第28話 成功の実感
俺達は一週間ぶりに、事務所で顔を会わせた。
場所は、前回と同じ打ち合わせ室。
柔らかな木目のテーブルとイスがあり、部屋の端には観葉植物も置かれている。
遮光カーテン越しに差し込む陽光が、室内を柔らかく照らし、テーブルに置かれたカップの湯気を銀糸のように揺らしていた。
「もう5月が終わってしまう」
「早いですわね」
俺の呟きに、鈴菜が同意した。
時間を無為にしたわけではなく、この一週間は鈴菜と咲月に中間テストがあり、二人の学業を優先していたのだ。
平穏な日常を取り戻したところで、過去の結果が出た。
「ストリーミング再生が競合することは、想像していませんでした」
「相乗効果も有りますから」
慰めるように咲月へ声を掛けると、咲月は微笑を浮かべて応じた。
だが、やや残念そうな空気を纏っていることは否めない。
「まあ記事では、絶賛してくれていますが」
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【音楽速報】バアル『歩んだ道』が大ヒット継続中!
男性音楽家の描く"別れの美学"が女性の心を掴む
デビュー曲『白の誓い』で音楽界に激震を走らせた音楽ユニット『バアル』が、今度は桃山咲月(15)のボーカルによる『歩んだ道』で再び快挙を達成した。
初週でストリーミング再生3300万回、ダウンロード76万件、CD48万枚という大記録を樹立。前作に続き、歴代記録を塗り替えるメガヒットとなった。
音楽評論家の水谷律子氏は「『白の誓い』は偶然ではなかったと証明された。『歩んだ道』の歌詞は、失恋というテーマに新たな息吹を与えた」と評価する。
作詞作曲を手がけたのは、チャンネル登録者900万人を突破した男性音楽家、森木悠。森木は、前作『白の誓い』に続き、現代では失われた恋人との別れという感情を繊細に描写し、その技法に大きな注目を集めている。
最大の特徴は、「諦め」と「応援」という相感情の共存を描いた歌詞だ。「あなたを後ろから押しているから、応援しているから」というフレーズは、多くの女性の感情に強く訴えかけている。
音楽プロデューサーの西田麻衣氏は「『歩んだ道』は、前へ進んでいく相手を見送る切なさと、相手の幸せを願う純粋さが見事に表現されている。男女比が極端に偏った現代において、男性を想い続ける切実さが響いている」と分析する。
演奏を担当したジャパン交響楽団の卓越した演奏と、桃山咲月の切ない歌声とが見事に融和し、聴いた人々の心を惹き付けて離さない。
音楽配信サービス各社の統計によると、若年層だけでなく幅広い世代に受け入れられている点も注目される。購入者の大半が『白の誓い』のファンを兼ねており、支持層の定着も顕著だ。
ストリーミング再生の差は、『白の誓い』との分散によるもので、ダウンロード数は4万件、CDの売り上げは3万枚も増えている。
本日は、森木悠自身のボーカル曲『夏の蛍』のリリース日でもあり、次々と展開されるバアルの活動に、音楽業界全体の注目が集まっている。
音楽ニュースオンライン 5月30日 15:30
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「よく考えれば、競合するのは当たり前でした」
俺は自分の動画チャンネルで、鈴菜と咲月の曲を宣伝している。
だが、宣伝する相手が同じなので、ストリーミング再生は分散する。
最初に出した鈴菜の曲と比べて、二番目に出した咲月の曲は、初週の再生回数で7割弱という結果になっている。
ダウンロード数とCDの販売数は伸びたが、それは鈴菜の曲が人気になって1週間のうちに増えた新規層の一部が、咲月の曲も買ってくれたからだ。
鈴菜の曲も伸びているので、最終的な結果は鈴菜が上になるだろう。
「鈴菜さんが、ジャパン交響楽団にお願いして下さったから作れたのですし、沢山売れていますから」
咲月の言葉は事実で、ジャパン交響楽団が演奏してくれたからこそ、高いクオリティで早期にリリースが出来ている。
日本では売り上げ100万枚でメガヒットと呼ばれるが、デジタルダウンロードと物理メディアの合計では、初週で100万という数字を大きく上回っている。
俺は頷いて、咲月の結論を受け入れた。
「学校での反応はどうでしたの?」
鈴菜が、手にしたカップを静かにソーサーへ戻しながら話題を変えた。
「ちょっと大変でした」
咲月は僅かに肩をすくめて、謙虚に答えた。
俺達が沈黙して待つと、咲月はのんびりとした口調で説明を続ける。
「うちのクラスは芸能コースで、クラスメイトは芸能人や歌手ですから」
それなら大変だろうと、納得せざるを得ない。
俺は現在、チャンネル登録者が900万人を越えている。コラボで1パーセントでも関心を持ってくれれば、芸能人の環境は激変する。
また俺は、楽曲提供が2曲連続でメガヒットを樹立した。俺に楽曲提供してもらえれば、歌手は大成功を収められる。
「紹介してと言われそうですね。本人が自重しても、事務所が指示しそうです」
あえて簡単そうに言うと、咲月は、ふふっと声を漏らして笑みを返した。
「芸能コースなので、歌手は居ても、奏者は居ません」
つまり、歌い手はともかく、演奏者は期待できないのだろう。
バンドは人数を増やしたほうが、演奏が華やかになるし、音の穴埋めもできる。
だが技術力があっても、年上を入れると窮屈だし、仲が悪いとやっていけない。入れるなら同学年以下で、咲月か鈴菜と仲の良い人が望ましい。
その意味では、クラスメイトはかなり良い候補だが、一定の演奏力は不可欠だ。
「ベルゼと事務所が違うと、スケジュール調整も大変そうですよね」
咲月のクラスは、全員がどこかの事務所に所属している。
ベルゼ以外だと手間が増えるし、先方の事務所の取り分も発生する。
移籍金を払って事務所を変える手はあるが、そんな人材が居るとも思えない。
そんな理由も添えて、俺は咲月のクラスからバンドメンバーを増やすのは困難と結論付けた。
「バンドに誘うなら、鈴菜の学校のほうが良さそうかな」
「うちは音大に進学するような子が多いので、バンド活動は……」
俺が口にすると、鈴菜は考えるように首を傾げた。
だが、直ぐに思い至ったようで、苦笑にも似た微笑を浮かべた。
「ほぼ全員が来そうな気がしました」
思いがけない言葉に、俺は思わず目を丸くした。
はたしてバンドは、音楽科の人間が押し寄せるような集まりだろうか。
そんな俺の疑問が伝わったのか、鈴菜が尋ねた。
「音大を卒業した後の進路、どうなると思いますか」
「それは演奏者、音楽教師や講師、音楽関連業界。あとは無関係な就職先かな」
音大の卒業者には、いくつかの典型的な進路がある。
演奏者は、交響楽団の団員、音楽グループ、ホテルの演奏など。
教育関連は、学校の音楽教員、音楽教室の講師、個人レッスンなど。
音楽関連業界は、音楽プロデューサー、ホールや楽器店の従業員、映像作品の作曲家といったフリーランスの仕事など。
音楽で食べていくのは難しいので、音楽に関係ない就職をする人も居る。
それらを思い浮かべたところ、咲月が指摘した。
「悠さんとユニットを組めば、演奏者ですわよね」
「それは、確かにそうだな」
就職先として考える場合に切り離せない収入も、かなり高い。
例えば、今回出した曲で考えてみる。
曲の収入は、ストリーミング、デジタルダウンロード、物理メディアだ。
著作権収入も含めた音楽事務所への社入金は、次のようになる。
ストリーミング1億再生で、5000万円。
ダウンロード100万件で、1億5000万円。
CD売り上げ100万枚で、6億円。
鈴菜や咲月の曲は、最終的に推計8億円ずつの社入金になる。
利益配分は、作詞作曲の俺50%、ベルゼ音楽事務所50%で折半の契約だ。
つまり俺とベルゼは、それぞれ4億円ずつを受け取る。
ベルゼは、受け取った4億円を自社とパフォーマーと折半する。
演奏した交響楽団には、買い切りで1曲400万円の支払いだが、ベルゼが経費で出す。つまり鈴菜や咲月は、2億円ずつの取り分になる。
バンドメンバーで出した場合は、2億円を頭数で割る。
メンバーが5人なら、1曲出せば4000万円になる。
もちろん売れればという大前提があるが、男女比が三毛猫の世界で、チャンネル登録者数900万人のツチノコが作詞作曲と宣伝をして、売れないわけがない。
音大卒の進路としては、おそらく一番収入が高い。
「将来は楽団員や音楽教師になりたいと思っていて、俺達のバンドに入ると進路が絶たれるとかでなければ、誘われれば断らないか」
「そうですわよ。わたくしだって、これだけ売れたグループに誘われれば、自分の技量を認められたと思いますし」
自分の技量を認められれば、誰しもが嬉しいだろう。
音楽科の人間を誘い放題になったと聞かされて、俺は成功を実感した。