第20話 案件打診
「森木さんに、事務所に届いている案件について話したい」
推定50歳の赤城は、俺に「さん付け」をしながら、年長者の話し方をする。
俺が事務所の所属ではなく、提携している外部アーティストだからだろうか。
そんな俺に対する案件がベルゼに来るのは、俺がSNSのDMを開いておらず、メールアドレスも公表していないからだ。
――DMを開いたら、酷いことになりそうだよなぁ。
初配信から僅か2週間で、登録者が320万人になった俺がDMを解放すると、数万人から連絡が来かねない。
貧乳の子が自撮り写真を送ってくれるなら、俺は喜んで何万枚でも拝見する。
なんだったら、そこから嫁探しすらしたい。
だが実際には、貧乳女子は自信が無くて、巨乳には謎の自信が有るので、大半が巨乳の画像になるだろう。
そうやって、貧乳教徒である俺の精神を、ゴリゴリと削るのだ。
企業を通せない半詐欺案件や、犯罪を目的とした連絡も来るはずだ。
SNSのDMなんて開けないし、それ故に提携したベルゼに連絡が行く。だから俺は、ベルゼからは話を聞かなければならない。
「どのような案件が来ているのでしょうか?」
「こちらをご確認ください」
俺が問いかけると、黒原が手元の資料を差し出してきた。
受け取った書類に目を落とすと、大別して4種類の案件が記載されていた。
1 音楽関連の案件
音楽番組へのゲスト出演。
音楽チャンネルでのレギュラー出演。
過去の男性アーティストの楽曲カバーアルバムの制作依頼。
2 広告関連の案件
自動車、化粧品、通信キャリア、銀行、保険、不動産、食品、家電など。
3 コンテンツ制作の案件
男性との疑似デートアプリへの音楽提供および音声収録依頼。
4 教育関連の案件
中学校の芸術・文化教材、高等学校の音楽教科書、専門教育機関の教材。
リストを見た俺は、目をしばたたかせた。
――多いんじゃないか。
俺のチャンネル登録者数は、320万人を超えている。
だから、高性能なアンテナを張っている企業のプロモーション担当者が、俺を知らないはずはない。
だが4月1日に活動を開始してから、まだ17日目である。
存在を知っていることに驚きはないが、打診を行うには早過ぎる。
記載内容に俺が驚いていると、黒原が淡々と説明した。
「音楽関連とコンテンツ制作の案件は、弊社の取引先から話がありました」
「ああ、そういうことですか」
元々の取引先ならば、担当者同士の会話で、気安く聞けるだろう。
とりあえず聞いてみて、先方が受けてくれるなら、後で正式な書類を用意する。そんな感じでも打診できるのだ。
「広告関連は、企業と広告代理店の両方から打診されています」
「広告代理店が入ったから、案件が幅広いんですか」
「そうです。広告代理店は、過去に沢山の企業と取引しています。先にタレントを確保してから、過去の取引先に連絡して仕事を調整することもできます」
つまり企業が打診しているわけではなく、仲介業者が人材確保したいわけだ。
広告といっても、テレビCMもあれば、ラジオ、ウェブ上の動画、ホームページなど様々なものが該当する。
俺がA業界の広告に出たいと指定した場合、代理店が複数社に対して「登録者320万人の男性配信者が、どんな媒体のチョイ役でも良いし、依頼料も折り合える金額で良いからやりたいと言っている」と話をすれば、どこかで成立する。
案件が成立するのだから、打診は嘘にならない。
そういった指定が無ければ、好条件を選びたい放題だ。
だから、とりあえず俺を確保したいのだろう。
「最後の教育関連の案件について、お聞きしたいのですが」
俺は書類を眺めながら、目の前に座る赤城と黒原に問いかけた。
音楽、広告、コンテンツ制作の案件については、理解が出来た。
だが教育関連は、前世でバンドをしていただけの三十路の社会人として、首を傾げざるを得ない。
すると赤城が、繋がりについて説明する。
「ベルゼは、半世紀前からやっている老舗の音楽事務所だ。教材との連携案件は、過去にいくつもあるんだよ」
「はあ、なるほど?」
だが、それでも俺が関わることになる理由は分からない。
それを察したのか、黒原が口を開いた。
「順にご説明いたします。資料の5ページ目をご覧下さい」
「分かりました」
俺は手元の書類を捲って、書かれている文字に視線を落とす。
「中学校の芸術・文化教材ですが、『多様な表現と感性』として、男性アーティストである森木さんを1~2ページ掲載したいそうです。また、楽曲の一部を教材用に収録する権利の打診も併せて来ています」
そういった話であれば、理解できなくもない。
音楽の多様性を紹介するなら、男性も音楽活動をしていると書きたいだろう。
俺は、演歌ではない歌を3つ出して、音楽事務所にも所属した。であれば事例として、俺を載せられるのかは聞くだろう。
時期的には、来年の教科書になるだろうが。
「楽曲の一部を教材用CDに収録する点は、一部のみの使用であれば、販促効果が期待できますかね」
「1学年100万人の女子中学生に、男子高校生の歌声を聞かせるわけですから、多少は効果があるかと」
説明を聞いた俺は、恐ろしくて身震いした。
いくらなんでも、それは怖い。
「分かりました。とりあえず、それは置いて、高校のほうを教えて下さい」
「はい。次に高等学校の音楽教科書ですが、『男性視点の恋愛表現』という項目で、森木さんを2~4ページ程度、掲載したいそうです」
「男性視点の恋愛表現ですか?」
「森木さんの楽曲の楽譜抜粋と、歌詞にある男性視点での恋愛表現の解説。そして楽曲の意義についての説明が掲載される形での使用許諾依頼が来ています」
「はあ、高尚ですね」
音楽には多様性があるという中学の教科書に比べて、とても高度な内容だ。
高校の音楽は、そんなに難しい内容だっただろうか。
すると、音大などの専門教育機関では、一体どうなってしまうのか。
「専門教育機関の教材は、具体的にどのようなものですか」
「現代における男性の音楽表現という専門講座において、森木さんの楽曲を詳細に分析し、解説書に掲載する許可を求められています」
お前の心理を、大学で詳細に分析してやるぞという脅迫であろうか。
「……詳細分析ですか?」
「はい。50年前に途絶えた若い男性の感情表現や恋愛観に焦点を当てた分析が、主な内容です。男性が極端に少ない社会で生まれた音楽と、男女比が均衡していた時代の音楽を比較する研究の一環として位置付けられています」
「ああ、そういうことですか。男女比が1対1だった時代と、1対3万になった時代とで、どんな風に変わったのかということですね」
演歌と現代音楽の違いは、感情表現の変化を調べるのに有意義だろう。
時代による恋愛観の変化もあるので、それを研究する価値が無いとは言わない。
だが歌詞の恋愛観は、男女比が1対1だった前世に由来する。
「お役に立てますかね」
そんな俺の反応を気にする様子もなく、黒原は淡々と説明を続ける。
「資料の6ページ目の下部をご覧ください」
俺は視線を落とし、該当箇所に目を通した。
そこには、専門教育機関による分析の概要が記載されていた。
『失われた恋愛文化の再現』~男性視点の音楽分析~
・森木悠氏の歌詞の言語学的、社会学的分析。
・男女が互いを求め合う関係性を描いた歌詞の文化人類学的考察。
・現代(女性中心社会)の恋愛観との比較研究資料。
・森木悠氏と過去の男性歌手との類似点、相違点の分析。
それを読んだ俺は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたと自覚した。
「私の歌が、ここまで研究対象になるとは思いませんでした」
よく考えてみれば、半世紀前の演歌が、もっとも新しい若い男性の恋愛曲だ。
そんなものは分析し尽くしているだろうし、新たな知見も出てこない。
そこに、登録者320万人を相手に恋愛ソングを歌う男子高校生が現われた。
しかも1曲目の『星降る海辺』は感情移入できて、2曲目の『夢追い人』は自分で作詞作曲した恋愛ソングだ。
音大の教師陣であれば、歌に込めた気持ちが本物なのかは分かるだろう。
つまり俺は、恰好の研究材料になる訳だ。
「使用料は、一般的な商業利用より低いのですが、教材としての社会的な価値や、長期的な影響力を考慮すると、とても良い案件です」
黒原の言うことは理解できる。
教科書に載れば、俺の音楽に文化的な価値が認められたことになる。
すると俺は、楽曲提供者として、他人と一線を画す価値を有することになる。
中学、高校、大学の音楽の教科書に載ったならば、音楽関係者に対する影響力も絶大だろう。
女子中学生から女子大生に俺の歌詞の恋愛表現を解説されるのは恥ずかしいし、もういっそのこと殺してくれと思うが、プロとして割り切ってしまうしかない。
「分かりました。教育関連の案件は、受けて大丈夫です」
黒原は、どこか納得したような表情で頷いた。
男性音楽家である点が最大限に活かされた案件で、大きなメリットがある。教材関連の話は、受けるのが順当なのだ。
そして赤城の表情にも、満足の色が見えた。
提携しているアーティストが中学、高校、音大などの教科書に載るのだ。
あくまで提携なので、俺が失態を犯しても事務所は傷付かない。それでいて提携しているので、仕事では最大限に利用できる。
内心では、笑いが止まらないであろう。
だが赤城は、満足している口振りはせず、さらに貪欲に求めてきた。
「リリースする曲の宣伝効果を高めるために、即効性のあるテレビCMも一つ受けてもらいたい」
「テレビCMですか」
俺は資料のページを戻して、広告関連の案件を見直した。
「広告代理店の案件が多いが、直接来た話もある。自動車メーカーからで、新車のテレビCMに楽曲を使いたいという話だ」
「新車のテレビCMですか。それは大きいですね」
テレビのCMは、15秒が1回で数十万から数百万円もする。
それを1ヵ月間、合計100回から300回ほど放送する。
するとテレビ局に支払うお金は、数億円になる。
それだけ払うのだから、CMも良くしたい。
人気タレントに1年契約で数千万円から1億円の出演料を支払い、あるいは単発契約で半額ほどを支払い、CMに出演してもらうのが現代の方式だ。
「先方は、森木さんの動画を見たそうで、ぜひと申し込んでいる。3曲のどれでも良いという話だったが、それなら4曲目でも大丈夫だろう」
「そういうことであれば、4曲目でも良いかもしれませんね」
俺が配信サイトに載せた動画に宣伝力があるという理由ならば、4曲目も載せてしまえば済む話だ。
俺は、既存の動画を使い回しにするのはどうかと思ったから、新曲を提案した。だから先方が、宣伝のために載せてくれと言うなら、載せても全然構わない。
逆に載せない判断をするのであれば、そのまま使ってくれても良い。
俺は資料を眺めながら、ふと考えた。
おそらく資料に載せなかった案件も沢山来ており、ベルゼ側で弾いている。
ベルゼの人的労力は、相当あるはずだ。
それを考えれば、赤城が勧める案件くらいは受けて、いくらかの利益を事務所に還元しておいたほうが良い。
車のCMを1本受ければ、充分な還元になる。
「投稿用として用意していた動画、楽譜、歌詞のデータをお渡しします。3曲同時リリースの自分用にしますので、ジャパン交響楽団に送って下さい。それと自動車メーカーにも、CM曲として使うかどうかを聞いてみて下さい」
俺が応じると、赤城は黒原のほうを向いた。
「手配してくれ」
「承知しました」
こうして俺は、テレビCMに曲が使われることになった。


























