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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

宿借

作者: 星河雷雨

 

 

 高校に入って初めての夏休み。両親と僕の三人は、近県の海沿いの町へと一泊二日の旅行に出かけた。三か月前に予約を入れた民宿は、玄関を出て数十メートル先が海だというのに、かなり破格の料金だったらしい。


 父親の運転する車は、二時間ほどで少し古びた外観の民宿に到着した。家屋の所々に使われている金属が、潮風を受けて錆びついている。僕達は玄関口にかけてあった宿の名前が書かれた小豆色の暖簾をくぐり、中へと足を踏み入れた。対応してくれたのは、四十代前半の僕の母親より幾分か年上に見える、人の良さそうな女の人だった。


 泊る予定の部屋の中へと荷物を運び込んだあと、水着に着替えた僕は早々に海へと向かった。足元はサンダル。手にはゴーグル。浜辺に置く予定のビーチパラソルは、あとで父親が持ってくるだろう。目の前に広がる海に興奮した僕は、サンダルを浜辺に放り出し、バシャバシャと音を立てて海の中へと入っていった。七月の海水はまだ幾分、肌に冷たく感じた。


 ゴーグルを装着し、身体全体を海へと沈める。海の底にはベージュ色の砂が広がっていた。少し浜辺から離れると、淡い緑や赤紫色の海藻が付着した、ゴツゴツした岩が見えて来た。その周りをひらひらと泳いでいた赤や黄色の小さな魚が、ゴーグル越しに僕の目の前を横切っていく。


 海の美しさを堪能していた僕は、ふと、透き通った海水の中、柔らかな光を纏う小さな何かを見つけた。遠目から見たそれは微かな青白い光を放ちながら、海の中をふよふよと漂っている。それに興味を惹かれた僕は、もっと近くで見ようと思い立ち、手で海水を掻きながら脚をバタつかせた。けれどその何かは僕が到達する前に、僕の作った水流に飲まれてしまったのか姿が見えなくなってしまった。

 

 僕は今見たものを両親に教えようと、海面に顔を出した。ビーチパラソルの下、浜辺で寝転がっている両親の元へと行き、先ほど海の中で見たものを告げた。父親からはホタルイカじゃないかと言われたが、僕はその答えに納得することが出来なかった。その発光体は遠目ながらもホタルイカよりも小さく思えたし、以前読んだ図鑑に、ホタルイカの発光は大体が三月から五月の間だと書いてあったことを記憶していたからだ。


 僕はあの発光体をもう一度よく見ようと海の中へ戻ったが、残念ながらこの時にはあの発光体を見つけることは出来なかった。






 さんざん海で遊んだあと宿に戻った僕は、夜、なかなか寝付けないでいた。昼間見たあの小さな光のことが、頭から離れなかったからだ。僕はしばらくの間どうにか眠りに着こうと努力していたけれど、結局は諦めた。


 寝返りを打った僕の目に、ぐっすりと眠っている両親の姿が映った。その姿を見た僕は、むくむくと好奇心が湧き上がって来るのを感じた。そうだ。眠れないならば、夜の海を探検すればいいのだ。僕は両親を起こさないように布団から抜け出し、軽く洗って部屋に干したままにしていた、まだ湿っている水着にすばやく着替え、部屋をあとにした。


 当然ながら宿の玄関はすでに閉まっていたけれど、窓なら客の僕でも開けられる。そっと窓を開けた僕は、玄関から持って来たサンダルを履き、海へと向かった。


 浜辺に辿り着いた僕は、静かに波を立てる黒い夜の海を見つめた。怖いとは思わなかった。何故なら、まるで夜と一体化したように暗い海面の所々が淡く光っていたからだ。その不思議に意識を奪われ、怖いなどと感じている暇もなかった。


 最初は点々と、けれど光は次第に数を増していった。星空を海に落としたかのようなその神秘的な光景に、僕は言葉を失くして見入っていた。海も、空も、光輝く星たちに埋め尽くされている。


 僕はサンダルを履いたまま、夜の海へと入っていった。そして海水ごと、昼間見た時よりも強く輝くその発光体を両手で救い上げ、じっと観察した。よくよく目を凝らして見たそれは、やはりホタルイカなどではなかった。住処である貝殻を失ったヤドカリのような、少しだけグロテスクな姿をしたものが、海水の中で蠢いていた。


 しばしそのグロテスクだが美しくもある不思議な生物に見入っていた僕は、突如お腹の中央に針で刺されたような痛みを感じ、思わず両掌の中にあった海水を零してしまった。


 きっとクラゲにでも刺されたのだろう。けれど僕がクラゲに刺されるのは初めてではなかったため、あまり慌てることはなかった。以前刺された時は刺された箇所がわずかに腫れる程度で終わったため、今回も翌朝まで様子を見るつもりだった。翌朝刺された箇所が腫れあがっているようなら、病院に連れて行ってもらえばいい。


 痛みは一瞬で消えてしまったけれど、さすがにこれ以上海水に浸かっている気分にはなれず、僕は海から出てそのまま宿へと戻ることにした。


 翌朝目覚めると、僕のお腹が鈍い痛みを訴えて来た。けれど腹部のどこにも、腫れも、刺されたような痕も見つけることが出来なかった。痛みも病院に行くほどのものではない。だとしたら、もしかしたらこのお腹の痛みは夜の海で泳いだことで身体が冷えたせいかもしれないと、僕は考えた。


 結局その日、僕は海の中へは入らなかった。太陽によって温められた浜辺で、帰宅の時間が来るまでずっと、家から持って来た本を読んで過ごすに留まった。






 けれどその日以降、僕の身体は段々とおかしくなっていった。


 お腹が痛むと思った翌日には、胃が痛くなった。そして徐々に、徐々に、お腹の中心から外側に向かって痛みが移動していった。だが不思議なことに、しばらく経つとその痛みはすべて、最初からなかったかのように消えてしまうのだ。


 そして胴体の内側の痛みがなくなると、次は四肢が順に痛みだした。足と腕の付け根から、指の先まで順々に。そして喉に痛みを覚えた頃には、言葉を発することを困難に感じるようになった。そのあとすぐに痛みは顔にまで広がり、やがて頭にまで及ぶようになった頃には、僕の記憶には時々混乱が生じるようになっていた。自分の身体が重く感じられるようになり、ベッドで寝ていることも多くなった。






 この日も僕は、ベッドの上でうつらうつらとしてはハッと意識を覚醒させる、そんなことを繰り返していた。けれどこんな状態でもお腹は空くし、喉も乾く。耐え難い空腹を感じた僕は、食料を求めて二階にある自室から一階へと下りて行った。


 一階へと下りた僕の目に、ニヤニヤとした薄気味悪い笑いを浮かべ、口の端からよだれを垂らしながら動き回っている両親の姿が映った。首は常時左右に振れており、足取りも覚束ない。そんな両親の姿を苦い想いを抱きながら眺めていた僕は、ふらつく父親が蹴り飛ばした椅子の脚が立てた音を聞き、ようやく目の前の両親の姿がおかしなものであることに気が付いた。


 今思えば、あの海へ行ってから僕だけではない、両親も徐々に様子がおかしくなっていったように思えた。僕と同じように、二人とも最初は腹痛を訴え、それが治まったと思えば、徐々に体のそこかしこの痛みを訴えはじめた。首の痛みを訴えはじめた頃から、二人は口数が少なくなっていったように思う。けれど自分のことで精いっぱいだった僕は、二人の様子がおかしいことに気付けなかったのだ。


 けれど両親の様子がおかしいことに気が付いても、僕にはどうすることも出来なかった。今の僕では自分の面倒を見るだけで精一杯だったからだ。それに様子がおかしいといっても、両親も僕も食事は取れるし、だるいだけで、今でも痛み続けているところはない。


 きっとこれは夏バテだ。最初の頃の一瞬で消える身体中の痛みは、何か良くない風邪でも家族全員でもらってしまったのだろう。しばらく休んでいれば治るはずだ。そう考えた僕は当初の目的、空腹と喉の渇きを解消することに専念した。


 冷蔵庫を開けた僕は、中の食材を見て何を作ろうかと考えた。入っている食材は沢山あったが、けれど僕に調理できる品は限られている。僕は玉葱、人参、じゃがいも、そして鶏肉に目星をつけた。この食材なら迷うことなくカレーだろう。けれど今の身体の状態では、調理をすることすら面倒くさい。


 仕方なしに僕はじゃがいもにそのまま噛り付いた。微かな甘みと、渋み。そしてどことなく粉っぽい食感。あまり美味しくはないが、食べられないこともない。じゃがいもを一個食べ終えた僕は、玉葱と人参、次はどちらを食べるかを秤にかけた末、人参に噛り付いた。


 食事を終えた僕は自室へと戻り、またベッドの上へと横たわった。身体が辛い時には寝てしまうに限る。僕はまだ若いから、きっとしばらく休んでいれば治るだろうと、そう考えてのことだった。両親のことを思いやる気持ちなど、この時の僕の頭には僅かすら浮かんでこなかった。






 目が覚めると、部屋の中が薄暗くなっていた。


 寝たのが昼頃だったので、この暗さでは恐らく夕方だ。結構な時間寝ていたのだなと考えていると、強烈な喉の渇きに気が付いた。僕はベッドから起き出し、水を飲もうと両親がいるはずの一階に下りて行った。


 一階に着くと両親が床を這いまわっていた。その行動を見て、きっと安全な産卵場所を探しているのだろうと当たりを付けた僕は、二人を二階にある両親の部屋へと案内することにした。


 二人は素直に四つ這いで僕のあとを付いてきて、部屋に入ると二人してベッドの上に這い上がり、ごそごそと落ち着く体勢を探したあと、その場で身体を丸めて眠り始めた。あと数時間後には、二人の身体から大量の幼生体が生まれてくるはずだ。


 ――幼生体ってなんだ?


 一瞬だけそんな考えが浮かんだけれども、すぐに幼生体とは僕同様、微弱な意思を持った僕達の親のクローンだということを思い出した。


 親はここには来ていない。僕達によって完全なる支配が終わってから、僕達がこれから送る予定であるすでにここは安全だという信号を元に、この星へ降り立つ予定だった。


 この星に落とされた幼生体の数は、一億程度。人間一人分ほどの大きさの有機体から生まれてくる幼生体の数は、約百万。すでに世界中に散らばっているだろうことを考えれば、少なくとも残り一週間ほどの時間があれば、この星の生物の大半を支配下に置くことが可能だ。一月も経てば、親へと信号を送ることが出来るようになるだろう。


 最初は動物、それも効率がよく幼生体を遠くまで運ぶことの出来る人間に宿った。次に鳥類。それから人間と鳥以外の動物へと順次宿っていく計画だった。


 僕は今や完全に寝てしまった二人を残し、いまだ強烈に感じている喉の渇きを癒すために、もう一度一階へと下りることにした。台所の流し台の前に立ち、水を出す。その一連の動作に一切の迷いは生じなかった。僕達は宿主の知識と記憶を、自在に使うことが出来るのだ。


 僕達はまず寄生する宿主の腹からその体内へと入り込む。臍がある生物は臍が入り口となるが、臍がなくとも僕達は小さく、肉を破く際痛覚を麻痺させる物質を出すため、一瞬の痛みは感じるだろうが、体内への侵入に気付かれることはない。痛みに鈍い生物の場合など、その一瞬の痛みすら感じることはないだろう。


 体内に入り込んだあとは、時間をかけて宿主の身体の隅々にまで自らの神経を伸ばすのだ。その際多少の痛みは感じるだろうが、それもすぐに消えてしまう。僕達は宿主の脳を最終目的地とし、これを支配下に置く。これで宿主の身体は完全に僕達のものとなる。そして卵で幼生体を産み終えたあとは、生命活動を終えるまで、宿主の身体で生きて行くのだ。


 それが、本来の僕達の生態のはずだった。けれど今の僕の状態を、僕は少々訝しんでいた。それは、きっと仲間の姿を見たからだろう。


 彼らと僕は何一つ違わないはずだ。同じ親から生まれ、同じ種の宿主に寄生した。ならば僕も、今のあの二人のような状態になるのが正しい姿であるはずだ。


 そう考えた瞬間、身体全体に冷たい電流のようなものが走った。心臓が早鐘を打ち、日に焼けたためか赤黒く、けれどつるんとした肌には玉のような汗が浮かんでいた。完全に支配したはずの神経系統が暴走したのだ。僕がその様子をただ浅い呼吸を繰り返しながら見つめていると、だんだんと目の前が暗くなっていった。






 次に目が覚めたのは、僕の耳が二人分の悲鳴を聞きつけた時だった。どうやら幼生体が生まれたようだ。僕はいつのまにかソファで横になっていた。きっと意識を失う寸前ソファへと移動し、そのまま眠っていたのだろう。その間に数時間経過していたらしい。僕は兄弟達の様子を見るためソファから身を起こし、再び二階へと上がった。


 ベッドの上は、すでに卵から孵った幼生体で溢れていた。幼生体は薄暗い場所では自ら発光する。すでに夜になっているため、部屋の中は幼生体の発する光で、幻想的な光景を産み出していた。しばしその光の奔流に見蕩れていた僕は、二人の口の中、外に出きっていない幼生体が残ってることに気が付いた。僕は二人の口内へと指を突っ込み、残っている幼生体を潰すことのないよう、細心の注意を払いながら掻き出した。


 最後の一匹を摘まみだした僕は、気まぐれにその幼生体を掌に載せた。掌の上の小さな命は、糸くずのように細い脚を動かして、懸命に生きようと藻掻いている。


 漠然とその様子を眺めていると、ふいに僕の掌が僕の意思とは関係なく収縮した。その瞬間、クシャ、と薄気味悪くも残酷な音を立てて、僕の掌の中で幼生体が潰れた。その一瞬の出来事を、僕はなすすべもなく眺めていることしか出来なかった。


 たかが一匹潰したくらいで計画に支障はない。それでも、この幼生体は僕の兄弟達から生まれた、僕達の分身であるはずなのだ。


 けれどこの幼生体を握りつぶす一瞬、僕の中に浮かんだ感情は、まぎれもなくこの幼生体に対する憎しみだった。


 一体何時から、僕は僕でなくなってしまったのかわからない。僕の意思で動かしたはずの右手が、どうして幼生体を握りつぶしたのかも全くわからない。


 あるいは最初から、僕はこの宿主を征服出来ていなかったのかもしれない。征服した気になっていただけなのかもしれない。


 僕はベッドの上に溢れかえる幼生体の光で出来た水面を眺めた。美しい、と感じる一方、その光景を僕は悍ましいとも感じている。


 そしてその感じるという思考活動そのものが、本来の僕達にはないはずのものであることに気付き、僕は茫然とした。



 ――……残っている。



 あきらかに宿主の意識が残っている。


 その結論しか浮かばなかった。


 僕は失敗したのだ。だから兄弟達のように産卵にまで至らなかった。だからこうして宿主の感情を、共有し合う事態になってしまっているのだ。


 これからこの宿主の身体をどうするのか考えなければならない。親と兄弟達のことを思えば、一番確実なのはこの身体を壊すことだ。


 だが、と僕は考えた。


 僕という意識がなくなるのは、僕にとってはあまり良い事態ではないのではないかと。


 そして何故そのように考えるのか、その結論に至った原因を推察した僕は、導き出された答えに愕然とした。


 恐怖だ。僕は死ぬことを怖がっている。


 死を恐れるこの本能も、宿主の意識によるものだろうことはわかっていた。本来の僕達に死に対する恐れはない。僕達兄弟は親の分身であり、その親もそのまた親の分身だ。僕達はいわば分裂を繰り返しているだけなのだから、死という概念からは程遠い存在だ。


 けれど――そう。だからこそ。結局は特に何の問題もないのだろう。


 宿主の意識は残っている。だが、おそらくこの身体の九割以上は、いまだ僕の支配下に置かれている。


 ――たかが一匹。


 このか弱い生物のたかが一匹意識を残していようとも、もうこの事態は覆すことは出来ないだろう。親や兄弟達が危険にさらされることもないはずだ。そして万が一、この残った宿主の意識が原因で僕の親兄弟達の幾らかが死ぬ羽目になったのだとしても――。


 それでもやはり、何の問題はないのだ。なぜなら、僕達には恐怖という感情も、そして死と言う概念もないのだから。


 そう結論を出した僕は、産卵を終え疲れているだろう兄弟達の身体を労わる様に一撫でし、部屋を後にした。料理を作るためだ。


 幼生体を産卵し終えた個体は、しばらく休養する必要がある。二人とも今から数時間は、眠り続けるはずだ。そして目覚めたあとには、大量の栄養を必要とする。けれど宿主の知識があるため、目覚めたあとの食料の確保は心配いらないだろう。それに、この宿主達の身体の機能をしばらくの間保つために必要な栄養素は、この家にはまだ十分あるのだから。


 だが、理由は何にせよ産卵をしていない僕がいるのだから、宿主の知識を使って料理を作ってやっても構わない。あの二人は僕の宿主の親なので、これも親孝行の一環だろう。


 流し台の前に立ち、まずは手を洗う。それから僕は兄弟達がいつでも食事を取れるよう、宿主の知識を使って料理を開始した。


世界を征服するのに必要な幼生体の数とか期間とかは適当です。

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