第34話 悪役令嬢撃退!
「ごきげんよう、麗華さん」
現れた少女は、俺達と同じ年齢か、前後1歳ほどだった。
中学2年生以下には見えないし、高校3年生以上にも見えない。
整った容姿で、瞳は暗闇で見詰めてくる人形のようだった。
光沢のあるダークパープルのドレスが、会場の照明に反射して妖しく光る。
「そちらの男性は、初めてお目にかかりますわね」
上品な言い回しだが、自己紹介しろという意味だろう。
もっとも、ここは社交の場である。
初対面の者同士が会えば、両方に面識のある者が紹介するのは自然な流れだ。
鈴菜は、内心の思いは別として、俺を相手に紹介した。
「パートナーとして参加して頂いた、音楽家の森木悠さんです。先月ミリオンを記録した『白の誓い』と『歩んだ道』を作詞作曲されて、ダブルミリオンを記録した『夏の蛍』では、ボーカルもされましたの」
生憎と俺には、この場で通用するような大企業の肩書きはない。
だが、俺が先月出した『夏の蛍』は、初週でストリーミング再生6800万回、ダウンロード148万件、CD106万枚ほど売れた。
平均すると、全国民の2人に1人が再生しており、47人に1人がダウンロードするか買っていることになる。
しかも、松風誠心堂のCEOである山口のような老年は知らず、グランデパート副社長である佐原が孫に買っていることから、購買層は若い世代が中心だ。
本人が関心を持たずとも、半月前に発売した曲を同級生が話さないはずがなく、麗華の耳に入らないわけもない。
――知らない振りは、できないだろうな。
ここで知らない振りをすると、西坂の後継者はアンテナが低いのだと、業界団体の集いで知らしめることになる。
将来の西坂グループが、世の中の情報に疎くて、対応力が低いと思われる。
そうなった場合、業務提携や流通の協力で相手を探す際、候補から除外されて、不利益を蒙る可能性もある。
麗華は知らない振りをせず、さりとて関心が強い態度も見せず、端整な顔立ちで無表情に俺を見た。
席を立った俺は、軽く一礼して名乗る。
「初めまして。ご紹介頂いた、音楽家の森木悠です」
「西坂グループの西坂麗華ですわ」
俺が礼儀正しく対応すると、麗華のほうも挨拶を返した。
そして視線を鈴菜に移し、言葉を続ける。
「鈴菜さん、まだ音楽活動を続けていらっしゃいますのね。青島グループの御令嬢ですのに」
俺は親しいからといって、一方の話だけを鵜呑みにして決め付けたりはしない。
争っているのなら両方の言い分を聞くべきだし、客観的な第三者が根拠を示して評しているなら参考にする。
なにしろ前世では、法卒だった。
頭には、罪刑法定主義、犯罪構成要件といった言葉が自然に浮かんでくる。
ついでに教職課程も取れたので、中学と高校の教員免許状も計3枚持っており、教育心理学、行動心理学、犯罪心理学など各種の心理学も履修した。
どういった意図で行動しているのかは、ちゃんと観察する。
今回のパーティでは、俺は会場入りする前から、鈴菜と一緒に居た。
俺と一緒に居た鈴菜は、麗華に対して、何もしていなかった。
それにもかかわらず、麗華のほうから「まだ音楽を続けている」と発言した。
鈴菜から事前に聞いた話と、完全に一致している。
座席的にもB席とD席で、麗華のほうが業界団体で優位な立場にある。
つまり麗華は、優位な立場で鈴菜にケチを付けに来たわけだ。
俺は、それを自分自身で確認した。
したがって、行動開始である。
「鈴菜は、私が作ったバンドのメンバーです。続けて頂かないと困ります」
当事者として聞き逃せないという建前で、俺は話に割って入った。
麗華は、ほんの僅かに目を開いて、驚いた様子を見せる。
だが言い返さないので、俺は話を続けた。
「私は4月に活動を始めまして、2ヵ月半で配信サイトの登録者が1100万人になりました。マーケティングで考えると、かなりの成果でしょう。おかげで、黄川グループさんからもお声掛け頂きまして、テレビCMにも出させて頂きました」
国内トップ企業である黄川の名前で、麗華の反撃を一時的に封じた。
黄川本社の純利益は、国内企業の2位から5位までを合計した額を上回る。
子会社ですら、片手の数に収まらない数が国内上位300社に名を連ねており、そのうち2社は上位20社以内に入る。
黄川は本社単体で、西坂の100倍ほどの純利益がある。
上位の子会社でも、西坂の10倍は大きい。
しかも黄川は、日本が外貨を獲得する最有力の手段だ。
外貨が無ければ、石油や天然ガス、鉱石やゴムなどの原材料を輸入できない。
黄川の利益は日本の生命線であり、国単位で事業を後押ししている。
一方で西坂は、テナントを貸し出す国内の不動産業でしかない。
両社が喧嘩をしたとき、政府がどちらを優遇するか、語るまでも無い。黄川は、西坂がどうにか出来る相手ではない。
さらに俺は、駄目押しを続けた。
「私のバンド活動は、鈴菜の協力で成り立っています。これからも黄川さんなどの曲作りをして行くにあたって、止めさせられては困るのです」
麗華のせいで、黄川のCM作りに悪影響が出てしまう。
西坂グループは、黄川グループを妨害するのか。
俺の発言は、そういった意味合いの警告になるわけだ。
この場には、経済産業大臣政務官や、撫子テレビ取締役相談役も参加している。
はたして麗華は、納得しがたい不満げな表情を浮かべていた。
「失礼ですが森木さんは、どこかの企業のご子息でいらっしゃいますの?」
「いいえ、一般庶民の出自です」
「それではご存じないでしょうが、大企業の後継者には、従業員の生活を支える責任がございますの。好き勝手に辞めては、迷惑を掛けるのですわ」
なんと麗華は、この状況でも反論してきた。
俺が付いて来ても、警告しても、嫌がらせは止めないらしい。
このようなことは、西坂グループが競合他社の青島グループをライバル視して、攻撃していればこそ起こり得る。
後継者が使命感と責任感を持って、親を模倣してしまうのだ。
俺は仕方がなく、次の対応に打って出た。
「西坂さんのことは、鈴菜から聞いておりました。音楽活動を遊んでいると指摘されると。『とても情熱を注いでいらっしゃいますのね。将来は、ご自身で交響楽団でも運営されますのかしら』と言うのは、『青島家の娘は将来の進路が外れており、交響楽団の運営という大金を使うような無駄遣いしている』ということですよね」
「ええ、それが何かしら」
鈴菜から聞かされていたことを確認したところ、麗華は呆気なく認めた。
そして、ちっとも悪気を見せない。
「おかげで鈴菜が困っています。今日も、小売業界団体が主催した社交パーティの場で、西坂さんのほうから鈴菜の席に来て、『青島グループの令嬢でありながら、まだ音楽を続けているのか』と発言されました」
そう言った俺は、胸ポケットからペン型の動画撮影用カメラを取り出した。
今までのやり取りは、ポケットに仕込んだカメラがしっかりと記録している。
「配信サイトのチャンネル登録者1100万人とは、私が動画を載せた際、同数が視聴するということです。内容によっては、数倍の家族や、友人にも伝わります。鈴菜は、私とのバンド活動に悪影響を受けています」
「盗聴は、犯罪ですわよ」
「自分が当事者の録音や録画は、第三者が通信を傍受する行為ではないので、盗聴にあたりません。最高裁の判例でも、秘密録音は違法ではなく、証拠能力もあると判決が出ています。私が当事者の動画を、事実として公開するだけです」
録音ではなく、より情報量が多い動画だと明言した。
しかもポケットから出して麗華に見せたタイミングで、麗華の姿も映った。
西坂グループの御令嬢が、社交パーティという公の場で、俺のバンドメンバーに嫌がらせをして、バンド活動を妨害している。
それを世間に知られれば、大炎上は不可避だ。
「公開すれば名誉毀損ですわ」
「刑法第230条の名誉毀損は、同条その2で、『犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関するとみなし、真実の証明があれば罰しない』とされています。つまり、威力業務妨害の事実を公表する場合は、違法性が阻却されるわけです」
要するに、麗華の行為に関しては、動画を公開しても良いわけである。
西坂グループは業界ナンバーワンではなく、市民生活に不可欠な企業でもない。
客が嫌って避ければ、売り上げは激減するだろう。
「動画撮影用のカメラは2台、録音機は1台使っています。一般庶民の私は夜道も怖いので、懇意にさせて頂いている黄川グループさんにもデータを預けて、万が一を避けることにします」
俺は、2台目の動画撮影用カメラを内ポケットから取り出して、麗華に見せた。
何度も撮影の練習をしており、会場に入る前に作動していることも確認済みだ。
すでに会場は静寂に包まれており、周囲の視線が集中している。
俺はスマホを取り出すと、あらかじめ掛けるかもしれないと伝えていた梨穗に電話を掛けた。すると、直ぐに電話が繋がった。
それをスピーカーモードにして、麗華にも聞かせながら話し始める。
『はい、黄川梨穗です』
「黄川さん、夜分にすみません。この前お願いした西坂さんの件ですが、データをお預けしたいです。皇都ホテルに、人を送って頂けませんでしょうか」
『私と悠さんの仲で、他人行儀だと思います。前みたいに、梨穗と呼んで下さい』
俺が梨穗を呼び捨てにしたのは、収益化配信の際、俺のファンである梨穗がメンギフを大量に投げてきたので、それを止めようとした時だ。
だが、そんなことを麗華が知る由もない。
相応に親しい関係なのだと思うだろう。
もっとも、実際に電話を掛けて頼み事が出来る間柄だが。
「梨穗、すまないが動画を取りに来てくれ。奪われたら困るんだ」
誰に奪われるとは言わない。
だがこれは、西坂グループの純利益が激減するデータだ。
西坂は、純利益300億円の青島に対して、一方的な嫌がらせを行える企業だ。つまり、青島よりも大きな企業が、大損害を蒙る。
すると、一体誰がデータを奪いに来るだろうか。
わざわざ明言しなくても、100人中100人が犯人を想像できる。
はたして梨穗は、分かり易く予防線を張ってくれた。
『もう皇都ホテルに居ます。私が、黄川の警備会社から人を連れて来ています』
「梨穗は、黄川グループの本社取締役だろう。自分で来ているのか?」
『ええ。元自衛官のチームを連れて来ました。パーティ会場にも、黄川が手配した人達が紛れています。ですから、ご安心下さいね。それでは今から行きます』
「迷惑を掛けたな。何かしら埋め合わせをする」
『期待しますね。では、一度切ります』
梨穗が通話を切った後、俺は麗華を見た。
麗華の顔色は、人形のように白くなっている。
場の空気も悪くしたが、上位企業が下位企業に嫌がらせすることを許容してきた社交パーティの空気など、ぶちこわしても一向に構わない。
経済的に強い者が偉いルールでやってきたのだから、作法に従っただけだ。
「念のためにですが、この会話の当事者は私・森木悠で、西坂さんの行動によって被害を受けているのは森木悠のバンド活動です。青島グループは当事者ではなく、そちらと取引をしても無意味だと明言しておきます」
「取引先は、あなたになるのかしら」
麗華は、一縷の望みを掛けたのかもしれない。
一般庶民の出である俺なら、上手く言いくるめられるかもしれないと。
だが、俺が当事者だと主張したのは、それによって録画を合法にするためだ。
小売業界団体が主催した社交パーティの場と明言したのも、公の場での会話だと強調して、プライバシーの侵害などと言わせないためである。
「法的な話し合いは、顧問弁護士集団を抱えておられる黄川さんにお任せします。なお、私が死亡または行方不明になった場合、いかなる理由であろうと、動画は必ず公開してもらいます。私のほうでも、予約投稿を設定しておきます」
「あなたの曲、実は好きでしたのよ」
一瞬、虚を突かれた。
「歌詞の『触れてはならぬ綺麗な清流』が、高嶺の花である鈴菜のことを歌ったのではないかとニュースになった曲です。鈴菜の音楽に、嫌味を言い続けて来られた西坂さんが、お好みになられるとは到底思えません」
論破できたのは、前世のおかげであろう。
狡猾な反撃を封じていると、やがて会場の入口に、梨穗が姿を現した。
20人以上の元自衛官らしき護衛を引き連れており、会場の受付が困った表情を浮かべながら、後ろに付いてきている。
会場の人間が梨穗を呼んだと示すべく、俺は手を大きく振って、合図を送った。
☆最高裁判所判例集 (悠が言った詳細)
・最高裁昭和52年7月15日第二小法廷(刑集31巻4号539頁)
相手方の同意を得ない秘密録音について、著しく反社会的な手段で
収集されたものでなければ、証拠能力があるとした判例。
・最高裁平成12年7月12日第二小法廷(刑集54巻6号513頁)
一方の当事者が、相手方の同意を得ないで行った録音でも、
違法ではなく、証拠能力も否定されないとした判例。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51220
司法制度の統一性を保つため、下級審は最高裁判例に従うのが通例。