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第43話 ドラマ撮影開始

 いよいよ本格的にドラマ撮影が始まった。

 俺は役に没頭すべく、自己暗示して、自分が鈴川悠馬だと思い込む。

 バンドメンバーの咲月は、幼馴染みの咲。

 マルチタレントの緑上優理は、クラス委員長の白沢優奈。


 ドラマには大まかな流れこそあるものの、自分がその世界に居ると思って、わりと好きにやって良い。

 なぜなら、男性が女心を理解できないのと同程度、女性も男心を理解できない。どうしてわんぱくなのか、冒険心を持つのか、お馬鹿なことをするのか。

 なぜなら、それが男の子だからだ。


 女性の脚本家が書いた男性よりも、男の俺が自由に振る舞うほうが男性らしい。

 そんな自由裁量権を得た今の俺は、撫子高校の家庭科室に居た。


 ――良い匂いがする。


 家庭科室には、香ばしい甘さが立ち込めていた。

 天板の上に並べられたクッキーの生地は、丸く成形され、きちんと間隔を開けて並んでいる。

 今は調理実習中というドラマのシーンだ。

 まだオーブンの中で焼かれていないものは、黄みがかった柔らかな質感を保ち、ほのかにバターと砂糖の香りを漂わせていた。


「へぇ、上手いものだな」


 服の内側に仕込んでいるマイクに向かって声を出しながら、咲が掻き混ぜたボウルを覗き込んだ。

 すると中には、滑らかなクッキー生地が入っていた。

 料理は分からないが、これを焼けば良いクッキーができるだろうと思う。

 家庭科室内に沢山設置されている撮影用のカメラでも、良い映像が撮れているだろう。


「ありがと。クッキーって難しくないよ。食べたかったら、家でも作ろうか?」


 言葉の最後で視線を合わせた咲の頬が、微かに赤く染まっていた。

 咲月も、役に入り込んでいるようだ。

 家が隣同士の幼馴染みで、高校でも仲が良いなら、結婚相手の有力候補だろう。森木悠なら遠慮するかもしれないが、鈴川悠馬の俺は遠慮せずに言った。


「それなら頼む。材料費は払うが、人件費はツケておいてくれ。溜まった分は、いつかまとめて返す」

「お客さん、これまでのツケ、結構溜まっていますよ」

「そろそろヤバいか?」


 幼馴染みにクッキーを作らせるような男は、かなりツケを溜めているだろう。

 俺が咲の顔色を窺うと、咲は表情を読ませない笑みを返した。


「清算方法は有りそうだな。その支払いで良いぞ」

「支払い方法、確認しなくて良いのかなぁ」

「念のため、マグロ漁船と蟹工船には乗らないと言っておこうか」


 わざと間違った予想をして、俺と咲は見つめ合った。

 クラスの前で言葉にするのは気恥ずかしい。そんな桃色の空気を漂わせた俺達の隣から、哀れな声が聞こえてくる。


「えー、どうして、こうなったの?」


 隣のテーブルを見ると、小春が焦げたクッキーを前に、困惑していた。

 実弓は何か言いたげな視線を小春に向けており、瞳子は諦めた目をしている。

 台本では、失敗しろとは書いていない。

 つまり小春がドラマのためにわざとやったか、本当に失敗したかだ。


 それを私達に食べさせたりはしないよねと、牽制する実弓。

 作為と不作為のいずれにせよ必然だったと、諦めて受け入れる瞳子。

 敗戦処理を始めた隣の班に向かって、優奈が尋ねた。


「千尋、どうして失敗させたの?」


 いかにも女の子といった容姿の千尋は、調理も得意なのかもしれない。

 余裕の表情を浮かべながら、自分の班の失敗を見逃した理由を話した。


「調理実習だからね」

「言っちゃったら、実習にならないってこと?」

「そうそう。これで小春も、焼き過ぎは駄目って分かったでしょ」


 千尋は、クッキーが失敗した理由を把握していた。

 その説明を聞いた小春は、恨めしそうに訴える。


「言ってよーっ。これ、食べるんだよ」

「うん、頑張ってね」


 しれっと拒まれた小春は、実弓と瞳子に視線を投げた。

 すると実弓のほうは、無言で見詰め返した。クッキーを食べろと言われれば、何故と聞き返しそうだ。

 瞳子のほうは、あたかも小春が見えていないように視線を外して、実習のノートを眺め始めた。数ページを捲りながら、視線を落とし続ける。

 すると小春は、焦りを誤魔化す笑顔を作って、俺のほうを見た。


「鈴川君。これプレゼント、手作りだよ」

「転校生に、炭を食べさせるんじゃありません」

「痛っ」


 クラス委員長優奈が小春の頭にチョップを食らわして、悪を迎撃してくれた。

 そこで咲が、救いの手を差し伸べる。


「休んだ班の材料で生地を多めに作ったから、焼き直したらどうかな」

「咲ちゃん、天使-!」


 咲の行動も、完全にアドリブだ。

 もしかすると小春の失敗も見込んで、対応策を用意していたのかもしれない。

 咲が小春に生地を分け与えている間、優奈が周囲を見渡しながら溢した。


「それにしても、体調崩してる子、やけに多くない?」


 そう言われた俺は、家庭科室を見渡した。

 俺達のクラスは30人だが、現在居るのは10人だ。

 実習の班は3つで、俺達3人、千尋達4人、ほかに1班3人しか無い。

 ちなみに担任の教村先生も、今日は病欠している。


「確かに、ここ数日で一気に欠席が増えたよね。休んでいる先生も増えたし、無理して学校に来た恵美も、さっき保健室に連れて行かれちゃったし」


 咲が、ヘラを置いて顔を上げた。

 先程まで居た恵美は、明らかに具合が悪くて、保健室に連れて行かれた。

 おかげで連れて行った家庭科の教師も、席を外したままだ。

 俺はスマホのロックを解除して、画面を覗き込んだ。


――――――――――――――――――

【緊急速報】世界規模で謎のウイルス感染拡大

      専門家「太陽フレアとの関連性」指摘


 世界各国で発生したウイルス感染症の拡大が止まらない状況となっている。

 当初は単なる季節性の感染症と思われていたが、世界規模で爆発的な感染拡大を見せており、世界保健機構(WHO)は緊急事態宣言を発出した。

 専門家によると、このウイルスは宇宙から大規模に飛来したか、既存のウイルスが外的要因で変異して、世界中に広がったとみられる。

 感染初期の症状は風邪に類似しているが、重症化すると神経系への影響が顕著になる特徴がある。


・神経伝達物質への影響で自制心喪失

 欧州疾病予防管理センターの速報によれば、重症患者では脳内のドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質のバランスが著しく崩れ、前頭葉の機能低下を引き起こすことが確認された。

 その結果、判断力の著しい低下と攻撃性の増加が同時に起こり、一部の患者には噛み付く、引っ掻くなどの異常行動が報告されている。

 厚生労働省感染症対策室は、「空気感染力は弱まりましたが、接触感染力と重症化の速度は上がりました。それがウイルスの元々の特性なのか、変異したのかは現在不明ですが、看護に当たる方々は細心の注意を払う必要があります」と語った。


・医療機関はパンク状態

 多くの病院が満床で、救急に連絡しても受け入れ困難な状態になっている。

 有効な治療薬は未だに開発されておらず、軽症から中等症の患者には自宅待機が要請されている。

 また昨晩からは、異常行動を起こす患者が各地で急増している。警察への連絡は非常に繋がり難い状態になっている。

 政府は本日午後6時から記者会見を行い、今後の対応策を発表する予定だ。


・太陽フレアとの関連性を指摘する声も

 この世界的な感染拡大の原因について、一週間前に観測された大規模な太陽フレアとの関連性を指摘する研究者もいる。東京天文大学の星野教授は「先週観測された太陽フレアは、過去80年で最大規模のものでした。放射線の影響で地球上の既存ウイルスが急速に変異した可能性も否定できません」と述べている。

 政府は現在、外出自粛を推奨するとともに、大人数での外食を控えるよう国民に呼びかけている。また、感染拡大を防ぐため、マスクの着用と手洗いの徹底、傷口の適切な処置を行うよう注意喚起している。


・『Y染色体免疫現象』が発見される

 現在注目を集めているのは、男性の感染例が全世界で一件も確認されておらず、襲った感染者から唾液や血液の濃厚接触を受けても、感染しなかったことだ。

 米国疾病予防管理センターの発表によると、Y染色体を持つ人間は何らかの理由でこのウイルスに対する免疫を持っている可能性があるという。

 Y染色体の遺伝子にある何らかの要素が防御機能を果たす可能性が指摘されており、80年前の太陽フレアによる影響の関連も含めて、分析が進められている。

 ネットニュースジャパン

――――――――――――――――――


「悠くん、授業中にネットを見ていたら駄目なんだよ」


 小春にクッキーの生地を分け終えて焼き始めた咲が、俺をやんわりと注意した。


「男子は、通信教育が一般的だったからな」


 言い訳をしていると、小春が隣から覗き込んできた。


「これって行動がゾンビみたいだから、ゾンビウイルスって言われているよね」

「そうらしいな。有効な治療薬も無いらしい。ところでクッキーは焼けたのか?」

「今度は、咲ちゃんと千尋ちゃんが見てくれたよ」

「それは安心感が半端ないな」


 やがてオーブンのタイマーが鳴り、焼きあがったクッキーを知らせた。


「あっ、できた!」


 小春は急いでオーブン手袋を手に取り、焼きあがったクッキーを取り出した。

 今回は、先ほどの焦げたものとは違い、きつね色に美しく焼けている。


「見て、完璧じゃない? これなら食べられるよ」


 小春の顔には満足げな笑みが浮かんでいた。

 とりあえず俺のほうは、お前が言うなと内心でツッコミを入れておく。

 もっとも、俺も自分でクッキーを作ったわけではないが。


 そんなことを思いつつ、家庭科室がある3階の窓から外に目をやると、校庭を歩く生徒の姿が目に入った。

 明らかに体調が優れない様子で、ふらつきながら歩いている。


「あれ、保健室に行った恵美じゃない?」


 瞳子の言葉に全員が窓際に集まった。


「どうして外にいるんだろう。先生、付いていったはずなのに」


 優奈の声には不安が滲んでいた。

 保健室に送り届けた後、恵美が勝手に移動したのか。

 それとも教師が連れて行く間に何かあったのか。


「保健室は1階なんだよな」

「うん。校庭の傍だけど」


 恵美は、まるで酔っぱらったように、足元がおぼつかない様子で歩いて行く。

 そして、時々は校舎の方向を見上げていた。

 それはニュースで報道されている異常行動だった。


「あれは重症化した状態だ」

「どうしていきなり重症化しているの」

「最新のニュースで、ウイルスが変異したと書かれていた。昨日の夜から、異常行動を起こす患者が急速に増加しているらしい」


 クラスの30人中19人が欠席しているが、その中には危機管理意識が高くて、症状が無いのに登校しなかった生徒が含まれているのかもしれない。


「悠君、救急に電話で良かったかな」

「ああ、今掛ける」


 俺はスマホを操作して、電話を掛けた。

 すると『大変混み合っております。しばらく経ってからお掛け直し下さい』と、救急らしからぬ音声ガイダンスが聞こえた。

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