白い記憶
東京・谷中。
古い寺院の裏手にある小道を、祐一と紗香は静かに歩いていた。
目的地は、冬原薫と最後に接触した人物が営むという古書店――その名も「雨読堂」。
「彼女が最後に現れたのは、半年前。
この店に、手帳を一冊だけ置いていったそうよ」
紗香がそう言ったとき、風が吹き抜け、道端に咲いた白い小花が揺れた。
「この花……あの研究所にも咲いてたな」
「“ハクモクレン・改変種”。
石化実験の副産物として生まれた植物らしいわ。
つまり、彼女はあの研究所に関わっていた確証がある」
**
古書店「雨読堂」は、蔦の絡まる静かな一軒家だった。
中には年配の男性がひとり、本の山を片付けながら座っていた。
「……冬原薫、か。忘れもしないよ。
彼女は“記憶を消したがっていた”。この手帳も、そう言って置いていった」
店主が差し出した手帳には、淡い水色のカバー。
表紙に一言、震えるような字でこう記されていた。
『私の名前は、本当は“冬原薫”じゃない』
「……記憶を、改ざんされた?」
祐一がそう呟くと、紗香がページをめくる。
そこには、断片的な言葉が並んでいた。
•“彼らは私の血を求めていた”
•“私は実験体じゃない”
•“彼の声だけが、私を現実につなぎとめていた”
•“灰の中に、本当の私がいる”
「彼、って誰のことだろう」
「わからない。でも、“灰”って言葉……この物語の中心に何度も現れてる」
祐一は記憶の中で引っかかっていたものに、ようやく言葉を与えた。
「“灰”ってのは、石化した生命体が砕けるときの状態だ。
つまりこれは――自分が石化され、“元に戻された”記憶の断片かもしれない」
紗香はそのページの隅に、見覚えのあるマークを見つける。
「これ……私の父が遺した研究ファイルにあった。
“旧第七研究班”の記号よ。
まさか薫は――父と関係があった?」
**
店を出ると、再び風が吹く。
その風の中、紗香はぽつりと呟いた。
「……私、彼女と会ったことがある気がするの」
「どういう意味だ?」
「記憶にはないの。でも、“感覚”がある。
彼女の声、目、手の感触……なぜか、懐かしいって思うのよ」
そのとき、紗香の携帯が震えた。
「“冬原薫の目撃情報”……? 場所は、旧都庁跡地……!」
祐一と紗香は顔を見合わせる。
「行こう。そこに、答えがある」
夜の街へ、ふたりは再び足を踏み出した。