第53話 音楽フェスの誘い
「悠さん、夏休みのご予定はいかがですか」
夏休みを間近に控えた7月中旬。
俺は同級生の女子から夏休みの予定を聞かれるという栄誉に授かった。
もっとも誘われるだけなら、転校した撫子高校では沢山の恋文をもらっている。
何しろ今世は、男女の出生率が三毛猫並の1対3万だ。希少な三毛猫のオスは、世間から大人気なのである。
――咲月の場合、そういうお誘いではないだろうけど。
桃山咲月は、俺のバンドメンバーであり、サブマネージャーを兼ねている。
子役から芸能人に上がれなかった経験があり、ベルゼ音楽事務所に移籍した後は契約を解除されないように、秘書検定を取って自分の経費を浮かせた。
そんな苦労人なので、自ら関係が破綻するようなことはしない。
咲月の性格を一言で表すなら、超奥手である。
だから俺は、仕事の話だと予想した。
「夏休みに、何かあるのですか?」
「はい。毎年恒例で、ベルゼ音楽フェスティバルが開催されていまして……」
やはり仕事の話だった。
咲月は音楽フェスティバルについて、認識を再確認する。
「音楽フェスティバルは、複数のアーティストが出演するライブイベントです。ベルゼも主催していて、毎年8月最初の週末、3日間掛けて行っています」
「3日間ですか。それは大規模ですね」
「はい。半世紀前から在る、老舗の音楽事務所ですから」
前世との差異は、どれほどあるだろうか。
前世の音楽フェスティバルは、屋外の広い会場で開催されることが多かった。
メインステージ以外にも複数のステージが設置されて、観客は好きなアーティストの演奏を聞くために各ステージを移動したり、芝生エリアでリラックスしながら音楽を楽しんだりしていた。
海外からも、多くの有名アーティストが招聘されたりする。
ジャンルも、ロック、ポップス、電子音楽、ヒップホップ、ジャズなど幅広い。
フェスティバルでは、飲食ブースやグッズ販売、アート展示なども併設されて、お祭りのような雰囲気を楽しむことが出来る。
音楽有りの夏祭りと見なしても、さほど間違いでは無いかもしれない。
「音楽フェスって、チケット代が高い印象がありますが」
「そうでしょうか。1日券が5000円、3日通し券が1万2000円で、沢山のアーティストの曲を聴けますけれど」
咲月が首を傾げながら話した金額は、前世の3分の1未満の価格だった。
「……すみません。価格を勘違いしていたようです」
前世と今世の違いは、明確に存在していた。
異性のアーティストに対する熱狂的なファンの有無が、チケット代に反映されているのだろう。
その価格だと、海外のアーティストや他所の事務所の大物は呼べない。
ベルゼ音楽事務所に所属する50組ほどのユニットを活用して、身内だけで出演料を安く抑えているのだろう。
チケット代が安ければ、敷居が下がって入場者が増える。
すると、飲食ブースやグッズの売り上げが上がる。
自社アーティストのコラボで、ファンのシェアも叶う。前世では良く目にした、人気者に引っ張ってもらうキャリーというテクニックだ。
「それでベルゼフェスがあるから、出演はどうですか、ということでしょうか?」
「はい。お察しの通りです」
咲月は微笑みを浮かべて、どちらでも大丈夫ですよという態度を示した。
そういう扱いになる理由は、主に2つある。
1つ目の理由は、最初に『事務所の仕事は、自分が受けても良いと思った内容しか受けない』という契約を結んだからだ。
2つ目の理由は、俺がベルゼ所属ではなく、業務提携している外部者だからだ。事務所の人間は出る不文律があっても、俺には適用されない。
つまり俺は、野生の三毛猫のように、自由なのである。
「そうですね。どうしようかなぁ」
出演料は、大した額ではないだろう。
先輩アーティストにキャリーしてもらうような展開にもならない。
何しろ俺は、楽曲提供した2曲が初週ミリオン、自曲は初週ダブルミリオンで、現在進行形でテレビCMとドラマ主演もしている。
チャンネル登録者数は、1400万人。
俺がキャリーをしてもらう展開よりも、俺がする展開のほうが考えられる。
それでも迷ったのは、ベルゼ所属の咲月と鈴菜は、出演するだろうからだ。
俺がリーダーを務めるバンド『バアル』のメンバーのうち3分の2が出る。
「ちなみに俺が出る場合と出ない場合で、どんな風に変わりますか」
「悠さんが出演される場合、鈴菜さんが金曜日、わたしが土曜日、悠さんが日曜日の順で割り振られます。出演されない場合、日曜日に鈴菜さんとわたしが出ます。演奏は、ジャパン交響楽団にお願いしています」
つまり俺が出ても出なくても、全体の流れは変わらないらしい。
「もしかしてドラマの撮影が終わるまで、俺への打診を控えていましたか?」
ふと、俺のドラマ撮影に悪影響が出ないようにしていたのかと思い当たった。
すると予想は的中したらしく、咲月は見破られて困ったような表情を浮かべた。
もちろん「配慮していました」などと、わざわざ口に出しては言われない。だが咲月の顔色は、何となく読めるようになってきた。
「出ても良いですけど、俺が日曜日に出ると、社会人は翌日に大変じゃないかな」
「そこは、ちゃんと考えていますよ」
苦笑した咲月は、タイムスケジュールを見せてきた。
開催場所 富士高原アートパーク
静岡県御殿場市北部(富士山麓の広大な自然文化公園)
アクセス 御殿場駅からシャトルバス運行(25分間)、都内から車で2時間。
宿泊施設 簡易宿泊施設や有料テント区画有り(宿泊は別料金)
開催時間 金曜日と土曜日は夜通し公演あり(28時頃まで)
午前中は静かな音楽中心。深夜帯は照明演出やクラブ系ユニット。
・金曜日
10時~ 開場、飲食エリア開放、オープニングイベント。
12時~ 若手、中堅ユニットが各ステージに登場。
20時~ メインイベント開催。
21時~ 照明演出、花火大会などを並行開催。
23時~ 深夜イベント開始(クラブ系、実験音楽ユニットなど)
・土曜日
8時~ モーニングライブ、自然散策イベントなどを並行開催。
12時~ 若手、中堅ユニットが各ステージに登場、コラボイベント開催。
20時~ メインイベント開催。
21時~ 照明演出、花火大会などを並行開催。
23時~ 深夜イベント開催(クラブ系、アコースティックライブなど)
・日曜日
8時~ モーニングライブ、自然散策イベントなどを並行開催。
12時~ 若手、中堅ユニットが各ステージに登場、ファミリーイベント開催。
14時~ 各ステージ最終パフォーマンス。
16時~ メインイベント開催。ヘッドライナーの最終ステージ。
17時~ クロージングセレモニー。アンコールセッション。
18時 終演。交通機関を考慮して完全撤収。
タイムスケジュールには、18時に終わると書かれている。
「18時に終了するなら、帰れますね」
「18時45分に御殿場駅発の電車に乗れば、関東、名古屋、新大阪に着けます。メインイベントが終わった17時に会場を出たら、金沢や仙台にも帰れます」
「しっかり考えて開催しているんですね」
流石に老舗の音楽事務所だけあって、様々に配慮されていた。
関東と関西と北陸の間にある静岡県で開催するところが練られているし、御殿場市北部の山中湖なら花火も打ち上げられる。
「分かりました。とりあえず今年は参加します」
「ありがとうございます。悠さんが参加して下さると、会場も盛り上がります」
おそらく、咲月が言ったとおりになるだろう。
懸念があるとすれば、俺には持ち歌が少ないことだ。
俺には発売した『夏の蛍』以外に、動画サイトで歌った3曲があるが、1時間も持つのかと問われたら厳しいと答えざるを得ない。
俺は咲月の瞳を見詰めて、提案するぞと言外に告げた。
「……何をするんですか?」
俺が咲月の表情を読めるのと同様に、咲月も俺の表情を読める。
哀れにも逃げられないサブマネージャーに対して、俺は恐ろしいことを口走る。
「明日までに、音楽フェス用の曲を作って送ります。ジャパン交響楽団に、演奏を依頼して下さい」
つまり6曲目の『夏の蛍』と、ドラマ最終回で歌う『道標』との間に割って入る7曲目の登場である。
「作詞作曲って、そんな簡単にできちゃうんですか?」
「具体的なイメージさえあれば、できますよ」
なおイメージするのは、前世に数多あった曲である。
今世には、現代に即した若い男性歌手の歌が存在しない。
おかげで俺は、前世を参考に作り放題である。
「今年の楽曲大賞、悠さんが金銀銅を独占しちゃいます?」
「いえ。1曲だけで残りは辞退します。7曲目は、ベルゼフェス用にしましょう」
3人で独占しようと提案するのは、まだ自重しているほうではないだろうか。
有識者からの意見は募らず、俺はそういうことにしておいた。