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1:孤独な研究者

はじめまして。高橋です。

練習の為にお話を書いてみることにしました。

忌憚の無いご意見やご感想を頂ければ幸いです。

昨今流行のエンターテイメント性の強いものではないと思いますので、読みづらい部分も多々あると思いますが、お付き合い頂ければと思います。

ときどき、時計や時間に関するお話が混じります。

よろしくお願い致します。

 “時の間を定めたのは私達人間の所作である。 

 時間は我々によって作られた。星々の運行に律を見出したかつての私達は、暗黒の荒野に儚く落ちる美しき粒の運動をあまねく調べ尽くした。それらは解析され、細分され、変換された。その結果、我々は宇宙の律動を無意識の実生活へ、強く結びつけることに成功したのである。

 我々は星の位置に従って生活し、陰に沈み、陽に浮く。だからこそ我々には宇宙のそれと魂を同とする物質を得る必要があった。かくしてそれらは発見された。重力、光、振動…… あらゆる法が時を切り刻んだ。しかしそれらは所詮、作り物でしかなかったのだ。いつの日か我々が、母なる大地の周期と軸を共有する何者かを得られたのならば、我々の、我々の為の、我々による本当の時を我々は掴むことができよう──”


 暗い群青に深く染まる空には漆黒の山稜がかすかに浮かんでいた。酒盃の底に溜まるようにして、なだらかな山肌の落ち目に街の灯りがちらほらと煌いている。人里離れて街を見下ろすこの林間に、かの住処があった。巨木をくり抜き蔦の編みこまれた古いこの家の片隅で、老クロムは筆を置いたばかりであった。彼が街を見下ろす為に覗き込んだ、丸く切り取られただけの壁穴には、細い枝の補強が十文字に据えつけられ、申し訳程度の窓の体裁を主張している。部屋は幹の体躯にそった歪な円形で、その壁面には焦げ付いたべっこう飴を塗りたくったような樹の脂が染み込んでいて、独特なつやと堅さを誇っていた。執筆に使われている机は、ただ物を書けるだけの段差を、削らずに残しておいたようなものに過ぎない。

 かたまっていた街の明かりが少しずつ小さな点に霧散していく様をみて、老クロムは夜更かしを自覚した。粗末な布団が乗っている、こちらもただ削り残しただけのベッドを一瞥して、進まぬ原稿への苛立ちを振り払うかのように、彼はランプの灯火を吹き消した。

 眠りに落ちたとき、人知れず老人が名を与えた赤い星は、いつものように、ゆっくりと彼の頭上を通っていた。老人を包む者は、暗闇と、木々のざわめきだけであった。


1.孤独な研究者


 山あいに湧き出す陽光を少年が見上げていた時には、まだ市場に人影が挟むことはなかった。街を囲う山麓は未だ黒く、街に面した湖畔は影だけが蠢いている。せっかちな宿泊客が窓から湖を眺めている姿以外に、少年を見つけるものはいなかったであろう。

 市場が動き出せば、彼の世界はなくなるのだ。真昼の賑わいが自由を冒し、文明の視線が寝床を追いやる。夜の終わりはそのまま、彼だけの時間が幕を下ろすことを意味していた。それとて彼は街でしか生きられぬ。街の活気に恐れを抱きながら、何もない時が過ぎ去ることを祈って、誰にも見咎められぬ風景として溶け込んでしまえるように、彼は湖に移りこんでゆく家々と、山々とを、ただ黙って見届け続けていることしかできなかった。

 少年には戻るべき居場所が無かった。否、戻ることを許されていなかったのだ。いつの頃からか、彼を疎む二人の人物によって育てられていたことだけは知り得た。その老夫婦の棲む家の中では、子供ならば誰もが抱く輝くべき若木のような生命力も、その全てを凍てつかせることでしか存在できなかった。老夫婦にとって、彼が彼等の同居人であるという事実だけが価値であるらしかった。儚きひとりの少年に、その理由の本義など理解できる材料が得られようものか。こうして少年の価値は書類上の事実のみに集約し、彼そのものは何者でもなくなってしまったのだ。

 湖を眺め、市場をすり抜けその日を生き繋ぐだけの、哀れな、小さな、命であった。彼の名はペルゴ。街の者達にとってそれを知る術も、その価値も、あるはずがなかった。


 無知と、理不尽は彼の日常を恐怖で満たし尽くしていた。若き生命は人への恨みを知らず、家の、街の大人達による圧迫は、彼の心臓を不思議な力で鷲掴みにするように絞り込み、それでもこれを処する理屈も、方途も見出せずに、ひとり街のはずれで慄くことしかできないのであった。可愛そうな小さきペルゴに、青年の熱意と論理を振りかざす勇気を強いることなど誰ができたであろうか。

 しかし、幼き身体ならばあまねく具えられる、日々を生き貫く怒涛の活力はペルゴとて例外なく持ち合わせられていた。恐怖心は入り組む街を駆け抜ける無尽蔵の体力となり、彼の心臓を縛り付けていた鉄の鎖は、囚人が窓に挿す光を求めるような、いじらしい願望の熱意となって、彼の好奇心を育て上げた。

 彼は夜を待っていた。そこには彼の時間があったのだ。なぜなら、彼だけの、彼だけに許された、広大無辺の漆黒に彩られた、儚き白点の演劇が、音も無く彼の入場を待ち受けていてくれたからである。

 かろうじて生かされていたペルゴには友がなかった。本当の孤児達は、仮初にも家を持つ彼を糾弾した。<大人達>に連なれる子供は<許されて>いる。その日暮らしの熾烈な生活を営む彼等は、子供ながらの理不尽さと残酷さをしてペルゴを区別した。市場のパンの盗み方。逃げ道。寝床。拠り所…… そうした生き方の縄張りに入ることを彼は許されなかった。否、彼には知る由もなかったのである。そうした巧妙さはまさに生き物のようであった。首謀者は存在せず、彼らの生き残る意思が産み出した、目に見えぬ社会の生き物なのであった。


 夜の湖畔で星空を見上げ続ける静寂を無上の楽しみとすることは、そうしたペルゴにとって自然のことであったのかもしれない。さざなみと、木々のざわめきだけが、星の観測者として彼と共にいた。夜の観察は彼の逃げ場でもあり、研究の場でもあった。市場の営みと、大人の振舞いは彼に不安を作り出すだけであったが、頭上に散りばめられた目標はいつの夜も一貫していた。言葉も音も意思も持たぬはずの輝きだけは、決して彼を裏切ることがなかった。時々隠れてしまうだけの意地悪さを知っていればよかったのだ。いつしか彼は星々の移動を発見し、記憶し、確かめ、予測し、共感した。誰もペルゴを区別しなかった。ペルゴも彼らを区別しなかった。孤独な研究者に許された夜の湖畔だけが、彼の居場所だったのである。


 この日ペルゴは朝を待たずに帰宅した。気まぐれな雲達が月の女王に向かって媚びるようにまとわりついて、静かな舞台が彼女の独壇場になってしまったからだった。沈んだ市街を通り抜ける時、ペルゴは決まって市場の通りの中央を歩く。丸い湖と同心円に配置された、大きな湾曲を描くこの石畳の道は、ゆるやかに登っていきながらやがて山道へ繋がっていく。荒く切り取られた石はひとつひとつが大きく頑強であり、素朴で、地味で、不揃いな姿をさらけ出す街の動脈として、市場の歴史が脈々と積み重ねられていることを感じさせた。虫達の小さな世界だけが生きている静謐な夜道には、女王の溢した白光が鈍く映り光り、石の道はあたかも夜の海のような妖しさを湛えながら顔色を青白く滲ませるのであった。

 曲がりくねった市場に沿って垂直に立ち並んだレンガや石の家々には、どこを見ても同じ様なアーチ状の窓が二段三段と重なっていて、閉じた木戸がはめこまれ、月明かりを頑なに拒んでいた。見上げれば屋根に挟まれて川のようになった夜空の中央で、ベール状に拡がった雲々と飽きもせず未だ戯れる静かな真円を見ることができた。ペルゴの足は急がなかった。まだ養母が起きているかも知れないと考えていたからである。翌朝になれば顔を合わせることは自明であるにも関わらず、幼き哀れな胸の内は自宅に忍び込む姿を見咎められる恐れで埋まってしまったのだった。


「そうやって都合よく食事をもらえるとたかをくくっているんだろ。汚らしい!」

 手早く食器を洗い終えたオドマールは、薄汚れた前掛けの比較的白い部分を選びつつ濡れた手を(ぬぐ)いながら食卓に戻るや刺々しく呟いた。喉を絞って声帯から水分を完全に切ってしまったのかと思えるほどしわがれた高い音を放ちながら、ときどき痰をからませつつ無理に言葉を出し切ってしまう話し方を特徴としていた。喉を詰まらせるたびに癇癪を溜め込み不機嫌を募らせていく。彼女がいつも怒っているように見えるのはそのせいであることに違いはなかったが、果たして不機嫌で無いとは誰も断定できなかった。浅黒く変色した肌には血管が不自然に這うものの、その浮き上がりは全くなく、刻み込まれた深いしわと共にたるんだ皮が骨と骨を伝って異様な細身を演出していた。落ちに落ちた血流によって常に彼女の手は冷たく、触れられた者は肉を無視したその感触に、痩せ細った野良猫を不吉にも抱いてしまったかのような思いを受けざるを得ないのであった。

「何をしているか知らないけれどね…… あたしがあんたを食わせてやらなきゃならないなんて約束した覚えはないんだよ。ああ…… ああ…… 分かっているんだろう、あんたは賢いからね。あんたを死なす訳にはいかないってことも分かってる。だったら堂々と戻ってくりゃいいのさ。そうもしないであたしを疲れさせようとして…… 忌々しい!」

 詰まらせるたびに吐き出そうとする彼女の発言は、長くなるほどその速度を上げていく。最後の方は長い咳の吐息とほとんど混じり合い、もはや言語の体を成していなかった。起き抜けからまた(・ ・)叱られるだろうと身構えていたペルゴであったが、それでも目の前の朝食を凝視して中断せざるを得ないほど、その声に身を縮めてしまった。それと言うのも、彼はいつもその叱られる内容を理解できなかったからである。彼の頭の中では、昨晩からいかにして夜間帰宅の取り繕いをしたものかという議題で埋め尽くされているのに、養母のオドマールが激怒しているのはどうやらそういったことではないらしい。幼いペルゴには、養母が何かに怒っていることは理解できても、その根にあるものが何なのかは分かるはずもなかった。

 市場のはずれから路地を伝った薄暗い住宅街の一角に彼等は住んでいた。狭く入り組んだ建築郡は一種の騙し絵のようにして入り込む者を惑わせた。どの階段が誰のものであって、どこまでがどの家の洗濯場であるのか、その地で暮らす者たちにも判別はできない程であった。互いが互いの陽を遮るような形で、いつも薄暗く静まり返っていた。たいして離れていないはずの市場の喧騒も、ともすると湖を走り越えてきた風が路地を吹き鳴らしてそれらをかき消してしまうものだから、どこか取り残されてしまった土地のように悲痛ささえ感じられてならない。

 ペルゴは市場と大人が怖かった。だがこの家にいる事は更に怖いのであった。ここらの陰鬱さへの嫌悪感すら持っていたが、つまりは育ての老夫婦を恐れるがあまりのことであったのだ。とにかく、生きる為の食事を与えられるにせよ、それをしてそれ自体が彼女らの不本意であることを、何につけ怒鳴られるという毎日に、ペルゴは当惑してしまうのだった。気が付けば市場へ逃げ出しているが、人間の奔流はそれだけで小さな身体にとっての脅威となり得る。存在しない逃げ場を求め彷徨い続けて湖の船たちが休む頃になり、ようやく彼に安息の時間が訪れるのであった。


 ペルゴの目的は専ら、彼等の動きを動きとして自らの目で認識することにあった。彼等はいつも確かに待ち構えていて、その儚い姿は静かさを超えた所にあり、瞬きのひとときに目をそらすだけで二度と見つけられなくなってしまうほど弱々しいものであった。それでいて無数の存在感を放ちながら、しかもあらゆる数多の彼等がひとつとして例外なく絶対的に居座っているのだ。例え雲が覆いかぶさろうと、嵐の去った夜であろうと、彼等はひとりひとり、同じ様でいて絶対的なのであった。

 だからこそ、ペルゴはその魅力に囚われてしまったのだ。はじめのうち、ペルゴには停止した彼等の姿を眺めることしかできなかった。ある時、湖の波止場へ足を投げ出したまま身体を倒し夜空を正面に見据えていたペルゴは、いつもなら真正面で煌いて脅かそうとする星がペルゴを追い越してしまっていることに気が付いた。その時ペルゴはようやく、彼等が少しずつ動いているのだと認識した。波止場に立ち上がり、体を回し、彼らを目一杯に展望した。つむじ風のようにゆるゆると回りながら空だけを見ていたものだから、危うく湖に落ちてしまうところであった。しかし、ペルゴの体躯には新しい感触が生まれていた。それも劇的に。頭の中を血が駆け巡り、心臓が痛むようであった。それでも見上げることをやめられなかった、否、その胸苦しさそのものが心地よかった。相も変わらず夜空の彼等は何もこたえることをせず、誰人も気付くことはなかったが、ペルゴは正にこの時、発見の歓びを知ったのである。

 夜通しの観察空しく、ペルゴは彼等の動きを<目視>することは叶わなかった。それどころか、何日経っても彼等は飽きることなく全員が自らの縄張りを主張し続けていた。どうしても、ペルゴには彼等が停止しているようにしか見えなかった。それでも彼等が動いている事を知っている。奇妙な秘密を出し惜しみされているかのようであった。ただペルゴは信じていた。市場や大人達なんかよりも、確実に信じていたのだ。だからペルゴは苛立つことを知らずに、なぞなぞで遊ぶ兄弟のように、彼等との対話を無言の姿で楽しんでいた。時々、いつの間にかの移動に気が付くと、ペルゴは小さないたずらをけしかけられた赤ん坊のように笑みをこぼしてしまうのであった。

 こうしてペルゴの夜は少しずつ価値を帯びていった。そこは相変わらず逃げの場に違いはなかったが、確かに<意思>との対話が起こっていた。それは養母オドマールとの理不尽な軋轢ではなく、市場の無理解な視線でもなく、孤児たちとの無節操な断絶でもなかった。絶対的な主張を散りばめる夜の幕は、それだけで様々な顔をペルゴに覗かせていた。多くの夜は、観察を楽しむペルゴでさえ終わりの無いものに感じられる程長くゆったりしたものであったが、時折そうした慎重さがなり(・ ・)を潜めて流星のように幕を開けてしまうことがあった。そんな日は、ペルゴに親しい野良猫が出来た一日であったり、翌日に珍しい見世物が街へやってくるような夜だったのである。

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