2:研究者の孤独
2.研究者の孤独
頂に雪を覆った山麓が次々と天を衝き、上空の大海原は突き抜けて澄み渡っていて、そこには波ひとつ見出せない。山肌はなだらかな緑色の絨毯を敷き詰め、ぽつねんと立ち尽くす小屋に寄り添う二本ばかりの細い木も、山々に見習って目一杯に腕を広げ、青々としたたくさんの掌で太陽の恵みを待ち構えている。
斜面を下った街に近しい草原は金鳳花の明るさに満ち、細やかに揺れる姿と相俟って雪解けの早春にもほのかな暖かさを包んでいた。ほとんどそれらに埋もれてしまった慎ましい山道に導かれる形で──山を越えてやってくる寒風を遮って守るかのように──木々が街を囲んでいる。草原から一望すると、街の底に落ちた湖は、箱の中で光を湛えた宝石のように輝きを見せつけるのであった。
土の山道にひとつ、膝の高さにリンドウが佇んでいる。
雪に傘が掛かるようにしてうっすらと雲が浮かんだ。それは小さな風が山を超えた証。釣り鐘の青を揺らして、リンドウが風に応えたところで、その根元に薄汚れて折れ曲がった皮のハット帽が転がり込んだ。
街へ下るその人影は、旅行く風へ挨拶代わりに身を縮込ませた。ハットが無ければ…… 彼の禿頭には春先もいまだ厳しい。茶色いコートに茶色いベスト、茶色いパンツに茶色いブーツを着込んで、その老人は街を目指していた。金鳳花達が揺れ動き、彼の顎下に蓄えられた綿のような髭がつられて震える。雲の傘は消えていた。風の旅人は気まぐれな一人旅と見えて、老人は焦ることなく自らのハットの元へと辿りついた。
「雪風に 釣り鐘青く 春早し…… といったところかな」
落ちた帽子のそばに立つリンドウを目にした老クロムは、その傍にしゃがみ込んだ。季節柄、珍しい植物ではないが、黄色く染め上げられた山肌の中では、鮮やかな青の釣り鐘も目立つことは適わない。手を伸ばしたが、思い悩んで立ち上がり、ハットをかぶりなおして彼はまた街への道を往くのであった。
命拾いの孤独なリンドウは、寂しそうに釣り鐘を揺らしていた。
講義棟の廊下に入るや否や、彼を呼ぶ乱暴な声が聞こえてきた。
「クロム教授…… クロム教授! 今日の講義は午後からですかな?」
誰が近くに居る訳でもなしに、老クロムは呆れた顔で肩をすくめ、そしてその原因である人物の方へ振り返った。しかし呆れ顔はどこへやら、リンドウを摘むべきか悩んだ老人の顔など見る影も無い、威厳の仮面を貼り付けた貫禄の表情がいつのまにか用意されていた。大声の人物は、果てしない廊下の奥の方から大股で近づいてきた。
「やあ、クロム教授! ……今日も決まっていますな。 それは良いとして、拝見しましたよ! 貴方の“教科書”の序文…… いやはや、感動致しました。流石は長年の教鞭が物語る含蓄! これを感じずにはいられませんでした。 しかし何ですかな…… すこし文学的過ぎるきらいがあるのでは? いえ、意見しようと言うのではありませんがね? まだ草案の段階でしょうから、数少ない感想のひとつとして、まずお伝えしたくですねえ…… ン、ンン…… 『時間は我々によって作られた』という冒頭なんかは、事実を述べているだけなのに、ちょっとした芸術性まで含まれていると思いますよ。この点は特に素晴らしい! いやしかし“教科書”としては、ちょっとどうかと感じる次第でありましてね?」
老クロムに張り付いた威厳の鉄仮面はおいそれと動じるものではなかったが、この男…… 新進気鋭の機械物理学者ルクルトには鼻持ちならないものがあった。一言で表せば気障である。確かに大柄な身体に似合う鍛えられた姿と、着崩しつつも清潔に纏ったスーツ、短く刈り揃えられた髪形は、常に自信だけで上向きに張った胸板と同居してうるさいくらいに輝いてすら感じられる。常に大股で歩行していて、その大声は距離の遠慮とやらを知らない。今でもまさに目の前で、最初に老クロムを呼びつけた時と同じ様な馬鹿でかい声量を存分に発揮して彼の耳を痛めつけている。朝から晩までこんな調子で、ほとんど体力の塊とでも言って良いような人物であり、その部分は元来として得難い能力であるから好評でも問題はないものの、老クロムにはそれでも許せぬ相手であった。丈夫の怒号は続く。
「九月の新学期に向けた新入生用の“教科書”でしょう? ……そうと伺った訳じゃありませんが。 なぜここに来て新たに書き起こしたんです? いや、もしかして改訂でしたか? 長年に亘って時間の講義をなさっている貴方ならよくご存知でしょうが、わが国における時間の概念や制度など長い間変わった様子すら見えやしませんよ。 いえね、これはこの分野におけるわが国の成熟度の高さを物語るものでして、もはや完成の域に達していると言っても差し支えないとさえ思う訳です。 ねえ! ……ですから、貴方ほどの人物が強いて書き下ろすというのは、これまたどうしたことかと気になってしまいましてね」
いちいち大仰な身振り手振りの風圧で髭が揺れるほどに、あっちこっちと忙しなく動かす両腕には一切の疲労がないと見えて、老クロムは途中からまともに話を聞いていなかったが、やはりその鉄仮面は揺らがなかった。代わりに、偉大なる教授の自負心はそれでも上手に逆撫でされていた様子であった。
「ルクルト教授…… 君は何を心配しているのか知らないが、私がいちいち出す必要の無い“学術書”で当座の生活費を稼ごうとしているとでも言いたいようだね。事実、私にも生活があるからそうした面を否定はせんよ。しかし、それにしてもいつから君の中での学問は単なる事実の羅列事業になったのだね? ええ? 我々の目的の第一は己の研究事業の成就にあるだろうが、我々に課せられた重大な仕事には教育というものが居座っていることを忘れたのか。 君は単なる伝書鳩なのかね? ただあるがままを書き連ねることが君の言う“教科書”の役割なら、そんなものは年中タイプの速度自慢をしあってるような新聞記者の奴らに任せておけばいいじゃないか。 それが嫌だと言うのならば君も気の利いた言い回しのひとつでも披露してみせたら良いだろうよ」
思わぬ破竹の反撃にルクルトは一瞬、しまったと顔を歪めた。慌てて打ち消そうにも取り付くしまがなく、ただただ豪腕が空を切ってしまう。微動だにしない鉄仮面は赤く加熱され、打てば火花の大火傷は必須である。
「時間と時計の分野においてわが国は確かに誇るべき一点の哲学を手に入れ、それを貫く文化を決定的に許されている。とはいえ、長年のそれをして学問の完成と嘯くなど、少々慢心が過ぎるんじゃないのかね? 君はどうやら流行りの彫金に肖って、これからはいかに煌びやかな時計を製作するかという所に、己の機械技術を絡ませることにご執心だそうじゃないか。 私に言わせればあんなものは国を挙げての大慢心の所作にしか見えんよ。 君のような向上心を失った者達が跋扈するわが国であるのならば、誇るべきこの分野も思わぬ相手に出し抜かれてしまうだろうよ」
踵を返す鉄火に向かって、ルクルトは呆然とその巨躯を留めていることしかできない。
かと思えば、最前線で闘争心を鼓舞されている兵卒達へ指令を下す将軍のようにして腕を振りかざしながら老いた教授は改めて向き直り言い放った。
「それにな…… あの原稿の冒頭は『時の間を定めたのは私達人間の所作である』だ! 君の助言は“有難く”受け止めておいてやる!」
僅かな反発心を覚えつつ、流石の丈夫ルクルトも己の失態に今は為す術もなし、と立ち尽くすほかはなかった。
かのマリー・アントワネットへ稀代の天才時計師がひとつの奇跡を贈った。依頼主も、贈り主も、その完成品を目にすることはなく、弟子達の功績によってその悲劇の願いが叶えられてからおよそ半世紀。人が時刻を知る上では、微小な金属の部品が定められた流れを辿るように構成されてさえいれば、それで事足りることが判明していた。一人の天才によって、それはひとつの究極を見た。物が力を与えられ、その力に反応して微動する。その動きに別の物が繋がるのならば、また別の反応が発生する。同じ物に同じ力が加わるのならば、その反応もまた同じであるはずなのだ。だからこそ“時計”が実現し得るのだ。であるならば、その世界の大きさがどうであれ、条件を満たせることに違いはないはずであった。
宇宙に漂う惑星の運行が見えているのなら、与える力と得られる反応を、彼等に合わせてしまえばそれでよい。こうして人類は、小さなメダルの中で踊る紳士と淑女の針を眺めることで、宇宙の動きを得ようとするでもなく、知りうる力を手に入れたのである。
人間の生活において不必要な程に細分化された“宇宙の動き”は、庶民にとってこれ以上の細やかさを必要としなかった。それ故に“宇宙の動き”は既知のものであるとされ、技術革新は終わりを迎えたかのようにして社会に受け入れられていた。
時間の学問は完結し、いまやより良い素材と装飾の追及こそが社交界での価値であると言わんばかりの有様であった。事実として、かの天才時計師による構造は今となってもその核に君臨し続けていて、時計師達は技術に関して言えば、その自己実現を最終目標点と定めており、あくまでも彼等の独創性は純粋な機械技術ではなく、表層の化粧的芸術へとその比重を移していくこととなったのである。
すし詰めになった新入生達を目前にして、老クロムの仕事は例年と変化が無かった。緊張感を心地よいものとして処する程度には大人びた若い学生達の座る机の上には、目出度くも『時の間を……』で冒頭を飾る目新しい“学術書”が並べられていた。惑星化学の類を志す彼等にとって──老クロムにとっては悲劇的であったが──単位という通過儀礼と、無限大に広がる大学生活への夢見がちな律し方は並存していて、それ故に講義室が毎年埋め尽くされるのは恒例のこととなっていた。つまり、彼の講義はほとんどの学生達にとって義務のようなものでしかなかったのだ。
彼が新たに書を起こしたのは、有り体に言えば現状への反発心でしかなかった。学生達は時間の概念について古臭さを感じており、目下自国のシンボルとさえ言える“時計技術”とそれに付随する芸術性に熱を上げていて、今更改めて彼のような研究をしてみようという者など見られようはずもなかった。彼の研究とその功績は存分に認められ、称えられているものの、既に過去の人でしかなかったのだ。それに、彼自身も自らの職を繋げる為に、見向きもされないような金属素材の実験結果をとぼとぼと提出したりして、当座の立場を踏み締めているに過ぎなかった。
それでも彼には求めたいものがあった。細分化された時間──宇宙の動き──は、それが本当に十分なものなのであろうか。自国が世界に先駆けて手にした我等の知識と技術は、見栄と虚飾をひけらかすためのものと成り果ててしまうのか。求道心は焦りに変わりつつあった。だからこそ、彼は新たな書の冒頭において、今刻み込まれるこの“瞬間”が、我等にとっては未だ作り物である、と綴ったのであった。若い彼等にこそ、この求道心を発露させたかったのだ。