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第18話 桃山咲月の才能

 収益化配信を終えた翌日、俺はベルゼ音楽事務所に向かった。

 売上高330億円のベルゼ音楽事務所は、相応に立派な事務所を構えている。入居している45階建てのオフィスビルは、陽光を反射して輝いていた。

 エレベーターで30階に上がると、制服姿の咲月が待っていた。


「悠さん、おはようございます」

「おはようございます、咲月さん」


 咲月の元気で明るい声が、フロアの入口に響いた。

 ちなみに時刻は、夕方である。


「芸能界は、何時に会っても、おはようございますなんですよね」

「はい。時間は関係ないです」

「おはようございますの語源は、歌舞伎界の『お早いお着きでございます』という言葉が変化したのでしたっけ」

「そうです。ですから、遅刻しなかったら、おはようございますになります」


 流石、秘書検定2級である。

 そんなサブマネージャーを兼ねる咲月に連れられて、小会議室に案内された。

 お茶を出してくれたので、その間に俺のほうは、用意してきた2人分の歌詞と楽譜を机に並べた。

 鈴菜が歌を収録し終えたので、次は咲月に楽曲提供する番である。


「わたしにも楽曲提供して頂いて、ありがとうございます」


 咲月は楽譜と歌詞に目を瞬かせた後、丁寧に頭を下げた。


「いえ。これでメンバー全員が、ボーカルも担当したバンドになります」


 俺が咲月に楽曲提供を行うのは、鈴菜だけに提供することで生まれるであろう、わだかまりを無くすためだ。

 だが、そういう理由を述べるのではなく、バンドに対する世間の評価が上がるという大義名分を話した。

 俺の意図に咲月は気付いているが、言及すると、わだかまりが生まれた可能性が事実になってしまう。

 そのため口には出さず、表情と瞳で、ビシビシと感謝の念を送ってきた。


「それで、どんな恋愛ソングでも良いんですよね」

「もちろんです。悠さんの曲でしたら、どんな恋愛ソングでも大歓迎ですよ」


 ベルゼに所属する咲月の目的は、言うまでもなく、音楽活動を行うことだ。

 ベルゼは民間企業なので、赤字のアーティストは抱え続けない。実際に開業から半世紀で、300の契約を終了している。

 咲月は、売れるという結果を出さなければならない立場にある。


 ――黒字は、間違いないだろうけど。


 鈴菜に楽曲提供した時点で200万人だった登録者は、320万人まで増えた。

 200万人の時点で、週間ランキングの上位に入り、ロングセラーになると予想されていたのだから、320万人で売れないわけがない。

 たとえ駄目な歌詞でも、売れて咲月の実績になり、事務所と契約を続けられる。それに歌詞で評価が下がっても、咲月の歌唱力に対する評価は下がらない。

 だから、どんな恋愛ソングでも大歓迎というわけである。

 もちろん、俺も変な曲を提供するつもりはない。


「俺も、鈴菜と咲月さんの曲で、片方は良いけど片方は駄目とは、言われたくありません。ですから、『白の誓い』に対抗できる曲を用意しました」


 そう言いながら、俺は机の上に置いた歌詞と楽譜を咲月に押し出した。

 咲月は、陽気な表情を保ちつつも、真剣な眼差しで歌詞を覗き込んだ。視線が、歌詞を一行ずつなぞっていく。

 時折、微かに瞬きを挟みながら、歌詞の意味を噛み砕くように止まった。


 俺は咲月が読み終わるまで、咲月が煎れてくれたお茶を啜り、自分の手元にある歌詞を読み直す。

 しばらく待つと、3回ほど読み直した咲月が、ようやく口を開いた。


「この歌詞は、『歩んだ道』というタイトル通り、過去を振り返りながらも、決して戻ることのできない二人の関係を描いていますね」


 視線を向けてきた咲月に対して、俺は歌詞を思い浮かべながら頷き返した。

 俺が提供した歌詞を要約するなら、主に4点の特徴がある。


・自分の想いを遂げられない女性の状況を描いている。

・相手が別の人と歩むことを悟りながらも、相手の幸せを願っている。

・自分の気持ちを隠しながら、相手の背中をそっと押している。

・共に歩めなくなったことへの諦めと、相手への深い愛情が描かれている。


「この女性は、かつてとても親しかった男性の後ろ姿を見送っています。一緒に歩いていた時期があったのですから、きっと幼馴染か、恋人だったのでしょう」

「そうですね」


 歌詞には、「もう私なんかじゃ、届かない距離なのも。本当はもう分かってた」や、「あなたが前に進んでく。その横で私は、少し遅れて歩いていたの」といったフレーズが入っている。

 男女比が三毛猫の今世で、一時は一緒に歩いていたのだから、二人が幼馴染みか恋人だったと解釈するのは正しい。

 だが続く「何も言えずに進むあなたの、後ろ姿を見つめてました」という歌詞が、二人が離れていく状況を訴えている。


「歌詞の『あなたが今描くのは、私が一番聞きたくない物語』が、印象的です。彼は彼女に対して、自分の未来を伝えたのですね。夢や目標、あるいは誰かのこと。でも、その未来に彼女は付いていけないから、聞きたくない」


 咲月の瞳が、僅かに揺れた。

 まるで、ベルゼで音楽活動を行う自分に重ねて、契約解除で付いていけなくなる未来を想像したかのように。


「それでも彼女は、彼を止めない。むしろ前に進めるように背中を押しています。でも、彼女自身は遅れて、追いつけないまま取り残されていく」


 俺は、黙して頷いた。

 相手の背中を押すエネルギーを使えば、その分だけ自分が遅れてしまう。

 それでも相手が自分に聞かせてくれた未来を願って、夢を後押ししている。


「彼女が本当に望んでいることは、相手に振り返ってもらうことですよね」

「はい」

「ですが、戻ってきてほしいわけではなくて、たった一度でいいから、自分の存在を思い出して、微笑んでほしい。それだけで報われる。けれど、彼は前に向かって歩いているから、それさえも叶わない」

「そうです」


 咲月の歌詞に対する理解は、正確だった。

 紙を持つ手を少しだけ強く握り、咲月は歌詞を読み上げた。


「二人で一緒に歩いて来たんだから。戻れなくても、あなたに追い付けなくても。歩んだ二人の道だけは、無くしたくない」


 咲月からの質問は、もう無い。

 単に、歌詞を読み上げていく。


「歩いてた、もう無理なんだけれど。また振り返ってよ、だってあなたは私と二人、歩いてたはずだから。でもあなたは、前へと歩んでいく。私が追い付けないなら、二人は一緒に歩けない」


 咲月の表情には、微笑が浮かんだままだ。

 だが人間は、怒っていても笑みを浮かべられる

 咲月は、まったく笑っていなかった。


「私が隣に居ないとしても、前へと進んで。あなたを後ろから押しているから、応援しているから。あなたが光で照らしてあげて」


 俺が楽曲提供した理由は、咲月の状況が歌詞に合っていたからだ。

 俺達がバンド活動をして、その中で俺は鈴菜に楽曲提供を申し出た。

 鈴菜は最高の楽曲を受け取り、ジャパン交響楽団に依頼して曲を制作し、先頃は歌も完成させた。

 曲が世に出れば、俺の宣伝もあって、爆発的に売れるだろう。

 そして俺自身も、チャンネル登録者数320万人という支持者と、演歌から現代の曲に一新した恋愛ソングで、上に行く。

 そんなバンドメンバーの中で、咲月だけ取り残されていく。

 そんな状況に陥り掛けた咲月だから、感情移入して歌えると思った。


 咲月が、俺を見詰める。

 俺は、見詰め返して言った。


「男女比が偏っていますから、女性の恋愛は、成功よりも失敗のほうが多いです。鈴菜の『白の誓い』よりも、『歩んだ道』のほうが、世の女性の共感を得られます。白の誓いより支持されて、売れるかもしれません」


 咲月は、張り付いた笑顔を崩さない。

 崩さないままに、息を吸い込んで、何かの感情を飲み込んだ。


 ――表情、変わったな。


 先程までは、重い感情を受け止めようとするような表情だった。

 だが今は、前に進もうという意志が感じられた。


「この曲を歌う上で、もっと深く理解したいのですが」


 咲月の言葉には、棋士が駒や碁石を打っていくような冷静さが宿っていた。

 怒らせると怖いという言葉が、一瞬だけ俺の脳裏を過ぎる。


「どうして、一緒に歩めないのでしょうか?」


 問われた俺は、瞬時に思考を巡らせた。

 今世の男女比は1対3万。

 政府は、男性が20歳までに結婚していなければ、22歳までに5人の女性と重婚させる法律を定めた。

 つまり重婚は有りで、一緒に歩んだなら重婚すれば良いのに、どうして駄目なのかという意味の問いだ。

 前世の感覚が基準にあるから、とは言えない。

 俺は、男性側の感情を想像して答える。


「男が夢や目標、別の人に夢中になりすぎて、見えなくなったんですね」


 咲月は、俺の顔を覗き込む。


「別れるというより、もう気持ちが向かないのですか?」

「そうですね。例えば、俺が鈴菜の歌声に入れ込みすぎて、周りが見えなくなり、咲月さんのことを何も考えず、鈴菜だけに楽曲提供を続けてしまったとか」


 ほかに説得力のある例えは、今世の状況で思い付かなかった。

 だが思い付いた唯一の例えは、実際に俺が入れ込んだので、現実味があった。

 もしも俺が前世の無い15歳であったなら、周りが見えず、鈴菜だけに楽曲提供を続けたかもしれない。

 すると咲月は、ドラムを叩くサブマネージャーという立場になり、やがてもっと上手いドラマーと入れ替わって、音楽人生を終えただろう。

 咲月は、サブマネージャーとして歌詞にあるように、俺達の音楽活動を背中から後押ししていたかもしれない。


 振り返りましたよね、という言い訳は口にしない。

 むしろ捨てる可能性があった、音楽の未来が閉ざされる可能性があったという態度を取ってみせる。


「……また振り返ってよ、だってあなたは私と二人、歩いてたはずだから」


 咲月は、歌詞のフレーズを口にした。

 俺は、歌に登場する男性の状況を想像しながら答える。


「伝えてもらわないと、気付けない。でも伝えられると、一人にだけ楽曲提供してバンドを破綻させた後悔が生まれて、歩けなくなるかもしれない」


 それを聞いた咲月は、しばらく歌詞を見つめていた。

 そして、ぽつりと呟く。


「こんなに愛しちゃう前に、この道変えられなかったのかな」


 それもまた、歌詞の一節だった。

 俺は、少し間を置いた後、その続きにある歌詞を読み上げた。


「二人で一緒に歩いて来たんだから。戻れなくても、あなたに追い付けなくても。歩んだ二人の道だけは、無くしたくない」

「そうですよ」


 俺が読み上げた歌詞に対して、咲月は肯定の言葉を発した。

 それっきり、部屋には静寂が広がった。

 咲月は、歌詞の紙を見つめたまま、まだ何も言わなくなった。


「この曲、歌えそうですか?」


 そう問うと、咲月はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、もう迷いはなかった。


「歌えてしまいますね」


 咲月の声には、確信があった。

 まるで、すでに自分のものにしてしまったような響きだった。


「分かりました。それじゃあ試しに、俺が2度ほど弾き語りをしてみますね」


 この曲は、『白の誓い』に次いで好きな女性曲で、楽譜を見なくても演奏できる。

 俺はギターを手に取ると、弦を爪弾き、試しにイントロを奏で始めた。

 音の波が空間を揺らし、旋律が流れ出す。

 弾き語りは、2回繰り返した。


「それでは、俺は演奏だけをするので、咲月さんが歌ってみて下さい」

「はい。お願いします」


 そうして俺は、3度目の演奏を始めた。

 すると、咲月の歌が入ってきた。

 それは、俺が想像していたものとは次元が違った。


 ――重い。


 心臓が締め付けられるようだった。

 まともに演奏できないくらい、歌詞に込めた感情の重圧がのし掛かってくる。

 咲月に、どうしてと問われる。

 俺は苦しくて、息が出来ない。


「あなたを後ろから押しているから、応援しているから。あなたが光で照らしてあげて」

「あなたを後ろから押しているから、応援しているから。でも少し後ろも見て」


 前半と後半で異なるフレーズに、重い感情がのし掛かる。

 俺は押し潰されそうになりながら、必死にギターを弾き続けた。


 俺は、天才を見誤った。

 鈴菜のことを、天使の歌声だと思った。

 だが、鈴菜が天使の声質だとすれば、咲月は歌の天才だった。


 俺の演奏に、咲月の歌声が絡み付き、重くのし掛かりながら、溶けていった。

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これは…産まれちまうか…!過去を思いながら自らの浅慮を悔いている男の歌が…!
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