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プロローグ

目を閉じていたはずなのに、いつの間にか世界は音を取り戻していた。


最初に聞こえたのは、水の滴る音。ひとつ、またひとつと岩肌に落ちる水滴の響きが、静寂を細かく砕いていく。


そして、次第に肌に触れる空気の冷たさを感じ始めた。石の床はひどく硬く、湿り気を帯びた空気が肺に入り込むたびに、どこか土と金属が混ざったような匂いが鼻をついた。


自分がどこにいるのかも、なぜここにいるのかもわからない。ただ、確かに一つだけ言えることがある。


——生きている。


俺は、確かにこの世界で目を覚ました。


だが、それが『始まり』だった。


 


瞼をゆっくりと持ち上げると、視界に映ったのは見たこともない天井だった。無数の魔法文字が浮かぶ黒い岩石の壁、その中央には淡く光る巨大な魔法陣が刻まれていた。重厚な扉、古代の装飾。ここがただの地下室でないことは一目で理解できた。


『塔』——そんな言葉が、なぜか脳裏に浮かぶ。


目を凝らせば、天井の高みにまで石の柱が続いており、部屋全体が巨大な祭壇のような雰囲気を放っていた。薄暗い空間を照らすのは、天井から滴る魔力の光。その光が水面に反射し、まるで星空のように壁一面を揺らしていた。


そして、その中央に立っていたのは一人の少女だった。


長く揺れる銀色の髪、夜のように深く赤い瞳。薄紫のローブをまとい、背には黒い翼を広げている。その姿はどこか神聖でありながら、同時に得体の知れない『魔』を纏っていた。


その少女が、まっすぐに俺を見つめて微笑んだ。


「……ようやく、目を覚まされたのですね。我が主」


その言葉は、現実感を欠いた空間に突如として重みをもたらした。


我が、主?


戸惑う俺の反応に気づいたのか、少女は胸に手を当て、恭しく頭を垂れる。


「申し遅れました。私は『堕天のリリス』。この『終焉の塔』第六階層を統べる者。そしてあなたは、この塔の創造主にして、全階層の主たるお方……我らが『王』にございます」


言葉の意味が理解できなかった。創造主? 王? それが俺だというのか?


俺はただの、何の変哲もない人間だったはずだ。少なくとも、記憶の中にそんな異形の存在だった過去はない。


しかし、違和感は記憶よりも前にあった。


まず、身体の感覚が明らかに異なる。筋肉が引き締まり、動作が異様に軽い。そして、視界の端には見慣れない光の文字列が浮かんでいる。まるでゲームのステータス画面のようなそれは、俺の名も知らない称号や能力を列挙していた。


『最下層の主』『塔の原初』『封印されし王』『眠りし災厄』


どれも理解が及ばないものばかりだったが、確かにそのどれもが、俺という存在に何か特別な力が宿っていることを示していた。


少女——リリスは、俺の困惑を知ってか知らずか、静かに告げる。


「主が眠っていたこの五百年、塔は静かに時を重ねておりました。第一階層の『水龍姫アクアリア』、第二階層の『焔獣王バルグロス』、第三階層の『氷棘のマリア』、第四階層の『幽王ゼフィロス』……皆があなたの帰還を待ち望んでいたのです」


ひとつひとつ、名前を口にするたびに部屋全体が微かに震えた。まるで、その名が塔そのものの記憶を呼び覚ましているようだった。


「ですが、主の目覚めは『世界』にとって災厄。人類はまた、あなたを『魔王』として封印しようとするでしょう。彼らの目には、あなたは『終焉の象徴』としか映らないのですから」


そのとき、天井の魔法陣が明滅し、空中に光の幻像が浮かび上がった。


それは、塔の外——遥か上空にある街の映像だった。無数の兵士たちが集い、騎士団が塔へ進軍する準備を進めている。


『最下層の反応を確認! 討伐準備、急げ! 今度こそ、あの災厄を完全に消し去る!』


響き渡る怒声、武器の音。人々の瞳に映るのは恐怖と決意だけだった。


その中の誰一人として、俺の顔も、名も知らないはずなのに——。


「……俺が、そんな存在だと……?」


静かに呟いたその言葉に、リリスは首を横に振った。


「違います。あなたは『魔王』ではない。あなたは、『世界を創った者』です。そして我々は、あなたの創造を守るために生まれました」


言葉を失う俺の前で、重々しい音が響いた。奥の扉が開き、現れたのは漆黒の鎧に身を包んだ女性だった。仮面をつけ、手には巨大な戦斧を持ち、その歩みは無音でありながら、空気を圧迫するほどの存在感を放っていた。


『第五階層ボス:断罪のヴァルティナ』


彼女の頭上にも、同じように光の文字が浮かんでいた。


そのまま彼女は俺の前で膝をつき、仮面越しに低い声を響かせる。


「五百年の封印より、ようやく戻られましたね……我が主。命ずるままに、再び我らを導いてください。あなたこそが『塔』の支配者。そして、私たちのすべてです」


俺はゆっくりと立ち上がった。


自分が何者なのか、まだわからない。記憶は曖昧で、世界の成り立ちも、自分の役割も理解できない。


だが、ここにある確かなものが一つある。


——この『塔』は、俺を中心に動いている。


——そして、世界は俺の目覚めを『恐れている』。


ならば、まずは知ることから始めよう。


なぜ俺はここにいるのか。


この塔とは何なのか。


そして、なぜこの少女たちは、俺を『王』と呼ぶのか。


 


目を覚ました時から、世界は既に静かに狂っていた。


俺の知らぬところで、長い物語が始まっていたのだ。


 


この世界が、俺の覚醒をどれほど恐れていたとしても構わない。


なぜなら今、この塔の最下層から、物語はようやく『始まり』を告げるのだから。


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