密室の推理
「君は誰かなか?」
祐一は言った。
紗香は白シャツの袖を折り上げながら、簡潔に答えた。
「私は鏡花探偵事務所の柚山紗香。ここの調査を依頼されてるの。あなたは?」
「伊藤祐一。警察は辞めた。今は、ただの通りすがり」
紗香は一瞬だけ表情を緩めたが、すぐに真剣な目に戻った。
彼女の眼差しは、ただの若い探偵ではなかった。観察力、分析力、そして何より“現場に生きる眼”を持っている。
「被害者は30代男性。首に圧迫痕。部屋は密室。死後2〜3時間ってとこ。でもおかしいのよ」
「どこが?」
祐一は興味深そうに室内を見回す。
その視線が止まったのは、倒れている被害者の指先だった。
「爪が……赤い?」
「そう。薬品の可能性があるわ。だから私は“偽装された死”だと疑ってる」
祐一は微かに笑った。
「やるな。俺もそう思った。……これは絞殺じゃない。薬物による昏睡のあと、首を絞めて偽装された遺体だ。つまり、殺人に見せかけた“演出”ってわけだ」
紗香は目を見開いた。
彼の言葉は、彼女の推理と完全に一致していた。
「犯人は、密室を利用した。あえて鍵を閉めて異常性を演出した。窓にも細工があるだろ? 鍵を閉めた後、糸か何かで引き抜ける仕掛けだ」
紗香は窓に近づき、サッシの溝を注意深く見る。そこに、極細の透明なテグスが絡まっていた。
「……見つけたわ」
「ほらな。――で、犯人は?」
「第一発見者の“婚約者”。でも、彼女は完璧すぎる。部屋に入るとき鍵を使っていた、警察をすぐ呼んだ、証言も冷静すぎる……」
「逆に“冷静すぎた”ってことだな。罪悪感から、現場の指紋を不自然なほど拭いてたらしい」
二人は顔を見合わせ、同時に小さく頷いた。
静寂が戻った現場の中で、祐一がふと呟く。
「久々に頭を使った気がする。……あんた、いい目してるな」
「あなたも。もっと話したい。もし、時間があるなら……明日、うちの事務所に来ない?」
その言葉は、淡々とした声でありながら、不思議な響きを持っていた。
どこかで彼女もまた、誰かを待っていたのかもしれない。
祐一は、雨に濡れたコートの袖を軽く払った。
「……いいだろう。久々に、誰かと組んでみるのも悪くない」
こうして、伊藤祐一と柚山紗香――
鏡花探偵事務所の“運命の出会い”が、静かに幕を開けた。