旅立ちの準備2
扉をノックする音が響いた。
「昼食の用意ができました」
侯爵は立ち上がると、手を一つ叩いた。
「さあ、お腹を満たそう。そして、前向きな話をしよう」
皆頷くと、沈みかけた空気を断ち切り、食堂に向かった。もうすでに、夫人とレイラの弟のリュセが席についていた。
食堂は、甘い匂いで満ちていた。
桃のランチである。
食卓は、花と緑と桃の料理で彩られていた。それぞれの席に座ると、料理長から料理の説明が始まった。
「まずは前菜ですが、桃と生ハム包み青レモンソース添え、それからサラダはフルーツカクテルです」
「美味しそうだな」
「ええ」
侯爵と夫人はカラフルな彩りに笑みをこぼした。リュセは、もう口に頬張っている。レイラが言った。
「桃をたくさん取ったからよ」
夫人が首を傾げた。
「桃……って、夏のフルーツよね?どこになってたの?」
「レイラ嬢が生らせましたのよ、夫人」
先生が微笑んで伝えた。夫人は目を丸くしてフォークを置いた。
「レイラ、貴女……」
レイラは首をすくめた。
「できるようになりましたわ、お母様」
夫人はじっとレイラを見つめた。
「レイラ、おめでとう」
そう言うと、彼女は席を立ち娘の側にいった。そして、そっと彼女を抱きしめた。
「あれからもうすぐ15年。あっという間に成長してしまったのね。本当に、……本当に」
「お母様」
トルカは娘の頬に手を当てた。
「秋の御方。まさにその力こそが、貴女の生まれもった宿命。全ての人のために、大切にお使いなさい」
レイラもフォークを置くと、母の手に自分の手を重ねた。
「お母様。私、頑張りますわ」
二人は、見つめ合った。声にならない言葉が、交わされた。
夫人はこぼれかけた涙を拭うと、自席に戻った。
「さあ、皆で味わいましょう!季節を先取りできるなんて幸せね」
笑顔で切り替えたトルカは、フォークをとると、桃を切り分けた。生ハムとソースを少しのせると、優雅な仕草で口へ運んだ。
「絶品ね」
早くもそれを食べ終え、フルーツカクテルをつついていたリュセが言った。
「これも美味しいよ!甘味と塩味のバランスが最高!」
侯爵もその言葉にのってきた。
「本当に。昼からだが、私に少しワインをもってきてくれないか」
「一杯にしておいてくださいな」
夫人はすかさず釘を刺した。
……ああ、これが私の家族だわ。とても温かく優しい。ずっと一緒にいたいな……
レイラは、フォークを動かしながらしみじみと思った。
食後のデザートは、サロンに運んでもらった。タルトにソルベ、ゼリーにケーキ。目の前でフランベされるカットされた桃。まさに桃のフルコースである。さすがに大量なので、館の皆を呼び、一緒に味わうことになった。
侯爵はあまり立場を気にする人ではないため、よくこうして皆で集まることがあった。夫人も初めてそういう流れになったときは面食らったが、夫がそれを楽しんでいるので気にしなくなった。どうせ楽しむなら、皆で楽しんだ方がいい。夫婦揃って身分に拘らないのが、この家の雰囲気をより温かなものにしていた。
ようやく食べ終わると、また皆元の配置に戻っていった。
片付けられたサロンで、改めてお茶をいただく。 リュセは歴史の授業のため自室にひいた。侯爵も領地から管理人が来ることになっており、その準備に向かった。サロンには、トルカとレイラだけが残った。
レイラは、侯爵が置いていった下つ国の家族リストを手に取って眺めた。
「できれば、我が家と同じような家族構成がいいのだけど」
「できれば、ある程度の収入のある、暮らしに困らないところに預けたいのだけど」
親子でそんなことを話しながらリストをめくっていった。しかし、余りにも多く、条件を読むことが面倒に思われる。行きたくて行くわけではないので、気持ちも乗らなかった。レイラは顔を上げた。
「そうだわ、ソロモンに選んでもらいましょう」
そう言って、中指に一つキスを落とした。
「ソロモン、私を手伝ってくださいませ」
すると、宙がくにゃりと歪み、奥から光が生まれてきた。光はどんどん大きくなり、やがて大きな人型をとり始めた。ソロモンの登場である。
「どうした、レイラ」
ソロモンの全身が現れると、トルカは立ち上がって礼をした。
「ようこそおいでくださいました」
レイラは座ったまま、頭を下げた。
「お願いがあるのです。私が下つ国でお世話になる家族を、この中から選んでくださいな」
ソロモンの前に書類の山を見せながら言った。
「これはまた多いな」
「父がいろいろ考えてくれたのですが、その通り多くて……」
「ふむ」
ソロモンはパラパラと書類がめくった。
「レイラの条件はあるのか、何か」
「できれば、我が家と同じ家族構成のところがいいです。その、娘であり姉であるポジションで。あと、母からの希望で、生活に苦労しないところと」
「そうか」
ソロモンは、何か口の中で唱えると、手を書類にかざした。すると、書類の束の中から三枚、山の隣に浮いて出てきた。
「このあたりかな、それは」
ソロモンの選んだ家族は、確かに条件の合うものであった。
「あとは、あちらでどのような仕事をしてみたいかによる」
「選択肢は?」
「そうだな……一つは雑誌の記者。一つは教師。もう一つは、ピアニストだな」
レイラの眉が下がった。
「ずいぶん極端な仕事の選択肢ね」
「伴侶を見つけるまでのことだからな。それまで選り好みしてしまうと、当初の条件から外れるぞ。タイムリミットもあることだし」
「タイムリミットは、いつ?」
レイラは顔を上げた。
「秋の御方として立式する前までだな。こちらの歳でいうと、18歳。下つ国だと、27歳か」
「下つ国とは、そんなに時間の流れが違うものなの?」
「そうだ。下つ国での星の一巡りの間だけだ」
「……そんな短い期間で見つかるのかしら?」
「大丈夫だ。会えばすぐわかる。相手はどうかわからないが、そなたにはわかる」
「相手の方に好かれなかったら?」
ソロモンは笑った。
「その心配は全くない。伴侶は必ずそなたを好きになる。そう、定められているのだから」
黙ってやりとりを聞いていたトルカが、口を挟んできた。
「大丈夫。必ずそれはわかるわ。不思議なことに」
レイラとソロモンは、驚いて彼女を見た。
「どうしてなのかわからないけど、わかるのよ。まさに運命ね」
うんうんと頷きながら、トルカが言った。
「お母様……」
「安心なさい。貴女が『この人』と思ったら、その人ですよ」
「そうだな」
レイラはまだ誰かにときめいたことがないのでわからない。きっと、まだ本当の伴侶と出会ってないからなのだろう。
「わかりました。とりあえず、教師で」
「では、この家族だな」
家族が、決まった。