第1話
人生とは、基本的にどうにもならない事だと俺は思っている。
レティシア辺りは違うと言い張るかもしれないが、少なくとも俺の人生はそんな感じだと自分では思っている。
スラム街で生きる毎日。明日生きれるかどうかも分からない様な人生。毎日飯にありつけるかどうかも分からないような状況。
生きるために意地汚い事もする。町の奴らが捨てる残飯を漁ったり、ゴミも拾う。
好きでやっているわけでも無い。生きるためにはこんな事をしないといけないのだ。
だけど、別に生きていて何か楽しいかと言われると実はそうでもない。
生きていても辛いだけ。苦痛しか感じないような日々。それを好きでもないのに感じ続けないといけない。
なら死ねば良いのか? これも少し難しい。
スラム街では何度も人が死ぬ。大抵は苦しんで死んでいく。何度か顔を合わせたことのある顔見知りが死ぬときは、この世が終わるかのごとく絶望的な表情で死んでいく。誰一人として安らかに死んでいった奴はいなかった。
そんな奴らを見て死にたいとは思わない。かと言って生きたいとも思わない。
難しいものだ。何をしたのかも分からない。只々、生きるだけの毎日。
――そんな日々が終わりを告げた。
******
「ちくしょう! ちくしょうが!」
路地裏を必死に走りながら俺は毒づいていた。
何でこうなったんだよおい。俺が変な好奇心を出した所為かよ。だとしたら、とんでもない選択じゃないかよ!
途中何度も転びそうになりながら俺は駆け抜ける。
最悪だ。何が楽しくてこんなことをしているんだ俺は。
厄日という奴はまさにこの日の事を言うじゃないのか?
――ゾクリ
「っ!」
背筋を這う寒気。
それを感じると同時に俺は横に飛ぶ。
キイッン! と金属音と共に、銀色の物体――鋭利なナイフが物凄い勢いで先ほどまで俺がいた場所に降ってきた。
ジグザグに走りながら、この迷路みたいなスラム街を走っているんだぞ! どんだけの手練れだよ。ああ、もう!
兎に角に死に物狂いで走る。一先ず、人がいる場所に行かないといけない。恐らく人がいるところだったら奴は追ってこないくなるだろう。幸い、今日は大市場が開かれる日。大通りは人も多い。そこに逃げれば――!
「――やめだ」
突如として後ろから聞こえた声。突然の事に対応しきれなかった俺は足がもつれて転んでしまった。
「っ!」
勢いよく走っていたせいで、強く転んでしまう。
そして、そのまま背中を近くに置いてあった木箱に叩きつけられる。
「うが……」
息を吐き出す俺。
「う、うう……」
頭から落ちそうになった帽子を慌てて被りなおして、俺は前を見る。
そこには、予想通りで、それでいて決して見たくなかった相手がいた。
全身を黒いローブで覆ったヤツ。フードを目深く被っていて男か女か分からない。
さっきの声からも男か女か良く分からない中性的な声音だった。
「…………」
ローブのヤツが無言のまま袖口からナイフを取り出す。
俺を殺す気満々なのは見て取れる。
ああ、どうしてこうなったんだっけ。確か俺は……。
******
この日は、いつものようにスラム街をフラフラしていた。
今日も今日とて、生きるために残飯を漁る状況だ。生ものは流石にやめておく。以前腹に当たり、三日三晩、腹の痛みが治まらなかった。二度と同じ轍は踏まないようにしないといけない。
「……にぎやかだな」
ポツリと、俺――エイオスは呟く。
大通りの方から聞こえてくる声は笑い声が殆どで、誰もかれもが月に二回の大市場を楽しんでいるんだろう。
「呑気なものだな」
思わず毒づく。とは言え、呑気というのはあながち間違いではない。この国の状況を考えたら当然と言える。
この国は現在緩やかな衰退をしている。
目に見えるものじゃない。だけど、何となく感じる。十年前と比べると、少し帝都は陰りが出ている。
しかし、国民、特にここ帝都に住んでいる奴らはそんなことに気づくもしない。今はまだ良いかもしれないが、多分後々に面倒な事になるだろうに。
「まあ、俺には関係ないかな」
元々貧乏なんだ。国全体が貧乏になろうとも俺たちは最底辺の人間のままだ。
……どうせ俺はこの場所から抜け出せない。なら、ここで生きていくしかない。
頭に被っている帽子を脱いで、頭をガシガシとかく。
ふと、地面に視線を降ろすと、先日の雨の名残の水溜りがあった。
そこにあった自分の顔を見て、俺は思わず眉を潜めた。
青い、空の様に澄んだ瞳。碌に洗ってもいない割に小奇麗な肩まで伸びた金色の髪。
顔は……割と整っていると自分では思う。いや、整っているんだろう。事実、この顔の所為で、何度か痛い目に合ったこともある。
それ以来、なるべく顔を出さない様に帽子をかぶっている。意外と効果があるんだよなこれが。
再び歩き出す俺。やがて目的地にたどり着く。
「今日も一杯ありますね」
見渡す限りゴミ、ゴミ、ゴミ――まさしくゴミの山。
帝都に住んでいる奴らが捨てていくゴミの収容場。それがここだった。
奴らからしてみればゴミかもしれないが、俺にとっては宝の山だ。
「お、これはまだ使えそうだな」
山の中から掘り出し物を見つける。
鍋だ。少し錆びついているが、問題ない。これくらいなら洗って落ちる。
大方、どこぞの商家の奴らが、さびが付いたから捨てちまったんだろうな。勿体ない。こういう直ぐに捨てちまう、モノを大事にしない行為も案外この国を腐らせているのかもしれないけどな。
阿呆らしい考えを捨てて、俺は新しい物を発掘し始める。
多くはガラクタばかりだが、たまに掘り出し物もある。売れば、結構な金になる。
商家の家の子として物心ついた時から結構目利きは鍛えられていると思う。この特技のお蔭でちったあ、はした金が手に入るってもんだ。
「まあ、こんなもんかな」
何とか売れそうなヤツを数個手に入れる。
それらを持ってきた袋の中に入れる。
慎重にゴミの山から下りる。以前掘り出し物を見つけて浮かれて走って降りようとしたら、ゴミが崩れてマジで死にそうになった。あれはもう一度喰らいたくはないな。
「よっと」
無事、ゴミの山から下りる。
さてと、どうせあの店はこの大市場でも特に繁盛しているわけでも無いし、早めの内に換金しに行くか。またあいつらが出ないとも限らないし……。
「行くか」
辺りを警戒しつつ、俺は馴染みの店に向かう。
******
「あのクソじじい、足元見やがったな。どう見てもぼったくりだこりゃ」
手の中にある数枚の小銭を俺は睨み付ける。
馴染みの店に行って換金したは良いが、残念なことにどうもあっちも不景気だったらしく、足元見られた。
お蔭で全然売れなかった。これじゃパン一つ買えるかどうか。
「ちっ、今日は漁りか……」
すんじまったもんは仕方ない。あそこぐらいしか俺みたいな浮浪者をまともに取り合ってくれるところもないし、我慢するしかないな……。
さてと、これからどうするか。
またゴミ漁りに行くのもあれだしなあ。かと言って、大市場に行ったとして、厄介者扱いされるだけだし、どうすっかな。
少し考えながらぼんやりと道の横を見る。そこには人影が二つあった。
「……げえ」
思わず、声が出てしまう。
寄りによってあいつらか。最悪だ。
さっさと逃げるに限る!
俺は踵を返して直ぐに歩き出す。
「あー! エイオス!」
うわ、見つかった。
ああ、今日は厄日の一つだ。
「ちょっと、エイオス! 無視しないの! こっち向きなさい!」
きゃんきゃんうるせえ。イヌかあいつは。
「なあ……! ちょっとシスター、あいつあたしの事無視しているわよ!」
「レティシア、余り大きな声を出すものではありません。エイオス、貴方も、人に声を掛けられたら無視するものではありませんよ」
あーあー始まったまた口煩い説教だ。
これで無視したら更にヒートアップするのは明らかだ。俺は仕方なく、振り向く。
そこには茶色の髪を纏めた女と、黒い髪を背中に流した修道女の服を着た女性がいた。
髪を纏めている方はレティシア。甚だ不本意だが、一応顔見知りという奴だ。本当に不本意だが。
シスターと呼ばれたのがシスターアイリ。この近くにある孤児院と隣接している教会のシスターをやっている人だ。俺の一番苦手な人でもある。
シスターが抱えている袋から見える食材から多分買い出しだったんだろう。にしたって、ここで会うことないだろうに。
「こらエイオス! いい加減反応なさい!」
ちっ、本当にうるせえヤツだ。
「……何だよ」
仕方なく、声を出す。
しかし、それがこいつの癪に障ったのか、眉を吊り上げるレティシア。
「何よその反応は! 折角私が声を掛けてあげたって言うのに、その態度は何よ!」
うざい。本気でこの女うざいわー。
「レティシア、さっきも言いましたが、大きな声を上げる物ではありませんよ」
やんわりとレティシアを宥めるシスター。
そして、俺の方に向き直ると、笑みを浮かべながら近づいてきた。
「久しぶりですねエイオス。元気にしていましたか?」
「……まあ、一応」
「私の対応が違う」
こいつ本当に黙って置け。
「今日は何を? 貴方も大市場に行っていたんですか?」
「いえ。シスターたちは 大市場に?」
「ええ。大市場の時は色んなものが安いですからね。私たちにとっては良い買い物日和です。大市場に行かなかったとなると、貴方は今日は何を?」
「別に、いつも通りゴミ拾い」
俺がそう言うと、シスターは顔を曇らせた。
「まあ、エイオス、大丈夫だったのですか? 怪我とかしていませんか? それに貴方ちゃんと体洗っていますか? ご飯もしっかりと食べています? 貴方の年齢が一番伸び盛りなんですからその時に食べて大きくならないと。それから……」
「分かった、分かったからシスター!」
だからこの人は苦手なんだ。他の奴とは違ってマジで善意のみで俺に接してくる。本当に調子が狂ってくるぜ。
「問題ないよ。ちゃんとやっているよ」
「本当ですか? もしよかったら孤児院に――」
「ああ、俺はもう行かなきゃいけないからじゃあ!」
シスターの言葉を遮り、逃げるように走り出す俺。
「待ちなさい!」
「うぐ!」
だが、そう問屋が卸さない。
レティシアの野郎が服の襟を掴みやがった。
「何しやがる!」
「良いからちょっとこっち来なさい! シスター、ちょっと待ってて」
それだけ言うと、レティシアの奴は俺の襟を掴んだままずんずんと歩き、シスターから少し離れた場所まで俺を連れていく。
シスターに声が聞こえない程度の距離になると、レティシアは襟を離す。
「何だよ、別にお前に話すことなんて無いぞ」
「あなたには無くてもあたしにはあるのよ!」
ふん、と息を吐くと、レティシアは俺に詰め寄る。
「あんたいつまでこんな生活続けるつもり?」
「生きているうち」
「そういう事じゃなくて、いい加減教会に戻って来なさいって言っているのよ」
「……その事か」
途端に、声が低くなるのを自分でも感じる。
「あの事はシスターは未だに知らない。証拠は私たちがまだ持っている。あいつらだってもうあんたに手出しなんて出来ない。だから」
「前にも言ったはずだ。俺はもうあそこには戻る気はない」
素っ気なく言う。
「どうして!? あんたこのまま浮浪者みたいな生活続けたって良いことないわよ! 教会にいれば、職の弟子入りだって可能なのよ? それをみすみす……!」
「興味ないよ。それにあそこにはもう俺の居場所なんて無いさ」
「そんな事ない!」
俺の言葉を否定するように大きな声で言うレティシア。
シスターも驚いた顔をでこちらを見ている。
「あんたの居場所くらいちゃんとあるわよ。ルクスやコルアンも貴方の事――」
もう付き合ってられない。
俺は逃げるように走り出す。
「ちょ、エイオス!」
突然走り出した俺の事をシスターは呆然と見つめ、追いかけてこない。
そのまま俺は二人の前から姿を消した。