黄昏の庭園
春の終わり。
東京郊外の外れ、地図には存在しない森の中を、祐一と紗香は静かに歩いていた。
先日入手した座標が示すのは、かつて森林療養施設として使われていたという建物跡地。
「ここ、本当に施設だったの……?」
「元々は高官向けの“静養所”として使われてたらしい。だが、ある時期から突然閉鎖され、存在ごと“消された”。今は公安の一部でも知ってる者はほとんどいない」
森の中に静かに佇む白い館。
その名も《黄昏の庭園(Twilight Garden)》。
鉄の門は固く閉ざされていたが、祐一は古びた南京錠を器用にこじ開けると、ゆっくりと中へと足を踏み入れた。
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建物の中は奇妙な静けさに包まれていた。
床には乾いた落ち葉が積もり、壁には植物の蔓が絡んでいる。
だがその一方で、明らかに最近人の手が入ったような形跡もある。
「誰かが、ここを使っている……?」
紗香が声を落として言ったときだった。
「――いらっしゃい、探偵さん方」
二人の背後から、静かな声が響いた。
振り向くと、そこには白衣を着た老女が立っていた。
背筋を伸ばし、無駄のない立ち振る舞い。年齢は六十代後半と見えるが、目は異様なほど澄んでいる。
「あなたが、“黄昏の庭園”の管理者ですか?」
「いいえ。私は、“観察者”。……かつてこの施設で、“特別な少女”の世話をしていました」
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老女の名は三宅トキヱ。元は精神医療の看護師であり、“石化現象”の第一発見者の一人でもあるという。
「その“少女”とは、まさか……」
「ええ。あなたたちが探している“富豪の娘”――**冬原 薫**です」
「生きているんですか?」
「……ええ、生きている。ただし、“彼女が人間であれば”の話ですがね」
老女は静かに微笑んだ。
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「ここで何が行われていたのか、話してください」
老女はしばらく沈黙し、それから重々しく口を開いた。
「――この施設は、国家の“失敗作”の墓場でした。医療・遺伝子実験・心理操作……そのすべてを組み合わせた、新しい人間の創造が目指されたのです」
「その結果、石化現象が?」
「違います。あれは“副産物”。本当の目的は、人間の意識を時を超えて保存することでした。だが、失敗が続き……最後の被験体である“薫”が、奇跡的に“目覚め”てしまった」
「奇跡……?」
「彼女は、“自己意識”を保ったまま、“時間を止める存在”になったのです」
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紗香が表情を曇らせた。
「まさか、あの執事……彼が“薫”を狙っている?」
老女は首を横に振る。
「いいえ。あの執事は、彼女の“守人”です。薫は彼に“ある使命”を与えて姿を消しました」
「どこへ?」
「私にもわかりません。ただ、彼女はこう言いました――“私がいなくなれば、世界は少しだけ早く動くようになる”と」
静寂が落ちる。
その時、館の奥から微かな足音が響いた。
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二人が構える中、扉が開いた。
そこにいたのは、少女のような影――だが、その顔は石のように硬質で、片目だけがかすかに赤く光っていた。
「……まさか……!」
少女の姿は、何かを訴えようと口を開くが、声にはならない。
だが、その目には明らかに「意志」があった。
その瞬間、背後の壁から警報音が響き、老女が叫ぶ。
「ダメ!誰かが“この空間”に侵入した!」
「誰が?」
「……**“あの男”よ。石化したはずの……“彼”が、動いてる――!」
**
――それは、屋敷で石化したはずの執事の復活を意味していた。
扉の奥で、少女は静かに“何か”を指さす。
それは、彼女の“次の居場所”――この世界の奥深くにある、誰も知らない実験施設を意味していた。