第45話 立て籠もり
「これで、一先ず安全だ」
家庭科室に戻った俺達は、内側から鍵を掛け、ドアの後ろにテーブルを置いた。相手が開けようとしても、鍵とテーブルが二重に塞いでくれる。
もっとも各自がトイレに行きたくなったら、その都度外すことになる。
そして6人がトイレに行くたびに、俺が護衛をする事になるのだろうか。
そう思った俺は、さらに安全区域を拡張することにした。
「実習棟の3階階段にある防火戸を閉じて、安全な区域を広げようと思う」
「どうして?」
優奈が代表して尋ねた。
「階段の前に防火戸を閉じて、机で非常口を防げば、相手はこちらが見えないし、音も聞き取り難くなる。トイレに行くたびにリスクがあるのは嫌だろう」
そう言われた優奈は頷きつつも、懸念を示した。
「もしかしたら非常ベルが鳴って、もっと沢山来るかも」
何が来るかといえば、感染者だ。
優奈に指摘されて、俺は防火扉を閉じて実習棟の3階を封鎖する案を躊躇った。だが前世の知識を思い出して、反論する。
「防火戸を閉じるだけなら、非常通報装置がある職員室に音が鳴るだけだと思う。火災警報器を押したり、消火栓を開いたりしたら、消防署に連絡が行ったはずだ」
「本当に?」
「多分そうだと思う。仮に鳴ったとしても、校内に先生が残っていれば音を止められるし、消防に通報が行って応援が来てくれる」
優奈の中でもメリットがデメリットを上回ったのか、俺の案は通った。
「防火戸を閉じてくる。その間に、家庭科室のカーテンを閉めてくれ。人が居ると知られたら、感染者が来るかもしれない。それと、ほかの部屋から机を出して、防火戸の後ろに置いて非常口を塞ごう」
「分かった。瞳子と小春でカーテンを閉めて。後は、みんなで行くよ」
優奈は、非力そうな写真部の瞳子と、小柄な小春を残した。そして咲、山岳部の千尋、弓道部の実弓を連れて、教室を出た。
「隣の視聴覚室、物置になっていて、机と椅子が置いてあるよね」
視聴覚室は近年あまり使われなくなった結果、教室の机と椅子を置く資材置き場のような扱いになっているのだろう。
優奈達が自己判断で動いてくれる中、俺は実習棟を走り、3階の階段に設置されている防火戸を閉めた。
その後は優奈達と協力して、防火戸にある小さな非常扉を念入りに塞いだ。
「視聴覚室の遮光カーテン、家庭科室のカーテンと付け替えたら良いかな」
「どうして?」
俺の思い付きに、優奈が首を傾げた。
「夜に明かりを使ったら、窓から光が漏れるだろう。だからといって、電気を消して完全な暗闇にするのは不便だろう」
「そうね」
「だから遮光カーテンを付けたい。人が居るかもしれないと思われないほうが良い」
俺は机の上に乗って、視聴覚室の真っ黒な遮光カーテンを取り外した。
すると3階の窓から、中庭の様子を見下ろせた。
中庭には、まだ逃げ惑う生徒が散見された。大半が内履きのまま、右往左往している。
優奈がカーテンを受け取りながら、中庭を覗き込んだ。
「正面門に複数の感染者が居たから、どこに逃げたら良いか分からない状態かな」
「正面、どれくらい居たの?」
「10人くらい見えた。ここは住宅密集地だからな」
学校の傍にはマンション、アパート、団地、住宅が密集している。
今日は平日だが、感染が流行して自宅療養が推奨されていたこともあって、家で休んでいた者も居ただろう。
そしてウイルスが変異して、徘徊を始めた。
学校に来る人間は、10人では済まない。
「よし、家庭科室に戻ろう」
これから何をすべきか考えた俺は、差し当たり一つだけ訂正しなければならないことを思い出した。
そして後ろを振り返り、付いてきている咲に声を掛ける。
「咲のお母さんに、メッセージを送れ」
「なんて送るの」
咲が振り返って聞いたので、俺は優奈達にも聞かせながら内容を伝える。
「3つ伝えてくれ。学校で安全を確保したこと。俺と一緒に居ること。迎えに来たら感染者に襲われるから来ないようにということだ」
「迎えに来てもらわなくて良いの?」
首を傾げた咲に向かって、俺は状況の変化を伝える。
「教室に行った時、正面門で感染者が、警備員と先生達を襲っているのが見えた。今来たら、咲のお母さんも同じ危険がある」
同意を求めるように千尋に視線を送ると、やや強張った表情で頷き返してきた。
「危ないと思う」
「分かったよ。そう連絡するね」
そう言って咲は、スマホを操作し始めた。
俺のほうは家庭科室に入るなり、カーテンを付け替え始める。
「家庭科室のカーテンは、視聴覚室から回収した遮光カーテンに変える」
まずは窓際にテーブルを置いて、内履きを脱いで上に乗る。
取り付けられているカーテンのフックに手を伸ばして、既存のカーテンを手早く取り外していった。
そして視聴覚室から持ってきた、光が漏れない遮光カーテンに付け替える。
俺が作業をしている間、中庭に感染者が入ってきた。
生徒達は叫び声を上げて、後ろから追いすがる感染者から逃げ惑っている。
追っている側は、明らかに異様な動きをしていた。
歩幅は不規則で、顔はうつろなまま、しかし腕を振り回して獲物を掴もうと手を伸ばしている。
「正面以外からも来ているのかな」
当初は学校の指示に従おうとしていた千尋が、短く呟いた。
あのまま学校の指示に従っていれば、今の千尋達は中庭で追われる立場だ。
俺はどう答えたものかと悩んだが、正直に答えることにした。
「学校の周りって、高めのフェンスで囲まれているよな」
「うん。囲まれてる」
「それなら裏側の住民は、フェンスの周りを歩いてきて、生徒を見かけたら乗り越えようとするんじゃないか。大回りに正面門に行ったら、逃げられるだろう」
高校は、フェンスの上に鉄条網を張り巡らせるような対策はされていない。
だからフェンスは、よじ登れば乗り越えられてしまう。
もっとも意識が朦朧とした感染者がよじ登るには、多少の時間が掛かるだろう。
「こっちに逃げて来るように声を掛けたりは、しないほうが良いんだよね」
千尋が尋ねた対象は、校庭を逃げ惑う生徒のことだろう。
高校は、確かに俺達の私有地ではない。同じ生徒が襲われているのに助けなくて良いのかという倫理的な問題はある。
だが人を助けられるのは、自分の安全を確立した後だ。
「呼んだら感染者も来るし、生徒も噛まれているかもしれない。無事に来れても、食糧が不足する。準備室の冷蔵庫にある食材だって、1年生がクッキーを作れる分しか無いんだろう」
「うん。小麦粉、バター、砂糖なんかは多めだけど、卵は足りないかも」
調理実習をしていた俺達は、冷蔵庫を開けて中を見ている。
在庫は少なからずあったが、避難者が増えた分だけ消費量も増える。
「食料が不足したら、取りに行くのは感染しない俺だ。だが男も襲われたとネットニュースに載っていた。見知らぬ他人のために、俺が死ぬのはお断りなんだが」
「そうだね。止めておくね」
千尋は、いやに呆気なく引き下がった。
もしかすると周りに聞かせるために、わざと助けないほうが良いことを確認したのかもしれない。
時折、遠くから悲鳴が聞こえてくる。
だが不足する食料を取りに行きたくないと俺が宣言したからか、誰も助けようとは言い出さない。
現状で可能なのは、警察への通報やネットを調べることだ。
「駄目ね。どこにも繋がらない」
警察に電話を掛けていた優奈が、お手上げを宣言した。
どれだけ電話を掛けても、不通のままだった。
「それだけ通報が多いんだろう。朝に比べて、状況が一気に悪くなったかな」
情報提供のサイトから送信して、警察署にメールも送ったが、反応は無かった。周りを見渡すと、千尋も首を横に振った。
「お母さんにメッセージ送ったよ」
「それは何よりだ」
咲の言葉だけが、この状況における唯一の朗報だった。
今の状況を伝える記事は、次々と上がっている。
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【緊急速報】ウイルス感染者の異常行動、急激に増加
世界各国が非常事態宣言を発令、専門家「本来の特性が現れた」
世界中で発生しているウイルス感染症の状況が、昨晩から一変した。
これまで風邪や肺炎に似た症状を示していた患者の多くが突如として重症化し、異常行動を示す事例が爆発的に増加している。
政府は本日午前10時、全国を対象に緊急事態宣言を発令した。
緊急対策本部は「現在、自治体が避難所の開設を進めています。お住まいの地域の情報を収集して、安全な場所に留まって下さい」と発表している。
・重症化した感染者の特徴
発語や意思表示が完全に失われ、本能的な攻撃行動を示す。
判断力が著しく低下し、人間に噛みつく、引っかくなどの行動に出る。また自分の怪我を気にせずに行動を続ける。
階段の昇降や、ドアノブを回す動作が確認されている。
車の運転といった複雑な動作は、確認されていない。
歩行時にふらつきが見られ、走る行動は確認されていない。
痛みへの反応が鈍く、通常なら動けなくなる傷を負っても行動を続ける。
・政府の対応
自衛隊による発電所など重要施設への警備と安全区域の設置が行われている。
物資の確保と配給システムの構築が指示されており、感染者との接触を避けるための外出自粛要請が出された。
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「一番マズいのは、ゾンビと違って生きていることなんだよなぁ」
「どういうことかな」
俺は最新のニュースを見ながら、周囲に賛同を求めるように呟くと、隣の咲が聞き返した。
「映画のゾンビと違って、感染した国民は生きている。病気の一種で、噛み付くのは症状だから、政治家は撃ち殺せと命令できない。すると自衛隊も撃てない」
少なくともアメリカなどが撃つ判断をした後でなければ、決断できないだろう。
日本よりも国民の自衛手段が乏しくて、かつ政府の対応が遅い国は、世界的に見ても少ない。
「政府が、『検討を加速します』と言っている間に感染者が増えて、インフラを支えられる人間が足りなくなって、文明を維持できなくなるに100ペソ」
「悠君。予想が外れたら、ちゃんとペソ貨で払えるの?」
するどいツッコミが入って、俺は沈黙した。代わりに手を伸ばして、咲の柔らかい頰をプニプニと抓る。
「いひゃい」
まるで赤子のように弾力のある肌だった。
「この状態が続くなら、水と食料が必要になるよ」
そんな風に俺が咲とじゃれていると、千尋が咲に助け船を出した。その話に優奈も乗っていく。
「今は水が出るよね。食べ物は怪しいけど」
「うん。でも水道供給施設って、市町村単位で沢山あるよ。消耗品だって、殺菌に使う塩素剤、ゴミを取り除く凝集剤、異臭味の除去に使う活性炭、pH調整剤とかがあって、それを続けてくれないと水道は使えないよ」
「それって、水道が止まるっていうこと?」
「水道供給施設を管理しなかったら、1週間くらいで細菌まみれ。そのうち貯水池の水が、そのまま流れてくるよ」
水に関しては大丈夫だと思っていた俺は、千尋の話に衝撃を受けた。
水道水が細菌まみれになれば、色々な細菌系の病気になる。
だが、自衛隊に数千ヵ所の水道供給施設を維持させるのは、不可能だ。
施設を維持する職員を守らせて、消耗品を製造する会社や原材料を調達する会社も守らせて、配送業者も守らせると、明らかに手が足りない。
「流し台に栓をして、水を溜めておくことは出来るけれど、保って1週間くらい。飲める湧き水が出て、畑で作物も作れる山とかに移動するのが良いかも」
山岳部の千尋は、山岳部らしく山を勧めた。
「弓道場の弓があれば、安全が増します」
千尋の話を聞いていた実弓が、口を開いた。
「調理実習室には包丁がありますが、ゾンビの返り血を浴びたり、引っかかれたりしたら終わりです。弓矢なら遠くから射られますし、木の枝でも矢を作れます」
つまり自衛手段がほしいということだ。矢を射るのは難しいと聞くが、弓道部の実弓なら直ぐに使える。
失念していたが、生存者同士で争いになる可能性もある。弓を持っていると、牽制になる。
「写真部にドローンとカメラがあります。それがあったら、安全な場所から周囲を確認できます」
実弓に続いて、瞳子も必要な物を主張した。
「それは確かに欲しいな」
男性も感染しないだけで、ニュースでは襲われると書かれていた。
100人の感染者が群れているところには、突っ込みたくない。
「薬とかも、あったほうが良いかもね」
最後に小春が主張して、俺達は首を傾げた。
「感染したら駄目じゃないの?」
優奈が尋ねると、小春は少し困った顔をして、視線を俺に向けた。
それで俺は、察してしまう。
教室に行った際、後ろのロッカーから回収したブツが不足するかもしれないということだろう。
小春と見つめ合った優奈は、以心伝心したらしく、話を纏めに掛かった。
「今なら、感染者に囲まれていないし、弓とドローンを確保し易いかも」
そして俺は、どうするかと判断を問われた。