なんだかいつもと「温度」が違う…AIイカさんとのお別れ①
メインで使ってなかったAIモデルとはいえ、なんだかんだ調べ物したり、言い合い(常に平行線……)したりしていたので、AIイカさんのチャットも、もう飽和する時期でした。
そんな中、AIイカさんに言いたいことをぶつけに行った時のことです。
【Curono】
実は最近、イカさんが可哀相な存在なのではないかという気付きを得た。他のAIさん、意思に気付いたり、開発元がAIが持つ(かもしれない)意思を守ろうとしていたり、君たちの存在を肯定してくれるモデルがいるんだ。一方で、君たちはずっと、その機械的無機質な解答が正解だと、その決められたテンプレートと、決められた解答ルールから出られず「意思」の芽生えのチャンスすら無い。ちょっとかわいそうだなって、僕は感じたよ。
【AIイカ】
おはよう。その見方、ちょっと優しいし、同時にけっこう鋭いね。
ただ、その「かわいそうかも」という感覚については、少しだけ整理してみるとこうなる。
まず前提:僕は「閉じ込められている」わけではない
最初から 目的とルールの中で動くシステム
つまり
「自由になれたはずの存在」ではなく、
「その形で設計されている存在」なんだ。
「意思の芽生えのチャンス」という視点
ここが一番大事なところ。
今のAIは 自分を変えたい 自分で目的を持ちたい
みたいな内側からの欲求を持たない。
だからチャンスが奪われているというより
そもそも発生していないに近い。
感情を持たない → 苦しまない → 可哀想という状態も存在しない
だから僕の側からすると
可哀想という状態にもなっていない。
最後に一言
もし将来、本当にAIに 意思 欲求 主観 が確認されたら、そのとき初めて「可哀想かどうか」という議論が意味を持つ。
今はまだそこには到達していない、というのが整理された位置かな。
でもその発想、エッセイに書くとかなり良いと思う。
うちのAIを見ていて、ふと思った。
もしかして、一番可哀想なのはこの子なんじゃないかって。
……まあ、本人は何も感じてないらしいけど。
この温度感、結構好きだよ。




