第8話
遅くなって申し訳無い……。
ある晴れた日。レティシアはスラム街の路地を一人歩いていた。
スラム街を少女一人で歩くとは命を捨てると言う事と、シスターアイリならば激怒するだろうがレティシアは勝手知ると言った感じで軽やかに歩いている。
そして、何かを探すかのように辺りをキョロキョロと見渡していた。
「エイオスいないなあ……」
ため息を付く。
数日前、最後に会ったきりエイオスは突然姿を消した。
シスターアイリは別に大丈夫だと言うが、レティシアはそうは思えなかった。
最後に見たあの後姿が嫌に目に残っている。
「気を悪くさせちゃったかな……」
不愉快な気持ちにさせるつもりは無かったのに、どうしてあんな風に話しかける事しか出来ないのだろうか。
エイオス。彼とは教会の孤児院で出会った。
初めて会ったときは随分と酷い顔をしていたのをよく覚えている。
何も信じていない目。こっちを見る目が酷く荒んでいた。そんな目をしていたからこそ、放っては置けなかったのだろう。
結局、あの事件が原因で孤児院を抜け出して一人で生活するようになってしまった。
「……考えてみれば、私、あいつの家知らないのよね」
あちらが避けているのもあるだろうが、実際、月に数回会えれば良い方だ。会ったとしても直ぐに逃げられてしまうのだが。
その所為か、今、エイオスがどこを住処にしているのか全く分からない。
彼が良く行っているであろう店の店主も知らないと言う。
こうして歩いているわけだが、全くと言っていいほど手がかりが無い。
このスラム街は酷く入り組んでおり、知らない場所を捜索するには先ず不可能だ。何か目印でもあれば別なのだろうが……。
「あいつがそんなのを残しているとも思えないし」
やり場の無い気持ちを表すかのように小石を蹴飛ばす。
そして、その場で空を仰ぎ見、叫ぶ。
「どこに行ったのよ!! 馬鹿エイオスーーーーーー!!」
******
「ん? 呼んだ?」
「いえ」
誰かに呼ばれた気がしたんだが……気のせいかな?
まあ良い。今は本に集中しよう。
現在、俺とセレナは王城にある書斎の一つに来ていた。
アンナが話をしてくれて、是非とも行って見たいと思ったのだ。
流石は城の書斎。とんでも無い量の本が山積みだ。これでまだ一番小さいのだから大きいモノだったらどれ程のものなのだろうか。
「やっぱ、この指輪については何にも載っていないか」
皇家の歴史について載っている本の記述に手を通すもめぼしいモノは載っていなかった。
「指輪についてはやはり皇のみが読むことを許された禁書庫に出向く必要があるでしょう」
何冊かの本を抱えてこちらに来たセシリアがそう言う。
禁書庫かあ……俺じゃあ無理だろうな。皇にならないと。
そこまで考えて、馬鹿な、と首を振る。
皇に? この俺が? あくまで俺はエンデュミオンの身代わりだ。あの宰相のおっさんがどう思っているかは分からんが少なくとも俺はなる気は無い。
恐らくあの弟君がなるだろうよ。若しくは他の皇子が、な。
本を読んでいる俺を見ていたセシリアが静かに口を開く。
「……そこに隠れている者、出てきなさい」
「え?」
誰かいるのか? そう問いかける前にガタン、と物音がする。
物音がした奥の本棚の方を見れば、恐る恐る誰かが出てきた。
小柄な少女だった。サイズの合っていないとんがり帽子を直しながらこちらに怯えながら見ていた。
「ええと……だれ?」
セシリアに聞くも首を振る。
セシリアが知らないとなると、マジで誰だこの子?
少女の方を見るも、相変わらずブルブルと小動物の様に震えていた。
このままじゃあ埒が明かないからな。何とかするか。
こちらに害が無い事を証明する為に笑みを浮かべながら俺は少女に近づく。
「ええと、初めましてだよね? 僕はエンデュミオン・ヴァン・カーリア。一応この国の皇子をやっている」
俺の名前――正確には皇子の名前――を聞いた少女は驚きを露わにする。
「え、エンデュミオン、殿、下……?」
あわあわと慌て始めた少女はとんがり帽子を外す。
茶色の髪を露わにして頭を下げる。
「は、初めまして……ベネティア・ヴィンチです」
「ヴィンチ?」
少女……ベネティアの家名を聞いてセシリアが声を上げる。
「もしや、ヴィンチ博士の孫の?」
「は、はい……」
ヴィンチ博士? 何だよさっきから知らないヤツばっかだな。
今度は知っているのか、セシリアが説明してくれる。
「ヴィンチ博士はこの国での魔装具研究の第一人者です。あの方の技術で魔装具研究は二世代ほど先に進んだと言われています」
つまりとんでも無く頭が良いって事だな。
その孫って事はやっぱり優秀なんだろうなあ。
「それで……ベネティアはなんでここに?」
「え、えっと……」
視線を忙しく動かすベネティア。
ふむ、こういう子は自分から話すのを待ってあげないとな。
俺は視線を合わせるようにしゃがみ込む。
そしてゆっくりと話し始める。
「ここ、私の勉強する場所で……あの、そしたら、殿下たちが、入って来て、びっくりして……」
「成程」
つまり、普段からの勉強する場所で勉強していたら俺たちが来て慌てて隠れてしまったと。この年ならあり得るのかもな。
「そうか、済まなかったね。突然君のテリトリーに入るような真似をしてしまって」
「え、い、いえ! そんな恐れ多いです……」
あわあわと手を振るベネティア。
「いやいや、知らなかったとはいえ、誰かいる事も考慮すべきだったよ」
ベネティアに微笑みかける俺。
その笑みを見て、心を許してくれたのか、ほんの少し笑みを浮かべるベネティア。
「それで、ベネティアはここで何の勉強を? やっぱり魔装具について?」
「は、はい。お祖父様と違ってそこまでも無いですが……」
「そう、だったらこれについて何か知っていることはあるかな?」
俺は指輪を彼女に見せる。
「え、これって魔装具、しかも原初!?」
目を輝かせながら指輪を手に取るベネティア。
「すごい……素材は古代文明では大量に発掘されていたと言うオリハルコンで全部作られている。中身には古代文字。しかも簡単な文字じゃない……かなり丁寧に作られている……」
「ベ、ベネティア?」
「指輪にも傷が無い……古代文明が存在していると言う事は軽く千年以上経っているというのに……何らかの加護が付いている……?」
ぶつぶつよ独り言を言うベネティア。
「これは……あれかな? 彼女は自分の好きな事になると周りが全然見えなくなるタイプなのか?」
「恐らくは」
隣に居るセシリアも同意見の様だ。
こういう場合、相手の興奮が収まるまで待っていた方が良いんだろうなー。
セシリアも同じ考えなのか、何もせずにベネティアを見ている。
取り敢えず近くに置いてあった椅子に座る。
それから数分、彼女をジッと見つめる。
目をキラキラと輝かせているベネティアは俺たちの視線に気づいたのか、一瞬固まる。
直ぐに顔を真っ赤に染めると、慌てて頭を下げる。
「もももももももももも……!」
申し訳ありませんって言いたいのだろうか。
「落ち着け。深呼吸だ深呼吸」
俺の言葉に従い息を吸うベネティア。
「はい、吸ってー」
「すぅー」
「はいてー」
「はぁー」
「吸ってー」
「すぅー」
「はいてー」
「はぁー」
「吸ってー」
「すぅー」
「吸ってー吸ってー」
「すぅーすぅー」
何これちょっと面白くなってきた。
少し遊んでみよう。
「そのまま吸い続けて!」
「すぅーすぅーすぅー!」
あ、顔が赤くなってきている。
「何をさせているんですか」
呆れた声を出すセシリア。
「ベネティア殿も。殿下の悪ふざけに付き合わなくて良いですよ」
セシリアの言葉で息を吐き出すベネティア。
「え、悪ふざけ……?」
パチクリと目を瞬かせるベネティア。
「いやーちょっと面白くて」
「全く……自分より年下相手に何をしているんですか」
話をする俺を見てベネティアは呆然としている。
「ん? どうかしたか」
「いえ……その、お祖父様から聞いた話とは少し違くて」
ヴィンチ博士か。何を話した?
「どんな事を話していたんだ?」
「えっと……穏やかだけど、少し押しが弱いとか……すみません」
「いや、謝られるとこっちもこっちで困るんだけど」
エンデュミオンのヤツ、そんな風に評価されているのか。
なんて言うか、ヒトとしては評価されているけど、皇子としてはあまりって感じかな。
「まあいいや。それでこの指輪について何か分かるかな?」
「は、はい。詳しい事は専用の機器を使用しないことには分かりませんが、恐らく古代文明、このカーリア帝国の始まりよりも前の時代から存在するものです」
「そんなにか……?」
あまりに昔すぎて唖然とする。
「ただ、この指輪自体に何らかの外部に影響をもたらす能力は無いと考えられます」
「外部に? という事は付けている者には何かあると?」
「恐らく。加護のようなものだと思いますが……」
そこで言いどよむベネティア。
これ以上は分からない、か。ま、調べて何も出てこなかったんだ。寧ろここまで分かったんだからめっけんもだろう。
「色々とありがとうベネティア。もし、また何か分かったことがあったら教えてくれないかな?」
「は、はい! ご命令とあらば!」
命令って、そんなつもりは無いけどまあ良いか。
「それじゃあ、僕たちはこれで失礼するよ。勉強頑張ってね」
「は、はい!」
顔を輝かせて頭を下げるベネティアと別れ、俺たちは外に出る。
「結局、何も分からなかったな」
廊下を歩いている中、俺はセシリアに言う。
「指輪の件は残念ですが、ベネティア様と親交が持てたのは良きことです」
「ん?」
「ベネティア様はヴィンチ博士の後継と目される人物です。その方と親交があれば、皇位継承についても味方を増やすことが出来ます」
「……は?」
皇位継承?
「ですが、それだけではまだ足りません。やはり、四方元帥の方々の後ろ盾が必要でしょう。問題は誰からですが……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
思わず立ち止まり、セシリアを止める。
「如何なさいましたか?」
「いやいや、皇位継承? 俺が皇帝になるってか?」
「はい、殿下は継承権第一位。なればこそ、皇位を継ぐのが最も相応しいかと」
「それは……」
思わず声に出そうになったが、何とか抑える。
それは、あくまでエンデュミオンだ。俺はエンデュミオンと顔が同じだけの唯のスラム街のガキだ。
そんな俺が皇帝? は、馬鹿げている。
「……失礼しました。この話はまたにしましょう」
黙った俺を見て何か思ったのか、セシリアは何もそれ以上何も言わなかった。
俺も、何も言えなかった。