第29話 高嶺の花
窓の向こうに広がる摩天楼が、照り返す陽光で眩しく輝いている。
俺は空調が効いた収録室で、スタンドにギターを立て掛けた。そして放送予定を聞いていたテレビを見るべく、休憩室に移動する。
「何が放送されますの」
一緒に休憩室へ入った鈴菜が、小さく首を傾げた。
「山口県の角島を巡る旅行番組らしい」
「それって、テレビCMを撮影した島ですわよね?」
俺が答えると、鈴菜は直ぐに心当たりを口にした。
黄川自動車の新車オリオンは、現在テレビCMが大好評放送中だ。
CMが大好評というのもおかしな話だが、実際にSNSでバズっている。
男女比が三毛猫の世界で男性がテレビ出演しており、しかも弾き語りをするのだから、前世で美少女のスカートが風でめくれ上がったくらいには周囲が注目する。
どう足掻いても回避不能の罠であろう。
「ちなみに登場するのは、CMで運転していた芸能人の大橋……さんだ」
今回の番組は、スポンサーの黄川グループが、新車の宣伝目的で制作させた。
CMに出演していた大橋は、今回は新車オリオンで現地を巡る。
テレビを眺めていると、時間通りにグレイッシュブルーのオリオンが登場して、角島大橋を渡る映像が流れ始めた。
橋を渡る青い車が、空と海の境界線に吸い込まれていく。
『この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りします』
声落ち着いた声と共に、黄川グループの名前が画面いっぱいに表示された。
まったく隠す気のない、見事なダイレクトマーケティングである。
スポンサーの表示が終わると、早朝の角島大橋を一望できるビュースポットが映し出された。
そこに現れたのは、大橋と、俺たちと同年代と見える少女だった。
落ち着いた緑色の髪が、潮風に揺れている。
少女は両手を胸元で組むようにして、感動を隠しきれない声を上げた。
『凄い綺麗!』
言葉が感嘆符と共に風に乗って、画面の向こうから届いてきた。
「前に黄川自動車のCMにも出ていた、緑上優理ですわね」
「ああ、それで相方に呼ばれたのか」
黄川自動車のイメージがあるなら、ほかの人間をキャスティングするよりも、宣伝効果が高くなるだろう。
10代の優理と30代の大橋を組ませれば、質問役と説明役も上手く成り立つ。
エメラルドグリーンの海を背にした緑上は、自然体で大橋に質問した。
『香雅里さんは、4月にも撮影に来られたんですよね』
『そうそう。4月末に、今すごく人気になっている森木悠さんと』
大橋が相槌を打つように応えると、鈴菜が俺に視線を向けた。
「だから事前に、放送予定を教えてくれたのかもな」
俺は納得しながら、テレビを眺める。
『オリオンのCM曲でメジャーデビューして、3曲連続でメガヒットを記録している男性音楽家の森木悠さんですよね』
優理は、テレビの視聴者に解説するように、聞き返した。
その対応は、10代とは思えないほど場慣れしている。
ロケ地でそのように受け答えができるのは、経験値の高さだろうか。
『まだ3曲目は、初週の結果が出ていないけどね』
『そんなの、絶対にメガヒットに決まっているじゃないですか』
優理は苦笑しながら、周囲の景色に視線を巡らせた。
カメラがその視線を追うと、角島のビュースポットには、撮影の時には居なかった沢山の観光客の姿があった。
人だかりが作られており、スマホを掲げて角島大橋を撮影している。
「あんなに混んでいましたの?」
「いや、全然居なかった」
CM撮影と旅行番組の撮影時間は、同じ朝方だ。
季節は4月末と6月頭で1ヵ月と少し異なるが、それだけでは説明が付かない人数が周囲に集っている。
『最初に行くのは漁師さんのお店ですよね。どんなものがあるんですか?』
『CMではイカ焼きだったけど、お刺身もあるよ』
優理が弾むような声で話題を転じると、大橋が懐かしむように答えた。
テレビを見ていた俺にも、その情景が浮かび上がる。
水槽で泳いでいた魚を捕まえて、その場で捌いて皿に盛り付けていた。
俺と梨穗がイカ焼きを食べる場所から少し離れて、大橋はマネージャーから受け取った刺身に醤油を垂らして、食べていた。
思い出した大橋が美味しそうな顔を浮かべたからか、優理も笑顔で訴える。
『楽しみです。それじゃあ行きましょう』
優理と大橋は、車のドアを開けて車に乗り込んだ。
オリオンが走り出すと、それをドローンが追いかけていく。
青い車体と鮮やかな島の色合いが、風景画のように画面を満たしていった。
テレビ画面が再び切り替わり、漁師の店が映し出された。
瓦屋根の建物の前には、目を疑うような長蛇の列ができている。
列を形成する女性達は、スマホで店と自分達を楽しそうに撮影していた。
「俺達の時は、あんなに並ばなかったぞ」
鈴菜から聞かれる前に、俺は念押しをした。
テレビの画面には、島民と思しき中高年の女性達が複数で、接客を手伝っている様子も映り込んでいた。
カメラが向きを変えると、近くに設置されているベンチが映る。
そこには大橋と優理が、疲れた表情を浮かべながら、腰を下ろしていた。
手元には、しっかりと焼きイカを持っている。
『やっと買えたね』
『並びましたね』
大橋が溜息交じりに口を開くと、優理が苦笑いを浮かべた。
どれだけ並んだのかは知らないが、この番組はスポンサーである黄川自動車が、タレントにCM撮影を行った場所を巡らせて、新車の販促効果を高める構成だ。
混んでいるから止めようなどと、番組の内容を変更するわけにはいかない。
『それじゃあ、いただきまーす』
優理が元気よく言って、串に刺さったイカ焼きを小さくかじった。
直後、優理は目を細め、頬を緩め、感動の声を上げた。
『朝獲りのイカは鮮度が格別ですね。甘くて、身がプリプリしていて、炭火が香ばしくて、口の中でとろけます』
語尾まで淀みなく紡がれるコメントは、年齢に見合わない表現力だった。
「凄い、プロだな」
「5歳からテレビにレギュラー出演している、大人気のマルチタレントですわよ」
俺が感心すると、鈴菜がプロ中のプロだと補足した。
黄川グループのCMに起用されるのも納得の技量だ。
そんな優理に比べると、アイドルグループ上がりの大橋は、単調に伝えていた。
『美味しいーっ』
道理で、卒業後は番組に呼ばれなかったわけである。
『香雅里さんが出たCMの曲で、気になっていることがあるんですけど』
口に含んだイカ焼きを大橋が呑み込むのを待って、優理が声を掛けた。
話題は車のCM曲なので、とても良い選択である。
『あんまり知らないけど、何かな?』
大橋の下の名前が香雅里であることは、黄川の宣伝をリポストして知った。
俺が名前を知らなかったくらいだから、大橋も俺のことは殆ど知らないはずだ。
大丈夫だろうかと思って見ていると、優理が歌い出した。
『触れてはならぬ綺麗な清流、清らかな水が欲しい。叶うなら愛してほしい、僕の光で水面を照らさせて』
それはCM曲に使った『夏の蛍』のうち、採用していない最後のフレーズだ。
楽器は何も無いが、優理は原曲のテンポに合わせて、とても上手く歌った。
そして、不意に尋ねる。
『これって、1曲目に楽曲提供した青島鈴菜さんと、2曲目に楽曲提供した桃山咲月さんのどちらのことなのか、ネットで論争が起きているんですけど』
優理が尋ねた直後、俺の身体がビクリと震えた。
俺は視線を逸らしたが、鈴菜の視線は、俺に向けられているような気がする。
『どういう論争なの?』
『触れてはならぬ綺麗な清流の歌詞は、触れられない高嶺の花という意味だから、お嬢様の青島鈴菜さんのことだという主張があって』
優理の質問からは、高い教養が垣間見える。
反対に大橋は、あまり考えていなさそうな顔で頷いていた。
『でも1曲目の『白の誓い』は恋が成就して、2曲目の『歩んだ道』は失恋したから、2曲目を歌った桃山咲月さんのことだという主張もあるんです』
まるで番組の司会者のように、優理はネット上の論争を解説した。
「高嶺の花ではないですわよ」
俺が黙っていると、隣の鈴菜が柔らかく言葉を紡いだ。