第17話 収益化配信
初配信から2週間が経った4月16日。
俺の配信サイトのチャンネルが、収益化の審査を通過した。
『チャンネル登録者数、320万人』
途方もない数字だが、理解は可能だ。
今世は視聴者の殆どが女性なので、男が配信すれば、需要は前世の2倍になる。
そして供給は、ほぼ無い。
そのような状況で、視聴者の需要にマッチした15歳の男子が顔以外を出して、言語の壁を越える曲も披露したのだ。
伸びるのは、分かり切っていた。
――まだ伸びるだろうが、勢いは落ち着いてきたかな。
これから鈴菜の歌や、咲月に提供する曲が出れば、再び伸びる可能性はある。
そんなことを考えながら、俺はライブ配信の準備を整えた。
配信のタイトルは、収益化記念配信である。
「皆さん、こんばんは。男子高生配信者の森木悠です」
配信は、ごく普通の挨拶から始めた。
ここで調子に乗って「作詩・作曲・演奏・歌唱をする男子高生配信者」と名乗れば、怒られはしなくても、もっと曲を出せと要求されること請け合いである。
そんな落ち着いた始まりだったが、コメントは滝のように押し寄せた。
『収益化、おめでとうございます!』
『2週間で300万人超え、前代未聞ですね!』
俺が説明するまでもなく、収益化記念配信というタイトルで察した視聴者達が、祝福のメッセージを乱舞させていった。
同時接続者は40万人を越えており、数万人がお祝いの言葉を送っている。
同時に『森木悠メンバーへようこそ』という、加入メッセージも流れ続ける。
コメント欄は怒濤の勢いで、俺は早々に読むことを諦めた。
「ありがとうございます。応援してくれた皆さんのおかげです」
そう言った数秒後、コメント欄にメンバーシップギフトが飛び交い始めた。
メンバーシップギフトとは、月額課金で利用できる特典を他人に贈る機能だ。
贈り主の目的は、配信者の支援などである。
特典を贈られた人の中には、サービスを継続させたくて、次回以降の特典を自分で購入する人も居る。
すると配信者の収入が増えて、配信活動を継続し易くなる。
コメント欄には『森木悠のメンバーシップギフトを贈りました』と表示されて、その下には、メンバーシップギフトを受け取った人達の名前が連なっていく。
贈られる件数は1件から50件まで幅広く、その分だけ贈り主も増えていく。
まるで競うように、多くの視聴者がギフトを購入して、数千人分のメンバーシップが一瞬でばら撒かれていった。
「黄川梨穂さん、ありがとうございます。ヒカリンさん、ありがとうございます。明香音chさん、ありがとうございます……すみません、早過ぎて、とても読み切れない感じです」
『私達も見えない!』
『最初に読まれた三人に嫉妬せざるを得ない』
せめて50件を贈ってくれた人だけでも読もうとしたが、到底不可能だった。
何しろ1件が90円なので、50件を贈ったとしても4500円。
少し高いディナーを食べるか、推しに名前を呼ばれて感謝の言葉を贈られるか。どちらを選ぶのかは人それぞれだが、40万人も接続していれば、100人に1人くらいは推しを選ぶだろう。
すると、とんでもない事になる。
「ごめんなさい。私が悪かったので、ストップストップ」
コメント欄が流れすぎて、壊れてしまいそうである。
だが、言って止まるわけがない。
コメント欄が緑色の『50件の森木悠のメンバーシップギフトを贈りました』という表示で埋め尽くされていく。
その中に、黄川梨穂という名前が4回あった。
つまり1人で200件贈っている。
「ちょ、黄川さん、待っ…………梨穂、落ち着くんだ」
俺は、優しく囁くような声で呼び掛けた。
前世で三十路だった俺は、大人の囁き声くらい出せる。
すると、ようやくギフトのプレゼント攻勢が収まった。
「よし。良い子だ。梨穂、そのままギフトは投げるなよ」
『今日から梨穂に改名します』
『仕事中だけど、手元の書類、引き裂いた』
嫉妬と羨望のコメントが流れると同時に、今度は名前を呼ばれた残る2人、ヒカリンと、明香音chも50件の再攻勢をした。
「……ヒカリン、駄目だよ。明香音、俺の言うこと聞けるよな」
『9000円で専用ボイス、羨ましすぎる』
『セリフの部分、切り抜かないと』
『投げ銭を解禁してー!』
投げ銭は、配信者に贈る金額を指定してコメントする機能だ。
金額によって表示される枠が七色に変わる。
「スパチャを解禁したら、虹スパとか打つんでしょう?」
七色で投稿する行為が虹スパと呼ばれており、さらに色を往復させるとオーロラスパチャと呼ばれる。
俺がそう呟くと、コメント欄には嬉々とした反応が溢れた。
『それは宇宙の法則くらい自然な現象なのです』
『初スパチャ解禁配信、いつですか!』
『虹スパの準備、もう出来てるんだけど?』
なぜ、こんなことになってしまったのか。
そう振り返る間にも、コメント欄が、メンバー加入やギフトのメッセージで埋め尽くされていく。
そしてメンバー専用のスタンプによるコメントも増えてきた。
スタンプでは、『こん』、『悠』、『嬉』、『ペンライト』、『ギター』の組み合わせが、視界を彩るように連続して流れている。
やがてコメント欄に、メンバーシップに関するものが増え始めた。
『メンバーシップに、歌が載ってる!』
そのコメントが流れると、視聴者達がざわついていく。
『星降る海辺が載ってる!』
『初配信のだよね。限定で載せてくれたんだ』
『歌詞まで全部載ってるんだけどっ!』
途端に、メンバーシップの加入者が加速した。
コメント欄が、熱狂的な歓声に包まれていく。
「初配信で弾き語りした曲です。初配信で緊張していた時より、撮り直しが出来る今回のほうが、完成度は高いですよ」
今回メンバーシップに投稿したものは、ベルゼ音楽事務所で録音したものだ。
せっかく業務提携して、楽曲提供もしたのだから、遠慮は不要だろう。
「ベルゼ音楽事務所でバンドメンバーは作りましたので、そのうちギター以外の楽器も入れて、より良いものを上げたいです」
『メンバー入りました』
『メンバーに入らずにはいられないです』
『加入しようとしたら、もうメンバーでした!』
もはや、流れるコメント欄は諦めざるを得ない。
数日くらい配信しなければ、その間に加入者の勢いは落ち着くはずだ。
こんな状況だが、視聴者達も適応していき、聞きたいことを全員でコメントして俺の目に留まるように工夫を始めた。
『バンドメンバーは何人ですか?』
『メンバー募集はしていませんか?』
俺が発したバンドという単語を聞き流せなかったのだろう。
当然のように多数の質問が飛び交った。
「現在は3人ですね」
そう前置きした上で、メンバー構成を説明する。
「私がギターとベース。二人目がギター、ベース、ドラム。三人目がピアノ、キーボード、バイオリンを弾きます。全員ボーカルもできます」
これを聞いた視聴者は、すぐにコメント欄を活気づかせた。
『全員そんなに楽器できるの?』
『さすが、音楽事務所』
『えぐい、実力派すぎる』
バンドのメンバー数は、一般的に3人から5人だ。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムを基本として、アンサンブルを厚くしたい部分に1人加える。
ボーカルが、ギターないしベースを兼ねれば、3人で出来る。
ボーカルと演奏を別にして、キーボードも入れれば、5人になる。
3人居れば、最低限のメンバーは揃っていることになる。
『3人で大丈夫ですか?』
人数を伝えたところ、懸念する声も上がった。
3人は人数が少ない分、個々の技量が求められる。
演奏の精度が重要になり、些細なミスも目立ちやすい。
もっとも技量に関しては、音楽事務所に所属しているアーティストであるが故に、素人が趣味でやるバンドより高いに決まっている。
――メンバーで一番下手なのは、俺か。
俺は前世の経験を持っているが、素人バンドだった。
咲月と鈴菜は音楽事務所に所属しており、おそらく専門的に習っている。
聞き手が俺で満足できるのならば、咲月と鈴菜で大丈夫だろう。
とはいえ、咲月と鈴菜との3人バンドに何も問題が無いわけではない。
3人体制で1人が体調不良になると、代わりが居ないので、活動できなくなる。
「あと1人か2人、演奏できるサポートメンバーを入れてもいいかもしれません。ただ、現状はそこまで緊急性があるわけではないので、悩みどころですね」
そう呟いた瞬間、コメント欄が一気に盛り上がった。
『ギターとベース弾けます』
『ドラム叩けますよ!』
『キーボードやってます。面接会場はどこですか!』
視聴者達からアピールのコメントが、競い合うかのように飛び交った。
『どうして小学校でピアノを辞めちゃったんだろう』
『小さい頃、もっと真剣にやっていたら……』
演奏ができる視聴者が、俺の想像以上に多い。
今世では女性の習い事として、音楽が流行しているのだろうか。それとも、俺が音楽系の配信者だから、視聴者にも音楽経験者が多いのだろうか。
しばらく考えた末、俺は後者の可能性が高いと考えた。
視聴者は、自分が興味を持っている配信を見に行く。
音楽系の配信で、視聴者に音楽経験者が増えるのは、必然であろう。
もちろん割合が高くなるだけで、一般の視聴者も相当数がいる。
コメント欄では、様々な意見が、途切れることなく流れ続けた。
『完全版が出ても、ギターのソロ演奏は残してほしいです!』
『悠くんのソロは絶対に必要!』
そのコメントの意味を考えた俺は、直接聞いてみた。
「ソロ演奏も残してほしいというのは、どうしてでしょうか?」
『だって、悠くんが一人でやってくれるから』
『ほかの女がいないから、悠くんだけを見ていられるし』
『悠くんの音楽も好きだけど、悠くんも好きなの』
それらのコメントを目にした瞬間、俺は発言者の意図を理解した。
つまり発言者達は、俺がほかの女性と演奏することに嫉妬心を抱くわけだ。
――ガチ恋勢か。3回目の配信だけど、早かったな。
ガチ恋とは、相手に本気で恋をしている状態のことだ。
本気度は人次第で異なるが、推しのグッズで部屋を埋め尽くしたり、推しのイベントで全国を遠征したり、活動資金を得るため追加で仕事をする人もいる。
傍目に見ているとヤバいが、推される立場になると、悪い話ではない。
なぜなら俺は、人工授精が自然性交に比べて男児の出生率を下げることから成立した法律によって、好みでは無い女性と結婚させられることを回避したいのだ。
ガチ恋勢が1万人居れば、そこには確実に自分の好みの女性が居る。
願ったり叶ったりである。
だが、かといって音楽活動が制限されるのも困る。
ギターだけよりも、ドラムやキーボードがあったほうが、絶対に良い曲になる。
それなら、折衷案を採るのが良い。
「ご希望があったので、ギターのソロ演奏も残します」
『やった、ありがとう悠くん!』
『悠くん、最高!』
俺の発言に、コメント欄が一気に沸き上がった。
しかし、俺はそこで話を終えず、付け加える。
「ですが、より良い音楽を作りたいですし、一人ですべての演奏を担当することはできません。バンドメンバーと共に演奏もします。音楽系の配信者なので、そこはご了承下さい」
『はい、悠くんがやりたい音楽を大事にしてください!』
『ソロも聴けるなら十分です。バンド演奏も楽しみです』
コメント欄には、圧倒的多数の肯定的な意見が流れていった。
理解を得たところで、俺は配信の締めに入る。
「では、今日の配信はこの辺りで終わります。ご視聴ありがとうございました」
そう告げると、メンバー用のお疲れスタンプを使った別れの挨拶で、コメント欄が埋め尽くされていった。
『お疲れさまでした』
『次の配信も楽しみにしてるね』
『悠くん、またねー!』
俺は、終わり用の画像に画面を切り替えた後、1分ほど待って配信を終えた。