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第21話 市場の異変、そしてエレボスの“平常運転”


「……これが俺の実力ってやつか」


エレボスは、小さな宿の一室で、膝に乗ったモフモフの毛並みを撫でながら呟いた。

何気ない一日だった。


朝は市場をゆっくり歩き、雑貨屋の婆さんに声をかけられて軽く雑談。

昼は近くの広場で子供たちの前で、ちょっとした魔術の披露をした。

大したことはしていない。自分にできる範囲のことをしただけだ。


それなのに、通りの向こうから見知らぬ若者が小声で「やっぱりエレボス様はすごいな」と言っていたのを聞いても、彼は特に気にしなかった。


「俺って、別に特別じゃないよな」


素直にそう思った。


誰かが自分を英雄や伝説の化身のように崇めているのは知っている。

でも自分は、あくまで日々を過ごすただの一人の男だ。


魔法だって、少しだけ使いこなせるくらい。

剣だって、それなりに振るえるだけ。


それがどれほどのものかなんて、普段はあまり考えない。


「やるべきことをやっているだけ」


そう思いながら、今日も人のために剣を振り、魔法を使った。

倒した敵は数匹。


周囲の人々の視線は熱い。

「王都の守護者が現れた」「災厄の再来か」


それでもエレボスはいつも通りに、そんな声には耳を傾けず、ただ目の前の一人ひとりを見ていた。


「ありがとう」


そう言われるだけで、十分だった。


宿に戻ると、常連の店主がにこやかに迎えた。

「今日も無事で何よりです、エレボス様」


彼は軽く頭を下げ、夕食を受け取った。

「大げさに言わないでくれよ。俺はただの旅人だ」


本人はそう思っている。


でも、その“普通の旅人”が見せる剣技や魔法は、時に周囲の期待を超え、伝説の一片のように映った。


本人はそれを感じていない。

ただ、今日もできることをして、また明日も同じように過ごせればいいと思っている。


モフモフの小さな体が膝の上でくるくると丸まり、彼の手に体温を預ける。

それだけで、心は満たされていた。


「まあ、これが俺の日常か」


淡々とした言葉が、静かな部屋に優しく響く。


夜は更けていく。

王都の灯りが遠く揺らぎ、彼の穏やかな時間が続いていった。


宿の窓の外、夜風がひゅうひゅうと吹いている。

エレボスはいつものようにモフモフを膝に乗せ、ぼんやりと宿の中を眺めていた。


そこへ、不意に宿の外から慌ただしい足音が近づいてきた。


「エレボス様!大変です!」


慌てて飛び込んできたのは、王都の警備隊の若者だった。

顔は青ざめ、息を切らしている。


「何事だ?」と聞き返すも、エレボスは淡々としている。


「街の市場で、突然大規模な暴動が起きています!異形の魔物が現れたとかで、みんなパニック状態です!」


「はあ、まあ、暴動ね……」


エレボスは、ふわりと肩をすくめた。


「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」


そんな軽い感じで立ち上がると、膝からモフモフが慌てて飛び降りた。


「ちょ、ちょっと待ってください!エレボス様、そんな軽く行って大丈夫なんですか!?」


「大丈夫だよ。俺、あんまり派手に暴れたりしないから」


そう言いながら、彼は静かに宿の扉を開けた。


外に出ると、そこにはもう、騒然とした市場の様子が広がっていた。


叫び声、割れる陶器の音、叫ぶ人々。


「さて、どこから手を付ければいいかな」


エレボスは、のんびりと足を進めながら、思った。


やがて、異形の魔物が市場の一角で暴れているのが見えた。

その異形は、まるで溶けたチーズの塊のように形がぐにゃぐにゃ変わり、触手を振り回していた。


通行人は逃げ惑い、店は破壊されつつある。


「おっと」


エレボスは魔法の詠唱を始めた。

しかし、彼の詠唱はどこか抜けていて、間違って魔法陣を反対に描いたり、杖を持つ手が逆になったりしている。


だが、そんな適当さが、結果的に超強力な魔法爆発を巻き起こした。


異形は吹き飛び、爆風で周囲の露店の屋根や看板も吹き飛び、市場はさらにカオス状態に。


周囲の人々は「ひえっ!エレボス様、まさかの大暴れ!?」と驚愕しつつも、彼の強さに救われていることも認めざるを得ない。


エレボスは、爆風の中で煙にまみれながらも、ポケットからモフモフ用のスナックを取り出して、ぱくっと食べた。


「いやあ、これでもっと普通に暮らせるならいいんだけどなあ」


本人はあくまで普通にやれてると思っている。


その隙に、残った異形の小さな触手が彼の足元に絡みつき、転倒。


「うわっ」


床に転がった彼は、モフモフを抱き上げてさっと立ち上がり、ふと笑った。


「まあ、こういうのも悪くないか」


そう言いながら、また淡々と市場の片付けを始めた。


周囲の人々は複雑な表情で見守っている。

「……あの人、どうしていつもああなんだ?」


誰も答えは知らない。


ただ一つ確かなのは、王都には今日も“普通に”すごい男がいるということだった。


王都の市場は、朝から晩まで活気に満ちていた。

木製の屋台が軒を連ね、新鮮な野菜や肉、香辛料、珍しい魔法の素材まで幅広く売られている。

市民たちはそれぞれの目的に向かって忙しく行き交い、子供たちが笑い声を響かせながら駆け回っていた。


そんな中、エレボスは宿の一室でモフモフを膝に乗せ、窓の外から聞こえてくる市場の賑わいをぼんやりと聞いていた。


「まぁ、今日もいつも通りだな」


彼はそう呟く。別に何も考えているわけでもなく、特に期待しているわけでもない。

ただ、普通に日常が動いていることを確認するだけだった。


だが、翌朝。市場の様子が少しだけ変わった。


「ねえ、あの異形、また見た?」


露店の主人が小声で話しているのが耳に入った。

どうやら夜の間に市場の裏手で、異形と呼ばれる得体の知れない生き物が目撃されたらしい。


「ちょっとしたゴミ荒らしかと思ったら、やっぱり異形だったんだな」


警備隊の一人が言う。異形はこの国でも忌み嫌われており、街中で見かけるのは稀なことだ。


「ま、放っておけば消えるだろう」


そんな楽観的な意見もあったが、数時間後には事態が急変する。


夕方になり、異形の姿が増えていったのだ。


初めは小さな獣のようなものが数匹だったのが、やがて大きく凶暴な異形が市場に現れ、人々は悲鳴を上げて逃げ惑った。


「こりゃ大変だな……」


エレボスは市場へ向かうために重い腰を上げた。


「あまり面倒に巻き込まれたくはないが、ほっとけないのも事実か」


杖を手に取り、彼はのんびりとした足取りで市場へと向かう。


市場に着くと、混乱はすでに頂点に達していた。


異形が商品を蹂躙し、店主たちは必死に抵抗し、警備隊は人数不足で手に負えずにいた。


「誰か、あの異形たちを何とかしてくれ!」


叫ぶ声が飛び交う中、エレボスは何の躊躇もなく静かに立ち上がる。


「俺に任せろ」


言った本人は、心の中で「普通にやればすぐ終わる話だ」としか思っていなかった。


だが彼の“普通”は、周囲のそれとは大きく異なっていた。


彼が詠唱を始めると、呪文はどこか間違いだらけで、杖を逆手に持ったり詠唱中に咳き込んだりする。


しかしその結果、彼の放った魔法は巨大な爆発を巻き起こし、近くの屋台が吹き飛び、商品が空中を舞う。


「おっとっと、これは予想以上に効いたな」


エレボスは平然とした顔で呟き、爆風に吹き飛ばされた数匹の異形は跡形もなく消え去った。


その光景を目撃した人々は、驚きと恐怖が混じった表情で彼を見つめる。


「強すぎる……」


「なんだあいつ、ただの人間じゃないぞ」


しかしエレボス自身はその異変をまったく自覚しておらず、むしろ自分が“普通に”やったつもりだと思っているのだった。


続く数時間で、彼は市場の異形を片っ端から叩き潰した。


その過程で巻き起こる爆発や倒壊により、市場はかえって大混乱に陥るのだが、異形の脅威は確実に消え去っていった。


終盤、疲れ切った店主がエレボスに向かってこう言った。


「おい、あんた……やりすぎだ。市場がめちゃくちゃになってるじゃないか」


エレボスは恥ずかしげもなく、のんびりと答える。


「すまんすまん。効率重視でな」


店主は呆れつつも、その圧倒的な実力に感謝しないわけにはいかなかった。


夜、宿に戻ったエレボスは、今日の騒動を振り返りながら、膝の上のモフモフを撫でた。


「まぁ、なんだかんだで役に立ったならいいか」


彼はそう思いながら、静かに目を閉じた。


しかし、その“普通に”やった一日が、王都全体を巻き込むもっと大きな事件の始まりになることを、まだ誰も知らなかった。


市場の混乱が一段落し、エレボスが宿に戻って数時間後。


王都の市長室では、騒動の報告を受けた重鎮たちが眉間にしわを寄せていた。


「異形が市街地に侵入するとは……このままでは市民の安全が脅かされる」


「警備隊だけでは到底対応できん。非常事態宣言を考慮せねばなるまい」


「だが……”あの男”が介入したのだろう?」


そう、市長たちはエレボスのことを密かに“あの男”と呼んでいた。


何故かというと、彼の介入で異形は駆逐されたが、そのやり方があまりにも破壊的で、市場はボロボロ、商人は怒り狂い、町の復興が大問題になっていたからだ。


「確かに異形は消えたが、被害も甚大だ。彼にはもう少し……いや、ずっと常識的な対処を望みたいものだ」


「……あの男は自分が普通の人間だと思っているらしい」


一人がぽつりと言うと、皆が苦笑した。


「それが困りものだ」


その頃、宿の一室ではエレボスが呑気に夕食のパンをかじりつつ、モフモフと戯れていた。


「ああ、腹が減った。たまにはまともな飯も食いたいものだな」


彼の口から出るのは、どこまでも普通の、変哲もない願いだった。


そんな彼の耳に、遠くから市街の騒がしい声が届いてくる。


「あれ? また何か起きてるのか?」


気になって外に出てみると、王都の広場に市民が集まり、口々にざわついていた。


「さっきの異形騒動で、市場がめちゃくちゃだって話だよ」


「復興の費用が膨れ上がってしまって、王都の財政が大ピンチだってさ」


「しかも、”あの男”はどこにいるのか分からないらしい」


エレボスはそれを聞いて、無表情に首をかしげた。


「俺はただ、異形を追い払っただけだが……まあ、結果オーライだな」


それが彼の感想だった。


市民の多くは彼の行動に戸惑いながらも、結果的に異形の脅威が消えたことに安堵していた。


だがその日の夜、事態はさらに悪化する。


突然、市街地の外縁で大規模な異形の群れが出現し、王都に迫りつつあったのだ。


これにはさすがの警備隊も対応に追われ、市長は再び非常事態を宣言せざるを得なかった。


「誰か、“あの男”を探せ! また助けを求めるしかない!」


噂が噂を呼び、エレボスの元には“救世主”としての依頼が殺到し始めた。


しかし、本人はというと……


「あれ、俺ってそんなにすごいのか?」


本気で理解していない様子だった。


「まあ、頼まれたら嫌とは言えないな。暇つぶしにもなるし」


そう言いながらも、彼はどこか楽しそうにその話を聞いていた。


こうして、王都を巻き込む大騒動が始まろうとしていた。


エレボスの“普通”な日常が、ちょっとだけずれて動き出すのだった。


「まあ、飯がうまけりゃそれでいいか」


そんな彼の言葉が、まるで祝福の鐘のように王都の空へ溶けていった。


串焼きを頬張りながら、ただそれだけの一言。

誰かに聞かせようとしたわけでもなければ、ましてや格言めいた意味などひと欠片もない。

けれどなぜか、その瞬間――王都の中央広場にいた誰もが、体を硬直させた。


「し、沈黙の王が……喋った……?」


「しかも“うまい”と……!? この屋台、伝説入り決定じゃないか!?」


屋台のおじさんは泡を吹いてひっくり返り、近くの兵士は震える手で護符を取り出して天を仰ぐ。

何が起きたか分からないエレボスは、串焼きの最後の一口をもぐもぐと噛み締めていた。


「んー、タレの甘さが絶妙。炭火の香ばしさもあるし、鶏皮がパリッとしてるのが最高だな」


完全にグルメレポート気分である。

周囲が勝手に膝をついて祈り出すなか、エレボスは平然と焼き芋に手を伸ばし、何気なく腰を下ろした。


その“腰を下ろす”というたった一動作が、王都の地脈を微妙に歪めた。

噴水広場の中心、地中深くに設置されていた古代の魔導炉が反応し、遠く王宮の監視塔に設置された結界センサーが警報を鳴らす。


「魔導炉が動きました! ……目視の接触はなし、ただ……先ほど彼が“座った”地点が、ちょうどトリガーシンボルの真上に……」


「そんな馬鹿な! あれは超精密な儀式がないと作動しないはずだ!」


「……彼の、尻圧です」


「尻!?」


王宮中枢の指令室に悲鳴が上がるなか、件の“尻”の持ち主は焼き芋を頬張りながら、またぼそりと呟いた。


「こういうの、温泉地とかで食べると最高なんだよな。温泉とかないかな~」


その瞬間、地脈が震えた。

王都地下の封印機構が勝手に起動し、地熱制御装置が誤作動。

本来は地下鉱脈の温度を保つための制御炉が、なぜか“温泉用加熱炉”として再構成され、中央広場に温水が噴出。


「うおっ!? なんか出た!」


全身にぬるま湯を浴びたエレボスは、少し驚いた顔をしながらも、すぐに笑った。


「……これ、もしや……足湯?」


片足をそっと湯の中に入れてみる。


「ぬるめで、いい感じだな。マジで観光地かよ、ここ」


そんな彼の足湯発言を最後に、王都全域の地表が蒸気に包まれた。

市民たちはパニックになり、魔導師団は緊急召集、王城の大賢者は発作を起こし、隣国からも“王都消失の兆し”として警告文書が届く。

だが当の本人は、焼き芋を片手に「次はスイーツかな」とデザートのことしか考えていない。


それでも彼の足元に集まった魔力は、すでに王都全体の“加護フィールド”を再構成し始めていた。

何百年も前に失われた王都の祝福機構が、なぜか“足湯と焼き芋”をトリガーに再起動を始めているのだ。


さらに遠く離れた東門の監視塔から、新たな異変が観測された。


「報告! 東の空に、巨大な魔物が……」


「規模は?」


「全長六十メルト。飛行型。おそらくは数百年前に封印された“黒翼の終焉獣”です!」


「その封印はとうの昔に消失したはずでは!?」


「いえ、最近になって“温泉の蒸気”で氷結が溶けた可能性が……」


「温泉の……蒸気……だと……?」


空が唸るように震え、漆黒の翼が王都の上空を覆った。

ついに“災厄”が、王都に舞い戻ったのだ。


――が、その“災厄”とされた魔物は、空中でくるりと回転し、真っ直ぐ中央広場に急降下。


「ん? 今の影……なんかデカくなかった?」


焼き芋を食べ終えたエレボスは、空を見上げた。

そのとき、黒翼の獣が彼の前に降り立ち、四肢を折って跪いた。


「――創造主よ。我、再び目覚めたり」


完全に忠誠のポーズである。


「えっ? 誰?」


「我、終焉の黒翼バルゼム。五百年の時を越え、再び貴方の前に参上せり」


「いや、ちょっと何言ってるか分かんないんだけど」


「まずはこの王都、敵の手から守らん。命ずるままに、敵を屠ろう」


「敵? なんか出るの? てか俺、昼寝の場所探してただけなんだけど……」


「左様、創造主が寛げぬ地に意味はなし。我が翼にて、安息の地を築かん!」


その瞬間、バルゼムは空へ飛び上がり、王都東方の地平線を覆う怪しい暗雲に向けて漆黒の咆哮を放った。


それが、隣国との国境を侵犯してきた“灰の軍勢”を迎撃する合図となり、王都は未曾有の戦乱へと突入していく――。


ただの昼寝と焼き芋から始まった、国家規模の騒動。

その中心にいるエレボスは、いまだに「温泉地でスイーツ食べたいな」としか考えていなかった。


けれど、次に向かう先で出会う“プリン騎士団”との因縁と、その裏に潜む陰謀が、王都のみならず、この世界の命運をも左右することになるとは、彼自身まだ知る由もなかった。


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