第13話 水族館デート 前編
春の日差しが心地よく降り注ぐ。
今日は鈴菜とのデートで、横浜の有名な水族館に来ていた。
駅で降りて、海の香りが混じる春風を感じながら歩いていく。
すると駐車場に、場違いな黒塗りの高級車が2台並んで駐車していた。
――まだ、15分前なんだが。
車に乗っているのが鈴菜であろうことは、これまでの情報から確信できた。
車のドアが開くと案の定、白の膝丈ワンピースに、淡い水色のカーディガンを羽織った青髪の少女が降りて来た。
彼女はヒールのパンプスを履き、白い小ぶりのショルダーバッグを担いでいる。
まるで絵本の中から抜け出してきた妖精のように可憐だった。
あるいは護衛を連れているので、姫君のほうかもしれない。
「お待たせしました」
俺が声をかけると、鈴菜は気にした様子もなく答えた。
「いいえ、時間より早かったですわよ」
鈴菜の瞳が俺を捉え、嬉しそうな輝きを帯びる。
「デートされる若い男性なんて、居ませんから。とても楽しみにしていましたの」
そう言って、鈴菜は両手を胸の前で軽く組み、弾むような声を続けた。
「ここしばらく、何を着ていこうかと悩んでいましたの。どうかしら」
そういった鈴菜は、クルリと一回転して見せた。
白いワンピースが、『白の誓い』を連想させる。
おそらく意識して服装を合わせたのだろうが、曲に合っていますねと言うのは、如何なものだろうか。
俺は代わりの言葉を伝えた。
「最初から、容姿は凄く好きでしたよ。でも、あの告白の時にそれを伝えても、嘘っぽくなるので言いませんでした。ワンピースが似合っていて可愛いと思います」
「……恥ずかしいですわ」
鈴菜は、ほんのりと頬を染めながら、はにかんだ。
「悠さんも、格好良いですわよ。ここへ来る道中は、大丈夫でした?」
そう言うと、鈴菜は俺の顔を覗き込んだ。
女性は人工授精で子供を作る権利を持つが、提供者は選べない。
だがナンパであれば、相手の年齢や容姿を自由に選べる。
1人で街を歩いている若い男は、鴨が葱を背負ってくるようなものだ。
「何度か声は掛けられましたけど、キッパリと断りましたよ」
俺がナンパを回避できるのは、まだ現代の女性に、自制が働くからだ。
俺が小さかった頃までは、現在80歳以上の男達が街を歩く姿を目にしていた。彼らはそれなりに数がいて、自ら女性に声を掛ける側だった。
10年前であれば、70歳の老人が20代の女性に声を掛けて、流石に女性側が迷惑がることすらあった。
それを見ていた子供達にとっては、反面教師になっただろう。
女性が男性に声を掛ける場合でも、今の世代には自重や周囲の抑止力がある。
「車で迎えを出しましたのに」
「それだとデートの待ち合わせが出来ません。それでは、行きましょうか」
俺は、そっと手を差し出す。
鈴菜は、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに頬を染めながら、恐る恐る俺の手を取った。
指先が触れる瞬間、僅かに緊張した空気が流れる。
それでも、鈴菜の手は温かく、俺の指をしっかりと握り返してきた。
俺達は、手を繋いだまま、八景島シーパラダイスの入り口へと向かう。
すると周囲から、視線を浴びせられるのが感じ取れた。
「すごく、見られていますわね」
鈴菜が、少し恥ずかしそうに囁いた。
俺も気付いていたが、気にしていたらキリがない。
「パンダくらいレアな光景でしょうからね」
男女比1対3万のこの世界で、高校生の男女が手を繋いでデートしている。それは動物園のパンダくらい珍しい光景だ。
だが俺達の後ろからは、黒塗りの高級車から降り立った長身女性達が、少しだけ距離を取って着いてきている。
明らかに格闘技をやっていそうな立ち振る舞いに、周囲を見渡す鋭い眼光。
そのため周囲からの声掛けは、行われなかった。
「ねえ、悠さん」
「なんですか」
「もう少し、彼氏っぽい口調で構いませんわよ」
俺は僅かに驚いて、鈴菜の顔を見返した。
「彼氏っぽい口調ですか?」
「そうですわ。漫画では、男性が名前を呼び捨てされますでしょう?」
鈴菜の知識は、少女漫画などだろうか。
生憎と俺は読んだことが無いが、今世では一体どのようなシチュエーションで、男女が付き合っているのだろう。
だが前世であれば、イメージが思い浮かぶ。
「鈴菜」
いきなり強く呼んで脅かさないよう、囁くように名前を呼んでみた。
それと同時に、俺は鈴菜の手を少しだけ握り直した。
すると鈴菜は身体をビクンと震わせて、頰を朱に染めた。
「恥ずかしいですわ」
鈴菜は自分で言い出しておきながら、恥ずかしくなったらしい。
思わず、ちょっと面白いと意地悪な感想を抱いてしまった。
入り口で2人分のチケットを購入し、館内に入ると、涼しい空気が肌を撫でた。
水槽から漏れる青い光が、天井や壁に波紋を描いている。
非日常的な空間に足を踏み入れたことで、現実感が薄れていった。
「わぁ……」
鈴菜が、思わず息を呑んだ。
透き通った瞳が、煌めく水槽に映る魚の群れを映し出している。
「この水族館に来るのは初めてですの」
「そうなんですか」
「言葉遣い、もっと砕けて構いませんわよ」
「そうなのか?」
「そうですわ」
それは、ここに来たのが初めてという意味か、それとも俺が直した言葉遣いが、お眼鏡に適ったという意味か。
どちらなのかと悩みつつも、俺は敬語を使わず、彼氏っぽく話す。
「俺も初めて来たから、館内に何があるか知らないな」
「それなら、何があるか楽しみですわね」
鈴菜は微笑みながら頷いた。
最初に訪れたのは、大きな円形の水槽エリアだった。
青い光が幻想的に揺らめき、大小の魚達が優雅に泳いでいる。
「あの魚、とても綺麗ですわね」
鈴菜が指差した先には、色鮮やかな熱帯魚が、群れを成して泳いでいた。
その様は、まるで優雅に舞っているようだった。
「動画で見るより、直接見たほうが良いな」
俺がそう言うと、鈴菜も同意するように頷いた。
「まるで、別の世界に来たみたいですわね」
そう呟く彼女の横顔は、まるで童話の中のヒロインのようだった。
幻想的な水槽の光を受けて、青い髪がほんのりと輝いている。
――容姿端麗、天使の声質、そしてB。これでお嬢様じゃなかったらな。
お嬢様には、背負っているものがある。
男性とのデートで周囲からの妨害を避けるためだからかもしれないが、それでも護衛を何人も用意できる家の令嬢であれば、将来は嫡子でなくとも、家の事業で子会社の社長などを担うかもしれない。
会社には従業員が居て、その人達の人生が掛かっている。2人で自堕落に引き籠もるわけには、いかないだろう。
だから、お嬢様に対しては、気後れしてしまう。
水族館の奥へ進むと、大きなトンネル型の水槽が現れた。
俺たちは、頭上を泳ぐ巨大なエイやサメを見上げながら、ゆっくりと歩いた。
「悠さん、ジンベエザメですわ」
「そうだな。でかいな」
「よく水槽に入りますわね。凄いですわ」
ジンベエザメを泳がせる水槽の厚みは、何センチメートルなのだろう。
そんなことを考えたが、鈴菜は目を輝かせながら、天井の水槽を見上げていた。
水槽の厚みなどを考えた俺と違って、純粋に楽しんでいるのだろう。
俺は、そっと鈴菜の手を握り直した。
「どうされましたの?」
「鈴菜がジンベエザメばかり見ていたから、嫉妬したのかもしれないな」
「……悠さんのこと、ちゃんと見ていますわよ」
鈴菜は、すぐに微笑んで、指を絡めるように握り返してきた。
「ドキドキさせすぎですわ。そんなことされたら、勘違いしますわよ」
ジンベエザメから視線を外した俺達は、薄暗い通路を進んだ。
すると、頭上から落ちる青い光が、周囲を神秘的に照らす空間に入った。