石化の息吹
「……逃げよう」
祐一が言ったその瞬間、研究所全体が低く唸りを上げ始めた。
床下から、重い振動が伝わってくる。
「無理よ。封印が開き始めてる……このままだと、私たちも“巻き込まれる”」
紗香の声は冷静だったが、その表情には焦燥が滲んでいた。
目の前のモニターに映し出されたのは、氷のような結晶に覆われた巨大な輪郭。
“スピノサウルス型超生命体 α-Σ”――それが、石化状態から少しずつ目覚め始めているのだ。
『起動条件:適合者の血液サンプル確保済』
『再構築プロセス:残り12%』
『防御機能作動:セクターDから隔離措置開始』
「これって……生物に、機械的な再構築手順を適用してる……?
でもそれじゃ、単なる化石じゃない……」
紗香は、即座に判断した。
「この“石化”って、生物の時間を止める技術なのよ。
死んでいたわけじゃない――“止まって”いただけ」
「じゃあ、こいつが目覚めるってことは……」
「地球の時間が、巻き戻るってことよ」
**
祐一と紗香は、研究所の奥に設けられた制御室に駆け込んだ。
そこには、唯一このシステムを停止できる“緊急遮断スイッチ”が存在していた。
だが、その鍵は――指紋認証と音声認証の二重構造。
しかも、音声認証の登録名にはこう書かれていた。
【オーナー音声名:冬原薫】
「まさか……薫本人じゃないと止められないの?」
「いや、待て。音声ログ……たしか、この端末に残ってるはずだ」
祐一が旧記録ファイルを必死で探る。
すると、10年前の“冬原薫の声”を収録したファイルが見つかる。
再生ボタンを押すと――
薫(幼い声):「止まって。もうやめて。そんなの、誰も幸せにならないよ」
その音声が認証され、カチリと機械が音を立てた。
『音声認証完了』
『再構築プロセス 一時停止』
『ロックダウンモードへ移行。緊急保護措置を開始します』
一瞬、研究所が静まり返る。
だが――その直後。
床下から、ヒビ割れるような轟音。
凍りついた“石化の殻”が、自らを破壊するかのように割れ始めたのだ。
「……まだ終わってないのね」
紗香が立ち上がる。
「祐一。次の手を考えなきゃ。今度は、“彼女”を見つけなきゃダメよ」
「冬原薫……」
彼女は今どこにいるのか。
なぜ、国家がその行方を隠し続けているのか。
そして――彼女は自らの意志で姿を消したのか、それとも“消された”のか。
**
研究所を後にし、地上に戻った祐一と紗香は、東京の夜景を見下ろしながらこう誓う。
「答えを知るためには……彼女を見つけなきゃならない。
あの子の“真実”が、すべての鍵になる」
「そして、私自身の血と記憶にも――きっとまだ、何かある」
夜空に浮かぶ月が、二人の足元を静かに照らしていた。