第11話 作業用配信
初配信から10日後の4月12日。
ようやく俺は、2回目のライブ配信を行っている。
「今日は、作業用配信です。私は通信制の高校生なので、勉強しないといけません。それを配信しますから、良ければ作業用BGMにして下さい」
『うんうん、男子だからね』
コメントで頷かれたとおり、新生児の男女比が1対3万となった社会では、男子が通学できなくなっていった。
そのため現代の男子は、全員が小学校から大学まで通信教育しか選択できない。
その理由は、身の安全だ。
「通信教育が始まったのって、男子の誘拐が多発したからなんですよね」
『小学生が登下校すると、何時にどこを通るか一目瞭然だからね』
『小学校の男子トイレに侵入した女が、包丁で脅して連れ去る事件もあったね』
世間で女余りが深刻になった50年前頃から、全国で男児の誘拐が増えた。
男子小学生と成人女性では、大抵は成人女性が勝つ。
早急の解決策を迫られた国が用意したのが、通信教育だ。
男児を登下校させなければ、犯人に目星を付けられない。登下校に護衛を付けるより安く済むし、男児にストレスも与えない。
母親に生活支援金が支給されるようになって、男児を家に匿い易くなった。
「義務教育修了までは、安全を保つために、男児を隠すようになったんですよね」
『そうそう。だから芸能界の子役も消えて、どこにも居なくなっちゃったの』
全日制への通学が、法律で禁止されたわけではなかった。
だが、子供が誘拐されるリスクを負ってまで学校に通わせるのは、虐待だという社会的風潮になった。
テレビでは、子供を誘拐された家の母親が、泣きながら後悔を口にするシーンが何度も報道された。
そしてテレビは自業自得だが、男児を表に出すなという社会的風潮が強くなり、芸能界も世間の批判を避けるべく、男児を出さなくなった。
『高校1年の悠くんが表に出られる最短だし、その年から活動する人も居ないね』
「へぇ。だからテレビでも、男性が出ないんですね」
15歳からは、利益を得る契約を結べるし、就労も可能となる。
この年からでも芸能活動をすれば、モテて、大金を稼げるように思える。
だが今世では、男女比が三毛猫なので、男性はテレビに出なくてもモテる。
実母と本人は生活支援金をもらえて、どちらも働く必要は無い。
誘拐の危険があると言われ、家に15年も匿われた生粋の箱入り息子が、芸能界に飛び込んで行くだろうか。
母親の意思で芸能界入りさせることも、社会的風潮が阻止する。
俺は数少ない男性の中でも、表に出たがる理解不能なツチノコの類いだ。
「そういうわけで、私は高校の勉強をします。皆さんも、ご自分の作業があれば、並行して下さい。アーカイブは残しますので、好きなときに再生して下さい」
視聴者達の理解を得たところで、手元の教科書を開く。
カメラには、俺の手元だけが映る設定だ。
視聴者には、ページをめくる音や、ペンが紙を擦る音がクリアに届くようになっている。
『悠くんの勉強風景が見られて嬉しいです』
『作業用BGM、とても助かります』
コメント欄には、期待と好意的な反応が流れている。
とはいえ、俺はただ勉強するだけだ。
数学の問題を解き始めると、配信にはペン先が紙を滑る音が乗る。
問題文を目で追いながら、時折、独り言のように呟いた。
「うーん、どうやって解くのだったかな」
一瞬、ペンを止めて首を傾げる。
前世で高校は卒業しているが、使わない高校数学を覚えているわけではない。
関数や行列の応用問題は、少し考え込むことがある。
『数学、難しいですよね』
『分かります! わたくしも関数は苦手でした』
『悠さんでも悩むことがあるんですね。なんだか親近感が湧きます』
コメント欄には、共感の声が流れている。
俺のチャンネルは登録者数が260万人を超えており、平日の日中にもかかわらず視聴者が10万人を越えている。
この時間でも、それなりの人が視聴できる。
休日や夜に仕事がある社会人、履修している授業の関係で今の時間が空いている大学生、女性同士のパートナーで育児をしている側の人などが居るのだ。
おそらく数万人は問題を解けるだろうが、マウントを取る人は居ない。
それでいて、俺が教えてと頼めば、3万人は答えを教えてくれそうな気がする。
実に優しい世界だ。
実際に頼むと、コメント欄が流れすぎて、カオスになってしまうが。
「ここの変数を代入して、微分を使うのか」
呟きながら、ノートに式を書き込む。
ペンが走る音が、BGMを消している配信に小さく流れていく。
『解けたんですね。えらいです!』
『悠さん、やっぱり頭が良いです』
『分からないところを冷静に考えて、すぐに答えを導き出せるの、かっこいい』
何をやっても全肯定の流れに、俺はカメラに映っていない口元を引き攣らせた。
10万人以上に甘やかされながら、俺は問題を解いていく。
『悠さん、収益化って申請しましたか』
ふと見たコメント欄に、気になるコメントが載った。
「収益化ですか。はい、申請しましたよ。今は審査中だと思います」
配信サイトは、チャンネル登録者500人以上、公開中の動画3本以上、動画再生3000時間以上などの条件を満たせば、収益化の申請を行える。
俺の場合、男だと証明する自撮り動画、初配信、歌動画2本で、4月5日に条件を達成した。
収益化すると、視聴者から投げ銭などを受け取れるようになる。
「でも投げ銭は怖いので、あまり解放したくないですね。だって皆さんの中には、上限金額の5万円を投げる人も居るんでしょう?」
『はい、もちろんです』
『お呼びになられましたか?』
『えっ、投げさせてくれないの?』
恐ろしいことに、投げることが当然という感覚の視聴者が、何人も居た。
それがアラブの石油王であれば、俺もまったく気にしない。5万円など莫大な資産の端数であろうし、減っても生活には何ら影響しない。
だが、一般庶民が5万円を投げると、生活に悪影響がある。前世のホストに貢ぐ女性のように、転落人生まっしぐらだ。
「私が曲を出して、それを購入して頂ける形なら、気にならないんですけどね」
『それなら、メンバーシップは、やりますか?』
メンバーシップは、チャンネルに月額で料金を支払うことで、メンバー限定配信を視聴できたり、コメント欄で専用スタンプを使えたりするサービスだ。
金額は90円から6000円の間で、配信者側が自由に設定できる。
配信者には、配信サイト側の手数料3割を除いた63円が入る。
「メンシは金額が大きくならないので、やろうと思っています。一応、イラストレーターさんには、メンバー用のスタンプを作ってもらっています」
『どんなスタンプになる予定ですか』
「他所を参考に、『こん、おつ、悠、祝、お休み』の日常系。『喜、怒、哀、楽』や、『凄、怖、驚、恥、困、焦、疲、悩、笑、泣、嬉、圧、好、愛』などの感情系。ペンライト、ギター、音譜、偉い、天才、困惑、PONをお願いしました」
『自分でPONを入れちゃうんだ?』
沢山の視聴者が、アンポンタンを意味するPONのスタンプを入れたことにツッコミを入れていく。
「配信していたら、絶対にポカすると思います。私自身が用意したスタンプなら、皆さんもツッコミし易いかなと」
『確かに、それなら使い易いかも』
『配慮優しい』
視聴者は、俺を褒めすぎではないだろうか。
この調子だと、俺が転んだ時に「起きられて偉い」とか、そこに居るだけで「生きていて偉い」とか言いかねない。
PONくらい作っておかないと、俺が苦笑いに耐えられなくなる。
『メンバーシップは、いくらに設定する予定ですか?』
「下限の90円を考えています。ただのスタンプですからね」
俺がスタンプだと言うと、不安になったのか、コメントに確認が来た。
『メンバーの限定配信は、ありますか?』
「考え中ですが、初配信で弾き語りをした『星降る海辺』などに演奏を付けて、載せていこうと思っています。それなら毎月配信の義務といった心理的な負担がありませんので」
『月額90円で、限定オリジナル曲をいくつも聴けるんですか!?!?』
『設定する桁、絶対に間違っています!!!』
コメント欄に、『!』と『?』が乱舞し始めた。
「90円だと、敷居が低くて、入り易いですよね。チャンネル登録者全体の1パーセントも入って下さったら、曲をリリースした分くらいは頂けますよ」
仮に260万人の登録者の1パーセントがメンバーになれば、2万6000人が月額90円をくれる計算になる。
サイトの手数料である3割を引いて、2万6000人が63円をくれるとすれば月収163万8000円。
月額制というのは、とんでもない収入なのである。
『悠くんが、自分の曲の価値をまったく分かってない件について』
『1曲1000円でも安いんだけど、数曲で90円?』
『安すぎて、登録者の半分くらいが加入しそう』
半分という数字を見た俺は、163万8000円の50倍はいくらだっただろうと暗算して、背筋が寒くなった。
しかも計算式は、登録者260万人を前提としており、まだ増える。
動揺した俺は、生まれたての子鹿のように、腕をプルプルと振るわせた。