第24話 スープがぬるいだけだったんだが
王都での“干し肉外交戦争”が終結して数日。
各国に安定が戻り始めた今、俺たち――いや、正確には俺単体が、新たな訪問先として選ばれたのが「氷雪の民」と呼ばれる北方国家だった。
「主……今度こそ、発言にはくれぐれもご注意を」
「え、俺なにかしたっけ?」
「主の“ちょっと固い”発言で、三国間の停戦条約が締結されたんです!」
「ほんとごめんってば、干し肉界に波風立てた覚えないのよ俺……」
リリスとヴァルティナに挟まれながら、俺は氷雪の地に降り立った。
極寒。
吐く息が凍るレベル。
歓迎式典では、グラキエルの王族や氷の巫女たちが、顔の筋肉を微動だにさせず、整然と並んで俺を迎えた。
「“雪よりも白き心の主”……よくぞ我が国へ」
「なんか呼び名がどんどん盛られてる気がするんだが」
「主のお言葉、心して賜りたく……」
「ちょっと待って、俺、普通に旅行気分で来ただけなんだけど……」
しかしすでにこの国では、「最下層の王が動いた=世界が変わる」という謎理論が完全に定着しているらしい。
どこへ行っても氷像が建てられている。俺の顔の。
とりあえず、出されたスープを飲む。
ぬるい。
いや、ぬるすぎる。
けど言いにくい。
でも、口に出てしまった。
「……これ、もうちょい熱い方が好きかな」
その瞬間、空気が凍った(比喩でなく本当に気温が下がった)。
巫女長が立ち上がり、詠唱を始めた。
「神託、来たる……! 熱を求めるとは、戦の狼煙か、改革の兆しか――!」
「いや、ただぬるかっただけだから!? おかわりは熱々でお願いって意味で!」
だが“熱”という単語が、この国では特殊な意味を持つと後で知る。
氷の国において“熱”とは、“感情”や“革命”を象徴する禁忌の概念。
つまり俺はこの国の根幹思想を揺るがす「感情解放運動」の扇動者として、革命派に担ぎ上げられてしまった。
翌日には街中で奇妙な現象が起きていた。
【主の御言葉『熱い方がいい』により、感情解禁!】
【笑顔、許される!? 市民、ついに無表情脱却へ】
【焚き火ダンス、合法化へ】
「うわ、なんか焚き火囲んで皆で笑ってる……?」
「今まで“感情の発露”は禁止されてた国ですからね、これは革命的です」
「ちょっとスープがぬるいって言っただけだってばよ……」
そして数日後、王宮にて謎の勅命が発布される。
【“ぬるスープ法”成立】
― スープは熱い方が良い、よって民衆の情熱もまた、抑圧すべきでない。
つまり、スープが熱くなった代わりに、政治も民衆も急速に“熱く”なってしまった。
その過程で、凍てついた社会制度にヒビが入り、古い身分制度の見直しや、冷凍倉庫で眠っていた国宝級食材の解凍、さらには隣国との雪合戦外交がスタートする(※なぜかこちらは友好に繋がった)。
「……俺、ほんとになんもしてないんだけどな……?」
「主はただスープをすすっただけ。その“温度”が、世界を変えたのです」
「その一口は、千の革命に勝る」
「やめろって! 俺の消化器が世界を動かすみたいな言い方やめろって!」
結果的に――
・グラキエル王国は「感情解放」と「温かい食事革命」により社会活性化
・経済が回り始め、北方の孤立主義が解消へ
・凍結されていた国際条約が一部復活(物理的な意味で“凍ってた”)
・周辺諸国との外交関係が改善、バランス調整へ
俺の旅は、またしても“うっかり革命”で世界を動かしてしまったらしい。
それでも、俺はあくまで平常運転。
スープをすすりながら、静かに言った。
「まあ、ぬるいより……あったかい方がいいよな」
それは、グラキエル史に残る名言として記録されたという。
▲
グラキエル王国――通称、氷の国。
かつて感情表現すら禁じられたその国に、奇跡が起きた。
主因:スープがぬるかった。
結果:革命が起きた。
その張本人である俺はというと――
「うおおお、カニ! この鍋、カニ入ってる! リリス見ろよこれ! でっかい! 甲羅に米詰められるやつだ!」
「主、どうかお静かに……これは“雪見鍋会議”と呼ばれる極めて格式高い儀式です。騒ぐと氷の巫女たちに睨まれ――あ、もう睨まれてます」
「むしろ鍋食ってるの俺だけなんだけど!? なんで!?」
目の前では、真っ白な衣を纏った巫女たちが、完璧な無表情で俺を囲んでいた。
それぞれに鍋は配られているのに、誰ひとりとして箸を取ろうとしない。
……これはもしかして、俺が食べ終わるまで皆“待ってる”のか?
「主のお箸が止まりました、皆様……!」
「ほう……あの“鍋の一閃”を、これほどまでに優雅に……」
「一閃て。俺いま普通にカニの足折ってるだけだったぞ……?」
それでも、彼女たちは熱視線ならぬ“氷視線”を俺に向けてきて、何かを待っている。
そこで俺は、なんとなく口にした。
「……鍋には、柚子胡椒、合うよね」
その瞬間、巫女の一人がスッと立ち上がった。
「“ユズ”とは、太陽の記憶。胡椒とは、大地の熱。すなわち――“光と熱の共鳴”……!」
「いやちがうちがう! 香り付けの話だってば! お前らポエムにしないで!」
そしてなぜか、それが翌朝の王国新聞の一面を飾る。
【塔の王、ついに“光と熱”を解禁へ!】
【柚子胡椒革命、氷の国に香る】
【スパイス取引により南方との交易ルート解放】
この国、早い。展開も解釈も早い。
翌日には柚子胡椒を巡って南の商人が大挙して押し寄せ、ついでに香辛料相場が変動し、周辺諸国の貿易バランスが“なぜか”整ってしまった。
俺はというと、雪の中で焚き火を囲みながら、リリスたちと話していた。
「でもまあ、鍋は美味かったし。良しとするか」
「主……今やグラキエルの神官団すら、主の一挙手一投足に翻弄されております」
「俺、ただご飯食べてただけなんだけどな……」
「それが“尊い”のです。主が自然体であることが、我らの希望なのです」
そのとき、ヴァルティナが凍った地面に片膝をつき、厳粛な声で告げた。
「報告。氷の巫女団より、正式に“塔の鍋神”の称号が下賜されたとのことです」
「いらないよ!? そんな称号いらないよ!? なにその“エビが煮えるたびに祈る”みたいな文化生まれそうなやつ!」
ところがどっこい、その瞬間、空にオーロラが現れる。
巫女たちが「神託!」と騒ぎ出し、王族までもが膝を折って拝礼。
ついでにオーロラの方角に巨大な氷の像が作られ始めた(モデルは俺、カニ鍋中)。
そして今、グラキエル王国の新たな“国是”が定まった。
【温かく、うまいものを、皆で分け合う】
――その教えは《塔の主の箸》と呼ばれ、以後百年に渡って国を支える精神理念となる。
かくして――
・“ぬるスープ”革命からの“柚子胡椒外交”により、氷の国は文化解放
・香辛料交易によって南方の孤立国家と繋がり、全体のバランス安定
・なぜか神格化された主人公が“鍋神”として祭られつつある
それでも俺は、自分がしたことはひとつだけ。
――「飯がうまけりゃそれでいい」
ただ、それだけだった。
でも。
リリスたちが笑っているなら、それも悪くないか――そう思うくらいには、今の暮らしに馴染んできた気がする。
さて、次はどこの国で鍋が食えるかな。
▲
かつて氷の国グラキエルには、伝説があった。
『永き氷雪の時代、空から降りたる一匙の熱が、国を溶かした』――
その“伝説”が、なぜか現代で『俺が鍋を食った日』として更新されていた。
「主、今夜の氷の巫女会から、招待状が届いております」
「うん、もう鍋は勘弁してほしいんだけど……巫女さんたち、目が本気なんだよね。食べ物を差し出してくるときの顔が」
「主が“食す”という行為そのものが、祝福と受け止められております。つまり、“口にする”ことが――神託なのです」
「食レポのつもりで『うまい』って言ったら宗教ができたんだけど!? あの一口の重さなんなんだよ!」
もはや巫女たちは、毎朝“湯気の立ち方”を観察して神意を読み解き、“湯気の角度が30度以上”であれば吉兆と判断する始末。
そしてリリスとヴァルティナはというと――
「主。こちら、グラキエルの民が製作した“神の鍋”。氷と銀で鍛えられし至宝です。ぜひこれで今夜も……」
「……あれ? これ、炊飯器じゃない?」
「“神釜”と申します!」
そして塔のボスたちは、例によって張り切っていた。
リリスは毎朝、氷の巫女たちと謎の儀式を交えながら“主の朝食献立会議”を開催し、ヴァルティナは氷結魔法で“空調完備の鍋会場”を築いてくる。
おかげで氷の国は――
・極寒地帯の食文化が激変し
・周辺国家の冷凍技術が逆輸入され
・保存技術の進化によって交易範囲が拡大し
・結果的に物資流通が最適化された
気づけば、国家規模の経済再編が進んでいた。
その間、俺がやったことといえば――
「昨日は干し肉つまんで、味薄いって言っただけだよな……?」
それが“塔の主の禁忌の告解”と呼ばれ、塩加減の国家規定が策定された。
そして現在、グラキエル王国では“濃い味解禁元年”を迎えている。
一方その頃――
氷の国の王女が、謎の笑顔でこう言った。
「……すべては塔の主の、見えざる計画のうち。おそらく、次は“炎”の国……」
誰も知らない。
本人にそんな“計画”なんて一切ないことを。
ただ――
今日も俺は、雪の広場に作られた鍋神像の前で、干し肉をかじっていた。
「……うん、今度はちょっと辛くてもいいかもな」
その一言が、また新たな革命の火種になることも知らずに。