第10話 純白の地獄
…なんで俺までこんな格好に!? てか燕尾服って踊れる前提の服だろ!? 足つるわ!」
「王、落ち着いて。大丈夫です。似合っていませんけど」
「今さらフォローになってないフォローやめてくれ!!」
舞踏室の床が滑らかに回転を始め、天井から降り注ぐ光がまるでスポットライトのように二人を照らす。仮面たちの輪が広がり、中央に広がる舞踏の舞台が完成する。
《舞踏仮面レゾン》が静かに言い放つ。
「さあ、心を、足先に――魂を、旋律に委ねて。試練の幕開けです」
その言葉とともに、楽団のいないはずの空間にオーケストラの音色が鳴り響いた。優雅でありながら、どこか不穏な、哀しげな旋律が響きわたる。
「マジで始まった……セリア、どうすんのこれ。ダンス経験ゼロなんだが!?」
「安心してください、主。私がリードします」
「逆ぅぅぅ!!」
だが、そんな抗議もむなしく、セリアが一歩踏み出した瞬間、魔法陣が発動して二人の身体が勝手に動き始める。
「ちょ、ちょっと待て! 俺の足! 俺の足が勝手にステップ踏んでる!?」
「制御は魔法によるものです。思考ではなく、感情を音に委ねてください」
「無理だ! 俺、感情を音に委ねたらだいたいテンションでギャグに走るんだけど!?」
その瞬間、王の踵が不自然にひねられ――
「ぐぎぃぃぃっっ!!」
悲鳴混じりに跳ね上がった動きが、奇跡的に空中で一回転する優雅なバレエ風のターンに変化していた。
「……あれ? 今、なんか……ウケた?」
「ウケてません。哀れまれています」
まるで仮面たちの視線が「よくやった」と拍手してくれているかのような静かな空気の中、舞踏の試練が続いていく。
――が、次の瞬間。
床がひび割れ、天井から血のような赤い幕が垂れ込めた。
《レゾン》が微笑む。
「さて、おふざけはここまでにいたしましょう。“優雅さ”とは、“絶望の中で気品を保つこと”――この先は、“狂気と理性のバランス”が問われます」
音楽が変わる。ワルツがマイナー調の不協和音に変わり、仮面たちの踊りがどこか異様な“痙攣”めいた動きに変化していく。
「えっ、えっ!? 雰囲気変わった!? なんかホラータイム入った!?」
「王、油断しないでください。この空間、精神への干渉が始まっています。踊りを止めれば――」
「自我を失うってオチ!? なにこの死ぬほど気品求められる空間!!」
そうして舞踏の試練は、華麗と狂気のはざまへ――
優雅に、そして破滅的に幕を開けた。
白亜の大理石が敷き詰められた広間。無数の燭台に灯る炎が、天井の金箔をゆらめかせる。楽団が奏でる旋律に合わせて、彼は一歩を踏み出した。左足、右足、つまずき、宙を舞う。
「おおお……!」
少女たちの目が輝いた。
床すれすれに回転しながら、彼は重力に従って背中から着地した。骨が鳴った。
「今のは“落下による軌道反転”……まさか、王の舞がこの目で見られるとは……!」
ざわめきが広間を満たす。金の仮面をつけた楽団長が手を振ると、さらに激しい旋律が始まった。彼は起き上がろうとしたが、絨毯に足を取られて再び転がった。
「これも舞だ……一瞬たりとも目が離せぬ……!」
一人が膝をつき、祈るように額を床に押しつけた。それに続いて、全員がひれ伏した。
「王よ……我らの空間認識が破壊されていきます……!」
彼はようやく立ち上がった。服は乱れ、髪も跳ねていたが、誰も気に留めない。いや、むしろその姿に神聖を見出していた。
「もう帰っていいか?」
誰にともなく呟いた声が、音楽に掻き消された。
次の瞬間、床が隆起し、黄金のタップ台が競り上がる。足元の魔法陣が輝き、彼の靴に鉄の板が装着された。
「……冗談だろ」
楽団が切り替えたのは、加速する地獄のリズム。
壁の奥から現れた十六人の舞踏兵が、完璧なステップで踊り始める。
「王のタップに、心を砕かれよ!」
「我が命、足音に捧げます!」
逃げようとした彼の肩に、銀のマントをまとった少女がそっと手を添えた。
「どうか……滅びの一歩目を……」
鐘が鳴った。
彼の足が、再び狂騒へと踏み出される。
鐘が鳴った。
彼の足が、再び狂騒へと踏み出される。
カン、カン、カンッ!
鉄の靴底が床を叩くたび、床下の魔導装置が共鳴し、火花が弾けた。誰かが感極まって嗚咽した。もう誰も止められない。
「王の足音……世界の終焉に似て……!」
舞踏兵たちは、鮮やかに空を裂くようなステップで彼を囲み、円を描いて回り始めた。彼はというと、必死にバランスを取りながら、その輪の中心で何とか直立を保っている。
「ちょっ……近い近い、距離感おかしいだろ!」
顔すれすれを高速ステップでかすめていく踵。うっかり体を傾ければ鼻が吹き飛ぶ勢いだった。
「王よ、それが“試練”です……!」
叫んだのは、舞踏兵の一人。汗だくで歯を食いしばりながら、全身でリズムを刻んでいた。床が鳴り、空間が震える。
「試練ってレベルじゃねえぞ!? なんでタップ一発で床に亀裂入るんだよ!? 地盤大丈夫なのか!? 建築法的にアウトだろこれ!」
しかしその怒声すら、周囲の者には崇高な詠唱にしか聞こえなかった。
「お言葉だ……王の呪詠だ……!」
「やはり、怒りを内に秘めた“破滅の舞”……!」
「うるせえ! なんなんだお前らほんとに!!」
「……無理だ、マジで無理だって。なんで壁がツルツルなんだよ、漆喰塗りすぎじゃない!? どんだけ丁寧な施工してんだこの城!」
必死に爪先を壁の装飾に引っ掛けようとするも、石材は磨き上げられており、まるで逃走者の存在を前提に設計されているような執拗なまでの滑らかさだった。手すりもない。足場もない。むしろどこから登るつもりだったのか。
「王よ、登るおつもりですか……?」
舞踏兵の一人が顔面にヒビを入れながらも神妙な面持ちで問うた。その声は、祈りにも似た震えを帯びている。
「“昇天の舞”だな……!」
「違うっつってんだろ!? どんだけポジティブ変換するんだよお前らの脳みそは!」
一方その頃、楽団は第二楽章に突入していた。
ヴァイオリンの弦が悲鳴を上げ、ティンパニが地鳴りのように唸る。どこかの天井から金の紙吹雪が舞い落ちてきて、彼の頭に積もった。煌びやかな王冠のように。
「……これは……王の戴冠……!?」
「うわああああああああああ!!!」
悲鳴は鳴き声となり、彼の体がとうとう床に戻った。いや、墜落した。
鈍い音とともに腰を打ち、彼は天を仰いだ。
「……仙骨、死んだわ……完全に粉砕した……もう一生踊れねぇ……」
「ならば、ここで永遠の舞となりましょう」
どこからともなく、紫のドレスを身に纏った少女が現れた。長い髪がふわりと揺れる。顔立ちはどこか神秘的で、見た目だけならばヒロイン枠そのものである。
「……誰?」
「“舞喩の巫女”――この舞踏城における最高位の舞台演出者です」
すかさず、周囲の兵たちが平伏し始めた。音楽も次の展開を見越して、管弦の波を下げていく。背景でオルガンがゴゴゴと鳴った。
「舞台演出者……?」
「貴方がどのように舞うか、それを記録し、歴史として残す役割です。逃げても、転んでも、叫んでも――全てが、舞」
彼の目が虚ろになっていく。
「もうやめて……俺の奇行に名前をつけるのやめてくれ……」
「いいえ。名こそが“王”の証。さあ、再び立ってください。そして次は“旋律滑走”を」
「滑っただけだっつーの!!!」
「“滑る”という現象自体が、天啓なのです」
誰かが感極まって泣き崩れた。
「滑る王……最高にアヴァンギャルド……!」
「アヴァンギャルドって言えば許されると思ってんだろ!!」
叫んだその瞬間、床の一部が不意に開いた。
「何の仕掛けだよっ!?」と叫ぶ暇もなく、彼の体は重力に従って落下した。
音楽がクレッシェンドし、巫女が静かに告げる。
「さあ――“次の舞台”へ」
扉の先には、新たな狂気と誤解に満ちた劇場が、両腕を広げて待ち受けていた。
落下の末に叩きつけられた床は、思いのほか柔らかかった。
「……なにこのふかふか。絨毯? いや、これ……羽毛……?」
まるで巨大な鳥の巣に突っ込んだかのように、彼の体は純白の羽根に埋もれていた。ふわふわの感触と裏腹に、あたりは異様な静寂に包まれている。天井も壁も見えない。漂う羽根が空気を曇らせ、視界を奪う。
「……え、ここどこ?」
「ここは“白羽の間”。舞踏の純粋なる胎動――原初の一歩を再現する聖域」
突然、舞台用のスポットライトのような光が彼を照らした。
「やめろ、照らすな! 顔がバレる! 意味不明な称号が付けられる!」
遅れて羽根の向こうから現れたのは、一糸まとわぬ男たち……ではなく、全身白タイツの精鋭部隊だった。
背中に巨大な羽根を模した布を背負い、顔まで覆面。無言のまま、彼を取り囲む。
「え、なに、なにこの宗教感。怖い怖い怖い怖い……」
「白羽舞団、揃いました」
巫女が悠然と現れ、手を一振り。すると団員たちが一斉に両腕を広げ、くるりと一回転した。
「舞、始め――!」
「始めんな! 待て待て、こっちはまだ腰打ってんだぞ!? 見ろこの挙動、完全に“痛いの我慢してる動き”だろうが!」
「“痛みを踊る者”……美しい……」
「やめてくれ、神聖化すんな、ただの人間だ俺はァッ!!」
白羽舞団が優雅に宙を舞い始める。だがその背後には妙にガチめな機械仕掛けの回転台が設置されており、音もなく高速で回っている。
「え、まさか俺あれ乗るの……?」
「王の“純白の旋回”です。逃れられぬ宿命」
「うわあああああああ!!!!」
叫びながら乗せられたその瞬間、回転が始まった。
速度は徐々に増し、羽根が渦となり、視界が白に染まる。床が傾き、体が浮き、バランスが――。
「ゲロる!! ゲロるぞコレ!!」
「王、魂の解放ですね。これもまた“舞”……」
「違うっつーの!!!」
白羽の間に響き渡るは、悲鳴、羽ばたき、回転音、そして――妙に荘厳なコーラス。
演出は高まり、白タイツたちが次々とジャンプしながらスモークの中へと消えていく。
「……この世界、どこに向かってんの……」
彼が心の底からそう呟いたとき、再び床が開いた。今度は縦回転。
「うわあああああもうおかしいって! 縦ってなに!? 回る方向が自由すぎる!!!」
そして再び、狂気の次なる“舞台”へと、王は落ちていった――。
踏み込んだ一歩で床がめり込み、音が爆ぜた。
その瞬間、舞踏兵たちが一斉に吹き飛んだ。
「うわあああああああ!」
壁に激突し、天井を滑り、柱に激突しながら床に落ちる。だが次の瞬間、彼らは敬礼の姿勢で立ち上がっていた。
「……見事でした」
「王の“舞殲一踏”……舞で戦場を支配する、伝説の一撃……!」
「してねぇ!! バランス崩しただけだ!!」
彼の声がまたしても楽団にかき消され、音楽はさらなる高みへ。
光が、炎が、汗と誤解が舞い踊る中――
彼は、己の運命から本気で逃げようと、壁をよじ登りはじめた。
が、背後から誰かがそっと囁いた。
「逃げる舞……その発想はなかった……!」
広間が震えた。新たな伝説の誕生に、また一つ、無意味な歓声が上がるのだった。