第69話 IQテスト
承諾の翌々日、IQテストを受けることになった。
東京認知発達研究所は、都心の静かな住宅街にある白い外壁の建物だった。
入り口には控えめな看板が掲げられており、いかにも専門機関らしい落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「森木悠です。午前10時からの予約を頂いています」
受付で名前を告げると、白衣を着た女性が現れた。
年齢は、30代前半だろうか。
知的な印象を与える落ち着いた瞳で、俺をじっくりと観察してきた。
「初めまして、森木さん。私は臨床心理士の高橋と申します」
高橋は丁寧にお辞儀をしてから、俺を検査室へと案内した。
「今日は長時間の検査になりますが、途中で休憩を挟みますのでご安心ください。何か気になることがあれば、いつでもお声をかけてください」
検査室は白を基調とした清潔な空間だった。
窓からは緑の多い中庭が見えて、リラックスできる環境が整えられている。
机の上には、様々な検査用具が整然と並べられていた。
「始めさせていただきます。最初に、基本的な質問からお答えいただきます」
高橋は手慣れた様子で検査用紙を取り出し、ペンを俺に差し出した。
最初の検査は語彙力を測るものだった。
「『類似』という検査です。二つの言葉の共通点を答えてください。例えば、『りんご』と『みかん』でしたら?」
「果物、食べ物」
「そうですね。それでは始めましょう」
高橋が読み上げる言葉のペアに対して、俺は即座に答えを返していった。
「『喜び』と『悲しみ』」
「感情」
「『絵画』と『彫刻』」
「芸術、美術」
「『民主主義』と『独裁』」
「政治体制」
問題が進むにつれて、抽象的な概念が増えていく。
だが、俺にとってはそれほど難しくはなかった。前世の経験と今世の知識が統合されて、様々な分野の知識が頭の中で整理されている。
「『時間』と『空間』」
「物理学における基本的次元、あるいは存在の基盤となる概念」
「とても的確な回答ですね。次の検査に移りましょう」
俺が答えていくと、高橋も淡々と進めていく
続いて行われたのは、積木を使ったパズルのような検査だった。
「『積木模様』という検査です。見本と同じ模様を、積木を使って作ってください」
高橋が示した見本は、赤と白の幾何学模様だった。
使用する積木は、面によって赤、白、赤白の斜めの模様が描かれている。
「制限時間がありますので、できるだけ素早く正確に作ってください」
俺は積木を手に取り、見本を見ながら作業を始めた。
最初は簡単な2×2の模様から始まって、徐々に複雑になっていく。
これは前世の心理学で習ったことがある。
積木を回転させながら、どの面をどの位置に配置すれば見本と同じになるかを瞬時に判断していった。
「3×3の模様です」
高橋が次の見本を示すと、俺は黙々と積木を並べていった。
複雑な模様だったが、頭の中で立体的にイメージして、必要な配置を計算する。
「完成です」
「とても早いですね。正確性も完璧です」
高橋は、やはり淡々と呟いた。
正午を過ぎて、昼の休憩時間が設けられた。
「お疲れ様でした。昼食の休憩時間を挟みます」
「分かりました。昼食は用意してきています」
もちろん油断しない。
この時間にも、しっかりと観察される。
「森木さんは、普段からこのような問題を解くのがお好きなのですか?」
「いいえ、色々なことが得意かもしれません。小さい頃から何でもできましたし、できなくても学べば、できるようになりました」
偉そうなことを宣ったが、目的はIQの数値を上げることだ。
これは、俺が梨穗に売る商品の価値を高める行為である。
休憩が終わると、次の検査が始まった。
「『数唱』という検査です。私が読み上げる数字を、そのまま繰り返してください」
高橋が「3-7-2」と読み上げると、俺は「3-7-2」と答えた。
「今度は逆順で答えてください。6-1-8-4」
「4-8-1-6」
数字の桁数が徐々に増えていく。
7桁、8桁、9桁……。
前世では、家の近くにそろばん教室があったので、小学生の頃に少し通った。
週一で通って、3年で珠算の1級を取っている。
そろばん教室では、先生が相応の桁数の数字を読み上げていき、そろばんや暗算で計算した。
つまり俺は、読み上げられた数字を記憶して計算することに、慣れている。
「12桁の数字です。7-3-9-1-6-8-2-4-5-9-7-3」
「7-3-9-1-6-8-2-4-5-9-7-3」
「逆順でお願いします」
「3-7-9-5-4-2-8-6-1-9-3-7」
「どのように記憶しておられますか」
「学問的にご説明するなら、マジカルナンバーのチャンク化です」
「どこで学ばれましたか」
「独学です」
前世があるとは言えないので、独学ということにした。
高橋の表情は、変化しない。
淡々と、俺を俯瞰するように観察してくる。
――ただの臨床心理士じゃなくて、黄川が抱えている研究者か。
資格も持っているのだろうが、それが主ではなく、メインは研究者のほうだ。
しかも梨穗のお抱えではなく、梨穗でも結果を弄れない会長か社長の直属だ。
おそらくIQは、俺よりも相手のほうが高いのだろう。もしかすると、梨穗達を測る機関の人間なのかもしれない。
俺が気付いたことに相手も気付いたらしく、高橋の瞳が細まった。
「素晴らしい記憶力ですね。次の検査に移りましょう」
続いて行われたのは、図形を使った論理的推理の検査だった。
「『行列推理』という検査です。この図形の規則性を見つけて、空白部分に入る図形を選んでください」
示された問題は、3×3のマトリックスの中に様々な図形が配置されており、右下の空白部分に入る図形を8つの選択肢から選ぶものだった。
俺は図形を一瞥して、即座に3つの変数を特定した。
色の変化パターン、形状の回転角度、そして位置関係の数学的規則性。これは前世で学んだ群論の応用だ。
パターンAが初期状態、パターンBが変換規則なら、パターンCは……。
「答えは5番です」
「解法を説明していただけますか?」
「縦方向に色相が120度ずつ回転して、横方向に形状が時計回りに90度回転。対角線上では、両方の変換が同時適用されています」
問題が進むにつれて、図形の関係性はより複雑になっていった。
色の変化、形の回転、サイズの比例関係など、複数の要素が絡み合っている。
だが俺にとっては、それらの要素を整理して論理的に処理することは、それほど困難ではなかった。
こういった思考能力は、前世に比べて、今世のほうが高くなっている。
「最後の問題です」
高橋が示した問題は、これまでで最も複雑な図形パターンだった。
だが理解できた俺は、問題なく答えを導き出した。
「3番です」
検査が終了したのは、午後7時を回った頃だった。
「長時間の検査、お疲れ様でした」
高橋は検査用具を片付けながら、俺に向かって言った。
「結果はいつ頃分かりますか?」
「詳細な分析を行いますので、5日ほどお時間をいただきます。黄川さんを通じてお渡しすることになります」
その5日間で、梨穗より上に結果が送られて、判断が仰がれる。
「分かりました。よろしくお願いします」
俺は椅子から立ち上がり、軽く手足を伸ばした。
高橋は、最後まで冷静に俺の一挙手一投足を観察し続けた。
研究所を出ると、夕暮れの空が美しいオレンジ色に染まっていた。
都心の喧騒から離れた静かな住宅街は、一日の終わりを告げる穏やかな時間に包まれている。
「さて、どんな結果が出るかな」
俺は心の中で呟きながら、護衛が運転する車で帰路についた。
検査中の手応えは、悪くなかった。
おそらく、梨穗の曾祖母の米寿祝いに同伴することになるのだろうと思った。