第10話 鈴菜への楽曲提供
俺の言葉を聞いた鈴菜は、一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、ゆっくりと視線を隣に移す。
「大丈夫ですの?」
鈴菜が尋ねた相手は、同じバンドメンバーにして、サブマネージャーの咲月だ。
その問いには、複数の意味がある。
契約上、俺が楽曲提供をすることに問題はないのか。
商業的に見て成功する可能性はあるのか。
俺自身のスケジュールや、事務所の商業展開に影響は出ないのか。
鈴菜はマネージャーの立場ではないので、俺の契約内容を把握していない。
それでも様々な問題を推察したので、頭が良いのだろう。
対する咲月は、一瞬の迷いもなく即答した。
「悠さんが楽曲提供して、鈴菜さんが歌うのは、大丈夫ですよ」
咲月の声音には、揺るぎない確信があった。
鈴菜は無言で視線を送り、本当に大丈夫なのかと確認する。
すると咲月は、細かく説明を始めた。
「悠さんは仕事の拒否権をお持ちですが、悠さん自身が自発的に提供して下さるのであれば、何も問題ありません」
俺と事務所との契約関係は、所属ではなく、外部アーティストとの業務提携だ。
仕事を受けるか受けないかは、その都度の判断である。
だが俺自身が望むのであれば、契約的な問題は無い。
「悠さんの配信サイト登録者数は、200万人を越えています。そして、楽曲提供したことを宣伝しても良いと仰られました」
つまり俺の音楽に興味がある最低200万人に対して、俺が新曲を制作したと、直接宣伝できるわけだ。
テレビでCMを打っても、視聴者が商品に興味を持っているとは限らない。だが俺のチャンネルであれば、視聴者は全員が俺の楽曲に興味を持っている。
またテレビCMは巻き戻せないが、配信サイトは遡って再生できる。
宣伝効果は、テレビCMを沢山打つよりも、遥かに大きくなる。
「登録者の1%が購入してくれたら、数万人に売れます。週間ランキングの上位に入りますし、新しく動画を知った人も買ってくれるので、ロングセラーになります。商業的に成功しますから、事務所が反対する理由もありません」
咲月が即答するのも道理だった。
咲月に最終的な決定権は無いが、今の話を説明すれば、反対されるわけがない。むしろ話を確定させたことについて、大金星だったと褒めるだろう。
「悠さんのスケジュールも、問題ありません。ご提案ですから、鈴菜さんが断ることもできますが、それなら、わたしが代わりに歌いたいです」
咲月は、そう言って鈴菜を後押しした。
疑問が氷解した鈴菜は、微笑みながら頷き返す。
「分かりましたわ」
優雅に微笑むと、彼女は再び俺のほうを向いた。
碧眼がまっすぐに俺を見つめる。
「それで、どのような曲を提供してくださるのかしら?」
俺は無言でギターを手に取り、指先を軽くほぐすように弦を弾いた。
チューニングを微調整しながら、静かに息を整える。
「この曲は、『白の誓い』といいます」
短くそう告げると、咲月と鈴菜が視線を交わし、俺の演奏に集中する。
二人の表情には、純粋な興味と期待が滲んでいた。
ゆったりとしたアルペジオの前奏が、静かなリハーサルルームに広がる。
まるで雪がしんしんと降り積もるような、静かで穏やかな旋律。
俺は深く息を吸い込み、静かに歌い始めた。
「積もる雪に、足跡並べ。静かな街並み、君と歩んでる」
柔らかく、語りかけるように。
俺は歌詞に込められた想いを、一つ一つ紡ぐように歌い上げる。
雪が積もった冬の街並み、恋人が並んで歩く情景が広がる。
そのささやかな瞬間を、大切に抱きしめるような旋律。
ギターの音に耳を傾けながら、咲月がじっと歌詞を追っている。
鈴菜は、まるで楽譜を読むように、俺の指の動きを目で追いかけていた。
「雪が、深く降って。白く、景色染める。静かな、箱庭に」
歌詞の一言一言が、過ぎ去る季節と愛の深まりを描く。
恋人同士の時間が、冬の訪れとともに確かに積み重なっていく。
咲月は、腕を組んで歌詞を深く噛み締めるように聴いている。
鈴菜は、まばたきもせず、真剣な表情で俺を見つめていた。
「雪が、彩る世界覆う。温め待つ、溶けるまで」
サビに差し掛かると、俺は少し声に力を込めた。
寄り添う恋人たちの姿と、白く染まる息。
雪が降る中、二人だけの世界に包まれる幸福感。
それらをメロディに乗せて、純粋な想いを伝えるように歌う。
「静かに積もる、白の誓い。白い愛の結晶。溶けて消えたりはせずに。二人の絆繋ぐ。二人で育んだ冬、白く冷たい世界、それが愛を紡いだ」
咲月の指先が、二人の軌跡をなぞるように、無意識に虚空を流れる。
俺は、目を閉じながら最後のフレーズを歌い上げる。
「冬の街、絆繋ぎ。重なった、白の誓い。春になっても溶けずに、この世界彩る」
最後のコードを爪弾き、静かに音を止めた。
ギターの余韻が、部屋の空気の中で溶けていく。
俺は弦の振動が完全に消えるのを感じながら、二人の様子を窺った。
咲月は、明らかにショックを受けて、呆然と佇んでいる。
鈴菜は、僅かに身体を震わせていたが、やがて口を開いた。
「この曲を頂けますの?」
鈴菜の言葉には、隠しきれぬ喜びが混ざっていた。
眼差しは真剣であり、高揚感にも満ちている。
俺が沈黙していると、鈴菜は言葉を選びながら、思考を整理するように語る。
「この歌が伝えているのは、一瞬の恋のときめきではなく、つらい時間を二人で乗り越えることで生まれる深い愛情、そして永遠の愛の誓いですわ」
鈴菜の解釈を聞いた俺は、無言で首を縦に振った。
「季節の例えも素敵で、つらい時期を冬、幸せな未来を春に例えていますわ。若い男女に訪れる困難が冬で、その冬が冷たいほど、より固まった二人の愛の絆は解けなくなるのですわね」
鈴菜が歌詞を読み解いていく中、咲月も隣でじっと耳を傾けている。
「白い愛の結晶は、二人の想いや子供のことでしょうか。それなら春になっても、消えるわけがありませんわね。そして幸せな未来を描いていくのですわね」
鈴菜の声が、さらに熱を帯びる。
「永久の愛の誓いだから、白の誓いなのですね。白は雪景色であると同時に、結婚式で着るウェディングドレスや白無垢なのかしら」
彼女の指摘は、まさにその通りだ。
「この曲は、冬を用いた愛の美しさと恋人の困難、春という未来への希望、愛する人と共に居る充実感、変わらぬ愛の誓いを歌っています」
「素晴らしいですわ、素晴らしいですわ!」
鈴菜は同じ言葉を2度繰り返し、決意を込めた瞳で俺を見据えた。
「歌わせていただきますわ」
その宣言に、咲月がゆっくりと頷いた。
「すごく羨ましいです。頑張って下さい」
「ありがとうございますわ」
咲月は、音楽活動を続けられるように、アルバイトも兼ねている。
ベルゼ音楽事務所に所属しているアーティストあるいはユニット数は50だが、契約を終了した数は6倍の300にも及ぶ。
音楽業界では、売れなければ見切りを付けられて契約を打ち切られる。
だから当然、歌いたい気持ちはあるだろう。
だが俺が鈴菜に申し出たからか、サブマネージャーという立場だからか、咲月はアッサリと応援側に回った。
――この状況でバンドを組むと、蟠りが生まれるか。
そう思った俺は、咲月にもフォローを入れた。
「俺が一番気に入っている曲というだけで、ほかにも良い曲は有りますよ。咲月さんにも楽曲提供しましょうか」
「本当ですか!?」
咲月は瞳を大きく見開いて驚くと、小さな手で俺の手をガッシリと握った。
絶対に逃がさないという、強い意志を感じざるを得ない。
「バンドのほうも、頑張って下さいよ」
「もちろん、頑張ります!」
「あのような曲を頂いてしまっては、頑張らざるを得ませんわ」
やる気のメーターがあるとすれば、今の二人は完全に振り切れている。
そんな風に考えていると、ふと鈴菜が、不思議そうに尋ねた。
「ところで、どうして冬の曲ですの?」
その質問に、俺は一瞬だけ思考を巡らせた後、淡々と答えた。
「冬に思い付いたからですね」
それを聞いた咲月が、少し困ったように苦笑する。
「リリースは、早くて来月になると思います。少し遅くて夏でしょうか」
現在は4月なので、冬の曲のリリースは、早くて5月になる。
遅れれば6月、7月、8月あたりだ。
「鈴菜さん、次の冬までリリースを待たれますか?」
「こんな曲を渡されて、咲月さんなら我慢ができますの?」
鈴菜が自信満々に訴えると、咲月が「凄く分かります」と、力強く賛同した。