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第9話 渦の図書館


ギィィ……という古びた扉の音とともに、二人は第八階層へと足を踏み入れた。


目に飛び込んできたのは、どこまでも広がる書架の海だった。天井は見えず、棚は迷路のように入り組み、巻物や書物、魔導書からレシピ本までが雑多に積み上がっている。空気は埃っぽく、どこかカビ臭く、ページの擦れる音がそこかしこから微かに響いていた。


「うわぁ……図書館っていうか、もはや本の墓場じゃないかこれ」


王が顔をしかめて鼻を押さえる。セリアは一歩踏み出して、足元の本を慎重に踏まないように歩く。


「それでも……知識の気配は濃厚です。ここ、かなりヤバい場所です」

「俺、こういう場所ダメなんだよな……ほら、文字見ると眠くなる体質だし」

「それ以前に、主はろくに本を読んだ記憶がないでしょう」

「黙秘します」


そんな会話を交わしていると、遠くの書架の間から、突然本が一冊飛んできた。パサッと王の顔面に直撃。


「いったぁ!? なんで俺、図書館に入って本で殴られなきゃならんの!?」

「注意書きが書いてあります。『騒ぐ者には鉄槌を』……いや、紙槌ですね」

「物理かよ! 知識の暴力ってそういう意味じゃないだろ!」


セリアが飛んできた本を拾ってパラパラとめくる。すると、そこにはまるで生きているかのように、文字が蠢いていた。


「この本……魔導的構造を持っていますね。内容が流動的です」

「は? 本が喋るってこと?」

「いえ、“読ませたいもの”を勝手に変えてくるタイプです。かなり性格悪いですね」


その瞬間、セリアの目がピタリと止まった。


「……これは」

「どうした?」

「この本、私の初恋の相手のことを勝手に書き始めました」

「うおおい!? それ読むな! 俺に渡せ! 内容確認してやる!」

「主に渡すくらいなら、この本を破きます」

「いや、本を大切にしろ! ていうかそれ燃やすな火をつけるなぁぁ!!」


と、喧嘩を始める二人の前に、またしても本がゆらりと空中に浮かび上がった。今度は分厚く、金の装丁が施された巨大な辞典のような代物だ。


そして、空中に文字が浮かび上がる。


《閲覧者認定中……資格:無知・無学・無恥。認定完了。ようこそ、知の試練へ》


「おい、認定内容にひとつも褒めるところがねぇんだが!? 無恥てなんだよ無恥て!」

「主……この図書館、個人攻撃がひどいですね。何か恨みでもあるのでしょうか」


その本がぱらぱらと自らのページをめくりながら、二人の周囲に渦を巻く風を起こした。書架が唸りを上げ、空気そのものが知識を孕んだように重くなる。


「うわ、空気が急にインテリになってきた……ちょっと呼吸しづらい!」

「それ、“酸素の質が高くなった”とかそういう理屈じゃありませんからね! 単に王の知能が低すぎて酸素が空気読んだだけです!」

「俺の肺、そんなに察しがいいのかよ!?」


と、そのとき、書架の隙間から何かが這い出してきた。


それは……巨大な本であった。


ただし、ただの本ではない。目がついていた。触手のような栞がうねうねと揺れ、ページの角が牙のようにめくれ上がっていた。


「出たな、階層守護者!」


セリアが槍を構える。王はおもむろに腰から取り出したのは、愛用の――ただのメモ帳。


「俺も知識で対抗する! 見よ! 俺の脳内に記された“役に立たない豆知識大全”!」

「それ、どっちかというと敵側の武器ですよ王!」


巨大な“書魔獣バビリオン”が唸り声のようなページをめくる音を立て、セリアに襲いかかる。


だが彼女は素早く回避し、鋭く叫んだ。


「主! 弱点は“矛盾する知識”! 嘘の情報を大量に投げ込めば混乱します!」

「任せろ! 俺の頭の中は誤情報の宝庫だ!」


そう言って王は書魔獣に向かって叫び始めた。


「セミの鳴き声は実は口からじゃなくて背中からだ! 食パンはトーストする前の方がカロリー高い! カレーは飲み物だ! 宇宙はたまにおかわりする!」


バビリオンの体がビクビクと震え始めた。目が回り、ページがぐるぐると逆回転する。


「いいぞ! 知の自壊現象だ!」


セリアがとどめとばかりに叫ぶ。


「主! 最後の一撃は、“絶対に信じちゃいけない情報”で!」

「わかった! 地球は平面だぁあああ!!」


バビリオンが盛大に爆発した。インクと紙吹雪が舞い上がり、知識の渦が虚空に吸い込まれていく。


そして、爆心地に――第八の鍵が、羽根ペンの形で浮かんでいた。


「……とんでもねえ戦いだったな」

「王の脳内は、もはや毒です。情報汚染兵器と呼んでも過言ではないです」

「いまちょっと褒めてないか? それ」

「誉めてません」


鍵を手にした二人は、再び転移装置へと歩き出す。次なる階層の扉は――不気味なほどに美しく、赤く光っていた。


赤く、美しく、そしてどこか不穏に光る扉。それはまるで、招かれざる客をも優雅に迎え入れる仮面舞踏会の入口のようだった。


「おい、これ……なんか嫌な予感しかしないぞ」


王は扉の前で足を止め、露骨に顔をしかめた。まるでそこから漂ってくる雰囲気だけで胃もたれしているような表情だ。


「今さら“嫌な予感”とか言っても遅いですよ。すでに七階層は超えてます」

「だってなぁ……このドア、光り方がいやらしいんだよ。こう……“ようこそ、愛と狂気の世界へ”みたいなさ」

「すでに愛と狂気の世界を主は毎日体現していますから、問題ないでしょう」

「褒めてないよな、それ?」


セリアが冷静に転移装置を操作し、赤い扉が静かに開く。その瞬間、バロック調の音楽が空間全体に流れ出した。しかもどこからともなく、タンッタンッとヒールの音がリズムよく響く。


中に広がっていたのは、絢爛たる舞踏室。


天井には巨大なシャンデリアが輝き、鏡張りの壁がどこまでも続いている。床は真紅の絨毯と大理石、そこを仮面を付けた貴族たちのような影が優雅に踊っていた。


ただし、そのどれもが――明らかに人間ではなかった。


「……あれは」


セリアが口を閉じたまま、目だけで“そっち見て”と王に訴える。視線の先には、鼻が異様に長く、仮面の下から蛇のような舌を覗かせて踊る“貴婦人”がいた。


「え、なにあれ!? ピノキオとメデューサの悪魔合体かよ!?」

「気をつけてください。あれ、“見つめ合うと自我を塗り替えられる”系です」

「そんなロマンチックな危険能力ある!?」


しかも、舞踏室の中央には、まるで舞台のように一段高くなった円形のスペースがあり、そこに一際きらびやかな仮面の人物が佇んでいた。


――仮面は白磁、片目に赤い宝石が埋め込まれている。衣装はタキシードに見えて、よく見ると全体が本物の蝶でできていた。


「よく来てくれました、お客様。ようこそ、第九階層へ」


声が鳴ると同時に、舞踏室全体の時が止まったように静まり返る。仮面の者たちが一斉に視線を二人へと向けた。


「ま、また変なのが司会してる……!」

「まるで、最終回を引き延ばすバラエティ番組のような嫌な空気ですね」

「的確すぎてツラい!」


仮面の主――《舞踏仮面レゾン》と名乗ったその存在が、滑るように舞踏室の中央から降り立ち、手に持った杖を優雅に掲げる。


「この階層の試練は、“舞踏”です。知識でも武力でもなく、貴方方の“優雅さ”が試されます」

「えっ……俺、踊りとか無理なんだけど!?」

「主、無理というか……そもそも身体の動きが全体的にダサいです」

「おい、心を折るにも限度があるぞセリア!」


するとレゾンが手を叩いた瞬間、二人の足元に魔法陣が浮かび上がり、突如として衣装が変化した。


王は光沢のある深紅の燕尾服、セリアは深い群青のドレスに変身していた。


「お、おいおいおい! なんで俺、急に社交界デビューしてんの!?」

「落ち着いてください王。このドレス、動きやすいです。意外に戦闘用ですね。あと背中がすごく開いてるのが気になります」

「そこは気にしていいポイントだろ!? お前、今まで戦場で着てたのなに!? バリバリの武装乙女じゃなかったの!?」


レゾンが優雅に回り、仮面の客たちに告げる。


「では――この二人の“ダンス”を、どうぞお楽しみください」


その瞬間、楽団が現れ、クラシックとは到底言えない――なぜかラテン風のトンチキ音楽が鳴り響いた。


「ラテンて! 優雅な舞踏って言っただろ!? なんでこんな陽気なんだよ!?」

「主、もう考えるより足を動かしてください! でないと――」


周囲の仮面客たちが、徐々に接近し始める。その手には扇子やステッキ、しかしそれらの先端は刃物のように光っていた。


「踊らなきゃ殺される!? そんなサバイバルダンスある!? ここ、デス・ダンスタイムじゃん!」


仕方なく、王とセリアは踊り始めた。リズム感ゼロの王が足をもつれさせながらも、セリアのリード(というより強制)によってなんとか動きを合わせていく。


だが、仮面たちの輪は狭まり、曲調はますますテンポアップしていく。


「王、次は“空中回転一回転半からの片足着地”です!」

「えええぇぇえええ!? 絶対死ぬわそれ!」


それでも、なんとか――本当にギリギリで――王は着地に成功する。


「やった……! これ俺、ダンスの天才じゃね!?」

「その顔を鏡で見てください、下半分引きつってます」


だが、レゾンの動きが止まる。舞踏室全体の時間が再び止まった。


「ここまで踊り切るとは……ならば、最終試練。仮面を外していただきましょう」

「……お前がだよな? 俺じゃないよな?」


レゾンは自らの仮面に手をかけ、静かに剥がしていった。


そこに現れた顔は――


「……なんで顔がないの!? っていうか中にまた仮面してるじゃねーか!!」


そう、仮面の下にはまた仮面。しかも次は笑顔の仮面、さらにその下には怒り顔の仮面、さらにその下には――ひたすら無限に仮面が続いていた。


「こいつ……無限仮面地獄かよ……」


「王、このままでは永遠に顔を剥がされ続けてしまいます。突破法は一つ――“仮面よりも中身が空っぽ”な存在で対抗するしかありません!」


「つまり、俺の出番ってことか!!」


王がレゾンに向かって真っ直ぐ突っ込んだ。魂の叫びとともに。


「顔なんていらねえ! 心で踊るんだよォォォ!!」


その叫びとともに、舞踏室が眩く光り、仮面たちが次々に砕けていった。


残されたのは、薄紅色の羽根の鍵。


「……今回も、精神的ダメージがすごい」

「もう俺、仮面舞踏会って単語聞くだけで吐きそう」


それでも二人は鍵を手にし、次なる階層――最も危険とされる“第十階層”への道へと歩き出す。


そこは、かつて王が封印されていた場所。


終焉の塔の真実が、ついに口を開こうとしていた。


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