第2話 目覚めたら魔王と呼ばれてたけど、とりあえず風呂と飯
「は、腹、ですか? そして、お、お風呂…でございますか?」
盛大にずっこけたリリスが、まだ床に突っ伏したまま顔だけ上げて呟いた。銀の髪が床に広がり、背中の羽がプルプル震えている。ヴァルティナも黒い鎧のまま固まっているが、手にした戦斧がかすかに震えているのが見える。どうやら、相当な衝撃だったらしい。
「おう。腹減ったんだよ。徹夜明けみたいなもんだからな、腹ペコなんだ。あと風呂。できれば熱めのお湯にゆっくり浸かりたい」
俺は両手を腰に当てて、改めて要求を突きつけた。まあ、王様ならこのくらい当然の要求だろう。たぶん。
リリスはゆっくりと体を起こし、ヴァルティナも無言で立ち上がった。二人は顔を見合わせ、そして俺を見た。その目は、「この状況で、お風呂とご飯ですか…?」と語っているようだった。
「…承知いたしました、我が主」
先に口を開いたのはヴァルティナだった。意外にも、彼女の声は低く落ち着いていた。棒読みだと思ったのは気のせいだったらしい。
「最下層にも、主がお休みになられていた寝室に隣接して、湯殿と厨房、そして食堂がございます。すぐにご準備を」
ヴァルティナが奥の暗闇に向かって鋭く指示を飛ばすと、どこからともなく影のような数体の人型が現れ、せわしなく動き始めた。なんだ、従者とかもいるのか、この塔。しかも気配が薄すぎだろ!忍者かよ!
「リリス、主を湯殿へ」
「は、はいっ!」
リリスは羽をパタパタさせながら立ち上がり、俺の手を取ろうとした。が、身長差からか、俺の腹のあたりに手が届いただけで、少しシュンとなる。
「案内はいいけど、手は繋がなくていいぞ。自分で歩ける」
「あ、いえ、申し訳ありません! あまりにもお久しぶりでしたので、つい…」
リリスは顔を赤らめ、慌てて手を引っ込めた。なんか、この二人、思ってたよりずっと真面目というか、ピュアというか…いや、だからって厨二病全開の設定が許されるわけじゃないけど。
ヴァルティナの指示で奥に進むと、想像していた「ジメジメした牢屋」とはまるで違う空間が広がっていた。石造りではあるが、磨かれた床は滑らかで、壁には柔らかな光を放つ魔石が埋め込まれている。天井も高く、圧迫感がない。
「ここが湯殿でございます」
案内された部屋は、ちょっとした温泉旅館の大浴場かと思うような広さだった。湯気で霞んではいるが、広々とした湯船が見える。壁際には洗い場らしきスペースも見えるし、何より清潔そうだ。
「おお…これはなかなか」
「主のため、常にお湯を沸かし続けておりますゆえ」
ヴァルティナが控えめに言った。五百年も!? どんだけ燃料費かかってんだよ! エコとか考えてないのか、この塔は!
「では、どうぞごゆっくり…何か御用がございましたら、お呼びください」
リリスとヴァルティナは一礼し、部屋から出て行った。扉が閉まる音を聞きながら、俺は服を脱ぎ始めた。ゲームの徹夜で凝り固まった肩と腰を、熱いお湯で癒やすぞ!
湯船に足を浸けると、じんわりと体の芯から温まる。あー、極楽極楽。異世界転生とかいうぶっ飛んだ状況も、熱い風呂に入ればどうでもよくなってくるもんだ。
ふと、視界の端にまたあの光の文字列が見えた。
『『終焉の塔』第六階層統治者:堕天のリリス』
『『終焉の塔』第五階層統治者:断罪のヴァルティナ』
その下に、俺の肩書も表示されている。
『『終焉の塔』創造主:封印されし王:眠りし災厄』
…やっぱり盛ってるな、これ。どう見てもただの風呂好きなゲームオタクなのに。
風呂から上がると、湯殿の隣の部屋に案内された。そこは広々とした食堂で、すでにテーブルには美味しそうな料理が並べられていた。
「主、お食事の準備が整いました」
「おお!」
並んでいたのは、見たこともないような豪華な料理だった。肉料理に魚料理、色とりどりの野菜、そして湯気が立つパン。どれもこれもいい匂いだ。しかも、ちゃんと箸と茶碗が置いてある。異世界でも米は食えるのか!? と思ったら、残念、パンだった。でもパンも美味そう!
リリスとヴァルティナはテーブルに着かず、俺の向かい側に立ったままじっとしている。
「お前たちも食わないのか?」
俺が尋ねると、リリスが目をパチクリさせた。
「我らは、主のお食事を見守るのが役目ですので…」
「いや、そんなのいいから座って食えよ。一人で食っても美味くないだろ」
「し、しかし…」
「いいからいいから。はい、席に着いて」
俺がパンをちぎりながら促すと、二人は戸惑いながらも俺の向かい側の席に座った。ヴァルティナは鎧のままだ。ちょっと食べにくそうだな。
「ヴァルティナ、その鎧脱がないのか? 重そうだろ」
「これは、私の体の一部ですので…」
「体の一部!?」
まさかのサイボーグ設定かよ! どんだけ凝ってんだ、この塔の設定は!
「まあいいや。それより、これ美味そうだな!」
俺は目の前の肉料理にフォークを伸ばした。一口食べると、口の中にジューシーな肉汁が広がった。美味い! なんだこの肉!? 今まで食べたことない美味さだ!
「美味しいですか、主?」
リリスが心配そうに尋ねた。
「美味い! すげぇ美味い! これなんの肉?」
「それは、『深層牛』のヒレ肉でございます」
「シンソウギュウ?」
初めて聞く名前だ。やっぱ異世界の生き物か。
食事をしながら、俺はリリスとヴァルティナにいくつか質問してみた。
「あのさ、俺が『王』とか『創造主』とか言われても、正直ピンとこないんだよね。記憶もほとんどないし」
「主は、五百年もの間、深い眠りについておられましたから…当然かと」
リリスが頷いた。
「じゃあ、その『終焉の塔』って何なんだ? 誰が何のために作ったの?」
ヴァルティナが口を開いた。
「この塔は…主が、世界を創造なされた後、その力を封印するために…」
「力を封印?」
「はい…主の持つ『原初の力』はあまりに強大で、この世界そのものを歪めかねないものでした。ゆえに主は、ご自身の意志で、この塔と共に眠りにつかれたのです」
まさかの自作自演封印! しかも世界を創造した後に、その強大すぎる力ゆえに自分で自分を封印したと? スケールがデカすぎて全く実感が湧かない。俺がそんな大それたことできるわけないだろ! コンビニで期間限定ポテチを二袋買ったことしかないんだぞ!(←ここ、主人公の中で重要な基準らしい)
「…で、その封印が今解けたってことか?」
「はい。五百年の時を経て、主の力が再び目覚めの時を迎えたのです」
リリスが真剣な表情で言った。
「だから、外の人類は俺を『魔王』とか『災厄』とか言って恐れてるわけか」
「…彼らにとって、主の力は理解できない恐怖の対象なのです」
ヴァルティナが静かに付け加えた。
つまり、俺は世界を創造したすごい力を持ってるらしいけど、その力を封印するために自分で塔に閉じこもって五百年寝てて、今目覚めたら外の人類に「魔王が目覚めた!ヤベー!」って思われてる、と。
…いや、これ、詰んでないか?
外は俺を殺そうとしてるし、塔の中の奴らは俺を「王」として祭り上げてるけど、肝心の俺は記憶ないし、力の使い方も知らないし、とにかく風呂と飯が優先だし。
食事を終え、一息ついていると、部屋の隅に設置された魔法陣が再び光り出した。今度は、さっきより鮮明な映像が映し出される。
『全軍、最下層ゲートへの突入準備完了! これより『魔王』討伐作戦を開始する!』
鎧を着た指揮官らしき男の顔が大写しになった。すげぇ勇ましい顔してるけど、完全に悪役を見る目だ。
「…いよいよ、攻めてくるようですな」
ヴァルティナが静かに呟いた。手にした戦斧をギュッと握る。
リリスもキュッと拳を握り、戦闘態勢に入ろうとしている。背中の羽が逆立っている。
「主! ここは我らにお任せを! 主には指一本触れさせません!」
「おう、任せた…って、俺、まだ何もしてないんですけど!」
俺はデザートのフルーツに手を伸ばしながら言った。いちいち反応するのも面倒になってきた。
「ええい、主はここで静かにお待ちください! 我らがすぐに蹴散らして差し上げます!」
リリスはそう言うと、ヴァルティナと共に食堂の扉に向かって走り出した。
「ちょ、待てって! せっかく風呂入って飯食って落ち着いたのに、また騒がしくなるのかよ!」
俺が慌てて叫んだが、二人は止まらない。扉を開けて、外の通路に飛び出していった。
扉の向こうから、すぐに金属のぶつかる音や、魔法の炸裂音、そして何かが破壊される轟音が聞こえ始めた。
…うわー、マジで戦争始まったよ。
俺は一人残された食堂で、フルーツをパクリと食べた。甘くて美味しい。
まあ、外でどんだけドンパチやってても、この塔のボスキャラらしい二人が相手なら、しばらくは大丈夫だろう。その間に、俺は今後のことを考えよう。
このまま「魔王」として人類と戦うのか? それとも、記憶を取り戻して「王」として振る舞うのか? あるいは、この塔を利用して、快適な引きこもり生活を送るのか?
…やっぱり、快適な引きこもり生活かな! 美味い飯があって、デカい風呂があって、あとゲームがあれば完璧だ!
そんな呑気なことを考えていると、通路から地響きのような音が聞こえてきた。さっきの戦闘音より遥かに大きい。
なんだ? リリスとヴァルティナ、もう負けたのか? いくらなんでも早すぎだろ!
まさかと思って通路の扉を少し開けて覗いてみると、そこには信じられない光景が広がっていた。
リリスとヴァルティナが、討伐隊の兵士たちを文字通り「蹴散らし」ていた。リリスの魔法は広範囲を一瞬で焼き払い、ヴァルティナの戦斧は兵士を鎧ごと叩き潰している。いや、蹴散らすどころか、文字通り蹂躙している!
しかも、兵士たちの後方から、何やら巨大なゴーレムのようなものが現れて、塔の壁を壊そうとしている。それに対しても、ヴァルティナが戦斧を構えて向かっていく。
…あの二人、マジで強いんだな。ボスキャラ伊達じゃない。
しかし、これじゃあスローライフどころじゃないぞ。外からの侵攻は止まらないし、このままじゃ塔が壊されかねない。
どうする、俺?
視界の端の文字列が、またチラついた。
『『終焉の塔』創造主:封印されし王:眠りし災厄:現在、塔の危機を感知』
『限定スキル:『原初の力』へのアクセス権限:低』
『提案:塔の各階層の主との接触を推奨』
…塔の各階層の主? ああ、さっきリリスが言ってたアクアリアとかバルグロスとかいう奴らか。
もしかして、彼らと会えば、俺の記憶とか、この状況を打開するヒントが得られるのかもしれない。そして、彼らも俺の目覚めを待ってたって言ってたっけ。
よし。
俺はデザート皿を綺麗に平らげると、立ち上がった。
スローライフは当分お預けになりそうだけど、仕方ない。まずはこの状況をどうにかしないと、快適な引きこもり生活すらままならない。
「リリス! ヴァルティナ!」
俺は通路に向かって大声で叫んだ。戦闘の騒音にかき消されそうだったが、二人は俺の声に気づいたらしい。リリスが羽をバタつかせながら、ヴァルティナがゴーレムを両断し終えたところで、こちらを振り返った。
「主!?」
「ここは我らにお任せを!」
「いや、もういい。状況は把握した。お前たちの力は分かったけど、このままだとキリがないだろ」
俺は深呼吸をした。なんか、さっきまでとは違う、少しだけ腹の底に力が湧いてくるような感覚がある。気のせいかもしれないけど。
「他の階層の奴らにも会ってみるか。協力してもらえれば、この状況も打開できるかもしれない」
リリスとヴァルティナが、驚いたように目を見開いた。
「「主…!」」
「案内しろ。まずは…そうだな…リリス、お前が最初に言ってた『水龍姫アクアリア』とかいう奴に会ってみるか」
俺は少しだけ口角を上げた。
どうなるか全くわからないけど、なんとなく面白くなってきた。
風呂と飯は重要だ。だが、それ以上に、この訳の分からない状況の謎を解き明かすのも面白そうだ。
そして、この塔の連中全員を巻き込んで、世界をひっくり返すくらいの、とんでもない「英雄譚(?)」を紡いでやるのも、悪くないかもしれない。
こうして、世界の命運を握る(かもしれない)男の、飯と風呂をこよなく愛する脱力系王様による、迷惑千万な塔巡りが、今、始まるのだった。
先行き不安しかないけど、まあ、なんとかなるだろう! たぶん!