第3話 世界の危機より食欲と入浴欲が優先な件
五百年ぶりに目を覚ましたら、そこはジメジメした暗い牢屋――じゃなくて、やたら仰々しい「終焉の塔」の最下層だった。自称「堕天のリリス」と「断罪のヴァルティナ」とかいう背中に羽が生えてたり全身鎧だったりする美少女二人に、「我が主」「王」「創造主」「眠りし災厄」だの、どんだけ盛ってんだよって肩書で崇拝される俺。しかも外の世界からは「魔王」認定されてて、討伐隊が攻めてくるらしい。
…いやいや、俺はただのゲームオタクだよ? コンビニで一番くじ引いたら微妙なフィギュアが当たる程度のオーラしか持ってない自信があるんだが?
そんな俺の、風呂と飯を最優先する脱力系異世界生活は、世界滅亡の危機をよそに幕を開けた!
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「案内しろ。まずは…そうだな…リリス、お前が最初に言ってた『水龍姫アクアリア』とかいう奴に会ってみるか」
俺の言葉に、リリスとヴァルティナは歓喜の表情を見せた。
「「御意! 我らが主!」」
いや、そんな大袈裟な。ただ他の階層のボスに会ってみようってだけなんだけど。もしかしたら、俺の記憶とか、この状況の打開策について何か知ってるかもしれないし。それに、他のボスたちもどんな奴かちょっと興味がある。ハーレム的な意味で。
「では、第六階層から第五階層を経由し、第四、第三、第二、そして第一階層へと順に参りましょう」
リリスが羽をバタつかせながら、元気いっぱいに言った。ヴァルティナも無言で頷いている。
「お、おう。一番上まで行くのか。この塔って、何階建てなんだ?」
「この塔は…かつては無限に続くとも言われておりましたが、今は七つの階層によって構成されております」
「七階建てか。結構あるな」
しかも、階層ごとに雰囲気が全然違うらしい。さっきリリスが言ってた名前からして、第一階層は「水龍姫」だから水に関係してそうだし、第二階層は「焔獣王」だから炎、第三階層は「氷棘」だから氷…って感じか? まんまダンジョンじゃねーか!
ヴァルティナが通路の奥の壁に触れると、石の壁が音も無く左右にスライドし、隠し扉が現れた。そこには、下へと続く螺旋階段が伸びていた。
「ここより上の階層へは、この『主の回廊』を通って移動いたします」
「ほほう」
俺は階段を下り始めた。リリスとヴァルティナが、一歩下がって俺の後についてくる。さっきまであんなに前のめりだったのに、急に遠慮深くなるなよ。
階段は見た目よりも遥かに長く、延々と下へ続いているようだった。石造りの壁には、時折、不気味な模様や文字が刻まれている。
「この塔、なんか不気味な模様とか書いてあるけど、これ何?」
「これは、主が塔を創造なされた際の…『世界の理』を刻み込んだものです」
リリスが真顔で答えた。
「世界の理? すげぇな…ってことは、これ読めば世界の秘密とか分かるのか?」
「いえ、主以外には理解できないかと…」
「だよなー」
分かってた。どうせ俺には分からない難解な設定なんだろう。
しばらく下り続けると、階段は一つの広間に出た。広間の中央には、巨大な魔法陣が描かれている。
「ここが、第五階層への転移陣です」
ヴァルティナが魔法陣を指差した。
「転移陣! やっぱ便利な移動手段あるじゃん! 最初からこれ使えばよかっただろ!」
「申し訳ありません! 主の目覚め直後は、不安定で…」
リリスがまたシュンとなった。まあ、いいか。転移陣があるなら楽だ。
俺が魔法陣の上に乗ると、リリスとヴァルティナも俺の両脇に立った。
「では、転移を開始します」
ヴァルティナが魔法陣に手をかざすと、地面に描かれた紋様がパッと光り出した。眩い光に包まれ、体がフワッと浮き上がるような感覚に襲われる。
…あれ? この浮遊感、どっかで感じたような…
「うわあああ! やっぱ転移って苦手だあああ!」
次の瞬間、俺たちは全く別の場所に立っていた。
第五階層は、最下層とは打って変わって、静かで荘厳な雰囲気だった。天井は高く、そこかしこに剣や鎧が飾られている。なるほど、ヴァルティナの階層だからか。
「ここが、第五階層でございます」
リリスが深々と一礼した。ヴァルティナは、自分の縄張りに入ったせいか、少しだけ威圧感が増したような気がする。
「特に用はないから、さっさと次の階層に行こうぜ」
俺が言うと、ヴァルティナは少しだけ残念そうな顔をした…ように見えた。鎧のせいで表情が読めないのが難点だ。
第五階層を通り抜け、『主の回廊』を進んでいく。今度は上り階段だった。階層が上がるにつれて、塔の雰囲気も少しずつ変わっていくのが分かる。第四階層に近づくにつれて、空気がひんやりとして、湿気が増したような気がした。壁の模様も、どこか不気味で陰鬱なものに変わっている。
「この第四階層は、『幽王ゼフィロス』の領域です。彼は、塔に迷い込んだ魂を統べる者…あまり生者には友好的ではありません」
リリスが小声で説明してくれた。生者には友好的じゃないって、俺も生者なんですけど! 大丈夫かよ、この塔のボスたち!
ヴァルティナは相変わらず無言だが、周囲を警戒するように斧を構え直した。通路の奥から、時折、幽かな呻き声のようなものが聞こえてくる。
…うわ、マジで出るっぽいな、幽霊的なやつ。
「ま、まあ、特に用事ないから、さっさと通り過ぎようぜ!」
俺は早足になった。幽霊とか、ゲームならともかく現実(?)では勘弁願いたい。
第三階層に到着すると、空気がさらに冷たくなった。壁や床には氷の結晶のようなものが張り付いている。足元が滑りそうだ。
「ここは『氷棘のマリア』の階層です。彼女は、全てを凍てつかせる冷気と氷の魔女…」
リリスが震えながら説明した。ヴァルティナも、鎧の上からでも分かるくらい寒そうにしている。
「…寒っ! なんか暖かいものないのか? ホットココアとか!」
「も、申し訳ありません! この階層では、全てが凍り付いてしまいますので…」
やべぇなこの階層! スローライフには全く向いてない! 早く次行こう!
第二階層は、打って変わって熱気が満ちていた。壁は赤く染まり、所々に炎が揺らめいている。空気が乾燥していて、喉が渇く。
「ここは『焔獣王バルグロス』の領域です。彼は、全てを焼き尽くす炎の王…」
リリスが汗を拭きながら説明する。ヴァルティナも、鎧の中でサウナ状態だろう。
「あつっ! なんかもっとこう、涼しい場所ないのか? アイスとか!」
「も、申し訳ありません! この階層では、全てが燃え尽きてしまいますので…」
もうダメだ! この塔、極端すぎるだろ! 快適な階層、一つくらいないのかよ!
ようやく、第一階層への入り口が見えてきた。そこから、水の流れる音が聞こえてくる。
「…ようやく、第一階層です」
リリスがホッとしたように言った。ヴァルティナも、いくらかリラックスした様子だ。
「ここが、『水龍姫アクアリア』の領域…主、ようこそお越しくださいました」
ヴァルティナが、扉の向こうへ一礼した。
俺も扉をくぐり、第一階層へと足を踏み入れた。
そこは、思わず息を呑むような美しい場所だった。
天井は遥か高く、そこから滝のように水が降り注ぎ、広大な地下湖を作り出している。光の差し込み口は見当たらないのに、湖面は淡い光を放ち、幻想的な輝きを放っている。空気は澄んでいて、マイナスイオンが出てそうな清涼感だ。
「おお…! なんかすごいな、ここ!」
今まで通ってきた階層とは全く違う、神秘的で美しい空間だ。これだよこれ! こういう神秘的な場所を期待してたんだよ!
湖畔には、クリスタルで作られたかのような透明な宮殿が建っている。そして、その宮殿の入り口に、一人の少女が立っていた。
青い長い髪は水のように流れ落ち、白い肌は湖面の光を反射して輝いている。半透明のドレスは水の流れを模したかのように揺らめき、背中には、水でできたかのような透き通った翼が生えている。そして、その瞳は、深く澄んだ湖の色をしていた。
まさしく、「水龍姫」という名にふさわしい、圧倒的な美しさだった。
その少女は、俺たちに気づくと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。その足元から、水面に波紋が広がっていく。
そして、俺の目の前まで来ると、深々と頭を垂れた。
「…ようこそお越しくださいました、我が主。五百年の永きにわたり、あなたの目覚めを待ち侘びておりました」
澄んだ、しかしどこか憂いを帯びた声だった。
「私が、第一階層の主、『水龍姫アクアリア』にございます」
彼女の頭上には、例の光の文字列が表示されていた。
『『終焉の塔』第一階層統治者:水龍姫アクアリア』
…うむ、これもゲームっぽい肩書だ。だが、リリスやヴァルティナとはまた違う雰囲気だ。
「…えっと、アクアリアさん?」
俺が呼びかけると、アクアリアは顔を上げた。その視線に、思わずドキッとする。
「風呂はありますか?」
俺の第一声がそれだったせいか、アクアリアは一瞬、ポカンとした顔をした後、フッと小さく微笑んだ。
…あれ? ズッコケない? もしかして、この子だけまともなのか?
「…はい、主。この第一階層は、水の全てを統べる私の領域…あなたの疲れを癒やす、最上の湯がございます」
アクアリアはそう言って、クリスタルの宮殿へと俺を招き入れた。
お、まじか! やったぜ! これでやっと、ゆっくり風呂に入れる!
外では相変わらず討伐隊がドンパチやってて、塔の中のボスたちは全員ネジが数本抜けてて、俺の記憶はないし、自分の正体もよく分からない。
でも、この美しい第一階層で、最高の風呂に入れるらしい!
スローライフ(風呂と飯)への道は、まだ途絶えていない!
こうして、俺の塔巡りは続く。次はどんな奴が出てくるのか? そして、本当に俺は「王」なのか「魔王」なのか? そして、この世界の謎は?
先行き不安しかないけど、まあ、なんとかなるだろう!