あーさんのお菓子屋さん
花畑の奥にある明るい森。その森を抜けると、小さな可愛らしい小屋があります。クッキーやグミでできた壁や屋根、ドアは板チョコでできています。……と、言いたいところですが、それらは見せかけのペイントです。メルヘンにあこがれた、この小屋の住人が描いたものです。
ドアノブには「open」の札がかかっています。どうやら、この可愛らしい外見の小屋は、お店のようですね。
「ふぅ~」
小屋の中から、白いワンピースを着た女の子が顔を出しました。夜空のように美しい黒髪を揺らしながら、空を見上げています。
空には、綿菓子のような雲がふわふわと浮いています。今日は気持ちのいい晴天です。
女の子は晴れの日が大好きで、晴れた空に似合う、眩しい笑顔を浮かべました。
「さてさて、お仕事お仕事」
白いワンピースに、桃色のエプロンをつけて、部屋の奥に引っ込んでしまいました。
今日も、朝から大忙しです。
*[黒ネコ]
「あーさんっ」
「はーいっ、いらっしゃい」
店に入ってきたのは、黒ネコでした。黒ネコは耳の先からしっぽの先まで真っ黒で、目がどこにあるのか、ちょっと見ただけではわかりませんから、のっぺらぼうに見えてしまいます。
黒ネコがしっぽをゆらゆらさせると、懐かしい古い本のような香りがします。
「へへへ。クッキーは焼けたかな?」
黒ネコは、目を(たぶん)細めて笑いながら、さきほどあーさんと呼ばれた女の子に話しかけました。肉球のついたかわいい手で、カウンターをどんどんとたたきながら。
「ネコさん。お行儀悪いですよ」
「いいの。はやくーー」
「はいはい」
あーさんは、小さな声でまったく、ネコさんは。とつぶやいて、今朝焼いたばかりのクッキーを黒ネコにあげました。
「いい匂い!このクッキーをたべなきゃあ、一日がはじまんねぇんだ」
そう言って黒ネコは、袋に入っているクッキーをあーさんから受け取り、一気に皿の上に広げました。
あーさんの作るクッキーは、ふつうのクッキーとは少しだけ違います。どこかの国の、まん丸い、カタカナで書く、結構長い名前の、なんとかというクッキーらしいのですが、ふつうのお店で売っているものよりもきれいだし、かわいいし、ふわふわサクサクで、とにかくおいしいのです。黒ネコは、あーさんの作るこのクッキーの、すっかり虜になってしまいました。
カウンターの奥では、あーさんが追加の分のクッキーを焼いています。ほかにもたくさんおいしいお菓子を作ることはできますが、ここにくるお客さんは必ずと言っていいほど、みんなこのクッキーを食べたがるのです。
生地を小さく丸めて、こんがり焼く。そうしたら粉砂糖をかけるの。
あーさんは小さく、かわいらしい声でお菓子の種たちに語りかけながら、焼けたクッキーに粉砂糖をかけていきます。
すると、チョコがほんのり香るクッキーに、雪が積もりました。黒ネコはいつの間にか、クッキーを全部食べ終えて、あーさんがクッキーを作っているところを眺めていました。
あーさんがクッキーを作っている姿は、美しい魔法使いのようです。あーさんが作ることによって、小麦粉や、バターや、卵や、砂糖が、一つになって、おいしくなっていくのですから。
黒ネコは、あーさんの手元で降る雪を眺めながら、うっとりとした表情になりました。
「あーさん。また作ってね」
「いいよ」
黒ネコは、はっと時計を見上げて、とても悲しそうな表情になりました。ケーキ型の、数字の部分が苺になっている時計は、朝の八時を指していました。
「たいへんだぁ、もう八時。バイト、行ってくるね」
黒ネコは粉砂糖の雪を見たせいか、穏やかな顔つきになっていました。まるで、あーさんの不思議な魔法にかかったようです。
「あ、待って、ネコさん。これ、お弁当」
あーさんはお弁当箱を差し出して、笑顔で手を振りました。
「ありがとう……がんばってくるよ!」
ネコはそう言うと、しっぽを何度も振って、一回宙返りをしました。するとびっくり、そこにたっていたのは、大学生くらいの青年でした。
「行ってらっしゃい」
あーさんは驚く様子もなく、手を振り続けました。
そう、あの黒ネコは、化けネコだったのです。人間に化けて、ふつうに人間の世界で働いてるのです。
もしかすると、あなたの周りにいる人の中にも、黒ネコのような、化けネコがいるかもしれませんね。
*[行くんの夢]
黒ネコが帰っても、あーさんは忙しく働きます。
新しいメニューを考えたり、お菓子の教本を読んだり(あーさんはまだプロのパティシエではないのです)、とても忙しそうです。
あーさんが、カウンターの上に教本をどっさりおいて、そのなかでも一番分厚く難しそうな教本を、辞書を片手に一生懸命読んでいますと、ドアが、からんからんと静かに鳴りました。ドアにくくりつけられている、クルミの鈴です。お客様の来店を知らせてくれます。
「いらっしゃいませ」
あーさんは、あわてて教本をまとめて本棚につっこみました。エプロンをきっちり結び直し、ようやくお客様に向き合うと、そこにいたのは常連の、人間の男の子でした(さっきは化けネコでしたから)。
「あら、行くんね」
あーさんがそう言うと、行くんと呼ばれた、小学生くらいの男の子が無言でうなずきました。
「何がいいの?いつも通り、クッキーでいいかな?」
行くんは、無表情の顔を崩さないようにうなずきました。実際、あーさんのクッキーは行くんも大好きで、本当なら笑顔でうなずいてしまうのですが、人間の男の子というのはちょっと恥ずかしがり屋で、かわいい女の子に話しかけられるとどうしても黙ってしまうのです。あーさんは、行くんが恥ずかしがり屋で、わざと無表情でいることを知っています。だから少しの表情の変化で、「今日もクッキーが食べたいんだ」という気持ちを読みとったのです。
「さっきね、黒ネコさんが来たのよ。バイトがあるというのに」
あーさんは、優しい顔で笑いました。行くんはそれを見て、ほっぺをほんのり赤く染めましたが、時計を見る振りをして、視線を逸らしました。恥ずかしがり屋も、大変なものですね。
あーさんは、そんな行くんの様子をじっと見ていました。あーさんにいたずら心がでてきたのです。
お店の中には、優しい沈黙に包まれました。
「……クッキー」
たまらず行くんが、沈黙を破ります。さっきの黒ネコのように、テーブルをどんどんと叩きそうでしたが、お行儀の悪い黒ネコと違って、行くんはぐっとこらえました。
「はいはい。待っててね」
黒ネコが来たときに作ったクッキーは、お弁当といっしょに渡してしまったので、はじめから作り直しです。
「時間かかるかもしれないけどいい?」
行くんは黙ってうなずき、あーさんのいるカウンターキッチンに入って、隣から、クッキーを作るところをみることにしました。
ボールに、薄力粉、アーモンドプードル、上白糖、サラダ油、バニラエッセンスを入れて、手で混ぜます。そしてあーさんがそれを小さく丸めて、オーブンで焼きます。そのあと、粉砂糖をかければ出来上がり。
「行くんは、抹茶平気?」
「うん」
あーさんの手元で降る雪を見ながら、行くんはちゃんと声をだして返事をしました。あーさんは作業中は目を上げることはできないから、いつもなら無口な行くんですが、あーさんを気遣って声をだして言ったのです。
抹茶味のクッキーには、抹茶の、落ち着いた色の粉砂糖が振りかけられます。行くんは目をきらきらさせて、それを眺めていました。
「……あーさん」
「なあに?はい、できた」
クッキーは、かわいらしいお皿に載せられて、行くんの目の前に出されました。行くんは今日、どうしてもあーさんに言っておきたいことがあったのです。
「……ぼく、あーさんみたいな……パティシエになりたいんだ」
それを聞いたあーさんは、珍しくびっくりした様子でした。動きが止まって、そのまま瞬きもせずに固まってしまいました。行くんはクッキーを一粒ずつ取って、無表情になるのを忘れてしまったのか、うれしそうな顔でぼおばりました。
「……それだけ。じゃあね。おいしかった」
行くんは、あーさんの顔を見ないまま、カウンターにコインを置いて、お店を出て行きました。あーさんは、いつも通りの挨拶ができないまま、そのままいすに座りました。
行くんが、私みたいになりたいって。
しばらく、あーさんはそのことをずっと考えていました。新しいメニューのことも、お菓子の教本のこともすっかり忘れて。
*[あーさんの夢……?]
「ういーっす、ただいま」
そう言ってお店に入ってきたのは、バイトを終えて帰ってきた黒ネコでした。まるで自分の家だというように、カウンターの前にどっかり腰をおろし、弁当箱をカウンターにおきました。
「……」
あーさんはいすに座ったまま、ずっと考えごとをしていました。黒ネコの存在には気づいていない様子でした。
「おーい」
黒ネコは相手にしてもらえないのが納得いかなくて、あーさんに呼びかけました。しかし、あーさんが考えごとをすると、しばらく気づいてくれないということは黒ネコも知っていたので、仕方なく黒ネコは、あーさんが考えごとを終えるまで待つことにしました。積んであった教本を読もうとして散らかしたり(ネコの手は器用には動かないのです)、人間に化けてそれを丁寧に戻したり。
「あっ」
あーさんはやっと、黒ネコ(今は人間の姿ですが)に気づきました。
「スバルさん」
スバルさんというのは、人間のときの黒ネコの名前です。あーさんは、黒ネコが人間に化けているときだけ、スバルさんと呼んでいます。人間に向かって黒ネコさんと呼ぶのはおかしいと思ったのでしょう。
「よく覚えてたな、その名前。好きじゃないんだけどな」
「私は好きですよ、その名前。スバルさん」
「スズキよりはスバルのほうが名前的にはな……って、おもしろくないのはわかっているんだが」
スバルさんは、長い足を組んで、カウンターの前に座り直し、あーさんと向き合いました。
「どうした」
やっぱり、こんなにも長い時間、あーさんが考え込んだことはなかったのでしょう。スバルさんはネコのときと全然違う鋭い目つきで言いました。
「なんか、あったか」
「…うん……」
あーさんは、少しの間だけ、言おうか迷いましたが、スバルさんにはなぜか嘘はつけないと言う気がして、結局言うことにしました。
「今日、行くんが来てね、私みたいなパティシエになりたいんだって言ったの。本当なら、それはうれしいことなんだけど。私は、この仕事をやりたくてやっているわけじゃないもの」
「そうか……」
スバルさんもそれから、自分の世界に入り込んでもの思いに耽ってしまいました。静かに目を閉じて、足を組み、じっとしています。
この仕事を、やりたくてやっているわけじゃないの。
やりたいことがなかったから、仕方なく、この仕事をしているだけで。
これは、あーさんの本心です。
憧れているあーさんにそんなことを聞いたら、行くんはがっかりしてしまうでしょう。もしかすると、夢をあきらめてしまうかもしれません。だけど、スバルさんはこう言ったのです。
「行に、そう言えばいいさ」
*[黒ネコと]
「来るかしら、行くん」
次の日の朝。この日は、雲一つない、快晴でした。しかし、あーさんの心の中は曇り空です。行くんに、本当のことを話さなくてはなりません。行くんの夢を壊してしまうようなことを。
からんからん……。
「あっ、いらっしゃいませ」
朝、いつも来るのは黒ネコでした。今日は黒ネコの姿でもちゃんとあーさんは気づいてくれました。
「あーさん、今日は外に行こう」
黒ネコは、ドアを開けたままそう言ってあーさんに手を差し出しました。
「えっ、でも」
お店が、といおうとしましたが、言いませんでした。
「いいから。ほら」
あーさんは、エプロンを脱いで黒ネコのもとに行きました。実際のところ、行くんに本当のことをはなせるかどうか、自信がなかったのです。自信がないうちは、あいたくはなかったのです。
お店のドアノブにかかっている「open」のプレートをひっくり返して「close」にすると、いつの間にかスバルさんに変身していた黒ネコが、あーさんの手を引っ張り、あーさんは手を引かれるままに歩きました。
*[黒ネコの夢]
あーさんは、久しぶりにお菓子屋さんから外に出ました。外の世界は明るく、風が吹いています。
「すごい……」
あーさんが思わずつぶやくと、スバルさんは「はぁ?」という顔をしましたが、いつもの、小屋に閉じこもっているあーさんのことを思いだし、すぐに気持ちが分かったようで、少しだけほほえんだ後、まっすぐ前をみて歩きました。
「俺、図書館で働きたかったんだ。司書の資格はずっと持っていたんだけど、なかなかなれなくて」
そう言うと、突然あーさんの手を取り、心臓のあたりに当てました。
黒ネコの心臓は、全く鼓動していません。
「……え!?」
「俺は今、生きていないよ。俗に言う、妖怪なんだ。化けネコ。だから、ネコの姿でいるのが楽。でもネコだとふつうの人間には半透明とか透明、もしくは見えない。だからこの姿で、「いきる」んだよ」
「どうして?」
「司書になりたかったんだ。死んでから、やっと本屋のバイトに受かったところなんだけど」
あーさんには、その気持ちは分かりませんでした。本当に叶えたい夢を、一度も持ったことがなかったからです。あーさんに分かるのは、スバルさんがかわいそうだということだけ。
「本当になりたいものになれないまま、死んだんだ。人気な職業だからね」
スバルさんは静かに目を伏せました。
目の前には、大きな森が広がっています。中は薄暗く、一度入ったら、迷って出られないでしょう。
スバルさんに手を引かれながら、あーさんは、なにか、大切なことを忘れているような気がしました。
*[行くんの学校]
「ほら、あれが行の学校だよ」
「懐かしい」
小さな、横に長い小学校がありました。坂の下には、大きなグランドがあります。あーさんも、小さなころはこの小学校に通っていました。
校門の前からのぞいていたのですが、やがてスバルさんはきらきらした目をあーさんに向けました。
「行を見に行こう」
「えっ、でも、私たちが学校に入ったら不審者になってしまうんじゃない?」
「だいじょうぶ」
するとスバルさんは、あーさんの手を引いて人気のない坂の前に行きました。ここは、もちろんあーさんも覚えています。通学路で使っていた、「三郎坂」と呼ばれる坂です。竹の林があって、昼間でも薄暗いので、高学年になるまでは、一人で坂を下りることはできませんでした。
「さて。ちょっと待っててね」
スバルさんはそう言うと、あーさんの前で宙返りをしました。すると、スバルさんはいつもの黒ネコの姿になりました。
「いつも思うんだけど、それってキツネやタヌキの化け方じゃない?」
「いいのいいの。オレは葉っぱなしでできるんだよ。あいつらより優秀さ」
スバルさんは笑って、あーさんの手を取りました。
ちゅっ。
「?」
「はい。これで、しばらくはあーさんも透明だよ。霊感がある人には半透明に見えるけど」
「え?どういう仕組み??」
黒ネコは曖昧に笑って、再びあーさんの手を取り、学校に向かった。
*[スバルさんの思い]
「……これ、思い切り、不審者よねぇ?」
「まぁまぁ。ほら。いたよ」
教室の窓の外から、片っ端から教室をのぞいていき、二人はやっと行の姿を見つけました。
行は教室の一番後ろの窓側の席で、一人で本を読んでいました。机の上には、あーさんが本棚にため込んでいるお菓子の教本と同じようなものが、山のように積んでありました。
「行、パティシエになるって、本気みたいだな。あーさんよりもたくさん持ってるんじゃないか」
「そうね……」
そのとき、行くんがふとこちらを向き、あーさんと目が合いました。
「あっ」
行は目をきらきらさせて、あーさんに手を振ろうとしましたが、隣にいるスバルさんが黒ネコの姿をしているのを見て、すぐ手を引っ込み、ほほえみかけるだけにしました。霊感のある人間は、同じ人間から見れば変な人や嘘つきと思われてしまいます。というよりも行くんは、あーさんたちのことを他の人に気づかれたくないという気持ちの方が上でした。万が一、霊感のある人がたくさんいて、大騒ぎされたら大変です。
「よし、帰ろ帰ろ」
黒ネコとあーさんは行くんに軽く手を振り、小屋に帰ることにしました。
薄暗い森を抜けると、見慣れた花畑が広がっていました。そしてその奥の、明るい森を通り、お菓子の家風の小屋にたどり着きました。
「行は、本当にパティシエになりたいんだろうな」
黒ネコは優しい声で、あーさんに語りかけました。
「なぜって、あーさんはお菓子があるから、いろんな人とつながっていられるんだ。それを、行は知っているんだろう」
あーさんは、黙ったまま黒ネコの話に相づちを打っていました。
「その気持ちは、だれよりも強い。あーさんが、本当のことを伝えたところで、何とも言われないし、傷つきもしないさ。でも、夢をくれたのはあーさんだ。あーさんは自分のやっていることに胸をはっていい」
そのとき、あーさんのまん丸な瞳に暖かい涙が浮かびました。それは、まるで少しだけしょっぱい、きれいな夏のお菓子のようでした。
「あのクッキーは、あーさんにしか作れないよ」
スバルさんの顔で、それを言ったとしたらかっこよかったのですが、なにしろ相手はまん丸の真っ黒いネコですから、あーさんは黒ネコを見た瞬間ぷっと笑って、手の甲で涙を拭いました。
「そうだ、死んでいるのなら、クッキーなんて食べられないんじゃないの?」
「おれはあーさんのクッキーしか食べられない体になったんだ。あーさんのせいだ」
そう言って、黒ネコが笑うと、あーさんも笑いました。
そして、黒ネコは一言分の息を吸うと、ちょっとだけうつむいて、小さな声で言いました。
「あーさんが、すきだからな」
「えっ」
スバルさんが、あーさんの方を向き、とても悲しそうな顔をしました。それを見たあーさんは、記憶の隅に埋もれていた、一人の男の子のことを思い出しました。
……スバル。そうだ、スバルって。
「黒瀬昴……」
「あっ、思い出した?」
黒猫は、真っ黒で間抜けな顔をあーさんに向けました。真っ黒で表情は正確にはわかりませんが、声が、いたずらっぽく笑っているように聞こえました。
小学生の頃、卒業する直前に、席の近い四人組で班を作り、その班で、タイムカプセルを作ったのです。メンバーの一人に、黒瀬昴というおとなしい男の子がいたことを、十何年もたった今、やっと思い出しました。
_このタイムカプセルを開けるとき、俺、あーさんに言うことがある。
小学校を卒業したあと、あーさんと黒瀬昴は同じ中学校に進んだのですが、同じクラスになることはなく、話すことはありませんでした。そして、いつのまにか記憶の奥の方に行ってしまって。
……スバルさんが伝えたかったこと。
死んでしまっても、あーさんのクッキーを食べたいと思う理由。ただあーさんの作るクッキーを食べたかっただけではありませんでした。
あーさんがすき。
_あーさんはお菓子があるから、いろんな人とつながっていられるんだ。
……私の夢は……。
*[あーさんの夢]
あーさんはお菓子屋さんに帰って、たくさんクッキーを焼きました。学校が終わってから来る行くんのために。
「俺、チョコ味がいいな」
「もちろんつくるよ。待っててね!」
今日は、白砂糖のプレーン、ココア、抹茶、コーヒー、イチゴの五種類のクッキーを作ります。
教本を片手に、新作や、今までしばらく作っていなかったお菓子を作っていきます。アップルパイ、シフォンケーキ、プリン……。
その様子を、黒ネコがカウンターのいすに座りながら見ていました。見守る、という表現がぴったりでしょうか。
「おっ、あーさんが本気モードだ」
黒ネコはにこにこしながら、甘い香りで満たされる店の中で楽しそうにカウンターをだんだんと叩きました。
しかし、今回はあーさんは黒ネコを注意しませんでした。あーさんは真剣な眼差しで、お菓子づくりに集中しています。
その様子は、職人でした。お菓子づくりのプロでした。黒ネコは、あーさんを眺めながら、独り言をぼそぼそと言っていました。
「あーさんの優しさ、力、温度。ただ一人、お菓子づくりに向いている人だ。あーさんがこのキッチンに立たないで、誰が立つんだよ。ほかの誰が、あーさんのクッキーを作れるんだ。あーさんが作るから、ほかの何でもない、あーさんのクッキーなんだろ」
「これは、スノーボールクッキーって、いうのよ」
「いや。あーさんのクッキーだ」
あーさんはふふ、と笑って、クッキーの種を丸めました。クッキーの種は、あーさんの手の中で楽しそうに転がって、きれいな丸い形になっていきます。
オーブンに入れ、ダイヤルを回すと、冷蔵庫を開けて違うお菓子の準備です。
からんからん……。
「いらっしゃーい」
行くんがお店に入ってきました。黒ネコがいすに座りながら迎えました。
「……いい匂い」
行くんは黒ネコの隣の席に座り、あーさんの様子を見ていました。
「……どうしたの」
「あーさんがな、本気を見せてやらあって」
「そんな風には言ってません」
三人は、それぞれの方向を見ながら笑いました。あーさんはアップルパイの生地、黒ネコは行くん、行くんはあーさんを見ながら。
行くんは、あーさんがアップルパイの生地を丁寧に重ねていく様子を、目を輝かせながら見ていました。あーさんがお菓子づくりをしている姿は、行くんのあこがれの人の、あこがれの姿です。
「行くんと黒ネコさんが教えてくれたの。私の一番やりたいこと、なりたいもの……。私の夢」
たくさん並ぶお菓子の香りに誘われて、森の動物たちがたくさんやってきました。近所の小学生も、ウサギやネコを追いかけて、ここにきたようです。中には、行くんのクラスメイトもいました。
「わぁ、こんなお店が、こんなところにあったんだな……」
「行、なんで教えてくれなかったんだよ」
「……僕の秘密の場所なんだ」
「なんだそれ。ずるいぞ!!」
行くんは、クラスメイト話をしているうちに、行くんは徐々に無口ではなくなっていきました。友達も、今日一日だけでいっぱいできました。
「今日は、あーさんと行の夢発見祝いだ!!」
いつの間にかスバルさんに変身していた黒ネコが、店の中からテーブルを外に出しながら楽しそうにそう言いました。
たくさんのお菓子をテーブルに並べ、お菓子パーティが始まりました。
いろんな人とお話しながら、いつもの三人はずっと笑っていました。スバルさんは相変わらず、クッキーばかりに手を出します。
突然始まった、あーさんによるお菓子パーティは、大成功でした。
「かっこいい……」
行くんも、大満足です。
*[あーさんのお菓子屋さん]
花畑の奥にある明るい森。その森を抜けると、小さな可愛らしい小屋があります。クッキーやグミでできた壁や屋根、ドアは板チョコでできています。……と、言いたいところですが、それらは見せかけのペイントです。メルヘンにあこがれた、この小屋の住人が描いたものです。
これは、前とは変わりませんが、外見に、ちょっとだけ変化が現れていました。
それは、「あーさんのお菓子屋さん」という看板が立っていること。
今日も、ふわふわでおいしそうな雲が点々と浮かぶ、晴天。
朝から、お菓子屋さんは大忙しです。
「新メニュー!あーさんのクッキーのせパフェ!!」
看板には、かわいらしい字で、そう書いてありました。
お店の中から、白いワンピースに桃色のエプロンがよく似合う、美しい店主が顔を出しました。
ドアにかかっている「close」の札をひっくり返し、「open」の表示になりました。
「あーさんっ」
「あっ、スバルさんっ」
黒ネコを見ても、スバルさんと呼ぶようになりました。スバルさんは、ネコの姿をしていてもスバルさんなのです。
「いらっしゃい。入って」
「いらっしゃいました。入ります」
真っ黒で小さなお客さんを店の中に誘導して、あーさんはカウンターキッチンでクッキーを焼く準備を始めました。
今では、あーさんは立派なパティシエです。ずらりと並べられた教本の隣には、トロフィーがいくつも飾ってあります。
からんからん……。
「こんにちは、あーさ……じゃない黒瀬先生!!」
行くんは高校生になり、本気でパティシエを目指しています。背中を押してくれたのは、あのときの、お菓子パーティでした。
「黒瀬先生はスバルさんでしょ!!」
行くんがあーさんをからかって、お店の中は優しい笑いに包まれました。行くんの頭の上には、手作りのコック帽。パティシエ見習いです。
「おなかすいたんだよー行でもいいから早く作ってくれ」
「僕でもいいってどういうことですか」
そう言いながらも、行くんはあーさんの隣に来て、クッキーづくりの手伝いをしました。
あーさんのクッキーはもちろん最高ですが、行のクッキーもなかなかです。
あーさんの手元で、きれいな粉雪が降ります。それを見ながら、行も粉雪とまではいきませんが、雪を降らせていました。行はきっと、将来は立派なパティシエになれることでしょう。
二人で、作ったクッキーをお皿にきれいに並べて、声をそろえて言いました。
「「いつものクッキーね。はい、どうぞ!」」
End.
読んでくださり、ありがとうございました。
誤字脱字、表現の不自然な点がございましたら、感想の欄で教えてください。
もちろん、物語の感想もお待ちしています(>_<)