白坂病院跡地
――夜、文京区。
封鎖されて久しい「白坂病院跡地」。
窓ガラスは割れ、蔦が這うその建物は、まるで時に取り残された遺物のように見えた。
「ここで……薫さんに会えるの?」
「わからない。ただ、彼女が“記憶のある場所”としてここを選んだとすれば、何か理由があるはずだ」
祐一と紗香は、外から見えないよう身を低くして建物に入った。
中は静まり返っており、時折風に吹かれてドアがきしむ音が響く。
かつての病室を通り抜け、地下へと続く非常階段を下る。
照明はなく、スマートフォンの明かりだけが足元を照らした。
――そのとき。
足音。
微かに、誰かがこちらを見ているような気配。
「来たわね、紗香」
その声は、真っ暗な病室の奥から響いた。
ライトを向けると、そこに立っていたのは、
かすかに髪の長い、顔立ちの似た女――冬原薫。
「……あなたが、薫さん?」
「ええ。ずっと会いたかった、妹」
二人の間に沈黙が流れた。
初対面なのに、どこか懐かしい。
記憶にないのに、胸の奥が騒いでいる。
祐一は一歩引き、距離を保つ。
「話を聞かせてくれ。君たちは……どうして分かたれたんだ?」
薫は静かに語り始めた。
「私たちは、ある“遺伝子計画”の一環として生まれた。
石化に耐えうる身体、それを持つ可能性のある“胎児”を複数培養し、
その中から選ばれたのが、私と紗香だった」
「でも、私は――」
「あなたは、守られたの。父親が――鏡花誠一が、あなたを外に出すことに決めた。
私だけが“実験継続対象”になった」
薫の目には、怒りも悲しみもない。
ただ、長い時間を知っている者の静けさがあった。
「……それでも、私はあなたを憎まなかった。
あなたが“正常”に育ったことが、唯一、父の人間らしさだったのかもしれないから」
そのとき、廊下の奥でガラスの割れる音がした。
「……来たみたいね。追手よ。
私たちの再会を“許さない”者たち」
祐一が警戒して身構える。
「ここは危険だ。出よう。君も、薫も」
薫はゆっくり首を振った。
「私は行けない。
でも紗香、あなたは……“まだ表の人間”だから、生き残れる」
彼女はポケットから古い鍵を差し出す。
「これは、“研究所”へ繋がる本当の扉。
すべての真実は、そこにある」
紗香が手を伸ばそうとした、その瞬間――
廊下の奥からフラッシュライトの光が差し込んだ。
「走って!!」