第58話 フェス最終日
『『歩んだ道』のCD、会場で買いました。悔しい!』
『流石に草』
昨日の出演後、SNSに投稿された朱宮のポストと、俺のリポストである。
もしかすると朱宮は、面白い人なのかもしれない。
朱宮のポストはバズっており、咲月も『いいね』を押していた。
「昨日は『歩んだ道』が売り切れました」
「凄かったですからね」
昨日のライブは、大好評だった。
ネットでは『録音よりも生ライブのほうが凄い』という絶賛が各所で散見され、バアルはヤバいという評価になっている。
鈴菜の声質は天使で、咲月の歌唱力は天才だ。
実際に二人は、ヤバいと書き込まれているとおりだと思う。
歌い手からアニソン歌手に抜擢された朱宮や、海外でも記事にされた白瀬とも勝負できると思う。
それに比べて俺は、前世の知識と男性という希少価値を動員して、なんとか同じステージに立っている。
――まあ良いけど。
前世で考えた場合、男性は男子高校生よりも、女子高生を応援するだろう。
その性別を反転させた状況が、今の俺だ。
資本主義は、需要と供給なのである。
「ベルフェス限定CDも、今日のお昼過ぎに売り切れました」
「一般のお客さんが買えて、在庫も抱えなくて済むなら、良かったのかな」
15万枚は、CDケースを含めて16.5トンだそうだ。
最初に計画していた8トントラック2台では運びきれなくて、6トントラックを3台に変更して対応した。
よくぞ捌けたものである。
そんなベルフェスは、いよいよ最終盤に入った。
俺は咲月と鈴菜に対して、最終確認を行った。
「すべて予定通りで進めます。1曲目でダブルミリオンの『夏の蛍』を歌った後、『星降る海辺』、『夢追い人』、『それぞれの光』を歌い、最後に新曲の『君との夏』で締めます」
最初に盛り上げて、次にメンバーシップ限定公開の曲で特別感を演出する。
その後、切ないラブソング、応援ソングを入れて、最後にベルフェスの来場者に向けて、感謝とお別れを歌って締め括る。
今の持ち曲では、ベストの並びだと思っている。
「5曲で、交響楽団の演奏者の入れ替えを含めて、40分くらいでしょうか。後は俺達とジャパン交響楽団を紹介して、来てくれたお礼を言って、電車の発車時刻とクロージングセレモニーをアナウンスすると、10分前に終わるかなと」
流れを確認された咲月は、微妙な表情を浮かべた。
「アンコールされちゃうと思いますけど」
「遠方のお客さんが、今日中に帰れません。それを強調したほうが良いかな」
来てくれたお礼の最後と、電車の発車時刻のアナウンスを繋ぐ言葉として、それを入れた方が良いかもしれない。
そんな風に考えているうちに、俺の出演時間となった。
「さあ、行きましょうか」
俺は袖口から、大歓声が沸き起こるメインステージに入っていった。
最初に歌う『夏の蛍』は、ギター3人、キーボード、ベース、ドラム、パーカッションで演奏する。
咲月がギターの1人、鈴菜がキーボードで、そのほかはジャパン交響楽団が担当している。
マイクを持った俺が合図を送ると、前奏が始まった。
夜の帳が下りたかのような深い青の照明が、ステージ全体を包み込んだ。
背景のスクリーンには、暗闇に光る小さな蛍の映像が映し出される。
ゆらゆらと舞う光の粒が、まるで生きているかのように画面上を漂っていく。
俺は深く息を吸い、歌い始めた。
「儚さ秘めた薄い光、想い映す淡い灯火」
最初の一節が響いた瞬間、会場の空気が一変した。
鈴菜の『白の誓い』、咲月の『歩んだ道』とはまた異なる、幻想的で切ない雰囲気が場内を支配する。
男性の声の持つ独特の重厚感が、蛍をモチーフにした歌詞の儚さと絶妙なコントラストを生み出していく。
「灯が僕の心と気付いたのは、季節が巡ってだった」
ステージの照明が徐々に暗くなり、夜の川辺にいるかのような演出が施された。
スクリーンには川面に映る星空が映し出され、無数の蛍が飛び交っている。
前列の観客たちが、息を呑んでステージを見つめているのが分かる。
二人の演出も素晴らしかったが、今夜の『夏の蛍』は格段に幻想的だった。
そして『夏の蛍』は、夏の今歌うのが最高のタイミングだ。
「水面が波紋を描いた、旅の果て、水が星と溶ける」
この部分で、俺は左手を前方に差し出した。まるで蛍に語りかけるような仕草に、観客の視線がより一層集中する。
咲月のギターが、優しくメロディを奏でた。
鈴菜のキーボードも、蛍の光のように繊細で美しい音色を響かせている。
ここで照明が少し明るくなり、俺の表情がより鮮明に浮かび上がった。
歌詞の持つ切なさが、俺の表情にも宿っている。
サビに入ると、ジャパン交響楽団の演奏が加わり、音の厚みが格段に増した。
「旅の果てでやっと見つけたのに」
俺の声が、会場の隅々まで響き渡る。
男性の希少価値だけでなく、前世で培った歌唱経験が、この瞬間に全て結実している感覚があった。
スクリーンの映像は変わり、水面に落ちた蛍の光が波紋を作る美しい映像が映し出された。観客からは、感嘆の声が漏れ聞こえる。
歌を続けながら、俺は客席を見渡した。
最前列には、涙を浮かべている女性もいる。
俺の歌を聴いて、男性側に探されていると思ったのかもしれない。
「ただひとり岸辺で光るだけなのだから」
この部分で、俺は右手を胸に当てた。
切ない感情を表現する仕草に、観客の心がより一層引き込まれていく。
鈴菜と咲月の演奏が、俺の歌声と完璧に調和している。
三人で作り上げる音楽の素晴らしさを、改めて実感した。
「あなたが居るのなら、汚れた水すら、美しく輝いて見える」
この歌詞が響いた時、会場の空気がさらに重くなった。
物語の主人公である蛍の切ない運命に、多くの観客が自分自身を重ね合わせているのが伝わってくる。
二番に入ると、演奏がより豊かになった。
ジャパン交響楽団のストリングスが、美しいハーモニーを奏でている。
俺の声に、より深い感情が込められた。
前世での恋愛経験、そしてこの世界での鈴菜や咲月との関係が、歌詞に込められた想いをリアルなものにしている。
「水面に着いた、長い旅の果て」
この部分で、俺は両手を前方に差し出した。
光を相手に捧げるような仕草に、観客席からは深いため息が聞こえてくる。
最後のサビに入ると、俺の歌声はより力強く、しかし同時により切なく響いた。
照明が再び変わり、俺の周りに蛍のような小さな光の粒が舞い始めた。
スクリーンには、蛍が水面に触れる瞬間の美しい映像が映し出されていた。
光と水が一体となる幻想的なシーンに、会場全体が静寂に包まれる。
そして最後の部分。俺は全身全霊を込めて歌った。
「触れてはならぬ綺麗な清流、清らかな水が欲しい」
この「触れてはならぬ綺麗な清流」の部分で、俺は鈴菜と咲月を見た。
二人も俺を見つめ返してくる。
その瞬間、会場から歓声と悲鳴の嵐が巻き起こった。
「叶うなら愛してほしい、僕の光で水面を照らさせて」
最後の一節を歌い終えると、俺はマイクを胸の前で握りしめた。演奏が静かに終わり、ステージは深い静寂に包まれた。
数秒間の完全な静寂の後、会場が爆発した。
立ち上がった観客たちの拍手と歓声が、会場全体を揺るがす。
鈴菜の『白の誓い』、咲月の『歩んだ道』、そして俺の『夏の蛍』。
三つの異なる愛の形が披露されたことで、観客の感動は最高潮に達した。
俺を呼ぶコールが、会場に響いている。
――出だしは最高だ。
俺が歌う『夏の蛍』は、鈴菜と咲月の歌に劣らない。
誰にも負けず、ヘッドライナーとしてベルフェスを最高に盛り上げることが出来ている。
続いて『星振る海辺』に入って観客を沸かせ、『夢追い人』で切なさを演出して、応援ソングの『それぞれの光』で心を満たした。
会場の熱気は、最高潮に達している。
俺達バアルの音楽は、完全に心を掴んでいる。
そしてついに、最後の曲の時が来た。
「皆さん、次で最後の曲になります」
俺が明言すると、会場からは惜しむ声が上がった。
しかし同時に、期待に満ちた静寂も訪れる。
「この三日間、本当にありがとうございました。この曲は、今日ここに来てくれた皆さんのために作った曲です」
背景のスクリーンには、この三日間のベルフェスの様子が映し出され始めた。観客たちの笑顔、歓声、涙、感動の瞬間が次々と映される。
「この曲のタイトルは『君との夏』です。つまり皆さんのことです」
演奏者たちが楽器を構える。
今度は比較的シンプルな編成で、アコースティックギター、エレキギター、ピアノ、ベース、ドラムという構成だ。
咲月がアコースティックギター、鈴菜がピアノを担当している。
前奏が始まると、夕焼けを思わせる暖かいオレンジの照明がステージを包んだ。まさに祭りの終わりを告げる夕陽のような、どこか寂しくも美しい光だった。
俺は深く息を吸い、歌い始めた。
「風に乗り響いてゆく、祭り終わり、帰り道の途中で」
最初の一節から、会場の空気が変わった。
これまでの楽曲とは明らかに異なる、親近感と感謝に満ちた歌声だった。
まるで観客一人一人に向けて歌っているかのような、温かく優しい響きがある。
スクリーンには、初日に撮影した、帰路に就く客の後ろ姿が映し出されていた。
楽しかった時間の余韻を抱きながら、それでも別れの時が来てしまった切なさが表現されている。
「君が僕に微笑んで、また明日と言うけれど」
この部分で、俺は客席を見渡した。
最前列から後方まで、すべての観客と目を合わせるように歌う。
三日間共に過ごした彼らとの思い出を、本当に大切に思っていることが伝わるような歌い方だった。
サビに入ると、咲月のギターと鈴菜のピアノが美しいハーモニーを奏でる。
「この胸の寂しさは変わらずにいる」
観客の多くが、この歌詞に深く共感している様子が見て取れる。
楽しい時間の終わりに感じる、あの独特の寂しさを歌ったこの部分に、涙を浮かべている人も多い。
俺は右手を前方に差し出した。
まるで歌声を観客たちの元へ送り届けようとするような仕草に、会場からは温かい拍手が起こる。
「賑やかさが消えた夜に、記憶達が星座を描いてる」
照明が少し暗くなり、まるで夜空に星が瞬いているかのような演出が施された。祭りの後の静けさと、それでも残り続ける美しい思い出を表現している。
この部分を歌いながら、俺は三日間の観客の姿を思い出していた。
最後のサビに向けて、演奏がより豊かになった。
「僕が君を想っても、もう戻らないんだろ?」
この部分で、俺の声に深い感情が込められた。
別れの切なさと、それでも相手を想う気持ちが、観客の心に深く響いていく。
多くの観客が涙を流し始めた。楽しかった時間の終わりを告げるこの歌に、彼女達も深く心を動かされている。
「夏祭りの夜、君との夏の夜、込めた想いよ」
スクリーンには再び、この三日間の美しい瞬間が映し出される。観客たちの笑顔、歓声、感動の表情が次々と映され、会場全体が感謝の気持ちに包まれた。
最後の部分に入ると、俺は全身全霊を込めて歌った。
この歌詞に、観客席からすすり泣く声が聞こえてくる。
三日間という短期間だが、音楽を通じて築いた絆の深さを、客は実感している。
「君が僕に微笑んで、楽しかったと言うから、その気持ちを愛おしく感じてる」
俺は客席に向かって深く頭を下げた。観客一人一人に対する感謝の気持ちを、全身で表現する。
最後のサビで、俺の声はより力強く、しかし同時により温かく響いた。
「もう無くさない、もう忘れない、奏でよう君への歌」
最後の一節を歌い終えると、俺はマイクを両手で握りしめた。
演奏が静かに終わり、ステージには深い感動の余韻が漂う。
数秒間の静寂の後、会場が爆発した。
しかし今度は、これまでとは違う種類の歓声だった。
感謝と愛情、そして別れの寂しさが混じり合った、複雑で深い感情が込められた拍手と歓声が会場を包む。
多くの観客が立ち上がり、感謝の声を上げ、涙を流しながら拍手を送っている。「ありがとう!」「最高!」「忘れない!」といった声が、会場の至る所から聞こえてくる。
俺は咲月と鈴菜と一緒に、深々と頭を下げた。
そしてジャパン交響楽団にも感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
「三日間、本当にありがとうございました!」
俺の言葉に、さらに大きな歓声が沸き起こった。
観客達の表情には、満足感と充実感、そして少しの寂しさが混在している。
最高の夏の思い出を、俺たちは確実に観客たちに届けることができた。
こうして俺が初参加したベルフェスは、終わりを迎えた。