へと戻す工程であった。『浄化』が不完全だった場合、前世の記憶が残っているという場合がある。『前記憶』保持者は、全体の二割程度。苛行もまた、その一人だった。

 苛行は前世の自分を殺したであろうあの黒い剣を探し求めていた。それは―――。

「おっと」

朝食の用意をしていた苛行は、カットしていたトマトを切り損ね、自分の左手の人差し指の第一関節から先をざっくりと切断してしまった。常人なら慌てふためくほどの大怪我だったが、苛行はその切り落とした指先をきわめて冷静にシンクの三角コーナーに投げ入れた。

 切り落としたはずの左手の人差し指で。

流した血は一滴にも満たない。

どんな肉体的損傷も即座に再生される―――これが苛行を異形たらしめ、苦しめる異能だった。器の神の寵愛者でも何でもない自分が、何故こんな異能をその身に宿しているのかはわからない。この忌々しい呪いを解くこと。これが、苛行が夢に見た黒剣を探し求める理由だった。あの前世の記憶で、たしかに自分はあの剣に貫かれて倒れていた。たとえ『前の自分』がこの体質ではなかったとしても、あの剣だけがこの呪いを解くための唯一の手がかりだった。

 時刻は午前十時。苛行は職場へと向かうことにした。向かうとは言っても、職場はこのマンションから道路を挟んだ目と鼻の先で、エレベーターと歩道橋を使うだけの距離だったが。

 苛行は職場の入っている約二十階建てのオフィスビルに到着すると、エレベータのボタンを押した。向かう先は八階。八階に到着すると、さらに奥の休憩室へと向かう。そこには、茫洋とした雰囲気の女性がいた。職場に到達するためには、彼女の異能がなくてはならないのだ。苛行はポケットからライセンスを取り出し、彼女に見せた。彼女は頷き、苛行をじっと見据える。苛行はこの女の目がどうにも苦手だった。居心地が悪く目を逸らしてしまう。白く光る左眼―――空間の人神の寵愛者たる証である。気づくと苛行はよく見知った職場へと転送されていた。請負人相互扶助協会第四支部―――苛行が13歳からずっと働いている場所である。ここは先と同じオフィスビルの9階であったが、エレベータも階段も通っていない。それ故に休憩室の寵愛者の異能がここに来るには必須となるのだ。まあ、他の利用者は自分たちが普段9階だと思って利用しているフロアが実は10階であるなどとは気付いてさえいないのだが。

 苛行は転送場所からすぐ近くに設置されているタブレットを手に取ってソファへと腰を沈め、今日の依頼を選びにかかる。カテゴリは「掃除」「回収」「護衛」の3つからなるが、他の2つには目もくれず、「掃除」のカテゴリのタブに触れる。「掃除」しかやったことはないし、自分に他の2つができるとは思っていなかった。だが、

「日辻、今日のあんたの仕事はそこには載ってないよ」

背後から声をかけられる。よく通る低い声。全ての依頼を管理する役割を持つ、松前と呼ばれる老婆だった。海賊やギャングよろしく太い葉巻を咥えているのが特徴である。

「…どういうことですか?」

嫌な予感を感じながら訊く。前にもこんなことがあったのだ。あの時は誰もやりたがらない、面倒でなおかつ拘束時間の長い依頼を強制的に受けさせられたのだが…。

「支部長殿からあんたにやらせるよう言われている依頼を伝えられているのさ。

…そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか」

苛行が露骨に嫌そうな顔をしたのを見て、松前が溜息をつく。そんなことを言っても仕方ないではないか。前回の『面倒な依頼』を自分に押し付けたのもその支部長なのだから。ちなみにその支部長は、苛行の師匠でもあった。

「そんなもん師匠にやらせりゃいいんですよ…。あの人いつも支部長室でゲームしてるかコミック読んでるかのどっちかじゃないですか」

「それがね、あの人今日からしばらくいないんだよ」

「え?」

とうとう出社拒否まで始めたか、と思ったが、流石にそれはあるまい。

「お偉いさんから直接の指名があったみたいだよ。長期の契約だって聞いてるよ。あの人がまともに任務をこなせるとはとても思えないんだけどねぇ…」

「…」

部下にもこんな評価をされている男だが、苛行は知っている。あの男はこの『業界』において、右に出る者のいないほどの実力者であることを。事実、苛行は師が敗北するところはおろか、苦戦するところすら見たことがなかった。しかし、彼の知名度は『業界』でも皆無に等しい。それを師に訊くと、「いいかい苛行、この業界では知名度が高いのはあまり褒められたことじゃないんだ。警戒されないほうが警戒されずに済むからね」と言っていた。そんなことをちょっとした『有名人』である自分に向かって言うのはどうなんだ、と思ったものだ。

ホワン、とポケットから音が聞こえた。どうやら松前が依頼内容をこちらの端末に転送したようだ。…まだ受けるとは言ってないのだが。

「たしかに送ったよ。そう気を落とすもんじゃない。たしかに面倒臭そうな依頼だけど、あんたにとっちゃ良い依頼だと思うよ。支部長に感謝するんだね…」

そう言いながら彼女はぶはぁ、と煙を吐き出す。

まあ、たしかに見る前から文句を言っているのではしまらない。松前も悪い依頼ではないと言っているのだ。あの師匠の提示した依頼に期待するのも癪だったが。端末を取り出し、依頼内容を確認する。まず目についたのが、

「『護衛』ぉ…?」

『護衛』。

その名の通り、対象を一定期間危機から守りぬく依頼である。だが、

「松前さん、俺『掃除』以外は出来ないんですけど…」

「うるさいね!文句をいうのは全部読んでからにしな!」

文句に耐えかねたのか、松前が葉巻の灰を口から飛ばしながら怒鳴る。

「…すみません」

この老婆の沸点はかなり低く、また激昂した際のまずさを苛行は知っていた。大人しく読み進めることにする。

『報酬:前金 五千万 依頼達成金:五千万』

「な…」

あまりの金額に絶句する。請負人の仕事は常に危険と隣り合わせであり、報酬が高いのが魅力の一つだ。だが、一度の依頼で一億も払われるというのは異例だ。依頼の内容が気になり、苛行はさらに画面をスクロールする。

『依頼内容:此度の選神戦の参加者である依頼人を選神戦終了時まで護衛し、勝利へと導け』

その文章の下には、依頼人の顔写真が添付されている。

「選神戦…」

先代の人神が後継者を選び損なったまま死亡するなどのアクシデントが発生した場合に発生する聖戦である。空席となった人神の持っていた神の力の断片が10人の参加者へと寄生し、参加者は各々に寄生した神の力を奪い合う―――これが選神戦である。

「今のあんたならそう難しくない依頼のはずだよ。支部長に鍛えられてからのあんたは負け無しだからねえ」

「でも…」

正直な話、苛行はこの依頼にそれほどの魅力を感じなかった。報酬金はたしかに高いが、依頼内容を鑑みればそこまで割のいい依頼とも言えない。金に困っている訳でもないし、師と松前が何故この依頼を自分に勧めてくるのか分からなかった。やはり断るべきかと考えながら画面をスクロールしていく。だが、その下にあった備考欄を見て苛行の顔色が変わった。


「―――」


「気に入ったかい?」

したり顔で松前が訊いてくる。気に入らない訳がなかった。是が非でもこの依頼を受けたい。もしこの依頼がなくても―――自分からこの戦いへと参入しただろう。それだけの価値がこの依頼にはある。


 苛行は依頼を受理することを伝え、支部から立ち去った。パソコンの画面を眺める松前に、背後から声がかけられる。

「私の言う通りだっただろう?」

三十路半ばとみえるその男は、苦笑しながら画面を覗き込んでいる。

「…そうさね」

「あいつにとって『あれ』は生きる理由そのものだ。死ぬことが生きる理由というのは皮肉なものだがな」

「…」

松前は何も言わず、黙って画面に目を戻した。

画面に映る依頼書のデータにはこう書かれていた。


『備考欄:此度の選神戦には『螺黒剣』を所持する者が出現している模様。十分に注意されたし』


  やっと、見つけた。

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