第39話 学校での反応
登校して下足箱を開けると、奥に入った沢山の封筒に目が留まった。
いずれも上質な便箋が使われており、宛名の筆跡も丁寧だ。
それらを鞄にしまい、何事もなかったかのように教室に向かう。教室に入って、席に着くと、机の中にも封筒が入れられていた。
「沢山来ましたね」
咲月は、口元にわずかに笑みを浮かべて、柔らかく言った。
長い子役時代を経て、完全に身に付いている穏和なポーカーフェイスだ。
「ファンレターですかね」
「どうでしょうね」
俺が嘯くと、咲月は変わらぬ笑みで曖昧に答えた。
省略された言葉を予想するなら、「ファンレターもあるかもしれませんが、それ以外のほうが多そうです」だろうか。
二人だけの場所で、分からないから教えてくれと頼めば言ってくれるだろうが、答えは分かり切っているので聞くまでもない。
「まあ、男子が少ないですからね」
今世で男性は、全国規模で見ても、同学年に50人しか存在しない。
しかも男子の高校進学率は、戦前の女子の高校進学率に匹敵する約2割だ。
つまり男子高校生は、1学年に10人、3学年で30人しか居ない。
大半が通信教育で、俺以外に通学する男子高校生は、都内に居るのか疑わしい。
そして俺は、身長、体重、容姿、健康などにも目立った問題は無い。
その条件だけでも、充分にモテると分かっている。
相手が、芸能コースに通うような容姿の優れた女子であろうとだ。
前世では、女性タレントが男性と付き合うのは、ファンを減らす行為だった。
だが今世では、男性自体が殆ど居なくて、ファン層にも男性は居ない。そのため男性と付き合っても、自分のファンは減らさない。
男性と付き合っていることに嫉妬して、ファンを辞める女性も居るだろうが、それ以上に希少な男性と付き合っている話を聞きたがる新規層が増える。
「悠さんは、音楽家でもありますから」
咲月は、俺がモテる理由を追加した。
俺は作詞・作曲・演奏・歌唱ができて、配信では声が恰好良いと褒められた。
チャンネル登録者数は1100万人で、今世はビッグな男である。
「俺が逆の立場だと、気後れするのですが」
相手が、作詞・作曲・演奏・歌唱のできる可愛い声の音楽家で、チャンネル登録者数1100万人だった場合、俺なら釣り合わないと思ってしまう。
そんなことを考えていると、咲月は新たな視点を提示した。
「東大への記念受験みたいな感じで、記念告白かもしれません」
「それは、なんと言えば良いのやら」
あなたは東大に合格しましたと言われたら、通う気はあるのだろうか。
やっぱり止めたは、無しにしてもらいたい。
そんなことをされたら、その体験で一曲作ってしまいかねない。
「下駄箱に、『お手紙ありがとうございます。応じられませんが大切に頂戴します』とでも貼っておけば、満足されますかね」
「殆どの子は、それで納得してくれると思います」
咲月は少しだけ思案した後、ゆっくりと頷いた。
それで話が一段落すると、隣に座る優理が、不思議そうに尋ねた。
「どうして敬語なの」
その問いは、俺が咲月に対して敬語を使っていることについてだろう。
俺はパーティで優理と会ったとき、咲月と同じバンドメンバーの鈴菜に、敬語を使っていなかった。
クラスでは、クラスメイトの優理に敬語を使っていない。
ドラマ撮影でも、幼馴染みの咲に対して敬語を使っていない。
どうして咲月にだけ敬語なのかと疑問を抱くのは、無理からぬ話だ。
「咲月さんは、俺が業務提携しているベルゼ音楽事務所との中継役も兼ねている」
「そうなんだ?」
「そうだ。いきなり社長がガツンと言うと、ショックが大きいだろう。話し合いを円滑に進めるために、間に挟まるマシュマロみたいな役をやってくれている」
優理が感心した様子で咲月を見ると、咲月は是非が曖昧な笑みを浮かべた。
「だから俺は、咲月さんの役割に敬意を払って、敬語で話している。なあなあの関係にすると、役割を果たし難いだろう」
咲月はバンドメンバーであると同時に、ベルゼのサブマネージャーでもある。
俺とベルゼとの間を取り持つ役割があって、社長やマネージャーの黒原とのクッション役を果たしている。
俺が馴れ馴れしかったり、頭ごなしだったりすると、咲月が役割を果たせない。すると俺も、必要な情報をスムーズに受け取れなくなって、困ったことになる。
だから咲月の立場を尊重しているという意味を込めて、敬語を使っている。
仕事の関係なので、ビジネスマナーだと考えても良いだろう。
鈴菜の場合は、バンドメンバーであるだけで、サブマネージャーではない。
つまり敬語にする必然性が無い。
それが両者の呼び方を区別している理由だ。
「ここでは同級生だし、ドラマの撮影でもタメ口だから、敬語は止めたらどう?」
優理の提案に、俺は一瞬迷った。
何かのシーンに使えるかもしれないので、カメラは撮りっぱなしで置いてある。
だが撮られていると意識すると、日常会話ができなくなる。
クラスメイトも気が休まらないだろう
「ずっと撮影だと、気が休まらない。だから幼馴染みの近場咲ではなく、咲月さんとして話す。それならドラマに使えないから、好きに話せる」
俺の言葉で、教室の空気が弛緩した。
ドラマのシーンに使われるかもしれない状況だと、やはり緊張するらしい。
「オンオフって大事だよね」
優理が納得して、咲月への敬語は継続となった。
「だけど思ったよりも大人しいな」
俺が廊下を見て呟くと、優理は不思議そうな表情を浮かべた。
「教室に入って来ないし、廊下でも話し掛けてこない」
「ああ、そういうこと」
俺が話し掛けられないことを不思議に思うと、優理は咲月に視線を向けて、中継役の仕事を促した。
「ほかのクラスに入ることや、ほかのクラスの生徒に不用意な接触をすることは、禁止されています。守れないと退学です」
「そうなんですか」
前世が普通の高校だった俺にとっては、かなり厳しい校則に思えた。
「撫子高校には芸能コースや体育コースがあり、芸能人やスポーツ選手が居ます。でもファンだからといって話し掛けられると、コンディションが変わって、仕事や成績に悪影響が出るかもしれません」
確かに、そうかもしれないと思った。
撫子高校を運営する撫子テレビは、今回のように高校を舞台にしたドラマを撮影したいし、芸能人を安定して使いたい。
邪魔をされると、何のために学校を創立したのか分からなくなる。
それにスポーツ選手も、かなりメンタルに左右される。
フィギュアスケートの選手が学校に通っているとして、国際大会の間近に隣のクラスから、ファンを名乗る子が来て「サインをしてください」と言ったとする。
それは断っていますと伝えて、舌打ちでもされたら、大会に悪影響がでる。
言った言わないの水掛け論になるなら『他所のクラスに行くな、破ったら退学』と決めておいたほうが良い。
それなら情状酌量の余地があれば温情措置を取れる一方で、被害者が訴えれば、教室に入った目撃者が沢山居ると告げて厳格に処断できる。
「それで手紙は送れても、直接話し掛けることはできないわけですか」
「下足箱に手紙を入れたり、机に手紙を入れてくれるように頼んだりすることは、校則違反ではありません。悠さんが、自分で待ち合わせの場所に行かれる場合は、同意が取れたことになります」
「この学校、けっこう考えているんですね」
ルールを守る生徒のほうも、行儀が良い。
生徒がテレビ局関係者の子供、芸能コース、体育コースに限られるからだろう。
ただし完全に統制できるわけではなく、前任の男性俳優は、撮影中に襲われた。だから制作費から警備費を出して、撮影期間中は俺に護衛を付けている。
流石に予算配分が多すぎて、使い切れずにかなり余るだろうが。
――俺を説得するための見せ札だったのかな。
これだけ安全に配慮していますという説得材料だったのかもしれない。
護衛1人につき1日10万円、4人体制を30日間続けても1200万円。
メンバーシップで収入は確保されており、芸能活動を続けるなら経費にできる。
それくらいで安全が確保できるなら、高校に通い続けようかと思わなくもない。
一応俺は、女子が好きなほうである。
女子校という響きは、ワクワクしないだろうか。
そんな風に思いながら、沢山の手紙を鞄に放り込んだ。