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旅路 5

『私と共に旅に出る気はないか』


男が子供に向かってそう口にした途端、周囲の空気がザワリと揺れた。

おまけに喉の辺りをジワジワと真綿で絞められるような感覚が襲い、息苦しさのあまりガクリと地面に膝を着くと、子供が慌てたように走り寄りその頭をぎゅっと抱え込んだ。


「だめ―――殺さないで」


なんとも不穏な発言だが、子供が『何』に対して語りかけているのか、男にはなんとなく分かるような気がした。


――――――妖しに魅入られた子供……か。


妖しの側からすれば自分は略奪者というわけだ。

お気に入りの玩具を奪われまいと、手っ取り早く消しにかかったに違いない。

危うく天命を待たずに死ぬところだった。


だが男はそれで諦める気にはならなかった。



「―――お前は人間の子だ…。自分の望みを口にしてごらん」


「―――――…っ…」


「さあ…」


「………………歌…」


散々躊躇ためらった末に子供の唇からぽつりと言葉が紡がれた。


「歌が………聴きたい。もっと…もっと。歌を、

歌ってみたい―――――…」


「―――――その望み、聞き届けた。残る命を以て私がお前の師となろう。……共においで」


先程以上にざわざわと場の空気が揺れる。

最早特別な目や耳を持たずとも、それと感じ取れるほどに妖しの気配が濃くにじんでいた。


「……森に棲まいし方々よ。どうかこの子供をいま一度ひとたび人間ひとの世にお還し願いたい。私が残る命の全てを捧げてこの子を導くと誓おう」


男は見えざる相手に真摯に語りかける。

どうしてもこのまま子供を放り出して終わりにはしたくなかった。

自分とよく似た音色を奏でる魂を持つ子供。


「私の知る全ての歌をお前にのこそう…。私にはお前が必要だ。―――どうか共に来ておくれ」


子供は生まれて初めて聞く言葉に大きく目を見開いて男の顔を見詰めた。


誰も自分にそんな事を言う者はいなかった。

親兄弟でさえ要らぬと自分を棄てた。

自分は居てはならない子供なのだ。


それなのに。

目の前の男は自分が要ると言う。

―――――涙が出るほど嬉しかった。



子供が男の腕の中に飛び込むと、張りつめていた周りの空気がふわりとゆるむ。


泣きじゃくる子供をあやすのに必死であった男は、二人を取り囲む精霊達がクスクスと笑い声を立てて見守っていた事など知るよしもなかった。










明くる朝、小さな森の出口に男と子供の二人連れの姿があった。


子供は男の替えの衣服に袖を通して髪に櫛を当て、簡単に身形みなりを整えただけで、すっきりと見違えるような姿になって男をひどく困惑させた。



「お前は女の子だったのだね…。名前はあるのかい?」


「…………わすれた」


「そうか。なら私の名前をお前にやろう――――私の名は――――…」












二人は約一年の時間を共に過ごした。


男は約束通り子供に自分の知る全ての歌を教え、再び迎えた春の野辺で旅の終わりを迎えようとしていた。



「…………ああ、いい風だ…」


草の上に手足を投げ出して寝転がり、まるでこれからただの午睡でもするかのような暢気のんきさだった。


晴れた空に雲が千切れのんびりと流れて往く様を眺めながら、男は自分の傍らでひっそりと涙を流す子供に言葉をかける。


「……ふふ…私は幸せ者だ。誰かに…看取られて逝けるとは、思ってもみなかった…」


「…お師匠…」


「私の全ては…お前の中に……。連れて行っておくれ。私はお前の歌になり……どこまでも共に流れて往こう…」


この一年二人は父娘のように寄り添って暮らした。


見た目の釣り合いさえ考えなければ、片時もお互いの傍を離れぬ様はむしろ伴侶と呼ぶに相応しかったかもしれない。


「…お前の歌で……葬送おくっておくれ……」





かつての子供は少女むすめとなり、愛する者を葬送るために歌う。


歌詞無き葬送歌うたは風に解け、――――――やがて幾重にも木霊し続けた。








―――――数年後、黒髪に黒瞳の美しい吟遊詩人が巷でそこそこ名を知られるようになるのだが、一見して性別不明な事と、通り名以外誰にも本当の名前を明かさない事から、《謎多き歌人》と呼ばれることになる。


そしてその吟遊詩人の謎のひとつに、いつも決まって最後に歌う―――――歌詞の無い鎮魂歌レクイエムが挙げられている。










おつきあいありがとうございました。


一応、名前も考えてはあったのですが。

敢えて伏せたままでいってみましたー。

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