雨の街に戻る
東京、六月。
雨は静かに降っていた。粒が細かく、しかしどこか粘り気のある湿気を含んだ雨だった。
灰色の空の下、伊藤祐一は駅の改札を抜け、静かに歩き出した。
肩には小さな鞄、足取りには迷いと決意が半分ずつ混じっている。
祐一はかつて、公安警察にいた。
潜入捜査や内偵、危険な任務にも関わってきたが、心を削る仕事に限界を感じ、退職。
その後は海外を放浪し、幾つかの街を渡り歩いた――
だが、彼の中で“終わっていない何か”が、再び東京へと導いた。
「……やっぱり、雨か」
湿った空気の中で、小さく独りごちる。
そして祐一は、雨の商店街を歩いていく。
下町の香りが残るその街は、記憶の片隅に確かに存在していた。
ふと、目に入ったのは古びたアパート。
その前に警察車両と野次馬の群れがあり、黄色い規制線が張られている。
現場慣れした祐一の勘が告げていた――
(事件だな。……殺人か?)
「密室なんだって」「玄関も窓も全部内側からロックされてたらしいよ」
通りすがりの主婦たちが小声で話している。
祐一は立ち止まり、警察の規制線を静かに見つめた。
※
現場は3階建てのアパート、その2階。
被害者は30代の男性。部屋の中央で倒れていた。
室内には乱れがなく、ドアと窓はすべて施錠されていた。
死因は首を絞められたことによる窒息――だが、祐一は即座に違和感を覚えた。
「現場保存が甘いな。警察もまだ手探りってところか」
祐一は誰に許可を求めることもなく、階段を上がっていった。
そしてドアの前、現場責任者らしき刑事に止められる。
「ちょっと、あんた誰だ」
「伊藤。元公安。……ちょっと気になってな」
刑事が眉をひそめたそのとき、中から女性の声が響いた。
「いいわ、通してあげて。その人、元・公安って言った?」
声の主は.....誰だ?