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第12話 天上の祝福

……それはもはや、ただの事故ではなかった。災厄の奔流。神話の生誕。あるいは――


天上の祝福。


白羽の間を満たす沈黙は、もはや畏怖そのものだった。誰もが立ち尽くし、王の舞を見上げる。空を裂き、地を揺るがし、理を超えてなお舞い続けるその姿に、誰もが口を閉ざすしかなかった。


「……999.9……」


老侯爵が膝をつき、震える声で呟く。


「……ついに……“選ばれし舞王”が、現れたのじゃ……」


会場の空気が震える。全員が同時に膝をつき、額を床に叩きつけた。


「我らが王よ! 舞い給え!」


「祝福せよ! 災厄の体現者を!」


「天上に舞い、地をも統べる者……!」




その言葉に、宙吊りのままの王は虚ろな目をさらに遠くへと彷徨わせた。


(……もうやだ……)


彼の意識はすでに限界を超えていた。だが肉体は、未だ舞っている。そう、もはや意思を超えて。


――それは人の領域ではなかった。


舞踏力「999.9」。それは、神々が最終審判を下す閾値。


そしてその瞬間、天井が裂けた。


天空より差し込む一筋の光。その中から、翼を持つ巨大な影がゆっくりと降臨する。


「……風の王にして、白の選定者よ……」


声が響く。それは言葉ではなく、空気に刻まれた“意志”そのものだった。


「いまこそ、真なる王舞を授けよう……《天災ノ羽舞》――!」


王の背に、白き羽が広がる。


羽毛が舞い、光が走り、音もなく世界が沈黙する。


「……うん、やっぱりスイッチって押すの怖いよね。なんか爆発しそうな形してるし。ていうかこれ、絶対押したら罠だろ……」


神殿の奥深く、どう見ても『今押せば何かが起こります』って顔をしている大きな赤いボタンの前で、エレボスは腕を組み、誰に見せるわけでもない警戒心を全力で発動させていた。周囲の空気は張り詰め、部下たちは誰一人として声を発しない。


だがエレボスは――


「うん、やめとこう!帰ろっか? 今日はもう十分だし、晩飯に間に合わないのも困るし」


そう、いつもの調子である。


しかしその軽い言葉が、なぜか部下たちには“深遠な叡智による慎重な戦術的撤退の示唆”として受け取られていた。


「さ、さすが……! 王はボタンの罠さえも看破なさるとは!」

「お言葉の一つひとつが、我らに道を示しておられる……!」

「でも王よ、それでも我らは……あなたと共に行動する覚悟です!」


何故か感動の涙を浮かべる若き兵士、真剣な眼差しでエレボスを見上げる参謀、うっすら鼻血を出して震えている双子の護衛……その全員が、まるで宗教画のような神々しさでエレボスを囲んでいた。


「いや、あの、ちょっと待って……ボタンは危ないって言っただけなんだけど……。何? 俺、またなんか崇められてる? おかしいな? ただの安全第一だよ?」


エレボスが困惑の眉をしかめて振り返ると、そこにはすでに“ボタンの真理を見抜いた神託の王”の横顔を描き始めている画家と、それを囲む護衛隊がいた。


「……おい、待て。誰が肖像画頼んだ。いや、誰が“真理”言った。真理なんて言ってない、俺、ただ怖いだけだって!」


しかし、そんな声もむなしく、側近のひとりが涙ながらに静かに呟いた。


「王は……怖れを知ることで、真の勇気を示されたのですね……」


違う。


大違いである。


が、そう否定すればするほど信仰は深まるらしく、逆に周囲の温度は上がるばかりだった。


ついに先ほどのスイッチのところへ、一人の勇敢な部下が近づいた。


「王が身を挺して踏み入れなかった“試練”……ここで我が命、捧げましょう!」


「だから押すなってばああああああ!」


思わず跳ねるように飛びついたエレボス、見事なスライディングで兵士の指を跳ね除けた。


ピシリ、と。


それだけだった。


でも、その瞬間――


「うおおおおおおお!! 王が……身をもって我らを救われたあああああああ!!」


「な、なんという……“反応速度”……!」


「王の指先に……神の意志を感じた……」


「ボタンを“押させなかった”だけで、ここまで感動されるってなんなんだよ……」


エレボスは心の中でひとりツッコミを入れながら、ため息を吐いた。


――この神殿、ボタンより周りの信仰心の方がよっぽど爆発力ある。


もう、これ爆発四散不可避だろ……。


「とにかく、ボタンは無しな。絶対押すなよ? 押すなって言ったら押すなって意味だからな?」


そう言いながら、エレボスは神殿の通路を進んでいく。


正直、帰りたい。夕飯には味噌汁が飲みたい。あと、ふかふかの寝床。魔力がどーのとか、神の遺物がどうしたとか、そういう壮大なイベントより、今は足の裏の小石が気になるのがリアルなのだ。


後ろでは、先ほどのボタン事件で異様に盛り上がった部下たちが、エレボスの歩幅に合わせてきっちり縦列で行進していた。

しかも全員、感涙を堪えるような顔つきで。


「……お前ら、なんかずっと泣きそうな顔してるけど、大丈夫? 花粉症か?」


「いえ、王の後ろ姿に……慈愛と威厳の風を感じまして……」


「ほら、湿度上がってるって。感極まってる場合じゃないって」


エレボスが何気なく天井のヒビ割れを見上げながら言うと、部下のひとりが地面に膝をつき、感謝の祈りを始めた。


「王は……天井にまで目を配られるとは……!」


「違う!ただヒビ入ってたから、崩れそうで嫌だっただけ!」


そして次の瞬間、通路の先に鎧を着た石像がずらりと並ぶホールにたどり着いた。

中央には、ド派手な鍵穴付きの巨大な扉。


「うわ……めっちゃRPGしてるぅ……こういうのって絶対、何かしら動くやつじゃん……」


そうぼやくエレボス。


だが――


「さすが王! この“試練の間”と呼ばれる場所の真意を瞬時に察知するとは!」


「扉の前で一言も叫ばず、静かに畏れるその姿勢こそ……真の勇者……!」


「え、なんで黙ってても褒められるの? 俺、ただ『絶対ギミック発動するなこれ』って顔してただけだよ?」


誰も彼も、誤解しかしていない。正確に言うと、誤解しかしていないくせに、目は真剣そのものなのだ。


その時、エレボスの靴の裏に何かがコツンと当たった。小石? いや違う、小さな台座のようなものが、床に埋め込まれていた。


「ん、なんだこれ……?」


と、何気なくそこに足を乗せる――


――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


「おおおおおおおおおっ!!」


部下たちのテンションが一斉に跳ね上がる。見上げる先で、巨大な扉がゆっくりと開いていく。


「王が……真の試練の鍵を踏破された……!」


「合言葉も、魔力の注入もなし……ただ、立っただけで……!」


「まさか、“選ばれし者”にだけ反応する装置だったとは……!」


「いや、たまたまだって!今、俺が“乗っちゃった”だけだからね!?偶然だからね!?」


しかし、群衆の興奮は止まらない。


「偶然すら従える……これが、我らの王……!」


「もう、確信しました。運命すら王の手の内……!」


エレボスは両手をわなわな震わせながら天を仰いだ。

――なんでだ。なんで俺の凡ミスが全部、伝説になるんだ……!


「よし!王が道を開いた今、我らも続こうではないか!」


「おおおおおおおっ!!」


完全にやる気マックスの軍団は、開いた扉へと突入していく。

エレボスは静かに、まだ閉まりきらない扉の前で小声でつぶやいた。


「……ねえ。これ、俺、先に行かなきゃダメなやつ?」


静寂の中、扉の向こうから勇ましい掛け声と共に飛んでくる部下たちの声が返ってきた。


「王の御足に続くのみ……!」


「王が進めば、そこが正道……!」


「……もういいや、行くしかないじゃん……」


と、肩を落としながら進んだその足取りすら、部下たちは――


「……見ろ、あの憂いを帯びた背中……!」


「何をも背負う覚悟の王の歩み……!」


――と、うっすら涙ぐんで見つめていたのだった。


エレボスが「ま、どうせ大したことない罠だろ」と思いつつ扉をくぐったその先は――どこからどう見てもヤバい空間だった。


広大なホールの天井は果てしなく高く、うっすらと霧がかかっている。床には無数の魔法陣、壁には巨大な石像。そしてその中央には、これまたどう見ても「ボスですよ」と言いたげな、棺のような物体。


「……うわ。ああいうのって絶対、“触るな”ってやつでしょ」


エレボスが指をさすと、後ろから部下がうやうやしく解説を始めた。


「おそらく、これは“封印の祭壇”。千年前、神々の戦いで封じられし異形の存在がここに……」


「わーったわーった、そいつは寝かせといてくれ。オレ、寝起きの奴に絡まれるの嫌いなんだよ」


「お言葉通り、我々も決して近づかぬよう――」


バキィィィン!


「……おわっ!? ちょ、今なんか割れた音しなかった!? 音、したよね!?」


全員が振り返ると――

エレボスの足元の魔法陣が、ものすごい勢いで光り始めていた。


「……ちょ、あれ? あれ? 俺、なに踏んだ? なにか踏んだ??」


「王……! 王が封印を解かれた……!」


「ついに、その日が来たのですね……!」


「いや違う、俺ほんとにただ歩いてただけだから! いつもどおりの無心で! わりと雑念しかない無心で!」


しかし、例の棺のような物体が――


バゴォンッ!!


と、盛大に開き、中から「ゴウウウウウウ……」と地響きと共に、モヤモヤとした何かが湧き上がる。


「わわわわわ! 起きた起きた! 目覚めたよあいつ! はやく寝かせて誰かーっ!!」


部下たちは違う意味でざわつきながら、ひざまずき、涙を流していた。


「ついに……王の御力で“異形”をも従える時が……!」


「王はもう、神話を超えた存在……!」


「ちょっと待って!? なんか無言で従えた風になってるけど、アレ絶対今にも襲ってくるパターンのやつだからね!? 皆、冷静になって!? ヤツ、目、赤かったよね!?」


そんなエレボスの叫びをよそに、異形の存在は高らかに――


「グゥ……ムシャムシャ……うぉぉぉぉ……メシィィ……?」


――などと、空腹を訴えた。


「え? 食べるの? 何を?」


「……王を……?」


「それはナシ!!!」


エレボスがバックステップで華麗に距離を取った瞬間、地面が砕けるほどの衝撃波がホールを襲った。


「ッブナッ!? 威嚇!? なんの威嚇!? お腹すいてるだけじゃないの!?」


が、次の瞬間――


異形の目が、スン……とエレボスを見た。


……そして、なぜか急にシュンと萎れた。


「……フシュゥ……ボス……?」


「え? 俺が“ボス”? は? あ? なに? ごはんあげたことないよね?」


部下たち:

「王が……異形の心すら癒した……!」


「まさか……神すら屈服させた“視線”……!」


「もしかして俺、昨日の夜に自分の目で米粒落ちてないか確認してただけで、その視線が強すぎた……とか……?」


ともかく、異形はそのままペタリと床に伏し、まるで猫のように頭をスリスリとエレボスに向けてきた。


「わぁっ!? 距離感! 距離感バグってるって!」


「王よ……さあ、命じてください……この異形を、次なる使い魔として……!」


「いやいやいや、使い魔って……あれ、たぶん大気一口で吸えるタイプだよ? 誰が散歩連れてくの?」


が――異形はふにゃあ、と一声鳴いて、エレボスの後ろに丸まって座った。


まるで、忠犬。


「…………あ。もしかして、俺、また何か“やった”?」


部下たちの目には、神々しき光を背に、巨大な怪物を従える王の姿が映っていた。


「……王は、やはり我らの奇跡だ……」


「神話の再来……」


「さっきの“うぉぉぉメシィィィ”が、“王ぉぉぉスゲェェェ”にしか聞こえませんでした……」


エレボス、今日も絶好調(?)である。


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