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第8話 夢見る機構


階段を抜けた瞬間、世界が変わった。湿気は消え、空気は乾いており、辺り一面に鉄と油の匂いが立ち込めている。頭上では巨大な歯車がギシギシと音を立てて回転し、床は金属の格子。とにかく、工場のような雰囲気だった。


「……ちょっと待て、文明レベル一気に飛躍してないか?」


王は足元をトントンと踏み鳴らし、音の反響を楽しんでいた。前の階層がぬるぬるクラゲだっただけに、この金属音がなぜか安心感すらある。


「まるで近代の魔術工学都市ですね。騒音レベルは超過してますが」


セリアは既に耳栓代わりに両耳にガーゼを詰めていた。


「お前それどこから出した」

「前の階層でクラゲの体液吸うのに使ってた布を乾かして再利用しました」

「やめろォ! 想像させるな!」


進むごとに歯車は大きさを増し、空間の中心には巨大なスピーカーのような装置が鎮座していた。突然、それが明滅しながら喋り始めた。


「来訪者を確認。この空間は音声制御区域です。発声内容にご注意ください」

「しゃべっただけで注意されるとか、どんだけ繊細なんだよ」


試しに王が「こんにちは」と声をかけると、天井の歯車が逆回転を始め、ナットが雨のように降ってきた。


「挨拶しただけで天罰!?」

「次は『愛してる』とか言ってみましょうか」

「何の罠だそれは!」


すると奥の影から一人の男が現れた。燕尾服にシルクハット、片目には赤く光るレンズ。顔の半分は金属で覆われ、音が鳴るたびに顔がカクカクと微妙に変形している。


「ようこそ、夢見る機構へ。私はこの階層の管理者、ギア伯爵と申します」

「何だその名前、さっきつけたばかりだろう!」

「この階層では、発された言葉が現実を形作ります。望む言葉を言えば、望むものが現れるでしょう。代わりに、不用意な発言も実現されますが」


王は少し考えた後、小声でつぶやいた。


「全自動焼きそば製造機……起動」


ガゴゴゴガンッ!


床が裂け、鉄の腕を持つ焼きそばマシンが出現した。ソースの香りと共に、高速で麺が空中にばら撒かれる。


「本当に出たぁ!? ていうか飛ばすな!」

「想像以上に攻撃的ですね、この焼きそば」

「麺を手裏剣みたいに扱うな! ソースが目に入るぅ!」


ギア伯爵は優雅に紅茶をすすりながら微笑んだ。


「お言葉通りの現象が現実となる、それがこの階層の法則です。貴殿の“夢”の純度が試されるのです」

「俺の夢、焼きそばってことでいいのかよ……」


セリアがふと魔導回路のようなものを展開し、目を細めた。


「主、鍵の反応を確認しました。焼きそばマシンの中心部、内部コンデンサーに埋め込まれてます」

「またコイツの中かよ!?」


焼きそばにまみれながら王は突っ込んでいく。飛んでくる麺を受け流しながら機械に飛び乗り、なんとか中心部から光る球体を引き抜いた。


「……ゲットォ……でもソースまみれ……」

「やりましたね、主。味は保証しませんけど」


ギア伯爵は拍手を送った。


「お見事。鍵の獲得を確認しました。次なる階層への扉を開放します。夢を通じて得た力は、貴殿の中に刻まれるでしょう」

「夢っていうか……胃もたれ確定なんだが」

「今度は焼きそば以外の夢も見ましょうね、主」


扉がゆっくりと開き、次の階層の白い光が流れ込んでくる。焼きそばの香りを背に、王とセリアは階段を降りていった。


次の目的地――《眠れる花園》が、ふたりを待っていた。



階段を下りた先に広がっていたのは、絵本のように美しい花園だった。白、赤、青、ピンク――色とりどりの花々が風に揺れ、まるで時間が止まっているかのような静寂が広がっている。


「……あれ? なんか今までと比べてえらくファンシーじゃね?」


王は辺りを見回して、あまりの牧歌的な雰囲気に逆に警戒を強めた。なにせ前の階層では焼きそばに投げ飛ばされた直後である。ここでいきなり花畑が出てくるのは、どう考えても罠か、胃腸を休める仕様だ。


「主、空気が甘いです。気を抜くとすぐ寝落ちしそうな甘さです」


セリアは半目でふらふらと王に寄りかかってきた。目尻がゆるんで、すでに意識があやしい。


「お前、もう花の香りにやられてんじゃねえか。ちゃんとしろ」

「だってすごく甘いんです……シフォンケーキと蜂蜜を混ぜたような香り……主も嗅ぎます?」

「俺は大丈夫だ、俺の鼻は焼きそばで埋まってるからな」

「それはそれで問題ありです!」


奥へ進むにつれて、花の密度が濃くなっていく。蝶が舞い、草の間からはうさぎのような何かがぴょこぴょこと顔を出す。だがそのうさぎ、よく見ると目が三つあるし耳が歯車でできていた。


「おいおい、メルヘンの皮をかぶったスチームパンクじゃねえか!」

「まさに夢と狂気のハイブリッド……主、警戒を……」


言い終える前に、空からヒラヒラと何かが降ってきた。大きな花びらかと思いきや、降りてきたのはピンクのドレスをまとった、優雅そうな少女だった。だが目元にはしっかりとアイマスクがかかっている。


「我が名はリリ・スリーピア、第六階層の夢見姫。おやすみの国へようこそ」

「いや今の流れでおやすみは怖い! 不穏な意味しかない!」


王は一歩下がって警戒した。リリ・スリーピアは静かに手をかざすと、周囲の花がいっせいに音を立てて咲き誇る。咲く音がすること自体おかしいのだが、もはや突っ込む余裕もない。


「この階層では、眠りが力を左右します。あなたがどれだけ上質な眠りを獲得できるか……それが鍵となるのです」

「眠らせる気満々じゃねえか!」

「逆らえば、強制的に“おやすみコース”を差し上げます」


リリがパチンと指を鳴らすと、周囲の花びらが回転しながら空中に舞い上がり、魔法陣のような陣形を描き始めた。


「うおお、これ絶対ふかふか布団に包まれて起きたら二日後パターンのやつだ!」


王はとっさに目を閉じて叫んだ。


「こたつ! みかん! 絶対起きられない冬の誘惑コンボ発動!」

「主、それ敵側の戦法じゃないですか!?」


しかしその声がトリガーになったのか、地面が突然盛り上がり、花びらでできた巨大なこたつが登場した。中には湯気を立てる湯豆腐と、完熟みかんが並べられている。


「完全に誘ってきてる……でも……でもっ……!」

「主! 負けないで! これは試練です!」


セリアが王の肩をバシバシ叩く。王は歯を食いしばって誘惑をはねのけた。


「くそぉぉおお! 寝かせる気満々かよこの階層ォ!」

「その通りです。さあ、眠りましょう」


リリ・スリーピアが腕を広げると、空間がぼやけていく。風の音が子守唄になり、体が沈むような感覚に包まれていく。だが――


「ここで寝たら全てが終わるッ!」


王は地面に膝をつき、全力で頬を自分で平手打ちした。渾身のビンタが響き、眠気が霧散する。


「はぁぁ……はぁ……俺は……まだ寝るわけには……」

「まるで受験生のセリフです……」


一瞬の隙を突いて、王はリリのもとへ突撃した。アイマスクをかぶった彼女はまるで夢遊病者のようにふわふわと舞い、攻撃を受け流す。


「鍵はどこだ!? 花の中か!? お前の枕の中か!? それともこの異様なこたつか!?」

「違います。そのみかんの下です」

「素直すぎて逆に怖い!」


王はこたつの中からみかんをどかし、その下に隠れていた光る球体を引っこ抜いた。


「やった、鍵ゲットォ!」

「しかし、ひとつ言わせてください……主。最終的にこたつ入ってましたよね」

「ぐぬぬ……でも寝てはない……セーフだろ!?」


リリ・スリーピアはぽつりと呟いた。


「惜しかったです……次は、もっと分厚い羽毛布団をご用意します……」


次の階層への扉が開く。だがその背後では、こたつの魔力に引きずられそうになる王の足を、セリアが無言で引っ張っていた。


こうして二人は、さらに深き階層へ――第七階層「反響の迷宮」へと進んでいく。


目がくらむような閃光とともに、二人は第七階層へと踏み込んだ。空気が一変する。先ほどまでの花の香りはすっかり消え、冷たい石の匂いとわずかに湿った空気が支配していた。


「なんか急にダンジョンっぽくなったな」


王がそう呟くと、セリアが周囲を警戒しながら頷いた。


「壁も床もすべて石造りですね。ですが……何かが、おかしい」

「何が?」

「音です。歩いた足音、王の声、私の息遣い、全部……やたら響きすぎているような……」


王は一歩、床を踏みしめた。するとカツン、という乾いた音が、四方八方に反響し、それが何倍にも膨らんで戻ってきた。まるで巨大なホールの中央にでもいるような錯覚を覚える。


「おい、ちょっとこれは……不自然すぎじゃないか」

「まさかこの階層……音そのものが仕掛けなんじゃ……」

「つまり、静かにしてないとまずい系!? 俺に無理ゲーじゃんそれ!」


その瞬間、遠くの壁からカタカタと何かが揺れる音が返ってきた。反響してきた王の声に呼応するかのように、石壁が震え、迷宮の壁が動き始める。


「うわ、ほんとに迷宮が動いた! 音に反応する仕組みだこれ!」

「ということは、音を出すたびに地形が変わる……」

「なんて迷惑な階層だ! 俺の人生、基本的にうるさいのが売りなんだぞ!?」


セリアは頷いた。これは王の致命的弱点を突いた設計である。無言で生きることが精神的修行レベルで苦手な王にとって、これはもはや拷問でしかない。


「しかし主、これは逆に言えば、“正しい音”を出せば、迷宮が道を開いてくれる可能性もあるということです」

「つまり、音ゲー的な要素を含んだ迷宮ってことか……俺、リズム感ゼロなんだけど」

「そこは頑張ってください。最悪、私が演奏しますから」

「いや、武器で敵の頭叩いてリズム刻むのやめろよ。死ぬだろそれ」


会話の反響でまた壁がずれた。石が軋み、壁がねじれ、見えていた通路が突然崩れて消えてしまう。


「まって、今の俺たちのボケツッコミのせいだよな!? 完全に道ふさがったよな!?」

「主、やっぱり静かにしないと……!」

「無理だって! 俺の本能がしゃべれって言ってんだよ!」

「本能に従って迷宮に潰されてどうするんですか!」


王は口を押さえた。そこら中から、反響した自分の声が幾重にも重なって返ってきている。それはもはや人の声を超え、不気味な咆哮のようにさえ聞こえる。


「……おいセリア、今の声、俺の声じゃないの混ざってなかったか?」

「はい、ひとつだけ……低くて、重くて……不快に響く声がありました」


まるで、反響そのものに意志が宿ったような気配がした。壁の奥から、音が歩いてくる。いや、音が「形」を持って現れてきた。


暗がりの中から現れたのは、黒衣をまとった、ぼんやりとした輪郭の存在だった。姿は確かに人型だが、体は半透明で、その表面には様々な“音”が浮かび上がっていた。


「ノイズ……いや、“残響の主”か……!」


セリアが歯を食いしばってそう呟くと、王が震えた声でツッコミを入れる。


「いつ名前決まった!? 誰が命名した!? 俺たちか!? それとも自称か!?」


“残響の主”は口元らしき部分を開き、ゴォオオ……と風のような低音を漏らす。それは単なる音ではなかった。頭の奥に響き、考える力を削ぎ、感情の輪郭をぼかしていく、そんな悪意に満ちた“音”だった。


「これ、やばいぞセリア! 音で脳みそ揺らしてくるタイプのボスだ!」

「王、その表現は色々アウトです! が、的確です!」


“残響の主”が手を上げた瞬間、空気が振動した。辺りの壁がびりびりと共鳴し、一斉に音を放ち始める。それはまるで、迷宮全体がスピーカーと化したかのようだった。


「反響で……攻撃してくる……この階層、音に包囲されてる……!」

「……セリア、これはもう最後の手段だ。あの禁じられた技を使うしかない」

「まさか……王が音楽を奏でるのですか?」

「やむを得ん。封印していたボイスパーカッション、いくぞ……!」


王が両手を広げ、無謀にも口でビートを刻み始めた。


「ブンチクブンチク、パッ! チッ、ブッ、カッ、チッチッチ、ハッ!」


その瞬間、奇跡が起きた。迷宮が反応したのだ。音が空気に共鳴し、地面が震え、足元にあった崩れた通路が再構築されていく。


「すげぇ! 音で迷宮の道が開いた! まさかのビートマジック!」

「主……リズム感ゼロとか言っておきながら、隠し芸あったじゃないですか!」

「実は、高校の文化祭で恥をかいて以来、封印してたんだ……」


“残響の主”が慌てたように動き始める。しかし、その攻撃はもう王の鼓動に届かない。王はさらに加速し、全身でリズムを刻む。


「くらえ! 地獄のミラーボールビート!」


全身を回転させながら王が叫ぶと、通路が開き、巨大な鉄扉が現れた。そこには第七の鍵が、音叉の形をして浮かんでいた。


「やった! 鍵ゲットォォォ!」


“残響の主”は音の渦に飲み込まれ、迷宮の奥へと消えていった。静寂が戻ったとき、セリアは膝をついて王を見上げた。


「主……私、少しだけ尊敬しそうになりました」

「“しそうに”って何だよ! 素直に尊敬しろよ!」

「ですが、やはり文化祭で恥をかくレベルです。二秒で我に返りました」

「ぐぬぬ……!」


こうして、二人は第八階層――「渦の図書館」へと進む。その先に待つのは、知識か、狂気か、あるいはその両方か。


そして王のビートは、次の戦いへの序章となった。


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