第25話 テレビCMの反響
CM撮影から1週間。
ゴールデンウィークが終わった頃、テレビCMの全国放送が始まった。
「……ちょっと早くないか?」
CM撮影からテレビ放送まで、通常はどのくらいの期間が必要なのだろうか。
日本の大手企業の場合、テレビ局との間に長期的な関係がある。
つまりCM放送の枠が、あらかじめ契約で確保されている。
完成した映像パッケージをテレビ局に納品すれば、1日から2日で放送できる。
だから放送自体は可能だが、黄川の社内承認プロセスは、どうなっているのか。
梨穗が、母親や祖母であろう社長や会長に映像を見せて、放送したいと説得して承認を得られれば、何もかもすっ飛ばせる気がしなくもないが。
『儚さ秘めた薄い光、想い映す淡い灯火、心奪われる幻想の輝き』
テレビでは、白いオリオンが、角島大橋を颯爽と走り抜けていた。
その姿は、あたかも白い渡り鳥が、青い海を渡ってくようだった。
撮影された時間帯は朝で、海面には明るい光がキラキラと輝いている。
シーンが切り替わり、車内で10代半ばの男性がギターを掻き鳴らし、その隣で少女が身体を揺らしながら、楽しげにリズムを取る映像が流れた。
映像と共に、若い男性ボーカルにしか発声できないラテン調のノスタルジックな歌声が、ジャパン交響楽団の演奏と共に流れている。
使用楽器は、ギター3人、キーボード、ベース、ドラム、パーカッション。
幻想的な夏の蛍が、視聴者の視界で踊り、聴覚を狂わせていく。
『灯が僕の心と気付いたのは、季節が巡ってだった』
今世の人達は、若い男性ボーカルと言われて、誰を思い浮かべるだろうか。
大半の人達は、心当たりがなくて困惑する。
だが現時点で450万人となった動画のチャンネル登録者は、正解に辿り着く。俺は、黄川自動車がSNS投稿した30秒バージョンのCMを引用した。
「出演させて頂きました……っと」
リポストすると、直ぐにフォロワーから返信の嵐が押し寄せてきた。
『この曲、やっぱり悠くんだった!』
『すごい、すごい、初顔出し! サングラスだけど、物凄いイケメン!』
『骨格と鼻と口元の造形で間違いなさそう。サングラス外してー!』
ネット民は、サングラスで隠れた部分を脳内で美化し始めた。
もちろん不細工ではないし、若さ補正もある。
鈴菜と梨穗も褒めてくれたが、顔を隠すのはそういう理由ではない。
俺が街を歩くと特定されて絡まれるから、わざわざ隠しているのだ。
だから要望に対しては、一切触れずにスルーする。
『オリオンって、自動運転レベル5のSUVでしたっけ!』
『去年海外で発売されて、300万台売れたんですよね』
『雪国だから、4WD欲しいなぁ』
返信の中には、車の宣伝になっていることが一目瞭然のコメントもあった。
「そういう返信は、スポンサーへのアピールになるから、有り難い」
俺への出演料は、大物芸能人並になっている。
次々と付いていく返信の中には、景色に車が映えているとか、車内でギター演奏が楽しそうだとか、好意的なコメントが散見された。
トレンドタグも立ち上がり、『#森木悠』、『CM出演』、『#夏の蛍』、『#オリオン』などが次々と上位に浮上している。
その頃合いを見計らってか、黄川自動車が次のポストをした。
俺は、そのポストをリポストする。
「別バージョンのテレビCMです。これも流れますよ、と」
それは角島にある漁師小屋の駐車場に車を停めて、小さなベンチに座り、2人でイカ焼きを食べているシーンだ。
『水面が波紋を描いた旅の果て、水が星と溶ける』
俺が買ってきたイカ焼きを持って、梨穗の隣に座り、あーんで食べさせる。
すると梨穗は照れながら、リスのように小さな口で、パクリと噛み付く。
イチャイチャと親密度は高いが、兄妹の微笑ましい光景だ。
ただし子リスは、近付きたいと願って、本当に実現させてしまった策略家だが。
『助けて、心臓、止まりそう』
『ちょっと今から子役になってくる!』
『お兄ちゃんって、フィクションじゃないんですかっ!?』
反応を見ているうちに、黄川が3つ目のポストを行った。
俺もすぐに、リポストで反応する。
「さらに別バージョンのテレビCMです。こちらもテレビに流れますよ、と」
3つ目の動画は、島内の名産品店で買ったものを車に積み込むシーンだ。
天然ひじきと甘海苔の佃煮、ひじきのふりかけ、焼きひも、粒うに、カタクチイワシを煮て干したイリコなど、色々な海産物が売られていた。
それをお土産に買って、2人で車の収納スペースに積み込む。
『僕の光があなたに、届いたら良いと願う』
ラテン調の歌は明るく、晴れ渡った空の下で楽しんでいるシーンに合っている。
全体で単純ならざる歌だが、良いフレーズを抜き出していると思う。
結果として、新車オリオンと楽しさがマッチしたCMになっていた。
『車のバックドアを開けている母親役、大橋香雅里』
『悠くんと共演するなんて、うらやま死刑』
『グループを卒業して10年だっけ。懐かしいね。まだ現役だったんだ』
返信に名前が出たことで、ようやく俺も共演者の下の名前を認識した。
完全に裏方役だが、黄川とCM契約を結べば、芸能人として勝ち組確定だ。
黄川のCMに出演した香雅里は、CMの宣伝効果を増すために、これから黄川がスポンサーになっている様々な番組に出演できる。
ちなみに、黄川がスポンサーになっていないテレビ局は、日本に存在しない。
プロの芸能人として、今回は仕事と割り切ってほしいところである。
『オリオンの収納スペース、広そう』
動画を見たネット民は、梨穗の狙い通りに収納スペースを評価していた。
小柄な梨穗が荷物を積めば、収納スペースは大きく見える。
実際にオリオンには、一回り大きな普通自動車と同等の収納スペースがあって、後部座席を倒せば自転車2台を積める。
「個人的に欲しいんだよなぁ」
香雅里は黄川から、オリオンの一番高いグレードをプレゼントされるらしい。
俺もくれるなら欲しいが、生憎と今世では、まだ15歳だ。
所有だけなら可能だが、3年後には車も進化している。
「3年後の車って、どれくらい性能が上がるんだろうな」
10年前と現在では、車に使われている技術が雲泥の差だ。
エンジンの燃費も違うし、安全性や乗り心地も向上している。
オリオン搭載の自動運転レベル5は、その典型だ。
半世紀以上前から深刻な労働力不足が予見されていた今世では、世界規模で技術発展が押し進められた結果として、前世よりも一部の技術が進んでいる。
例えば、物流を担うトラック運転手が不足することから、自動運転の技術開発が推し進められて、関連法案も整備された。
近年登場した自動運転レベル5は、目的地を設定すれば、勝手に行ってくれる。つまりトラックに荷物を積んで目的地を設定すれば、運転手が要らないのだ。
だから3年経てば、さらに新しい技術が積まれているような気がした。
「リポストには、車に関する悪い評価が無いな」
そう呟きながら、SNSの付いたコメントをチェックしていく。
企業案件なので、案件を出してくれた企業やPR商品への批判はブロックしようと思っていたが、返信の治安は良かった。
車に詳しい人間による批判的なコメントは、見た限りでは付いていない。
むしろ車に関係ない返信が目に付いた。
『イカ焼きのお店、休日の一時って感じで好き』
『このCM撮影で、角島の休日っていう映画とか撮れそう』
『角島に聖地巡礼したい』
梨穗による願望の実現が、休日を過ごす兄妹の物語を生み出したらしい。
俺の不定期契約は黄川グループに対してなので、オリオンの売れ行き次第では、別の車でも兄妹シリーズの続きが作られるかもしれない。
今回のCMは、映像と音楽の一致、物語性や商品への訴求性が好評だった。
俺にとっては嬉しいことに、ソロ演奏ではない曲への評価も上々である。
『一人の弾き語りも良いですけど、大人数の演奏が入った曲も素敵でした』
『何種類の楽器で演奏しているんですか。耳が幸せです』
『絶対にフルで聴きたいです。いつ発売しますか!』
3曲を順にリリースする予定なので、それらの反応は有り難かった。
俺は赤城に確認を取った上で、今月出しますと返信した。