第19話 3曲同時制作
咲月への楽曲提供を終えた後、俺はマネージャーの黒原に呼ばれて、別の会議室に赴いた。
会議室には、黒原のほかに、社長の赤城の姿もあった。
社長とはオンライン会議で顔を合わせているが、直接会うのは初めてである。
「お待ちしておりました、森木さん」
「森木悠です。直接は、初めてお目にかかります」
俺が頭を下げると、赤城は鋭い視線を和らげ、口元に微かな笑みを浮かべた。
初めて対面したときと変わらぬ、計算された穏やかさだ。
眼光の鋭さは、捕食者のヘビを連想させる。
さしずめ赤のイメージは、ヘビの舌に更新である。
一方で黒原は、ブラックのように淡々とした様子で、手元に資料を揃えている。
無駄のない動きで、ビジネスライクに徹する意志が感じられた。
「早速だが、本題に入らせてもらうよ」
「はい。よろしくお願いします」
俺が首振り人形と化しているからか、赤城は余計な社交辞令は口にせず、端的に要件を伝え始めた。
「先日、鈴菜から申し出があった。ジャパン交響楽団に、咲月の曲の演奏も依頼してくれるそうだ」
「どうしてですか?」
赤城の言葉に、俺は軽く眉を寄せた。
鈴菜が自分の曲のために、自費で交響楽団を手配したことは、理解できる。
お嬢様で実家には金とコネがあり、最高の曲を作りたかったからだ。
曲が売れれば、鈴菜にも金銭的なリターンがある。
間違いなく売れると分かっているので、依頼は無駄遣いではなく、必ず儲かる投資でもある。
だから、交響楽団を手配したことは凄いと思いつつも、納得している。
だが、咲月の曲まで依頼してくれる理由は分からない。
俺が考え込むと、黒原が視線を上げ、淡々と話した。
「森木さんは、最初は鈴菜に一番好きな曲だと言って、楽曲提供されました。その場で咲月にも提供を申し出られましたが、鈴菜が咲月に対して何も配慮しないと、気まずくなるかもしれません」
黒原が説明したとおり、俺は咲月の前で、鈴菜に対して一番好きな曲だと言って楽曲提供を申し出ている。
このまま曲を作ったら、鈴菜は一番良い曲をジャパン交響楽団の演奏で出して、咲月は二番以下の曲を劣る音源で出すことになる。
ライバル関係なら、コネを作れないほうが悪いと見なして終わりだ。
だが二人は、楽曲提供者の俺を含めた同じバンドメンバーである。
「それで鈴菜が、ジャパン交響楽団への依頼を申し出たんですね。だから、この場にはサブマネージャーの咲月が同席していないと」
「そういうことです」
俺は、思わず嘆息した。
咲月はサブマネージャーでもあるので、俺から鈴菜への楽曲提供を知らないのも問題だが、伝え方というものがある。
秘書検定を持っているとはいえ、咲月は15歳だ。
俺は前世で三十路の社会人だったのに、何をやっていると反省せざるを得ない。
「交響楽団への依頼料は、経費としてベルゼが出すことにしました。咲月と鈴菜の手出しはありません。この件に関しては、森木さんへの報告というだけです」
「そうですか。ご配慮ありがとうございます」
鈴菜が問題を解決して、事務所が後始末をして、俺も事情を把握した。
必要な仕事を終えた黒原は、任務完了とばかりに口を噤む。
代わりに口を開いたのは、赤城のほうだった。
「二人の楽曲は、すべての形態でリリースするよ」
「すべての形態ですか」
すべての形態とは、何だろうか。
前世と今世では、音楽の流通形態に違いがあるかもしれない。
俺の知識が通用するのか、確認しておくべきだと判断した。
「具体的には、何になりますか」
そう問い返すと、マネージャーである黒原が説明する。
「現在の音楽業界では、CDなどの物理メディアの販売は続いていますが、主流はデジタル配信です」
「デジタル配信というのは、具体的にどのような形態でしょうか?」
「ストリーミングサービスと、デジタルダウンロードです」
俺は黒原に軽く頷きながら、話の続きを促した。
「ストリーミングサービスは、インターネットを介して動画や音楽などを配信するサービスのことです。利用者は月額料金を支払うことで、膨大な楽曲を聴き放題になります」
「いくつかの大企業が提供していますね」
「はい。現在の音楽市場では、最も主流な形態になっています」
前世と今世は、世界線が異なる同じ時代の日本同士だ。
80年前に太陽フレアの異常活動があったが、現在80歳以上の男性は男女比が1対1で生まれており、10年ほど前までを支えてきた。
技術力に大差は無くて、むしろ不足が予見された労働力を肩代わりするために、IT化や機械化が進んでいった分野もある。
当然ながら、ストリーミングサービスも生まれていた。
「次にデジタルダウンロードですが、そちらは曲単位やアルバム単位で購入して、ダウンロードして所有する形式です。ただし、シェアは減少傾向にあります」
「なぜ減少しているのでしょうか?」
黒原は少し表情を引き締め、理知的な口調で説明した。
「デジタルダウンロードは、楽曲ごとに購入が必要です。沢山の曲を聞く場合は、ストリーミングのほうが、コストパフォーマンスに優れています」
「コスパ重視、流行っていますからね」
黒原の説明に、俺は納得した。
前世との違いは、あまり無いらしい。
「容量の問題もあります。ストリーミングはクラウド管理ですから、容量を消費しません。オフライン再生機能もありますから、デジタルダウンロードの優位性は、月額料金が掛からなくなる以外に、もう殆どありません」
音楽事務所のマネージャーが言うのであれば、よほど差が付いているのだろう。
俺は固定費が掛からない買い切りが好きだが、端末を変えるごとにデータを移す手間が掛かるので、俺ですらストリーミングサービスのほうが便利だと思う。
黒原は、話を続ける。
「最後に物理メディアですが、特典付きCDなどが販売されています」
俺は思わず、前世のアイドルグループを思い出した。
握手券付きのCDが大量に売られて、熱心なファンが何百枚も購入していた。
CDは中古で売られたり、不法投棄されたりして、それが捨てられている画像がネットに出回ったりもしていた。
なぜCDの特典として売るのかと言えば、法律の規制を避けるためだ。
金を払えば10代の女子に触れる商売をすると、風俗法に引っ掛かる。
だがCDを買ってくれたファンへのサービスであれば、違法ではない。
――今世は、異性の歌手が居ないから、握手券商法は無いか。
女性が、女性アーティストの握手券を求めて大量にCDを買うとは考え難い。
するとCDの市場は、前世よりも小さいかもしれない。
その考えを裏付けるように、黒原が補足した。
「若者を中心に、ストリーミングの利用が広がっています。CDプレイヤーを搭載していない新車も増えました。現在はストリーミングが主流となり、ほかの形態を引き離しています」
今世の状況的に、わりと引き籠もらざるを得ない男子としては、車の話は勉強になった。
「それでも二人の楽曲は、すべての形態でリリースするのですね」
「選択肢が多いほうが、幅広く売れますので」
「分かりました。発売が近くなったら、それを踏まえて、私も宣伝します」
三つの発売形式について説明を受け、俺は頷きながらそう告げた。
赤城は満足げに頷いた後、次が本題だと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「ところで、3曲同時にリリースするのはどうだろう」
「3曲同時ですか?」
俺はオウム返しに答えながら、首を傾げた。
3人のバンドで、鈴菜と咲月が曲を出すのだから、3曲なら残りは俺だろう。
いきなり曲を作れと言っても、普通は作れないのだが、曲自体は既にある。
初配信で弾き語りをして、今はメンバー限定で載せている『星降る海辺』。
ベルゼとの提携に理解を得るべく公開した『夢追い人』と『それぞれの光』。
それらは、俺がギターだけで演奏している。
だから楽器を増やせば、投稿した演奏と差別化できて、売り物にはなる。
「同じ週に発売すると、ランキングで競合する。だから鈴菜、咲月、森木さんの順で、1週間ずつずらして出すのはどうだろうか」
ベルゼを介して出せば利益は折半だが、出さなければ利益はゼロだ。
出したところで、登録者やメンバーは減らないだろうから、損も無い。
だが配信サイトに載せた『夢追い人』や『それぞれの光』、それにメンバー限定の『星降る海辺』を使うのは、どうかと思う。
あまり乗り気になれなかった俺は、消極的に訴えた。
「発売できるクオリティの演奏をするには、それなりの練習時間が必要です。咲月さんと鈴菜の練習時間を考えると、3曲同時は難しいのではありませんか」
「その点は問題ない。鈴菜が、森木さんの分も依頼すると申し出ている」
「はあっ?」
赤城の言葉に、俺は唖然とした。
咲月に関しては理解したが、なぜ俺までと考えざるを得ない。
いや、本当は想像できなくもない。
咲月との関係を考えて、ジャパン交響楽団を手配したほど配慮する鈴菜だ。
一番好きな曲を楽曲提供して、歌のためにデートにも付き合ってくれたお礼の一環なのだろう。
それに同じバンドメンバーが曲を出せば、絶対に比較される。
1曲の演奏だけが劣っており、それを担当しているのが俺達3人のバンドだと、俺達の演奏にマイナスイメージが付く懸念もある。
そこまで鈴菜が考えているのであれば、申し出を受けたほうが良い。
「確かバンドメンバーで1曲ずつ出したらどうだろうか、というお話しですよね」
「そうだね」
赤城が肯定したので、俺は提案してみた。
「次の動画投稿用に用意していた4曲目がありますので、それを出します」
こうして俺達3人は、それぞれ1曲ずつを出すことになった。


























