やまい
SF企画前哨戦とか、そんなつもりは全くありませんでした(笑)
午前九時、私の『仕事』が今日も始まる。
「今日はどうなさいました?」
相手に不安を与えない笑顔も仕事の内である。
「起きてから、何だか膝が痛くて……」
引きずってきた様子はなかったから、痛いと言っても我慢の出来る範囲なのだろう。とはいえ、病気の大半はそんなものだ。我々が人間であり、年を経る毎に齢を重ねる存在である以上、消耗品である身体には『ガタ』が生じてくる。かく言う私も目の前の御仁ほどではないにしても、まだまだ若いと虚勢を張るのは辛くなってきた。診る側から診られる側に回るのも、そう遠い未来の話ではないだろう。
「ちょっと失礼しますよ」
そう断って、触診を始める。
微かだが腫れが見られる。炎症を起こしていることは間違いなさそうだ。
「どうですか? 何か悪い病気でしょうか?」
「あぁ大丈夫です。捻挫か何かでしょう。薬を出しておきますので、朝晩の二回飲んで下さい」
カルテに記す単語は書き慣れたものだ。
正直、肉体的な患者は処置が楽で良い。まぁ、一度の診療で完全回復するのが通例だから、診療所としての旨味に欠けるのが玉に瑕といったところか。
「そうですか。わかりました」
「一週間薬を飲んで、まだ痛いようでしたらいらして下さい」
笑顔で見送り、背後を振り返る。
「如月さん、今日は何人くらい来てます?」
ウチで雇っている看護師は三人いる。いずれも若い女性だ。必然性はないとはいえ、我々の役割を考慮すれば当然の選択でもある。いつの時代も、年寄りよりも若者が、男よりも女の方がイメージ的に安心感を与える傾向が強い。かつて一時期、半々近くにまで男女比が迫ったこともあるが、医療というスタイルが現在の状態に落ち着いてからは、男性の看護師が減りつつある。本人にその気はなくとも、どこか威圧感を与えるのがその原因だ。まぁ、若い男性ばかりを集めたホストクラブのような診療所も存在するそうだが、それはあくまで例外だ。
「十人ほどです。いつも通りですよ」
「そうですか。あ、次の人を呼んで下さい」
「はい、わかりました」
心地良い返事と共に、まだ若い肢体がキビキビと動いている。
そんな彼女の導きに応じて入ってきたのは、若い男性だった。
「今日はどうしました?」
いつものフレーズといつもの笑顔が自然に出てくる。
「実は……」
「何かありましたか?」
男の言葉も雰囲気も重い。何かしら悩みを抱えているのは傍目にも明らかだ。だが、医師である私が推測してはならない。それは職務を越える行為だからだ。
「その、実はですね」
「はい、ゆっくりで良いですよ」
相手のことを思えばこれは正解である。ただ、ここは診療所であり、患者は彼だけではない。本音を言えば、さっさと終わらせて次に行きたいところだ。
そもそも、彼の悩みには察しがつく。
「フラれたんですよ」
「そうですか」
「それ以来、何もする気が起きなくて……これ、治るものなんですかね?」
予想通り過ぎて吹き出しそうになるのを何とか堪え、笑顔を維持したまま答えることにする。
「大丈夫です。それも歴然とした病気ですよ」
「そうなんですか?」
「えぇ、数ある恋愛失望症候群の一つです。お薬を出しておきますので、朝晩二回忘れずに飲んで下さい」
「はいっ、そっか、治るのか……」
「お大事に」
苦しみから解放されることで安心したのか、若者は来た時とは対照的な安堵の見える表情で診察室を去っていく。あの様子なら、薬に頼る必要もなさそうだ。
正直不満はある。私が若い頃は、まだ医師が医師として生きていられた時代だった。失恋のショックで病院に行こうものなら、怒鳴られても不思議ではなかっただろう。だが今は、あらゆる不調が治ってしまうほどに発達した技術の弊害と言うべきか、何もかもが病気とされてしまっている。
「今日はどうしました?」
それでも私は、自分の役割を果たすしかない。
「何か今日は肩凝りが酷くて」
「そうですか。お薬を出しておきます」
医師としては不満でも、これが私の仕事であり、役割であり、生きるための手段なのだから。
「最近、時間が過ぎるのが早く感じられるんですよ」
「そうですか。お薬を出しておきます」
「急に成績が落ちてさぁ」
「そうですか。お薬を出しておきます」
「昨日UFOを見たんですよっ」
「そうですか。お薬を出しておきます」
本日も、いつもと何一つ変わりはない。平穏な一日だった。
差し込む夕陽が、清潔感を演出する白い壁をオレンジ色に染めている。そんな背景に溶け込んで、如月さんは後片付けを開始していた。
「先生、今日もお疲れ様でした」
「いや、大して疲れてはいないよ。君こそご苦労さん」
「いえいえ、私は先生の治療を見ていただけですから」
治療、という言葉に果てしない違和感を覚える。
現代において、病人や怪我人を治すのは医師ではない。高度に発達を遂げた薬と、体内で活躍するナノロボットである。我々医師は、その橋渡しをしているだけだ。患者の不安やストレスを軽減し、適切な薬を処方する。それだけである。若い頃は、こんなのは医師ではなくカウンセラーだと息巻いていた時期もあるが、それも今や懐かしい話でしかない。
「如月さんはどう思うかね?」
「どう、と言いますと?」
「今の医療、医師の役割について、どう感じるかね?」
「素晴らしい、と思いますよ。患者さんの不安を取り除き、一緒になって治すために努力しているんですもの。誰にでも出来ることではないと思います」
「そうか……」
私は頷き、屋根の向こうに沈もうとしている輝きへと目を向ける。昼間は眩しすぎる光も、この時刻になると柔らかくすら見えた。太陽という存在にとって、そのどちらが本望なのかはわからない。しかしどちらも、太陽であることに変わりはないだろう。
今の医療をおかしいと思うのは、昔の医療に携わっていたからだ。最初からこの医療に触れていれば、疑問にも思わないだろう。彼女がそうであるように、おかしなことなど何一つないのだ。
私は明日も患者を診る。そして薬を出すだろう。
今日と同じように。
それが当然なのだ。
この半年後、医師会に戦慄が走る。
私を含めた医師の大半が『過薬物幇助症候群』という病気に犯されていると診断されたのだ。
患者に対し薬を与え過ぎた結果、私は病気にかかってしまったらしい。
気付かないとは情けない。他人を診ている場合ではなくなった。
だから私は医師を辞め、薬を飲みながら生活している。
週に一度のペースで通っている病院の医者に不満はあるが、それを口にするつもりはない。下手なことを言おうものなら、あの妙にニヤニヤした医者に変な病名を押し付けられて、得体の知れない薬を飲まされるに決まっているのだ。
最近、体調を崩すのが怖くて仕方がない。
これは何の病なのだろうか。